上 下
210 / 976

バーサス 9

しおりを挟む
 大林多紀、六十五歳。
 高校で高山と別れた後そのままタクシーを拾って綾人の住む山の家までやって来た。少し話をして帰るつもりなので運転手に待っていてくれと言うも少しだけ顔を歪ませながらもUターンをして待っていてくれるようだった。
 この地域ではタクシーを拾うのも呼ぶのも困難で、一回乗ればかなり稼げるはずなのにと思うも
「悪いけどこの時期だからあまり長居しないようにお願いしますね」
 何の用事があるのか判らないが、客に注文をつけるタクシーなんて……結構あるなとそれは都会も田舎も変わらないかと感慨に耽てしまった。
 そわそわとしながら、そして窓もしっかりと絞めてハンドルを握る様子に何だと思うもいつもの通り、門に手を置いて
「あーやーとーくーん!あーそーぼー!」
 車の中まで聞こえたようで驚きの表情で振り返るタクシー運転手に俺は笑って手をひらひらと振れば、家に居たらしい綾人君が慌てて走ってやって来てくれた。
 その手には剥き出しの鉈と斧を手に携え目を見開いて全速力で駆けつけて来てた。
「ひっ、ひぃぃぃ!!!」
 殺されるっ!マジ殺されるっ!!!
 ここに来る事誰にも言ってないし!土葬文化のあった私有地の山に捨てられたら絶対見つけられない!!!
 僕ってそこまで恨まれてたの?!
「たっ、たっさん何しに!何で今!!!」
 たっさんって誰よと突っ込みながらも門を開けて俺の手を引っ張れば何かを見つけたのかぎょっとして敷地の中に引き入れてくれた。
「あれ?」
「あれ?じゃねっ!!!
 幸田さんも逃げてっ!!!」
 叫ぶ綾人君にタクシー運転手は確かに運転手席の後ろに掲げられていたプロフィールは幸田さんだったなとぼんやり思い出せば何故かタクシーはクラクションを鳴らしまくって去っていってしまった。
「え?ええ?!ちょっとタクシー代!!!」
「のんびりしてないで!」
「その前に年齢考えて!」
 もつれる足は手を引いて走る若者のように動かない。これぞ足を引っ張ると言うことかと、でも引っ張られながら走るスピードはここしばらく感じなかった感覚だ。
「ああ、もう!多紀さんは畑に入っていて!電気流れてるからら大丈夫なはずだから!」
「何で?!」
 突き飛ばされるように畑に入れられて畑の入り口を閉ざされてしまった。今度は僕何をしたのと声を上げて問いたかったが、柵に飛びつこうとしたものの電気が流れているのを思い出してさっと手をひっこめた所で冷静に出口から出ようとしてやっと気が付いた。
 フーッ、フーッ……
 どことなく獣臭さが混じる生臭い匂いが漂ってきて、ゆっくりと首を巡らせば
「くっ!くっ!くっ!!!」
 ゆっくりと警戒しながらも黒い腰ほどの高さの塊が柵に手を掛けた所で
「ギャン!!!」
 腰が抜けながらも逃げ出す俺を見下ろす熊はそれでもあきらめきれないと言うような重低音の唸り声を響かせ柵の周りをうろうろしながら涎を垂らして俺を睨みつけて居た。
「こっちだ!!!」
 綾人君の大きな声に気を引かれた熊は投げつけられた烏骨鶏に意識が向いて俺から離れて行った。投げつけられた烏骨鶏も飛べない羽を懸命に動かしながら逃げるもすぐに追いつかれて餌食になってしまった。あの体から想像もつかない俊敏な速さで烏骨鶏を仕留め、咥えた熊は逃げようとするも綾人君は逞しい事に草刈り鎌や古い鉈を幾つも投げつけて熊を追い払おうとするその姿を見ながら私の手は無意識に周囲を彷徨っていた。
 何でこんな時にカメラがない。
 いや有るじゃないかとこんな時だと言うのにスマホを取り出してカメラのアプリを起動して被写体にむけていた。
 地を這いながら下からのアングルで迫力を求め、目の前に仕切られた柵の内側ギリギリまでよりついて烏骨鶏を咥え背中に傷を負いながらも森に逃げようとしない熊に恐怖を覚えるも、カメラを構えずにはいられない性に息を潜めじっと口の周りをべっとりと赤く染める捕食の瞬間をカメラでとらえていた。
 食事は一瞬と言ってもいい。バリバリと骨の砕かれる音と何処か湿った水音。ほんの数分ともいえない出来事なのに、全身から噴き出す汗と干からびた口の中。既に肉体は何時間も経過したような疲労という錯覚を起こした。
 綾人君ごめん、君が僕を逃がそうとしてくれた時間かも知れないけど僕は今が最後の瞬間だと思えば我が儘だからしたい事をしてここに生きざまを残すよと震える手のせいで画像がぶれないようにとスマホを半分ほど埋める。烏骨鶏を食べつくした食後のまったりとした時間までをカメラに取り残したいから……
「がうっ!がうっ!!!」
 よくよく見れば痩せこけた熊だった。
 久しぶりの食事に興奮して殺気を振りまいていた。そう言えば冬眠前だと言うのに脂肪を蓄えてない様子にニュースでよく聞く餌のどんぐりが不作と言う話を思い出した。
 本来もっと山奥を縄張りにしていただろうこの熊が里まで下りてくる。ここ数年毎年のように聞く言葉だが、里まで下りなくてもここには人の匂いがする。人≠餌。単純明快な図式にこの賑わいが引きつける引き金になったのだ。
 いや、僕の声が引き寄せたのかとこれなら確かに嫌われる理由になるなと申し訳なく思っていれば綾人君は鎌を投げた後どこかに姿を隠したのかと思っていたらベルトに手斧を挟み、チェーンソーを取り出して来て久しぶりの食事にありついて興奮していた熊と対峙しようとしていた。
「え?えええっっっ?!」
 まさかのジェイ●ンスタイルだなんて聞いてないよ!!!
 心の叫び声は確実に口から吐き出されて居て山々にこだまするのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

家賃一万円、庭付き、駐車場付き、付喪神付き?!

