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歩き方を覚える前に立ち方を覚えよう 7

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「クリフおかえり。バイトはどうだった?」
「兄貴ただいま。色々と凄かったよ」
 両親ともに働きに行っているのでたまたま仕事がオフで家に居てリビングのソファでだらりと寝転んでいた。
「いろいろって?」
「あー、案内された先が城だったとか、敷地面積が途方もなく広かったとか、オリヴィエ・ルベルとマイヤー・ランドールが住み着いてたりとか、いろいろあったんだ」
 そう、本当に色々な事があったのだ。
 日本の漫画やアニメの話しを聞けると思ってアヤトと親しくなりたいと話しかけたつもりで日本語を学ばせてもらうまでになり、日本から来たウエダと盛り上がった手サイコーに楽しかったのは彼らが帰るまで。
「なんかさ、ひたすら畑仕事と木を切らされて雑草を抜いて過ごしてきたんだ。掃除とかとにかくな、一生懸命働いてきたんだ」
「そ、それは良かったな……」
 オリヴィエとマイヤーに会えるなんてとクラッシックは聞かなくても名前ぐらいは知ってる有名人に少し驚きがあったが、その後が想定外だった。賢くて自慢の弟は主に頭脳労働者だ。そんな栗栖の特性をよく理解した両親は惜しみなく勉強の場を与えてきたが、まさかその先で肉体労働をする事は予想外だったのだろう。
 疲れたよとクッションを抱いてうつらうつらとする弟は良く見ればバカンスでも言って来たかのように陽に焼けて、ガリガリで青白かったと思っていた顔つきは血色もよく、そして一回り筋肉が付いたと言うか、細いには変わりないが少しばかり男らしい体形になっていた。
 兄は知らないがオリオールの食事を毎日三食お腹がはちきれんばかり食べて一日八時間の農作業に城の住み込んでいるエリアの掃除、そして身の回りの事を休憩を入れる事なく働き続けた。休憩を挟んだら寝る時間が無くなるからと、そこは悲しい数字の下僕。自分の能力を計算したら全力で駆け抜ける様に働かなくてはノルマが達成できない事をはじき出して全力で駆け抜けた約二週間。夜は図書室で本を開いたらそのまま朝まで寝落ちの日々をどれぐらいくりかえしたかなんて両手じゃちょっと足りないくらい。さすがに途中から本を部屋に持ち込む事にしたが、それでも気が付けば朝だったと言う日々に不眠症気味だった頃の顔色の悪さはどこにもない。
 ほんの少し無言になったと思えばふと穏やかな音が兄の耳に届いた。
 すー、すーと言った静かな寝息。
 寝顔を見たのは何時依頼だったかと何時も遅くまで何かに追われるように勉強ばかりしていた弟のまだ幼さが残る寝顔にそっとブランケットを掛けてあげる優しい兄だった。


