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震える足が止まらぬように 5

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『オリヴィエ、久しぶりに外に出掛けよう』
 綾人が腰に手を当てて俺の練習室にやって来た。
『この三日間ずっと閉じこもってる理由は知らんがお前がチョリみたいに部屋に閉じこもる理由なんて十年早い』
 チョリさんって言ってたのにチョリに格下げになっていた。この三日間で何かあったかと思うも
『綾人だってまだ夕方になると熱を出す癖にうろついて大丈夫なわけ?』
『……』
 大人社会で十年近く過ごしてこれば歳上に睨まれた程度なんて怖くないんだよーと言い返せば、自分も反省するべき事がある事を理解する綾人は何か言いたそうな言葉を呑み込み
『そろそろ東京に行くんだから。ここでの思い出がこんな田舎だけ何て勿体ないだろう。今日は天気も良いし観光に行くぞ』
『観光…… この家で十分じゃね?』
 この古い伝統家屋での体験以上の観光がこんな田舎にあるのかと思えば
『観光と言う名のお世話になった人の挨拶と思えばいいだろ』
『なるほど……』
 無理やりにでも俺をここから出させる口実らしい。
『それに何か知らんが煮詰まってるから、どのみちリフレッシュは必要だろ』
 リフレッシュなんて……
 ジョルジュからの散々な感想と評価にそんなもの必要ない。そんな余裕なんてあるわけない!
『悪いけどジョルジュから課題がって、待って!あーー!!!』
 言いながら俺の手を掴んで強制的にこの部屋から出される事になった。
 綾人の草履をはきながら珍しく雲のない晴天を見上げればじりじりと肌が焼かれていく。来た時は寒かったのになといつの間にか夏が来ていたかと一日ここで籠っていたので改めて実感をする。
 庭先ではマサタカが長そでのシャツを羽織りながらしっかりとした靴を履いて烏骨鶏にかこまれて未成熟のトウモロコシを与えながら待っていた。リュックサックを背負い、俺が来るのを見て革靴ではない有名スポーツメーカーのシューズに履き替えさせられる。
 形式ばった恰好ではなくカジュアル、寧ろ動きやすい服装に
『どこ行くの?』
 マサタカが行く気なので仕方がないと言う様に諦めれば
『とりあえず近場の山で簡単な初心者向けハイキング』
 近場の山ってどこだと周囲山しかない景色をぐるりと回る。
『悪いけど俺、運動一切できないぞ』
 胸を張ってろくに長時間も歩けないと言えば
『大丈夫ちょっと散歩って言う程度だから』
 言いながら綾人の車に乗り込んで細い山道をくねくねと走る事になった。
 片方は崖、片方は底が見えない谷にギリギリすれ違えた対向車。何て所なんだと改めて綾人の家が山深い所にある事を認識する。住めば都と言うか寧ろ母屋と練習部屋しか行き来してない俺には改めてこの田舎具合を思い知らされる。いや、田舎というかよくこんな所に道が走ってると感心してしまう位何もなく、時折ポツンポツンと民家がある事にホッとしてしまうのだった。
 随分山を下りたと思えば今度は山を登って行く。どんどんどこまでもと言うくらい昇っていって急に開けた場所に出た。
 一面の草原と目の前にそびえたつ山。
 山に登る為の施設と言うか
『スキー場?』
『冬場はな』
 そうして目の前にはロープーウェイ。
『初日だから賑やかだなー』
 なんて綾人は言いながら俺とマサタカに乗る様に言って
『まさかハイキングでロープ―ウェイに乗る事になるとは思わなかった』
 こんなハイキングなら大歓迎だとマサタカはうきうきと止まる事のないゴンドラのスピードに合わせて乗り込むのを見ながら俺も真似て乗る。最後に綾人が乗りこめばドアは自動で電車の扉が閉まる様に閉ざされたと思えばすぐに浮遊感。
『わぁ!俺ロープーウェイ初めてだ!』