雪那 由多
ライト文芸
 恋人に振られて独立を決心!  尊敬する先輩から紹介された家は庭付き駐車場付きで家賃一万円!  庭は畑仕事もできるくらいに広くみかんや柿、林檎のなる果実園もある。  さらに言えばリフォームしたての古民家は新築同然のピッカピカ!  そんな至れり尽くせりの家の家賃が一万円なわけがない!  古めかしい残置物からの熱い視線、夜な夜なさざめく話し声。  見えてしまう特異体質の瞳で見たこの家の住人達に納得のこのお値段!  見知らぬ土地で友人も居ない新天地の家に置いて行かれた道具から生まれた付喪神達との共同生活が今スタート! **************************************************************** 第6回ほっこり・じんわり大賞で読者賞を頂きました! 沢山の方に読んでいただき、そして投票を頂きまして本当にありがとうございました! ****************************************************************

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

真夏の温泉物語

矢木羽研
青春
山奥の温泉にのんびり浸かっていた俺の前に現れた謎の少女は何者……?ちょっとエッチ(R15)で切ない、真夏の白昼夢。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

3点スキルと食事転生。食いしん坊の幸福論。〜飯作るために、貰ったスキル、完全に戦闘狂向き〜

西園寺若葉
ファンタジー
伯爵家の当主と側室の子であるリアムは転生者である。 転生した時に、目立たないから大丈夫と貰ったスキルが、転生して直後、ひょんなことから1番知られてはいけない人にバレてしまう。 - 週間最高ランキング:総合297位 - ゲス要素があります。 - この話はフィクションです。

姉らぶるっ!!

藍染惣右介兵衛
青春
 俺には二人の容姿端麗な姉がいる。 自慢そうに聞こえただろうか?  それは少しばかり誤解だ。 この二人の姉、どちらも重大な欠陥があるのだ…… 次女の青山花穂は高校二年で生徒会長。 外見上はすべて完璧に見える花穂姉ちゃん…… 「花穂姉ちゃん! 下着でウロウロするのやめろよなっ!」 「んじゃ、裸ならいいってことねっ!」 ▼物語概要 【恋愛感情欠落、解離性健忘というトラウマを抱えながら、姉やヒロインに囲まれて成長していく話です】 47万字以上の大長編になります。(2020年11月現在) 【※不健全ラブコメの注意事項】  この作品は通常のラブコメより下品下劣この上なく、ドン引き、ドシモ、変態、マニアック、陰謀と陰毛渦巻くご都合主義のオンパレードです。  それをウリにして、ギャグなどをミックスした作品です。一話(1部分)1800~3000字と短く、四コマ漫画感覚で手軽に読めます。  全編47万字前後となります。読みごたえも初期より増し、ガッツリ読みたい方にもお勧めです。  また、執筆・原作・草案者が男性と女性両方なので、主人公が男にもかかわらず、男性目線からややずれている部分があります。 【元々、小説家になろうで連載していたものを大幅改訂して連載します】 【なろう版から一部、ストーリー展開と主要キャラの名前が変更になりました】 【2017年4月、本幕が完結しました】 序幕・本幕であらかたの謎が解け、メインヒロインが確定します。 【2018年1月、真幕を開始しました】 ここから読み始めると盛大なネタバレになります(汗)

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

裏路地古民家カフェでまったりしたい

雪那 由多
大衆娯楽
夜月燈火は亡き祖父の家をカフェに作り直して人生を再出発。 高校時代の友人と再会からの有無を言わさぬ魔王の指示で俺の意志一つなくリフォームは進んでいく。 あれ? 俺が思ったのとなんか違うけどでも俺が想像したよりいいカフェになってるんだけど予算内ならまあいいか? え?あまい? は?コーヒー不味い? インスタントしか飲んだ事ないから分かるわけないじゃん。 はい?!修行いって来い??? しかも棒を銜えて筋トレってどんな修行?! その甲斐あって人通りのない裏路地の古民家カフェは人はいないが穏やかな時間とコーヒーの香りと周囲の優しさに助けられ今日もオープンします。 第6回ライト文芸大賞で奨励賞を頂きました!ありがとうございました!

隣の古道具屋さん

雪那 由多
ライト文芸
祖父から受け継いだ喫茶店・渡り鳥の隣には佐倉古道具店がある。 幼馴染の香月は日々古道具の修復に励み、俺、渡瀬朔夜は従妹であり、この喫茶店のオーナーでもある七緒と一緒に古くからの常連しか立ち寄らない喫茶店を切り盛りしている。 そんな隣の古道具店では時々不思議な古道具が舞い込んでくる。 修行の身の香月と共にそんな不思議を目の当たりにしながらも一つ一つ壊れた古道具を修復するように不思議と向き合う少し不思議な日常の出来事。

処理中です...