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飯田家の事情 14

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 親族間の甘えこそ許さないと言うような言葉は確かに飯田さんは青山さんを叔父と甥の関係というより職場の関係の方がしっくりと来ていた。 
 たまに親族関係な顔を見せるも仕事に関する時は一切そう言った空気すら出さなかったので、親類と知らなければいまだに職場の人間関係だと思っていただろう。
 
「それはそうと飯田さんはなんで今さらここを継ぐことを決めたんだよ。
 てっきり東京に戻って青山さんの店を受け継ぐのかと思ったのに」
 
 聞けば少しだけまだ未練が残る顔を見せるものの

「あの店なら俺でなくとも誰でも問題なく引き継ぐことが出来ます。
 もしくは誰かがすぐにでも上物を取り潰して全く別のビルにしたいくらい欲する土地です。
 そして誰もただ時の流れの中すぐに慣れてあの店があった事を忘れてしまうのでしょう」
 
 そう言う場所だと言うのは確かにと頷いてしまう。
 寂しくもあるがそう言った土地柄だとかつて生まれ育ったマンションのあの部屋にも既に別の家族が住んで居て誰もが俺が住んでいた事をかろうじてとどめる遠い記憶の存在でしかない事を理解している。

「その点この店も同じですが……」

 苦笑する飯田さんはぺろりと日本酒を舐めて唇を湿らせ

「青山の店がなくなるのは寂しく思うのですが、やはりここは生まれ育った故郷なのです。
 無くなる、直面してやっと掛け替えのない事に気付いたと言うか……」

 この歳で恥ずかしいと言う顔。
 
「今さらですが残さなくてはと思うようになりまして。
 特に父が俺にメインを任せてくれるようになってから父の老いが目に付くようになりました。
 そこでやっとこの味を失うのはもったいないと思うようになったのです」
「だけどそんなのはもうずいぶん昔の話しだろ?
 何で今頃決断したんだよ」

 庵としては初めて聞く話だったが家に戻る決意した時の話しだろと言うように綾人がえぐるように聞けば飯田さんは嫌な事を聞かないでくださいと顔を歪めるも

「それでもフレンチへの未練が経ちきれなかったのです。
 和食では表現しきれない色鮮やかで華やかな料理。
 かといって和食の日本人の複雑な味覚に合わせ洗礼された料理も捨てきれません。
 そんないいとこどりをしたのが和フレンチで今までも和フレンチを食べてきましたが正直そこまで心惹かれるものがなく、だったら自分で作ればいいと言う結果になりまして」
「それもずいぶん昔の決意だろ?」

 それこそうちに遊びに来るようになってから人目のないうちの台所で感覚を試していただろと言うように料理が分からなくても直感を信じて言えば庵の驚く顔とは別に飯田さんは露骨に嫌な顔をする。

「感で言って俺の秘密を暴かないでください」
「十数年抵抗なんてしているから拗れるんだよ」

 なんて笑えば

「でも、まあ、後押しされたのはしいさん達の存在ですね」
「なんで?」

 焼酎を飲みながら聞いてしまえば

「いずれ父さんも母さんも居なくなります」
 
 時の無常に抗えない問題にまあなともう一口飲めばグラスの中で崩れる氷の音がやけに響いた。

「綾人さんの事だからきっとこの家を維持しようとします」
「そこまでお人よしじゃないぞ俺は」

 暫くは、なんて考えた事もないわけじゃないが……

「きっといずれ取り壊されるでしょうこの家はその間誰も居ない無人の家になります」
「これだけの家だから管理人位置けばいい。暁とか」
 
 なんて言えば飯田さんは小さく笑う。暁も大変だなと。
 とても穏やかな口調だけど少しだけ悲しそうな顔をして

「その間きっとしいさんとこまさん達は誰も居ないこの家でずっと誰かが帰ってくるのを待つのでしょう。
 賑やかだった店が開いていた時の思いを馳せながら」

 考えなかったわけではない。
 その時は山に連れて行けばいいと思っていたが、しいさん達はこの地で生まれてずっとこの家の中で過ごしこの家を見守って来たのだ。
 山に連れて行ってもこの店の日々にずっと思いを馳せ続けるのだろうことは想像はたやすく……