 ずっと音楽だけで過ごしてきたのだ。観光と言うのも主催者の配慮であったりなかったりだけど、こう言った観光は初めてで、遠ざかる下界を窓に張り付いて眺める。そして位置を変えて迫りくる山の木々の迫力に息をのみ、すぐ横のスキー場の斜面に咲くそそとした花々を見る。倒木した木々や立ち枯れした木々。整理された綾人の家の周りでは見ない景色こそ自然と言うべきか。雪解け水が溜まった小さな池や、終点に近づけば近づくほど見える飛行機から見える景色とは違う遠くの景色に息をのみ、改めて自分の知る世界の狭さに気付くのだった。
 視界いっぱいのパノラマの風景を堪能している間に終着駅に到着。駅を降りて小さな公園のような場所に向かって足を向ければ太い根っこが道を横切っていたり大きな石や岩がごろごろとする別世界になっていた。そんな中を綾人は人が流れるような方向へと足を向けて、行くぞ俺達に声をかけて山の中に入っていった。
『ハイキングって聞いてたんだけど……』
『山登りとは聞いてないねぇ……』
 マサタカと二人で足取り軽く進む綾人の背中を追いかける様に進めば、木々に囲まれた道は木製のチップがまかれていてぬかるみもなく歩きやすい。坂もなく、時々岩場をまたぐように歩くだけ。
 先に進む綾人のがんばれと言う声を追いかけるように、綾人が俺達を置いて行かないように足を進めるもそれでも汗は肌を伝い、息も弾み、道を間違えないように張られたロープを伝うように進めばやがて山小屋への案内。周囲を楽しむ余裕もなくただひたすらにマサタカと綾人の背中を追いかけるように必死で足を進めていた。
『こっちに進むようだね』
 俺より汗をかいてひーふー言いながらもマサタカが案内してくれる。
 俺も首にかけたタオルで汗をぬぐいながらふらふらと足を進めれば一つの建物が見え、その軒下で綾人はいつの間にかうどんを食べていた。
『えぇ?!綾人!!!』
 何食べてるの?!何で食べてるの?!俺も食べたい!!
 なんて思いが一気に溢れて言葉を選ぶ中で逆に何も言えなくなる俺を他所に、マサタカも綾人の隣の土間上がりに座ってへたばった。
『本日の目的地に到着ー。ご褒美におごってあげるよ』
 余裕釈然と笑う綾人は美味しそうに箸を動かしていた。
『これと同じもの!』
 奥から冷たいお茶を持って来てくれたお姉さんに綾人が食べている物を指さしてプリーズと言えば綾人に視線を向けて
「おうどん二つで宜しいでしょうか?」
 あーと言って、綾人はマサタカへと視線を向ければマサタカは
「力うどんで」
 真っ赤な顔でひーふー言いながら貰った冷たいお茶を一気に飲んでいた。
「あとぜんざい……」
 ちらりと俺達を見て
「三つでお願いします」
 言えばお店の人は笑いながら注文を確認して奥へと下がってしまった。
 その間綾人が食べていた物が来るまでささくれ立った畳の上で山の頂上に着いたかのように伸びていれば通り過ぎる登山者さんが笑っていた。そしてやって来たうどんにマサタカと揃ってすぐに貪りつく。俺には気を効かせてくれたのかフォークを用意してくれた。
 スープは薄味で香り高く、でも塩分が汗を流した体に心地よく補充されていく。そして太めのヌードルは長くて食べにくいけどマサタカはマナーもなく音を立てて食べていたが、寧ろ耳障りと思わずうまそうに感じるのは体の疲労としっとりとした山の冷気を含む空気の温度、何よりも空腹と言う調味料がうどんの熱さを無視させるように、はしたなくもいつの間にかマサタカを真似て一心不乱に音を立てながら食る事を繰り返すようにひたすら口へと運ばれる物を啜って飲み込んで。
 気が付けばスープの最後の一滴まで総て堪能してしまった事を空っぽの器を見て少しだけ寂しく思っていれば

「おねーさん、力うどん一つおかわり」
 
 マサタカの謎の言葉の後に持ってこられたうどんを見て俺は綾人にしがみついて「おかわり下さい!」と言う言葉を覚えるのだった。



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