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山の音楽家が奏でる山の景色 7

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 俺を抱きしめて自慢の息子よ愛していると言って欲しいわけじゃない。
 ただ一言『元気にしてた?』そんな心配り一つで十分だと言うのに……
 引っ越してから一度も俺へと心配り所か気配りすらなく、よくよく考えれば東京に居た時にもなかったと思い出されるこの時間。苦痛のあまりに痛い位に手を握りしめて叫びだしたい衝動を抑えるも、そっと背中に添えられたおじさんの手の温もりだけが俺を冷静にしてくれた。
 その手が勇気をくれた、わけでもないが
「なぁ、もう入院して四年になる。いつ退院出来るんだよ」
 聞くも去年同様無視される。
「お祖父ちゃんも死んじゃったし、お祖母ちゃんもまた入院したんだよ。
 莉奈おばさんにいつまでも世話を押し付けないでよ。オフクロの母親なんだぞ」
 きつく声を張り上げるもオフクロは美味しそうにチョコを口へと詰めて、溶けたチョコレートが口の端から溢れて口元を汚していた。
 幼児退行ではないらしいが、大人の食事風景にはとても思えない。
「オヤジももう少ししたら刑務所から出てくる」
 ヌチャヌチャと菓子を頬張る音だけが響く室内で息を詰める音が聞こえた。
「初犯で模範囚って事で刑期より早く出てくる事になったらしい」
 叔父さんも驚いて俺を見ているけど俺はオフクロをじっと見て
「親父の所に居た母子はもう立ち直って普通の生活に戻っている。
 親子の関係はまだ直ってないけど、それでも一緒に暮らしてやり直そうとしている。
 オフクロはいつになったらやり直そうって気になるんだ?」
 初めていつまでこんな所に居るんだ。前に進もうと言ってみる物の返ってくる返事は菓子を咀嚼する音だけ。
 総てを拒絶する様に俺の言葉に耳をかける事もないどころか見向きもしない。
 口にお菓子を詰めてはお茶を飲み、口元を汚しながらもまた食べてと繰り返し、俺の言葉なんて一切届かないオフクロの姿に涙が溢れそうになって今回もまた何の一言も届かないのかと逃げ出しそうになった瞬間
「綾人」
 お菓子が詰まった口からこぼれ落ちたくぐもった呼びかけにドアにかけた手が一瞬で固まり、何かの期待と共に振り返る。この四年で初めて名前を呼んでもらえ、周囲も期待に喜びから笑みが浮かぶ。こんなにも母親を恋しがってる子供の俺がいるなんてと溢れる何かに正面から俺を見る暗く濁った母親の瞳を見て勘違いだと思い知らされた。
「ほんとお前は小言ばかりね。お義母さんみたいでやだわぁ。
 ほんとあの男の子供なんて産むんじゃなかった」
 期待した分の反動は酷い。
 今度こそ逃げ出そうとしてドアノブにかかる手が力を入れる前に
 パンッ!
「キャッ!!!」
 乾いた音が何かなんて判らないわけでもない。
 続く悲鳴が何が起きたかは想像のうちだったが、その後に続く物音に思考が追いつかなかった……
「ギャーーーッ!!!痛い!痛い!痛い!痛い!
 骨がっ!骨!!!痛ーいっっっ!!!」
 振り向けば椅子から転げ落ちたオフクロの足と、手を着いたのだろう。手首が曲がってはいけない方に曲がっていた。
 何が起きているのか思考が追いつかず立ち尽くしてしまう。
 壁際の看護士さんがすぐに駆け寄り、俺の目の前で力づくにオフクロを支えながらも暴れる体を押さえつける様子を叔父さんはオフクロを見下ろしながら
「何が痛いだっ!!!
 綾人の方が何倍も痛みと苦しみと戦っている!!!」
 一人の看護士が応援を呼びに飛び出して行くのと叔父さんが看護士が落ち着いてくださいと止めるのを無視して痛みに泣き叫ぶオフクロの胸を掴み上げて
「綾人がお前に切り付けられた痛みはもっと痛いんだ!苦しいんだ!!!腹を痛めて産んだのなら聞こえるだろ!綾人の泣き声が!!!」
 叔父さんの声なんて全く聞こえないと言う様に自分の痛みに泣き叫ぶオフクロは先ほど食べていた菓子を吐きだして、看護士の制服を汚すも看護士は暴れ回るオフクロを何とか抑えつけている間に応援の人が入って来て、すぐに鎮静剤を打って落ち着かせていた。
「お前がいつまで、現実に向き合えないかなんて俺達はもう付き合いたくないんだ!!!」
 叔父さんの悲鳴に似た本音に今まで子供だからと甘えてきてしまったが、叔父さんも限界を迎えていた事をやっと理解する。
「叔父さん、もういいから……」
 止めようとするも逆に俺の肩をぐっと抱き寄せ
「綾人はこんなにも優しい良い子に育ったのに!寂しくってもお前の愛情をずっと待っていたのに!ずっとお前の回復を待っていたのにいつまで目を反らしてるんだっ!!!」
「叔父さん俺大丈夫だから!」
 俺は叔父さんの腕の中でぼろぼろと涙を零し、俺と同じく涙を落しながら妹をしかりつける兄の姿だと言うのにオフクロには言葉の一つも心に刺さらなく、痛い痛いと呻きながら病院の先生が間に入った所でオフクロは緊急手術と言う形で俺達から切り離されたのだった。
「叔父さん、俺もう大丈夫だから。俺我慢できるから!」
 怒りに顔を赤を越え青黒くさせてオフクロが出て行った扉を睨みつけるも、暫くしてその震える手が俺の頭を撫でつけて
「すまない」
 そのまま俺を抱きしめて泣きだした叔父さんを俺も抱きしめて
「……先生、俺達もうオフクロの面倒見れません」
 そんな一つの決断。
 先生もこの光景を見て仕方がないと言う様に頭を振り
「そうね、これ以上は回復の見込みは望めないわね」
 ふくよかな体を持つ先生はそれから俺と叔父さんの二人を纏めて抱きしめて
「これからの事を話しをしましょう」

