53 / 69
矛盾②
しおりを挟む
(なぜ、セドリック様は……再び楔を……)
一度だけという約束だったのに。
その連絡すら、見張りの者を介してであった。
彼は、嘘はつかない。
皮肉な笑みを浮かべ、物事を――良く言えば俯瞰的に見ていた。
前の王や王太子にはない着眼点を持っているセドリックなら変えられると思っていた。
だからついてきたのだ。
その王が亡くなり、それと前後して王太子は突然血を吐いて斃れた。
彼が即位する道筋は、整った。
セドリックが作り上げる新しい国。
エレナは彼に語っていたのだ。
聖女の力を庶民に使いたい、と。
本来であれば上流階級が独占している聖女。
表向きには、大教会に申請し、承認されれば庶民にも聖なる力を受けられることにはなっているが。
庶民が聖女の癒やしを求めたとしても、人手不足を理由にまず許可されない。
そんなことはありえないのに。
聖女の数が少ないとはいえ、庶民への治療に手が回らないほど人手不足ではない。
現にエレナは戦時特例でマルーンに派遣されているのだから。
聖女の力を独占しておきたい上流貴族と大教会の思惑で、庶民からの治療の申請をほぼ承認していないのだ。
全く承認しないのは問題があるため、いくつかは許可しているが、全申請の数パーセントといったところだ。
その現状を、エレナは変えたかったのだ。
セドリックも理解していたはずだ。
「俺が王になった暁には、庶民へ聖女の力を開放しよう」と言っていたではないか。
エレナも彼に誓ったのだ。
楔もう打たなくていいと、庶民への聖女の力の使用できる環境を整えてくれるなら、今後もセドリックのために力を振るうことを。
元々庶民だから、間近で見ることは出来ないだろうけれど、今まで通り影ながらセドリックを支える一人になりますと、忠誠を誓った。
だから、エレナが裏切り者の汚名を被り大教会から破門になった際も納得していたのだ。
大教会の考えとは相容れないものだとわかっていたから。
セドリックは知っているから。エレナが裏切らないことを。
(なのに……)
エレナはすっかりわからなくなっていた。
セドリックの考えが。
あれだけ意思疎通をして同じ方向性を向いていたのに。
――今の彼は、前王と変わらないのではないか。
頭によぎった不穏な考えに、鳥肌が立つ。
冷たい水を浴びているからだけではない。
今考えたことが、当たらずとも遠からずだと直感したからだ。
薄々は感じていたのだ。
王というものは、結局は自己中心的な考えを持っているものなのだと。
コマでしかない取り巻きをその気にさせて、自分の思うようにコントロールしていく。
同じ方向性を向いている時はいい。
だが、方向性がズレてきたら?
「楔を打て」の命一つで、エレナの心の奥底にあった小さな懸念は、隠しきれないほど大きなものになった。
いや、きっかけはそれだけではない。
そもそも、セドリックがレオナルドを「殺せ」と命じた時からエレナは彼に不信感を持っていたのだ。
レオナルドを殺すことに大義はない。
同盟を結んだばかりのアタナス帝国の王子を殺害するなど、新たな火種を生むだけだ。
何重にも策略を張り巡らせているセドリックのことだ、何か意図があってのことだろうと誤魔化していた。
一度疑いを持ってしまったエレナは、セドリックを今までのように無条件に信じることができなくなっていた。
冷静になればおかしいことに気づけたはずだ。
セドリックは重要な命を下す際は人を介さず指示をする。
レオナルドに楔を打て、という指示をするなら、休戦宣言をしにマルーンに訪れた際に一緒に伝えるはずだ。
エレナは普段のセドリックらしからぬ指示になぜ、と疑問に思うことができなかった。
自分でも気づかないほどに心が疲弊していたのだ。
いくら奇跡の力を持った聖女と崇められても、エレナは若干18歳の若者でしか過ぎないのだ。
一年半もマルーンに滞在し、第一線で戦いを見つめて来た。
ボーワ村が滅んだ時、幸いなことにエレナは難を逃れていて戦いの現場を知らない。