「やっと帰って来た」
「いろいろあったから疲れたよね。座ると動けなくなるから洗濯物出して洗っちゃおう」
「いや、それは俺がやっておくから飯を頼んでいいか?」
「え、ああ、はい。旅の疲れがあるので簡単なものにしましょう」
「旅の疲れって言うより労働の疲れが抜けないって言うのが正しいよな」
「まぁ、慣れない事ばかりでしたし」
「っつーかさ、綾人マジ人使い荒すぎ!」
「でもできない事は仕事は振らなかったから良かったじゃないですか」
「人の良いこと言ってるなよ。つまり出来る事を総て押し付けられたって事だろ」
「仕方がありません。私達は働きに行ったので当然でしょ。お金もしっかり貰ってしまったのだし」
 そう言って二人は貰った茶封筒の中身を見る。
「正直これが適正かどうかなんて判らねえ……」
「まぁ、色は付けてもらってると思いますよ?」
「はあ?!たったこれだけで?!」
「交通費も宿泊代も食事代も総て綾人が持ちだから、寧ろそれを差し引かずに弁護士を通しての契約からはじき出した金額なので正当報酬ですね」
 明細表を見て早朝に起こされて朝食までの労働時間には早朝時間で割増しになっていた。
「しかも一日三食とおやつはエドガー・オリオールの、俺は知らないけど世界的に有名なフランスシェフだったってケリーが言ってたな。レストランの予約を取るのに何カ月もまったりしないといけないシェフの料理を食べ放題で食べてたのだから、正直バイト代より食事代の方が高くついていると思います……」
「ってゆーか、どんな関係で綾人は取り込んだんだよ」
「さすがにそこまでは。けど後から調べたんですが飯田さんがオリオールのお弟子さんで、その繋がり位ぐらいは判りました」
「ああ、俺も調べた。東京のMon chateauのスーシェフだってな。
 母さんが行きたがってるけどいつも予約いっぱいだからって断られてる」
「凄い店ですね」
 感心する柊に
「何でも予約は三カ月先までしかとらないとか。
 何度電話しても取れないし、俺の進学祝いだからって何とかって言ってもルールだからって断られてマジ切れしてたし」
 さすがにそこまでして行きたいとは思わないから別の所にしたけどと叶野は母のあの執着ぶりに呆れていたが、まさか一見さんお断りだとは想像もしてなかっただろう。祖父の代から成功して成り上がった物の相手は何百年と続く店で鍛え上げられた精神の持ち主だ。百年以上お付き合いのあるお客様を抱える店だけに、その程度の家格とは付き合わないと言うスタイルの店が流行り廃りが駆け足のように通り過ぎて行く東京でまかり通るとは想像はしないだろう。むしろそう言う物と隔絶した常に安心ある穏やかな時間に取り残されたような空間を提供してみせる青山の手腕はたとえ家を継ぐ事が無くてもその精神は確りと受け継いで見せた特別な空気が支配する店の名のとおり青山の城だ。
 店の歴史としては浅い為そんな事とは知らず、一切マスコミに出た事がないのに予約の取れない店と言う事でただただ憧れの店と言う羨望を集め一種のステイタスになっているのは単なる青山の戦略だと言う事を知らずに
「この春も帰って来たら今度こそ予約取って家族揃って行くとか言ってたけど、予約とれねーし。また八つ当たりされるのは嫌だからバイトの話しは渡りに船だったけど、どっちがましだったかなー……」
「まぁ、同学年の友人と交流が出来て、この二週間で英会話力も付いたし良しとしましょう」
「本来の目的を忘れそうになったけどな」
 なんて目を瞑ってくすりと笑い
「そうなると片言でもフランス語がしゃべれるようになれると楽しいよな」
 あの城の中でオリオールの歌う様に話しながら料理する会話の内容を聞きたいし、あまりに酷いバイオリンだったからオリヴィエがバイオリンを教えてくれたけどフランス語だったらもう少し詳しく話が出来たのかなと想像をしてみたらやる気がわいてくる。
 とりあえずと言う様に洗濯物を洗濯機に入れ洗剤と柔軟剤を入れたらスイッチを押す。あとは乾くまでほったらかしにしてアイロンをかけて……
 そうやって待っている合間に知らず知らず寝てしまったのを柊は仕方がないと言う様に笑っていた。



「つまり、バイトとして庭仕事を学んできたのね」
「はい。重要な場所はやらせてもらえなかったのですが枝の落とし方や落とす枝の見極め方など学ばせてきました。あと見事なハーブ園がありまして、柔らかな葉っぱの成長を邪魔しないように古い葉っぱや間引きをしたり、綺麗な庭には惜しまぬ手入れが必要だと判っていたのに気付かずにいました」
「それは素晴らしい成長ですね」
 パチン……
 そう言いながら複数の花芽を付けたバラを一つだけ残して落として行くおばあ様の姿を子供の頃は恐ろしく見ていたが
「もう少し葉っぱも落してはいかがでしょう?」
「そうねえ。これから温かくなるとは言え落して体力を奪うのも花を咲かせるためにはよくないし、そうね。もう少しだけ切り詰めましょう」
 パチン……
 小気味良い音に耳を澄ませながら数日前の出来事を思い出す。

