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春が来る前にできる事 6

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 一足先に冬を迎えた深山はうっすらと霜が降りて世界一面を絵具の白を刷いたような世界だった。
 斑で地面の色が見えて、植物の緑も薄らとのぞく、そんな柔らかな色彩の中烏骨鶏を放てば相変わらずビビりながらも元気よく餌を求めてさまよって行く。
 一歩間違えれば自らが餌になるのにと空を見上げるもまだ鳥たちの活動する前。
 狐やアライグマやたぬきと言った目撃情報は相変わらずある。鳥達に狙われる可能性が少なくても相変わらずどこから潜り込む獣たちとの攻防は激しい。
 柵を変えて少しは減ったものの柵ごときで食欲を我慢できない野生の獣はいない。特に冬場の食料の不足するこんな山奥なら暢気に歩いてる烏骨鶏なんて格好の餌食。 
 小屋から出て餌を探して小屋から出てぷりぷりとおしりを振りながら地面を啄む様子を眺めていれば
「綾人ご飯だよー」
「今行くー!」
 俺もご飯の時間。
 ウコハウスから卵を収穫してぬかるむ庭を歩いて母屋に辿り着いた。
 近道で玄関から入ればロケットストーブで温められた室内の心地よさにすぐさま冷気を含んだ上着を脱いで
「宮下、卵採れたよー」
「あー、じゃあ卵がけご飯にする?」
「産みたて卵だからの贅沢。洗うから器の用意お願い」
 冷たい水だけど洗剤付けて綺麗に洗う。
 あとは用意してくれた器に置いて、卵がけご飯用専門の醤油を用意して……
 ぱかっと割ればもっちりとした黄身がこんもりと盛り上がった白身の上に鎮座していた。やっぱりこれが一番おいしい食べ方なんだよと濃厚な黄金を汚すように黒々しい醤油をたらす。その後は箸でつまんでも割れない黄身を持ち上げて、潰す。タラリと溢れ落ちた黄身をニマニマと見てしまうのは……
「アヤトその食べ方ほんと好きだねぇ」
 呆れた宮下の言葉に頷く。
「普通の卵じゃできないし、これだって餌の配合次第じゃできないし」
「まあ、そうだけどさ」
 健康な卵を産ませるには健康な食事が影響する。
 黄身の色だって与えるエサ次第で濃さが変わるのだ。今の配合だって考えて考えた末のお犬様納得の黄金比。
 宮下は醤油と混ぜた卵をどんぶりのお茶わんの真ん中にくぼみを作ってそこに垂らしこむ。
「って言うか、どんぶり?」
「うん。おかわりに立つのめんどいし、零れないかひやひやするじゃん?」
 改めてよく見れば俺のお茶わんもどんぶり。そしてその横にはおかわり用の烏骨鶏の卵は当然先程洗った奴の残り。
「どんぶりでご飯何てどんぶりもの以外じゃこう言う時じゃないと食べれないよねー」
「まぁ、確かにそうだけどさ」
 どことなく釈然としないと言うか、なんで気付かなかったんだと考えるのは宮下といつもと変らない朝を過ごしているからだろうかと思えどさすがにいつも使ってるお茶わんとどんぶりの差に気付かないのは問題だよなと豪快にかきこんで飲み物のように食べる宮下の食べっぷりには思わず拍手を送りたい気分になる。拍手何てしないけどね。
 そんな手抜きな豪快の朝食の後は二人で簡単に掃除と畑を見回って
「さて、そろそろ行こうか」
「うん。あのさ……」
 そう言ってもじもじする宮下に何か俺に言いたい事があるのかと気づく。
 判りやすいんだよなー。
 なに相談したいか大体わかるけどと今この家で一番温かいロケットストーブの側にキャンプ用チェアとテーブルを置いてお茶を用意する。
「で、何が不安なんだ?」
 聞けばやっぱり綾人は判ってくれるんだよね!と言う様に瞳を輝かせて
「あのさ、結婚する事になったのは判ってるんだけどさ」
「で?」
 お茶を飲みながらこれがマリッジブルーって奴かとニマニマと眺めながら
「結婚したら綾人のお世話が出来なくなるんだ。どうしよう……」
 至極真面目な宮下の相談だった。
 正面の宮下によくお茶をぶっかけなく普通に飲み込んだ俺を呪いたい。これはぶっかけて泣かせるべきかと言う腹だたしさに溢れる中
「いやな、別にお世話何てしてもらわなくてもちゃんと自活できるから……」
「出たよ。綾人のツンデレが出たよ」
 俺ってツンデレなんてそんな目で見られたのかと少し意識が遠くなるも
「そりゃあ宮下が来てくれるのは嬉しいぞ?
 だけどこれからはそれを香奈にしてあげる番だろ」
「香奈ちゃんはしっかり者だからお世話しなくてもきちんとしてるよ」
 きりっとした顔で香奈の事は判ってると言う顔。

