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手を伸ばしても掴みとれないのなら足を運んで奪いに行けば良い 10

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 あの暑くて賑やかで駆け足の日々を思い出しながら金のふわふわした髪の頭を抱きしめてその匂いを胸いっぱいに吸っていた。
 背中に回された手とまだ薄いシャツに吸い込まれる胸元に感じる涙。
 ほんの少しのおせっかいと、ままならぬ未来を掴む為の戦い。
 誰かに支えてほしい寂しい気持ちは今も泣きだしたいくらい知っているつもりだから、俺と同じように夢を諦めて欲しくないと生きる事を諦め惰性で流される道を目の前にした子供を過去の自分と重ねて本気で助ける事に決めた渡仏。
 かなり強引であったが、養子先の家族と引き離してしまった代わりに養父の魂を引き継ぎ、独り立ちの為に勉強と仕事と懸命に向かいあう姿はバイオリンケースを抱えたあの姿から随分と大人に見え、初めて出会った時の他人との間に壁を作っていた大人に怯えた子供ではなくなっていた。
 その一因に自分がかかわっている。
 どこか誇らしく、そして今別れの時に涙を見せる無防備なまでの年相応の、自分には到底出来なくなった姿に眩しく思う。
「フランスと日本、遠いけど別に二度と会えない距離じゃない。
 冬が来る前に一度会いに来るし、冬が終わった頃会いに来るから」
「うんっ……約束だよ」
「約束だ」
 帰国となってから何度この約束を交わしたかなんていちいち数えない。
 子供の頃から大人の社会で育ったオリヴィエはこう言った出会いと別れをあまり経験する事無く過ごしてきた弊害だろう。
 オリヴィエ位になるとすぐに別の演奏会で再開が出来る為に出会いと別れはあまり深刻な問題ではないようで、本当に狭い世界に生きている事を改めて感じずにはいられなかった。
「じゃあ綾人さん行きましょうか」
 終わらない別れに飯田さんが声をかけてくれた。
「そうだね」
 時間もそろそろ限界だ。
「皆さんも見送りに来てくれてありがとうございます」
 オリヴィエと共に来てくれたのはマイヤーとセシルと……
「ジョルジュも体を大切に」
「なに、オリオールの店のオープンの日に予約を入れてある。楽しみ過ぎて車いすに座らせる意味が解らん」
 笑いながらも憤慨してみせるオリヴィエの養父ジョルジュは記憶の姿から随分と小さくなってしまっていた。
 先日やっと退院できたオリヴィエをマイヤーは気分転換と言って工事も終わり静かになった城に連れてきた。
 レストランの方もその日はオリオールしかおらず、いや、この痩せ衰えたジョルジュを誰にも見せたくないと言う様に打ち合わせをしていたのだろう。
 胃に負担にならないように、そして機能の弱まった体に優しいメニューはそれでも食事をする事の喜びを再び思い出させる暖かな食事会だった。
 ジョルジュの子供達は退院の日に会ったきりというし、奥様も安心してか友人達と出かける日々。退院したばかりの病人に対して何も考えない家族に呆れたマイヤーが自分の所に泊めていて、それから毎朝ジョルジュを城に散歩に連れ出していた。勿論朝食を狙って。
 おかげで顔色も良くなり、家族も慌てて会いに来たけどマイヤー相手に前みたいな調子のいい言葉は出せないようで、すごすごと帰っていくのを微笑ましく見送るのだった。
 因みになぜにマイヤーの家に居るのかと言えば、やはり年齢が近い同士そちらの方が生活しやすく出来ているからだそうだ。
 ウン百年前の城にバリアフリー何て心遣いあるわけないだろうと、年寄同士仲良くやってくれと下手に首を突っ込むと大変になるのは既に経験済みなのでここはあえて何も聞こえてないふりをした。
「アヤトには感謝をしないとな。アヤトとの出会いでオリヴィエがこんなにも成長するとは予想できなかった。
 改めてありがとう」
 差しのべられた骨と皮だけの手にそっと手を重ねれば、晩年の婆ちゃんを思い出して何かが溢れそうになる。
「『ジョルジュ』は私が手に入れた頃のように若々しい美しい音色を響かせてくれた。
 オリヴィエの義兄姉ではああも美しい音を奏でる事は出来なかっただろう」
 と言いつつも少しだけ寂しげな色を浮かべる、真実願った未来と変ってしまった出来事を今もどこか夢見る瞳はすぐに瞑る事で隠されてしまった。
「誰よりも美しい音を奏でる手にある事こそ楽器の幸せ。オリヴィエの成長を私の代わりに見守って欲しい」
「オリヴィエがあの城に住む限りジョルジュの代わりとして見守りましょう。一緒に城に住むオリオールも側に居てやれない俺の代わりにオリヴィエの手助けをしてくれているので、良ければ俺が居なくてもオリヴィエの様子を見に来て下さい」
 もしオリヴィエ出て行く時はもうその必要がない時、寧ろ背を押して独り立ちを促す時だと言う様に重ねた手に少し力を入れて、そっと離れて……
 この場に居ないオリオール達はもうすぐプレオープンとなるレストランの準備の忙しさに俺との一時的な分かれとどちらが優先するべきかという問答で彼らは料理を取ったのだ。
 正しい選択をできるシェフ達から沢山のお土産を貰うのだった。かばんに詰め込まれた焼菓子は一足先に帰ったみんなへのお土産ともなっていて、なんてすっかりオリオールに餌付けされた俺とってなんて贅沢だろうと一番の価値を見出してしまったのだ。マイヤーには情けないといわれてしまったけどね。
「じゃあまたすぐに来るつもりですが、皆さん風邪ひかないように」
「ああ、次に来る時はシーズン中だからチケットを贈るよ」
「マイヤーの指揮のコンサートのチケット入手だなんて、なんて奇跡だ!」
 クラッシックのコンサートに行こうなんて考えた事もないけど、この一ヶ月の滞在の間にその考えは随分と俺も変わった。良い席になると十ン万円とかするチケット、普通でもン万円はすると言うのに一瞬で完売するのを聞けばコンサートホールに入れるだけでもテンションが上がると言う物だ。
「イイダは仕事で来れそうもないからな。残念だな」
 意地悪く笑うマイヤーに飯田さんは肩をすくめて「日本にいらした時はぜひ招いてください。差入れ期待していいですよ?」なんて餌で釣る作戦にはオリヴィエの肩を抱いてそれは楽しみだと声を立てて笑っていた。
 だけどその笑い声が止まった瞬間俺達は次の言葉が出ず、空港のロビーに響くアナウンスだけがやけに大きく聞こえた。
 別れの時だ、二度と会えないわけじゃないのにこみ上げる寂しさに耐える様に見送りに来てくれたオリヴィエ、マイヤー、オリオールを眺め
「またすぐ来るから」
「日本でお待ちしてます」
 返す言葉を聞かずに背中を向けて搭乗手続きを済ませてラウンジで準備が整うのを待ち、飛行機へと乗り込むのだった。