 そしてこの日が俺がオフクロと言葉を交わした最後の日だった。

 あのあと半分放心状態で病院側と話し合いをした。
 話は頭の中に入っているのにまったく整理がつかないまま病院を出る事になった。
 叔父さんも俺もこのまま車に乗って帰っていいのかと思うくらい疲弊してたけど今は一刻もここから逃げ出したいと言う様に車の方へと向かえば
「圭斗、浩太さん……」
 予想外の突然の二人の出現に驚くも全くと言っても良いほど感情が現れる事はなかった。
「大和さんが心配して宮下に電話してくれて。
 少し前に宮下から電話があって、すぐに迎えに行ってくれって」
 年齢差のある二人に叔父さんは誰だと言う様に警戒してたけど
「高校生からの同級生と、吉野の家を作り続けてくれる内田さん。浩太さんのお父さんは吉野のジイちゃんの幼馴染で、すごく世話になってる人達」
「そうか。良い友達に恵まれてるな」
 ポンポンと頭を撫でる叔父さんは二人に頭を下げて
「岡野と申します。妹が大変ご迷惑おかけしてます。
 今日は病院でいろいろありまして、迎えに来てくれてありがとうございます」
 こうやって迎えに来てくれた二人に叔父さんは中々頭を上げれなかったけど
「いえ、普段は俺達の方が迷惑をかけてますので、こう言う時位手助けさせてください」
 浩太さんがにこやかな笑みを浮かべて叔父さんに頭を上げてくださいと言う。
「じゃあ、俺綾人君の車乗って苦から圭斗は綾人君を頼むね」
「はい」
 長居はしないと言う様に俺の背中を押す浩太さんだが
「綾人」
 叔父さんは俺の名を呼ぶ。
「俺の我が儘で随分辛い思いをさせてしまって悪かった」
 母さんの実家も叔父さんの家庭も母さんに振り回されて崩壊寸前だと言うのに何で俺に頭を下げるんだよと思うも
「綾人がちゃんと決断してくれたから、俺も決断する事にした。
 もう香苗には振り回されない。俺が守るのは俺の家族だから、そこに綾人が居ても香苗はいない」
 言って一度だけ病院を眺めるように振り向き
「もし何かあった時はちゃんと連絡するし、綾人も何かあった時は連絡をしてくれ」
 そう言ってもう一度伸ばした手で頭をくしゃくしゃと撫でながら
「綾人をよろしくお願いします」
 綺麗に頭を下げて圭斗と浩太さんに小さな声でお願いしますと言った時、この四年に渡る戦いに何も見いだせなかった悔しさから涙を流す姿の痛々しさに、この場を早く去ろうと圭斗は俺の背中を押すようにして車に乗せてくれるのだった。


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