 あかん……
 これ、絶対あかん奴……

 一瞬フリーズするようなまでの衝撃の言葉を言う宮下の両肩を捕まえて
「宮下、香奈は別にしっかり者でもないから。確りしているように見えても香奈も沢山お世話してあげないといけない子だから。優先順位で言ったら俺や陸斗よりも断然上だからな?」
 判らないと言う様にキョトンとする宮下に
「香奈は高校卒業してから家を出てずっと一人暮らししてただろ?
 その点圭斗はこっち来てからみんなとワイワイしてたり、陸斗も友達とお泊りしたり大学に行っても友達や園田達と絡んだりして寂しい思いはしてない。
 だけど香奈は就職して家を出て知り合いも土地勘もない場所に一人ポンと放り出されたんだ。あの時はまだ圭斗が居たけどそれでもわずか数年だ。
 そりゃあ、職場の友人も居たり、それなりに動き回っていたから色々な場所に行ったとは思うけど、それでも圧倒的に少ない友人関係しか作れなかったはずだ」
 真剣に、少し動揺しながら話を聞く宮下の戸惑いを隠せない様子に
「もちろん香奈は圭斗に迷惑かけたくないからそんな事言わないに決まってる。ましてや宮下になんて言うわけもない。
 あいつは元気で明るい香奈ちゃんを演じる為ならそれぐらいやってみせるぞ。大好きな翔ちゃんに心配かけたくない一心でな」
 重い、と言うかやっぱり愛情不足から嫌われないように必死なのだろう。
 幼い頃からの思い出はずっと笑顔で居る宮下なのだから、笑顔でいたいと言う表れ。香奈のくせに健気だ……
「綾人は香奈ちゃんの事詳しいね?」
 何てこれは嫉妬か?と思うも正直に話す。
「まぁ、お前が就職から戻ってくる少し前から圭斗に頼まれて香奈の勉強見てたからな。お前の前じゃ一生懸命勉強してたけどお前が居なかった時は何時も文句言ってわかんない連発して挙句に喫茶店で散々奢らされたな」
 夕飯食べさせてもらえないからが理由なのは判っていたからパン屋の喫茶コーナーが定番だった。平日限定ドリンク一杯とパン二つ。おかわり自由と言う夕方以降のサービスはそれなりに人気があり、勉強させながら食べさせて、帰りにはお土産を持たせてバスの到着時間に合わせて家まで送り届けた。
 圭斗も陸斗もそうだったように香奈も勉強がかなり遅れて手こずったのは言うまでもなく、何より圭斗同様栄養不足は見るまでもなく、親がお金かけないのは変らずだから、女子特有の事まで放置している状況。こうやって勉強を見るまでは宮下のおばさんが面倒見てくれてたらしい。まぁ、たまには勉強を早めに切り上げ買い物を手伝わせ、お礼に好きな物買えといくらかお金を渡して自分に必要な物を買わせる。
 靴下、下着、生理用品と女の子なら気を使うべきものを、人として守られるべき尊厳に真っ先に手を伸ばすあたり本当に必要だったのだろう。時折男児の下着類もあったのでそういや弟が居たなと当時見た事もない圭斗の話しだけの弟の事をぼんやり思いだしながら俺は荷物の袋詰めまで香奈に任せて店先でソフトクリームを食べて待つようにした。
「あの時はお前が一緒に勉強の面倒見てくれるって言ってから香奈の奴一生懸命になってくれてさ。
 ほんと翔ちゃん大好きだよな」
 ニヤニヤと意地の悪い顔で言えば逆に真っ赤になって話題を振っておきながら
「そ、そろそろ一度家に戻るから」
「そうか?じゃあ、俺もぼちぼち行くとしようか」
 よいしょと立ち上がってストーブの火を落し、戸締りをする。
 その間に宮下は烏骨鶏を小屋に戻してくれて出発となり……

「よお、大丈夫か?」
「あー、宮下が優しくってさ。何か俺の方が香奈より優先順位が上になってたって言うか俺の方が面倒見ないと生きていけないような立ち位置になっててさ……」
「……。
 まあ、そうだよな。なんて言うかさ……」
 車で一杯の庭の一角から空を見上げる圭斗は暫くして溜息をはいて

「お前も烏骨鶏の一羽と思っておけばあいつが世話を役たくなる気持ちがなんとなくわかるような気がするんだが」

 フォローにもならないその指摘にちょっぴり涙が出そうだった。
 
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