「飯田さん、俺初めての海外だったけどすごく楽しかった」
 パスポートには沢山の国の入国手続きしたスタンプで埋め尽くされていて、それは総て思い出として記憶から溢れかえる。
「良かったですね」
 うんと言えないくらいの思いが胸に詰まって、それは別の形となってあふれでてきていた。
 ずっと山の暮しをしていたから、世界がこんなにも、集める情報以上に輝いている事を知ってしまった。
 そして、思った以上に欲張りな自分がいる事も知ってしまった。
 手に入れる為には知識も必要となり、かなり偏った知識しか持ち合わせてない事も自覚した。好奇心は連鎖的に発生する事も知ったし、自分一人では何もできない事も理解した。
 十分に大きな収穫、母親や父親の事でうじうじしている自分がばかばかしいと冷静に見つめ直す事が出来たし、そんな事に時間を使うよりもっと溢れる思いに時間を使う事こそ生きてる時間を感じる事が出来た。
「へとへとだけど、今すごく充実してる」
「はい。ずっと見てましたので」
 そう言って毛布を俺にかけてくれた。
「あとでリクライニングにしますのでもう眠っちゃいましょう」 
「だね、って言うか寝れるかな?」
「寝て下さい。帰国までに出来る事をいろいろ頑張ってあまり寝てないのでしょ?
 ご飯とかは適当に頼んでおきますし、帰ったらまた忙しいのでしょうから、休める時に休みましょう」
 毛布の上からポンポンされれば溢れそうになった沢山の思いが一筋の筋となって、毛布にのみこまれて行った。

 おやすみなさい、そんな声が聞こえたかどうかわからないけど、気が付けば窓の外は満天の星空で、隣で寝息を落す飯田さんを起こさないように山で見る空よりも近い空が目の前に広がっている景色を何も考えずずっと眺めているのだった。
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