マルーンで初めて目の当たりにする理不尽な現状に、知らず知らずのうちに心が蝕まれていたのだ。
それでも戦争中は気を張っていて保っていた緊張の糸。
それが表向きは平和になり、ぷっつり切れていたのに。
セドリックから改めて下された人を殺める指令は、マルーンで必死に人の命を――それこそ敵味方関係なく――救ってきたエレナにとって、既に受け入れがたいものになっていたのだった。
心の内を誰かに――ユーク医師にでも――吐き出せていれば、また違ったのだろうが、聖女としての矜持が許さなかった。
あくまで聖女としての姿勢を崩さないエレナの心にスルリと入ってきたのが、レオナルドだったのだ。
かつてセドリックに言われた「聖女が欲しい」と同じ言葉を伝えてきたレオナルド。
まだセドリックと繋がっていた時は一笑に付せたのに。
アタナス帝国と休戦を結んだのに、新しく火種を燃やすセドリックに不信が募るのと比例してレオナルドの存在感は高まっていた。
通常なら無碍にあしらうことができるレオナルドの熱い想いを受け入れてしまうくらいには、心を許してしまっていた。
平常心ではあり得ないことだ。つい先日まで敵対していたのに、今は聖女の努めを投げ出して彼に縋りつきたいとすら思っているのだから。
ただただ冷たい水を浴びながらエレナは嗚咽するのだった。
一度だけという約束だったのに。
その連絡すら、見張りの者を介してであった。
彼は、嘘はつかない。
皮肉な笑みを浮かべ、物事を――良く言えば俯瞰的に見ていた。
前の王や王太子にはない着眼点を持っているセドリックなら変えられると思っていた。
だからついてきたのだ。
その王が亡くなり、それと前後して王太子は突然血を吐いて斃れた。
彼が即位する道筋は、整った。
セドリックが作り上げる新しい国。
エレナは彼に語っていたのだ。
聖女の力を庶民に使いたい、と。
本来であれば上流階級が独占している聖女。
表向きには、大教会に申請し、承認されれば庶民にも聖なる力を受けられることにはなっているが。
庶民が聖女の癒やしを求めたとしても、人手不足を理由にまず許可されない。
そんなことはありえないのに。
聖女の数が少ないとはいえ、庶民への治療に手が回らないほど人手不足ではない。
現にエレナは戦時特例でマルーンに派遣されているのだから。
聖女の力を独占しておきたい上流貴族と大教会の思惑で、庶民からの治療の申請をほぼ承認していないのだ。
全く承認しないのは問題があるため、いくつかは許可しているが、全申請の数パーセントといったところだ。
その現状を、エレナは変えたかったのだ。
セドリックも理解していたはずだ。
「俺が王になった暁には、庶民へ聖女の力を開放しよう」と言っていたではないか。
エレナも彼に誓ったのだ。
楔もう打たなくていいと、庶民への聖女の力の使用できる環境を整えてくれるなら、今後もセドリックのために力を振るうことを。
元々庶民だから、間近で見ることは出来ないだろうけれど、今まで通り影ながらセドリックを支える一人になりますと、忠誠を誓った。
だから、エレナが裏切り者の汚名を被り大教会から破門になった際も納得していたのだ。
大教会の考えとは相容れないものだとわかっていたから。
セドリックは知っているから。エレナが裏切らないことを。
(なのに……)
エレナはすっかりわからなくなっていた。
セドリックの考えが。
あれだけ意思疎通をして同じ方向性を向いていたのに。
――今の彼は、前王と変わらないのではないか。
頭によぎった不穏な考えに、鳥肌が立つ。
冷たい水を浴びているからだけではない。
今考えたことが、当たらずとも遠からずだと直感したからだ。
薄々は感じていたのだ。
王というものは、結局は自己中心的な考えを持っているものなのだと。
コマでしかない取り巻きをその気にさせて、自分の思うようにコントロールしていく。
同じ方向性を向いている時はいい。
だが、方向性がズレてきたら?
