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山の音楽家が奏でる山の景色 10

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 創作活動。
 初めての楽譜はそれは無残な物だった。優雅さもなければ広がりもなく、ただ雑多な音の中の一つのようなメロディーさえ感じる事もない悲惨を表したものだった。
 マサタカが作曲をしている所はよく目にしていた。そしてテレビや何かの拍子に耳にしたし、名前を伏せて音楽に提供もしていたりもする情熱のバイオリニストとしてヨーロッパでも有名だが。古典的な音楽から今という時代にあったクルクルと変わる自由な曲調、さらには鶏を彷彿とさせる見事なイメージを作り上げたり、俺の中では尊敬の人に分類されている。
 とは言え俺も子供の時から天才と分類されてきた。
 どんな曲でも弾こなせる自信もあるし、いまさら大観衆の前でビビる事もないしソロコンサートだってどんと来いだ!
 そろそろ次のステップアップを模索していたが……
 最初の作曲してからどれだけボツにしただろう。未だ一つも完成してないし形にもなってない。方向性も決まってないし何を作りたいのか表現したいのかもわからないまま何日も過ごしていた。
 あの日今にも消えてしまいそうな綾人の為に集まった友達達は帰ってしまうも圭斗と陸斗は家が近いからと毎晩のようにやってきてくれた。
 工事の人達も綾人の様子を心配して勝手に家に上がって挨拶をする光景も見慣れてしまった。
 何より出会った頃覇気に満ちていた綾人は今では年寄りの様にただ静かに一日の大半を睡眠と囲炉裏の火に当たるだけの生活となってしまっていた。
 朝は鶏を庭に放ち、雑草を抜く。この国の標準的朝食を終えたら洗濯をして布団を干す。フランスでは布団を干すなんてしたことがないが、マサタカは
『お日様の匂い気持ちいいなあ』
 なんてどことなくふっくらとした布団を抱きしめて寝ているのを見て真似してみれば、いつの間に寝てしまっていてニヤニヤと笑うマサタカが目の前にいた。お日様の匂いに負けたわけじゃないと布団を干した日には抱きしめて昼寝なんてしないもんねと実証しようと思うけど今のところ全敗。負けないもんねと今日も干されている布団を睨みつけながら挑む事にしていた。
 その時点で負けだよとマサタカに言われたけどね。
 俺がお日様に負けている間に綾人は昼食と夕食を作り、五右衛門風呂の準備をし、そんなふうに一日が過ぎていく。
 ただ心配なのは夕方になると決まって熱を出す様になっていた。
 先生と言う人は精神的な物だからと言ってベットに放り込む事しかしないし、毎日やってくる圭斗も綾人の代わりと言わんばかりにあれこれとしてくれて
「こんな事になってしまっけどあんたらがいてくれるから綾人は踏ん張れてるんだと思う。ありがとう……」
 何言ってるかわからないけど最後は何故か感謝されていた。俺だって簡単なこの国の言葉覚えたしと、この国を知るのにこの国の言葉を知るのはまず基本だと思っている。
 ただ困ったことにこの国の文字は複雑だ。平仮名とカタカナ、そして漢字に和製英語で構成されていて四つの言葉を覚えなくてはいけないと言う壁が聳えていた。
『オリヴィエだってフランス語にドイツ語、英語、イタリア語話せるだろ?』
 日常会話程度だけど他民族が行き交うヨーロッパでは誰もがそれぐらい日常に使うくらい普通なのだ。
『それと同じだ』
 そんなに急足で覚える事はないと言ってくれるけど、今この曲作りの中で少しでもこの山の中の生活を理解しようとして朝靄の中の庭を散歩したり、突如降る雨をノキシタから空を見上げたり、正面を青空で埋め尽くす景色に浮かび上がる山をぼんやりと眺めては星降る夜空を寝転がって受け止めたり。風と語る木々の囀りに耳を傾けては鳥に連れ去られる鶏に涙を流したり。
 日々衰弱していくといってもいいくらいに弱っていく綾人を横目に俺は気づかずにはいられない。
 綾人に語る言葉なんて必要がない事を。
 この山がずっと語りかけている事をやっと聞いた気がした。

 縁側で日向ぼっこをしていれば鶏が庭を横切る綾人の前に立つ。
 マサタカにも伝えてないのは家の中で今日も苦しんでいるけどマサタカなんて今は関係ない。
 目の前に立つ俺に虚を写したような黒い瞳が少しだけ持ち上がり俺を見上げる。
 感情はどこまでもなだらかで起伏もなく……
 吸い込まれそうなゾッとする瞳に映る自分と対峙して思い知るがいいとバイオリンを構えた。
 今では一日一曲の練習と言うジョルジュとの約束なんて知らないと言うように自分の音を探すように、山の語りかける言葉に返すように、音楽家が語るのが言葉ではないように。
 ゆっくりと一日が始まる朝靄が作り出したしっとりと朝露を纏う匂い立つ大地の香りを吸い込んだあの驚きを伝えるように低くそして揺るがない大地の如くゆっくりと遥か正面に広がる山の如く雄大に音を紡いでいく。
 朝の陽が上がれば現れるどこまでも澄んだ青空。突き抜けていく陽射しに風と踊る木陰。語り尽くせないこの山の生活で知った自然とは何て雄弁なんだろうかと、その中で一人暮らす綾人もきっとどこまでもこの草花の一つぐらいでしかないのだろう。
 そう考えると寂しいなんて事はない。
 言葉が分からなくても沢山の命が風に言葉を運ぶように語りかけるように俺は音を届ける。

 ただそれだけ。
 
 星に手が届きそうな夜空の星々の囁きを届けるようにして最後に弓を下ろせば息を呑んで俺を見つめる綾人が正面にいた。
 繰り返す瞬きとそっと、まるで切り詰めていたかのように息を吐き出した呼吸は肺の中が空っぽになるほどに長いブレス。
 何となくお互い言葉を出せないまま見つめあったと思えば、今まで声を忘れていたかのような綾人がそっと口を開いた。

『初めて聞く曲だ。なんて言う曲なんだ?』

 久しぶりの生意気そうな声に涙が浮かぶ。思わず目元を手でゴシゴシと擦り

『今できたばかりだから曲名なんてないよ!綾人が初めてだから!綾人の為に作った曲だから!』

 涙どころか鼻水まで溢れ出した俺に綾人はティッシュを慌てて取りに行って俺を縁側に座らせる。悪いけど綾人よりも大切なバイオリンを置いた後ゆっくりと綾人を抱きしめて

『実はまだ完成してないんだ。
 まだまだ作りたい音が溢れてるんだ。
 当然最後まで全部聞いてくれるだろ?』
『もちろん。
 音楽の良し悪しがわからない俺でよければ』

 なんかよく分からないけどと言うような顔でいい曲だったから最後まで付き合うぞと交わした約束がこの先ずっと続く約束になるとは俺は本当の意味で綾人に懐の深さを今は理解してなく……

 生涯の親友は?と聞かれたら当たり前の如く綾人の名をあげる付き合いになるとは、今はまだ遠い未来の話。
 
 








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