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踏み出す為の 10

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 話はマイヤーが進行役として振ってくれた。主にオリヴィエの活躍や活動内容。そして動画の様子や今朝ドイツへと旅立った演奏会の内容など俺達の間の共通の話題と言う様にオリヴィエとオリオールの料理の話しが主軸となった。
「とりあえず急に背が伸びたから弓を買い替えてな。
 今は使い込んでいる途中だがジョルジュとの相性も良くってオリオールに軽食を作ってもらって練習場に入り浸ってる」
「ああ、あの集中力には驚かされる。
 練習に集中したいからサンドイッチを作ってくれって頼まれてな。
 あとで届けに行くと言って、サンドイッチだけじゃ寂しいからスープを作って持って行ったんだが、声をかけても気付かない集中力は油断すると恐ろしいと思ったぞ」
 料理を運んできたオリオールもオリヴィエのマイヤーでさえ知らない普段の様子をちくりと告げれば
「まぁ、我々にはよくある事だから」
 なぜかそっと視線を外すジョルジュとマイヤーにも経験があるからの呟きにジョルジュの奥さんも呆れた溜息。
「そうよ。音楽家なんてみんな食事なんて忘れて音楽に没頭する問題児ばかりよ。
 その程度の事で驚いてたらこの先オリヴィエに付き合ってられないわよ」
 どうやら奥様もとうとうこの話に参戦するつもり。良い子だと褒め称えるよりもそうじゃないとけなす方に回るつもりらしい。あまり怒らせないでくれよと黙って耳を傾けながら食事を続けていれば
「いい?音楽家って言うのは音を食べて生きる生き物だって勘違いしてるの。
 放っておくと食事をとるのも忘れるし寝る事も忘れるの。 
 頭の中はオタマジャクシだらけだし、こうやって会話する言葉も音符になって話の内容より声の強弱で判断する嫌な人たちなの」
 オリヴィエだけでは足りずジョルジュとマイヤーも巻き込まれたらしい。
 なんてこったいと言うようなオリオールに尚もジョルジュの奥様は不満をぶつける。
「もちろん結婚記念日だなんて結婚したから問題ないって言うし」
 誰ともなくジョルジュを白い目で見る。
「一挺何百万ユーロするバイオリンを買っては借金まみれになって、ピアノのレッスンだけの私の収入じゃ足りなくて、パン屋にもアルバイトに行ったのに。
 そんな私の苦労なんて知らないって言うようにあっさりバイオリンを売り払って……」
 所有こそジョルジュだった物だったが、それ以上に家族を支えてきた奥様の苦労は今だ納得できないと言う本音なのだろう。
 しくしくと泣きだしてしまった奥様にオリオールはそっとその肩を抱きしめていた。
「苦労と共にあのバイオリンは我が家の歴史でもあるのに。なのに!
 もちろんオリヴィエだって私は納得して迎えたわ! 
 だけどオリヴィエはあの時の苦労なんて知らないのにあの子の手にあるなんて!」
 高ぶる勘定に立ち上がるも
「一つ訂正。
 あのバイオリンは俺の物です。オリヴィエには金銭的な事を含めての貸し出しです。オリヴィエの手にはありますがオリヴィエの物ではありません。そこは一つお間違えの無い様に」
 出されたヒラメのムニエルを飯田さん仕込みのナイフとフォーク捌きで優雅に食べながらの指摘に奥様の視線が俺を貫く。
 だけど俺は一切相手をしないと言う様に食事に集中しながら
「そんな苦労をしておいでの奥様だからこそご存知でしょう。
 手放さないといけないくらいの治療費、そしてお金を借りる事が出来ない息子さんと娘さんの散財事情。
 いくらあなたが賢母となられても親の心子知らずじゃないですがどのみち手放さなくてはならない物だった事を。
 娘さん達の手に渡ったとしても、すぐに手放さないといけない息子さんと娘さんの借金事情、あれから話をしましたか?」
「そ、それは……」
「カーラ、もうやめなさい。
 どのみち手放す運命のバイオリンなら私の手で渡す相手を見極めるのが半生を共にした我が子の旅立ちにふさわしい。
 私の知る最高の引手の手に渡るのなら、オリヴィエの負担にならずに渡ると言うならこそ言い値で買うと言ったアヤトに売るのが我々に残された選択なのだ」
 フォーク一本で綺麗にムニエルを食べるジョルジュの器用さに俺は釘付けになりながらも食事を続ける。
「それにアヤトから送られたお金の残高の確認をしたか?」
「そ、それは……」
 何かあったのかと思うも
「既にあの二人が借金の督促に使ってしまった。
 これではあの二人に渡すはずだったバイオリンも売り払わないといけない」
 優雅に操るフォークを置いて、ミネラルウォーターをそっと口に含んだ。
 綺麗に食べきったヒラメのムニエルはナイフとフォークをそろえて置けば直ぐに飯田さんがプレートを下げてしまう。
「アヤト、良ければもう一挺ぐらいバイオリンを買わないか?」
「ええ、あまり詳しくないのですがアマーティかグァルネリなら」
「よし手を打とう。二挺でストラドと同じ金額で良い。格安だ」
 あってない値段とは言うが、格安どころか破格すぎて逆に不安になる。
「ストラドほど余り状態は良くない。美術館に行くほど美品でもないし、だけどいい音は約束する。今時のホールではストラドでは力不足だから選びしろがあればオリヴィエにも選択の余地があるだろう」
「あなた!」
 奥様の悲鳴にジョルジュは凪いだような静かな視線を向けて
「あの二人が今後どれだけ舞台に立てると思う。
 大多数の末席に居場所があればいいだろう。
 その程度に名器は必要はない」
 マイヤーもそうだと言う様に頷く姿を見て力なく椅子に座る。
 ぽろぽろと涙を流すのは苦労の上に二人の子供の音楽家として育て上げたつもりがその存在すら危ぶまれるほどに落ちぶれていたから。
「では、保険の手続きもあるので弁護士のエドガー・ベクレルを通して購入させていただきます。
 ただしその際新たに口座を開局してそちらに振り込ませていただきたく思います」
 当然と言うジョルジュに奥様は目を見開いて俺を見る。
「これはジョルジュの為の医療費、そしてきっと俺はお別れに伺う事が出来ないでしょうから。その為の費用に使っていただければと思います」
「っつ!」
 まるですぐ側にあるような物の言い方に奥様は俺を睨みつけるが
「カーラ、目の前の事から目を反らすな。
 アヤトは息子や娘が出来そうにない事を代わりにしようとしてくれているだけだ。
 この代金をお前に渡せばまたあの二人に言われるまま金を渡す事ぐらい私でも判っている。
 私が死んだ後ならそれでもかまわない。だがな……」
 マイヤーはパンを千切ってオリーブオイルに浸しながら
「そのお金は私亡き後のお前の生活費だ。あの二人は絶対お前の世話をしない。
 心配そうに聞こえる声も総てが偽りの音をしている。
 苦労かけたお前に出来る事は言い値で値引きもせずに即答で買ってくれるアヤトの信頼を失う前に結論をだしただけだ。
 思い出だけじゃ生活は出来ないし腹も膨れない。
 こんな素晴らしいランチにすら誘いもしない子供達にお前は何を信頼をする?」
 厳しい言葉と共にオリーブオイルを浸したパンをゆっくりと食べ終わる頃にメインが来た。
 そこからは誰もが話をする事なく食べ、デザートを食べ終わった所で一人の男が食堂にやって来た。

 

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