小国の聖女エレナ

雪本 風香

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矛盾②

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(なぜ、セドリック様は……再び楔を……)

一度だけという約束だったのに。
その連絡すら、見張りの者を介してであった。

彼は、嘘はつかない。
皮肉な笑みを浮かべ、物事を――良く言えば俯瞰的に見ていた。
前の王や王太子にはない着眼点を持っているセドリックなら変えられると思っていた。
だからついてきたのだ。
その王が亡くなり、それと前後して王太子は突然血を吐いて斃れた。
彼が即位する道筋は、整った。

セドリックが作り上げる新しい国。
エレナは彼に語っていたのだ。

聖女の力を庶民に使いたい、と。
本来であれば上流階級が独占している聖女。
表向きには、大教会に申請し、承認されれば庶民にも聖なる力を受けられることにはなっているが。
庶民が聖女の癒やしを求めたとしても、人手不足を理由にまず許可されない。

そんなことはありえないのに。

聖女の数が少ないとはいえ、庶民への治療に手が回らないほど人手不足ではない。
現にエレナは戦時特例でマルーンに派遣されているのだから。
聖女の力を独占しておきたい上流貴族と大教会の思惑で、庶民からの治療の申請をほぼ承認していないのだ。
全く承認しないのは問題があるため、いくつかは許可しているが、全申請の数パーセントといったところだ。
その現状を、エレナは変えたかったのだ。

セドリックも理解していたはずだ。
「俺が王になった暁には、庶民へ聖女の力を開放しよう」と言っていたではないか。
エレナも彼に誓ったのだ。
楔もう打たなくていいと、庶民への聖女の力の使用できる環境を整えてくれるなら、今後もセドリックあなたのために力を振るうことを。
元々庶民だから、間近で見ることは出来ないだろうけれど、今まで通り影ながらセドリックを支える一人になりますと、忠誠を誓った。

だから、エレナが裏切り者の汚名を被り大教会から破門になった際も納得していたのだ。
大教会の考えとは相容れないものだとわかっていたから。
セドリックは知っているから。エレナが裏切らないことを。

(なのに……)

エレナはすっかりわからなくなっていた。
セドリックの考えが。
あれだけ意思疎通をして同じ方向性を向いていたのに。

――今の彼は、前王と変わらないのではないか。

頭によぎった不穏な考えに、鳥肌が立つ。
冷たい水を浴びているからだけではない。
今考えたことが、当たらずとも遠からずだと直感したからだ。

薄々は感じていたのだ。
王というものは、結局は自己中心的な考えを持っているものなのだと。
コマでしかない取り巻きをその気にさせて、自分の思うようにコントロールしていく。
同じ方向性を向いている時はいい。
だが、方向性がズレてきたら?

「楔を打て」の命一つで、エレナの心の奥底にあった小さな懸念は、隠しきれないほど大きなものになった。

いや、きっかけはそれだけではない。
そもそも、セドリックがレオナルドを「殺せ」と命じた時からエレナは彼に不信感を持っていたのだ。

レオナルドを殺すことに大義はない。
同盟を結んだばかりのアタナス帝国の王子を殺害するなど、新たな火種を生むだけだ。
何重にも策略を張り巡らせているセドリックのことだ、何か意図があってのことだろうと誤魔化していた。

一度疑いを持ってしまったエレナは、セドリックを今までのように無条件に信じることができなくなっていた。


冷静になればおかしいことに気づけたはずだ。
セドリックは重要な命を下す際は人を介さず指示をする。
レオナルドに楔を打て、という指示をするなら、休戦宣言をしにマルーンに訪れた際に一緒に伝えるはずだ。

エレナは普段のセドリックらしからぬ指示になぜ、と疑問に思うことができなかった。
自分でも気づかないほどに心が疲弊していたのだ。

いくら奇跡の力を持った聖女と崇められても、エレナは若干18歳の若者でしか過ぎないのだ。
一年半もマルーンに滞在し、第一線で戦いを見つめて来た。
ボーワ村が滅んだ時、幸いなことにエレナは難を逃れていて戦いの現場を知らない。
マルーンで初めて目の当たりにする理不尽な現状に、知らず知らずのうちに心が蝕まれていたのだ。
それでも戦争中は気を張っていて保っていた緊張の糸。
それが表向きは平和になり、ぷっつり切れていたのに。
セドリックから改めて下された人を殺める指令は、マルーンで必死に人の命を――それこそ敵味方関係なく――救ってきたエレナにとって、既に受け入れがたいものになっていたのだった。

心の内を誰かに――ユーク医師にでも――吐き出せていれば、また違ったのだろうが、聖女としての矜持が許さなかった。
あくまで聖女としての姿勢を崩さないエレナの心にスルリと入ってきたのが、レオナルドだったのだ。

かつてセドリックに言われた「聖女エレナが欲しい」と同じ言葉を伝えてきたレオナルド。
まだセドリックと繋がっていた時は一笑に付せたのに。
アタナス帝国と休戦を結んだのに、新しく火種を燃やすセドリックに不信が募るのと比例してレオナルドの存在感は高まっていた。
通常なら無碍にあしらうことができるレオナルドの熱い想いを受け入れてしまうくらいには、心を許してしまっていた。
平常心ではあり得ないことだ。つい先日まで敵対していたのに、今は聖女の努めを投げ出して彼に縋りつきたいとすら思っているのだから。

ただただ冷たい水を浴びながらエレナは嗚咽するのだった。


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