 畑よりもっと角に作られた小さな花壇に咲いていたバラたちは元々咲いていた物を纏めて移植した物だと言っていた。
 一年この場所で過ごして安定しただろうと言いながら長い冬が開けてまだちいさな若い葉っぱをのぞかせるバラをアヤトは祖母と同じ目をして枝を落していた。
「やっと芽吹いたのにもう切ってしまうのかい?」
 ふと思い出した祖母と同じ事をしていたアヤトを少なからず批判する様に口にしてしまえば
「思うまま咲かせるのが植物に取って良い事ではないと言うのは知ってるか?」
 難しそうな顔で枝を切り戻して行く姿に
「折角綺麗な花を咲かせてくれるのにもったいない」
「それはそう言う咲き方をする花に任せればいい」
 言いながらパチンと剪定ばさみの音が風と共に通り過ぎて行く。
「このバラは大輪の花を咲かせるんだ。思うままに咲かせると重みで自らの力で支えきれなくて折れてしまう。そこから雑菌が入り株が弱り花も奇形な姿を見せるようになる」
 言ってパチンと芽も出ていない枝を切り落として行く。
「蕾もどんどんとって行かないと体力がなくなるし、咲かせたい時に目指して一気に咲かせると綺麗な蕾が出来て綺麗に咲く。枝も遠慮なく落として株元まで日を当てないと咲かせるための良い葉っぱもでないし葉っぱを出し過ぎたら光合成が上手く行かなくって弱って行く。
 基本この城のバラは一年中バラを裂かせたいと思ってたのか四季咲きのバラばかりだから。だけど咲たいように咲かせてたらあっというまにつかれてよわってしまうから。心を鬼にして季節ごとに一度咲かせるぐらいがバラの為にもなる」
 言われて思い出すのは祖母の剪定もそうだったなと言う所。
「別にこれはバラに限らず他の植物を育てる事にも共通する。
 木の枝なんかは好き放題伸ばせてたらちょっとした風で取り返しがつかないくらいの所で折れてしまう。そうなると病気も入って木全体が駄目になってしまう。だったらその前に支えきれないような枝を前もって落して株を強固に育てて行けば枝も太くなってなかなか簡単に折れない木になる。バラにとったら試練かも知れないが、そうやってたくましく育てて行けばびっくりするぐらい綺麗な花を咲かせる、人のエゴの辿り着く究極の場所だ」
「エゴだと言う自覚はあるのですね」
「それが園芸の世界だ。偶然生み出された奇形を愛し定着させ一つの品種として生み出す世界をエゴと言わずになんという。上手く言えば一攫千金の世界だ。止める理由はない」
「ゲスいですね」
「交配して花を咲かせクローンで増やすまでに何年かかる?さらに言えばそれが世に認められ価値ある花に認められるかも一種の博打。それだけの時間をかけてそれに見合う報酬こそ人間の欲望と言う所だよ」
「つまり……
 園芸に興味なければどうでもいい話ですね」
 理解できなくて完結してしまえばアヤトの悲しそうな瞳だけが妙に印象的だったが……
 
「おばあ様は交配とかしないのですか?」
 なんとなくアヤトと話した事を思い出して聞けばおばあ様は皺の深い眉間を気難しそうに寄せて
「ウィリス、私は昨日今日生まれたような弱い株の相手なんてしないよ」
 きりっとした顔で俺を見上げる瞳は
「私は古くからあるオールドローズの良さを広く認めるさせる為の品評会用に育ててるんだよ。あんなつまらないバラに究極何て求めないんだから」 
 そう言って何やら気合を入れて世話を始めたおばあ様の邪魔をしないように温室を後にした。
 何気にググって見れば究極のバラはロゼッタ咲が代名詞のバラとは程遠い白から赤へのグラデーションが美しい五枚の花弁を付けた何とも楚々としたバラだった事を初めて知って……
「おばあ様がんばってください」
 謎のエールを送るのだった。


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