 どの道を選んでも何て残酷なのだと判っていたはずなのに今さらに気付く。
 名前を与え縛り付けた以上俺が生きている間はそういう生き方しかできない事に今さらながら思い至った。
 
「暁達が怒るわけだ」

 二人に聞こえない声量で反省。
 何か言いました?そんな風に眉を顰める飯田さんに何でもないと頭を振ればまたぺろりと日本酒で唇を濡らし

「だったらここで俺が決断すればいいだけだとやっと言葉にしただけです。
 店は好きなように変えていいって言う言葉に甘えさせてもらって成功するかどうかも分からないけど、そこは綾人さんがスポンサーになってくれれば問題ないと思っています」
「ちゃっかりしてるなー」

 なんてさっきまでの湿っぽさをごまかすように言えば飯田さんは顎をあげて

「店を開いた折には青山の店の従業員を招く事にしました。
 もちろん彼らにも和食を学んでもらわなくてはいけませんが、すでに青山の店でも散々作って食べさせてきたので高遠は感も良いのでだいぶものにしています」
「すげー。俺が想像する以上に話がまとまってた。
 いおりん、お前の居場所なんてないぞ」
「そうだぞー。青山もだったら奥さんを経理に招いて俺達も引っ越すからなーって言ってたから」
「俺のポジション本当にあるの?!」

 どこまでが本当かなんてわからないけど店を閉めると同時に新しい店に期待を膨らまして自然に笑顔が湧き出てしまう。
 そんな俺を見て飯田さんは目を細め

「そんな店にしいさん達と一緒にお仕事をしていただければこれ以上となく綾人さんも安心できるでしょう」

 結局の所俺に激甘な飯田さんだから俺が一番心配している事を取り除いてくれる。
 それがただの対処方なだけであってでもだ。
 
「それを言われたらしっかりスポンサーとして飯田さんの希望のキッチンを作らないといけないじゃないですか。
 いつもの通りお財布を持って待ってるから見積もりをしっかりお願いしますね」
「なんだか懐かしいやり取りですね」

 なんてふふふと笑いあってしまう。

「どのみちこの店も一度手入れをしないといけないからな。
 壁の傷みだったり襖も張り替えたいし、畳も表替えはしてあると言ったから今度は張替えになるだろうし」
「お母さんはちゃんと自分たちの代ですべて終わるように計算してるねー」
「まあ、家に近寄らない長男とアイドルに夢中の次男を見れば諦めはとっくについていたのでしょうね」
 なんて全く反省のしない兄弟に綾人も笑うしかない。
 なんてったって全く他人ごとではないから。
「店の内装はこのまま使います。
 ただ数部屋はテーブル席も欲しいので手を入れたいと思いますが」
「ふむ、そこは宮下のつてを頼ろう。
 山川さんとてさすがに縄張りじゃないだろうしね」
「ええ。いつもお願いしていた所が廃業になってしまっていたので助かります」
 そうやって皆さん代替わりしていく事を少し寂しく思いながら

「しいさん、こまさんん、次郎さん、鈴をこれからもよろしくお願いします」
「はい。まかされました。
 その為に俺は家と店を継ぐので、綾人さんも定期的に皆さんの働きぶりを確認しに来てください」

 なんて約束。
 飯田さんがこれから頻繁に山に来れなくなる代わりに俺が足を運ぶ。
 今まで毎週のように来ていた事自体凄い事だったんだよなと改めて思うも、それでも俺達の交流は終わる事はない。
 店がなくなる、そんな事よりほっとしてしまう自分にしっかり餌付けされているなと分かり切っている事に苦笑してしまえば廊下を軽快に歩く足音が耳に届いた。




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