タイプではありませんが

雪本 風香

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18.調って残ったもの

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「よっ、久しぶり」
星野と自販機のところでバッタリあったのはGWも過ぎて仕事が落ち着いて来た頃だった。

気まずい。
そう思っていたのは楓だけだったようだ。
星野はいつもと変わらぬ口調で話しかけてくる。
「新しい部署は慣れた?」
「う、うん」
ガコン、と星野の飲み物が出てくる音がする。
屈みながらそれを取り出した星野は楓に差し出した。
「はい」
「え?」
戸惑う楓に無理やり押し付けると、星野はもう一本――今度は自分のために買う。
楓は手のひらに押し付けられた缶を見る。
楓が購入しようと思っていたカフェオレだ。コーヒーの缶よりずんぐりしていて、ひんやりとした感触が心地いい。
星野はブラックコーヒーの缶のプルタブを開けてその場で飲みながら楓に微笑む。

「よかった。営業にいた頃みたいに生き生きしてる」
星野の指摘にギクリとする。
あからさまな楓の反応に星野はハハッと笑う。
「何か新しいことでも始めた?」
流石鋭い。隠すことでもないか、と楓は口を開いた。
「残業も休日出勤もほぼないから資格の勉強とホットヨガに通ってる」
「習い事かぁ、いいな。プライベートも充実しているんだ」
よかったよかったと、楓に笑いかけて星野は空になった缶を捨てる。
「またで飲もうよ。その時にでも話聞かせて」
じゃっ、と足早に去っていく星野に楓は慌てて声をかける。
「これ、ありがとう!」
右手でミルクティの缶を掲げると、星野も片手を上げて答えた。
あっという間に姿が見えなくなった星野の背中に、楓はそっとため息をつく。

普通に応対してくる星野に戸惑っていたのは自分だけ。

――忘れてほしい――

そう願ったのは楓なのに、いざその時になってみると彼の中に自分の姿が残っていないことにモヤモヤする。
こういうときは、スッキリするに限る。
楓は携帯を取ると慣れた手付きで今夜のレッスンを予約するのだった。




大きく息を吸う。ゆっくり吐く。
インストラクターの声に集中すると、頭の中から雑念が少しずつ無くなっていく。
まだカチカチの、数年運動していなかった鈍りきった体では難しいポーズもあるけれど、できるだけ真似をする。
汗がポタポタ出てくる。
最初はかけなかった汗も、1ヶ月経つ頃にはきちんと出るようになってきた。
それと同時に少しずつ夜も深く眠れるようになる。
家で食事を作って適度に運動してぐっすり眠る。
いい循環の中で生活をしていくうちに凝り固まっていたものが視えてくる。

営業に固執していたことも。
星野を妬んでいたことも。
バセドウ病になったことを恨んでいたことも。
思うような仕事ができないことに対する怒りをもっていたことも。
上記のことに執着していて視野狭窄になっていたことも。
星野に特別な気持ちを抱き始めていたことも。

沢山のモヤモヤを一旦忘れて、ただポーズを取り汗を流す。
それだけ。
だけど、それだけで心が、頭がすっきりする。

「ありがとうございました」
合掌で挨拶をする。周りを片付けてシャワーを浴びて、家までゆっくり散歩して帰る。
いつもと同じ最寄り駅からの帰宅路。
解れた軽くなった体で歩く。
ただそれだけのことだが、数ヶ月前とは違って足取りは軽い。
病気になって、いや、その前からきちんと食べて適度に運動してしっかり眠ることのバランスが崩れていたのだと自覚する。

(部長に感謝……だ)
異動を命じられた時にはまだ納得していなかったことが、ようやく腑に落ちる。
まさに心身一如しんしんいちにょ。体と心は繋がっているのだ。
体を調えれば心も調う。
現に、中々安定していなかったバセドウ病の数値も順調に下がってきている。
新しい部署のやり方にも馴染んで来た。
あれだけ拘っていた営業に未練はない――というと嘘になるが――今の仕事とプライベートのメリハリがついた生活には満足している。
運動ヨガもできるし、ないがしろにしていた資格の勉強も始めた。
時折モヤッとすることはあるけれど、体を動かすことでうまく発散できている。

――星野のことを除いては。

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