「楔を打て」の命一つで、エレナの心の奥底にあった小さな懸念は、隠しきれないほど大きなものになった。
いや、きっかけはそれだけではない。
そもそも、セドリックがレオナルドを「殺せ」と命じた時からエレナは彼に不信感を持っていたのだ。
レオナルドを殺すことに大義はない。
同盟を結んだばかりのアタナス帝国の王子を殺害するなど、新たな火種を生むだけだ。
何重にも策略を張り巡らせているセドリックのことだ、何か意図があってのことだろうと誤魔化していた。
一度疑いを持ってしまったエレナは、セドリックを今までのように無条件に信じることができなくなっていた。
冷静になればおかしいことに気づけたはずだ。
セドリックは重要な命を下す際は人を介さず指示をする。
レオナルドに楔を打て、という指示をするなら、休戦宣言をしにマルーンに訪れた際に一緒に伝えるはずだ。
エレナは普段のセドリックらしからぬ指示になぜ、と疑問に思うことができなかった。
自分でも気づかないほどに心が疲弊していたのだ。
いくら奇跡の力を持った聖女と崇められても、エレナは若干18歳の若者でしか過ぎないのだ。
一年半もマルーンに滞在し、第一線で戦いを見つめて来た。
ボーワ村が滅んだ時、幸いなことにエレナは難を逃れていて戦いの現場を知らない。
マルーンで初めて目の当たりにする理不尽な現状に、知らず知らずのうちに心が蝕まれていたのだ。
それでも戦争中は気を張っていて保っていた緊張の糸。
それが表向きは平和になり、ぷっつり切れていたのに。
セドリックから改めて下された人を殺める指令は、マルーンで必死に人の命を――それこそ敵味方関係なく――救ってきたエレナにとって、既に受け入れがたいものになっていたのだった。
心の内を誰かに――ユーク医師にでも――吐き出せていれば、また違ったのだろうが、聖女としての矜持が許さなかった。
あくまで聖女としての姿勢を崩さないエレナの心にスルリと入ってきたのが、レオナルドだったのだ。
かつてセドリックに言われた「聖女が欲しい」と同じ言葉を伝えてきたレオナルド。
まだセドリックと繋がっていた時は一笑に付せたのに。
アタナス帝国と休戦を結んだのに、新しく火種を燃やすセドリックに不信が募るのと比例してレオナルドの存在感は高まっていた。
通常なら無碍にあしらうことができるレオナルドの熱い想いを受け入れてしまうくらいには、心を許してしまっていた。
平常心ではあり得ないことだ。つい先日まで敵対していたのに、今は聖女の努めを投げ出して彼に縋りつきたいとすら思っているのだから。
ただただ冷たい水を浴びながらエレナは嗚咽するのだった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです
秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。
そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。
いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが──
他サイト様でも掲載しております。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
(完)聖女様は頑張らない
青空一夏
ファンタジー
私は大聖女様だった。歴史上最強の聖女だった私はそのあまりに強すぎる力から、悪魔? 魔女?と疑われ追放された。
それも命を救ってやったカール王太子の命令により追放されたのだ。あの恩知らずめ! 侯爵令嬢の色香に負けやがって。本物の聖女より偽物美女の侯爵令嬢を選びやがった。
私は逃亡中に足をすべらせ死んだ? と思ったら聖女認定の最初の日に巻き戻っていた!!
もう全力でこの国の為になんか働くもんか!
異世界ゆるふわ設定ご都合主義ファンタジー。よくあるパターンの聖女もの。ラブコメ要素ありです。楽しく笑えるお話です。(多分😅)
強制力がなくなった世界に残されたものは
りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った
令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達
世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか
その世界を狂わせたものは
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる