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瞬く星は近く暖かく 5

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 飯田がこの街に電車で来るのは初めてだった。
 しかも叔父の青山以外と来る事も。
 長い電車の旅は老いた父母は疲れた顔でも息子が連れていってくれるお出かけに笑顔を浮かべてくれていた。父親は微妙だが、それでも多少は楽しそうには見えた。
「旅行なんて久しぶりだわあ」
 自営業の為に休みも難しい為に喜ぶ母にため息を吐きながら
「旅行って思わないでください。いつもお世話になってる人の体調が良くないのでお見舞いなのですから」
「分かってますよ。いつもお世話になってる薫がご迷惑おかけしてますって挨拶するチャンスじゃない」
 不貞腐れるも土産屋をのぞいて民芸品に声をあげる。はしゃぎすぎだとくるりと振り向いて
「父さん、レンタカーこっちに回してくるのでこの辺で母さんと一緒にいて」
「のんびり見てる」
 本当にいてよと急足で坂下のレンタカーショップに車を借りに行って戻ってきた時にはもう土産をいっぱい抱えた母親の姿に脱力してしまう。
「お味噌とかお漬物とか。やっぱり土地のものって気になるじゃない?」
 俺は知らないと言いたげにそっぽを向いたままの父親はベンチに座ってどこで買ったのかソフトクリームを食べていた。
 マイペースすぎるだろと言うかソフトクリーム食べるんだと言う方が衝撃だったが
「五平餅食べるか?くるみ味噌が美味いぞ」
 すでに二本食べ終えた残骸を見て渋々付き合ってると言う様子に見えてもちゃんと満喫しているようなので放っておくことにした。
 そんな両親をなんとか車に押し込めて宿場町ならではの細い道を車で潜り抜けて使い慣れた道に出て初めてホッとするのだった。
 この旅行は叔父の青山から与えられたミッションだった。
 お盆の少し前ぐらいだっただろうか。
 早朝店の周りを確認するように散歩することが父の日課だった。その日もいつもと同じように散歩をしているとこの時期帰省で戻って来た子供達が賑やかに虫取りをする光景は風物詩となっていた。そんな子供達が脇道から飛び出してきた。慌てて避けるも体がついてこなかった。
 結果、転んで反射的に手をついて、手の骨にヒビを入れてしまった。
 相手の子供はもちろん親の方がびっくりでパニックになっていた。
 俺の父といえばこの界隈知らない人がいないと言うくらいの老舗料亭の料理長兼店主なのだから、慰謝料とか損害賠償とか考えれば当然だろう。だけど父は子供がした事だし料理人は他にもいるからとその日の病院代で手打ちにしたのだった。
 それはそれで美談として終わらせよう。
 美しいかは別だが、美談で終わらなかったのは店の従業員達だった。
 お盆という掻き入れ時に怪我をして戦線離脱。それでも従業員達はそれなりに修羅場を潜ってきたのでたとえ主軸がなくとも乗り切れる自信はある。
 だが問題は常に発生する。
 今回の怪我人は日々仕事場に現れて手が出せない代わりに口を出す気難しい性格の御仁だった。
 とはいえ常連の微差な好み味覚を記憶する能力は炊事場の人間には頼らなくてはいけなく、本日の予約表を見て一人一人変えるという指示を手が出せない故に口うるさく指示をするのは有り難くもあり、辟易としていた。
 なので青山のところに電話がかかってくるのは直ぐだった。怪我をしたという連絡は受けたが、実家の料亭がそんなことになってると聞かされては休みを返上して駆けつけて一日とはいえ指示はメモに書かせて店から引き離すのだった。店の従業員達には週に一度とはいえ苛立ち紛れの指示を受けなくて済むのは心の安らぎとなるものの、今度は飯田の方が耐えられなくなったのだ。
 週に一度の楽しみを仕事ができない父親の世話は非常にめんどくさいのだ。
 これを機にいろんな食べ歩きをしても直ぐ否定的な言葉から始まって舌打ちするし、美味い料理にさえふんと鼻を鳴らす始末。
 店の人に申し訳なさすぎて美味しい料理も印象が薄れてしまう。
 感動は全て無碍にされてしまい、温厚な飯田とは言えさすがに父親とは言えども限度があった。
「せっかくの俺の楽しみが!余す事なく楽しむ時間を全てあんたに捧げているのになんで協調性のかけらがないんだ!そんなあんたの料理に何万も支払う客は哀れだな!そんな価値もない横暴な料理によく支払う!!」
「お前に俺のなにがわかるっ!!!」
 弟と母さんはもちろん従業員も巻き込んでの親子げんか。
 三十になってもがちの殴り合いに二人して顔にあざを作っていた。
 まさか花瓶が飛んでくるとは思わずに顔面でキャッチ、床に落下して派手な音が響いた。
 父親のあまりの傲慢さに左手でグーパン、右手を使わない理性があったようだ。
 この派手な親子喧嘩にみなさんが飛んできて止める理由には十分だった。
 なんとも気まずい空気の中、さすがに物を投げたのは悪いと思ったようだ。一歩間違えれば殺人未遂だ。母さんも涙を流して止めに入ったのも堪えたようだった。わたわたする弟はとりあえず中居さんに椅子に座らされていたが、取り敢えず冷やしたタオルでお互い腫れた顔を冷やしていれば長い沈黙の後に
「お前の休みを大なしにさせて悪かったな」
 珍しくも素直に謝られた。いや、これは謝られたのか?
 太々しい態度に謝られた感は一切なく、元気な怪我人に構ってる暇もないくらいに綾人さんの様子が気になっていたのにとため息を吐いて、俺も親父を殴ったことを謝り、少しだけ親に捨てられた少年の話をするのだった。
 そうなれば当然というようにお見舞いにいこうという流れとなって……

「綾人さん、父の稔と母の紗凪です」
「薫がいつもお世話になってます。
 つまらない物ですがおやつに召し上がってください」
 ニコニコとした顔で差し出した包みを綾人さんは受け取り
「ご丁寧にありがとうございます。
 見ての通り何もないところなのでゆっくりしてください。
 とは言え、本日工事が入るのでうるさくて申し訳ありません」
 ペコリと頭を下げる様子はあの日ホテルでぐったりと意識を失ったまま空な目をして目を覚ましたほどではなかった。
 お茶を飲みながら少し話をした後綾人さんは工事の人に呼ばれて飯田と共に席を外すのだった。
 人の家で夫婦二人。
 荷物はこちらにと案内された客室からは丁寧に整えられた涼しげな裏庭が広がっていた。山水を引き込んだ水瓶。山に続く階段。片隅に植えられた紅葉。陽に当たらなくても健気に美しく咲く草花たち。用意された部屋も丁寧に掃除をされたようで障子の桟に埃はなく、年期の入った柱は美しいまでに歳を重ねていた。
 かなり古いデザインの座布団に座りながら気圧が違うので気にせずに休んでくださいという言葉に甘えさせてもらって襖で部屋を仕切って二人して体を横たえた。
「こんないい場所知っちゃったらあなたのお世話なんて面倒でしょうね」
 そんな妻の嫌味に
「台所の竃はまだ使えるのだろうか?」
 唸るような夫の言葉に似た物同士めと呆れて目を閉じれば暫くして襖の開く音が聞こえ、足を擦るようにそっとこの場を離れて扉が静かに閉ざされた。
「本当二人ともそっくりなんだから」
 竃もそうだが新しくやってきたという台所の設備が気になるのだろう。
 クスリと小さく笑って、後は気にせず作業員の声を子守唄に昼寝をいただくのだった。



 
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