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【外伝2妖狐と人間
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※
カフェオレを飲む音だけが部屋に広がる。
千草は口を開かない。
浅葱もまた、言いあぐねていた。
二人のカップが空になるまで、どちらも口を開かなかった。
「誰でも良い訳では無い」
それが昨日の夜の答えだと気づいたのはしばらくしてからだ。
素っ気ない言い方だが、優しい声。千草が今できる最大限のいたわり。
浅葱はその言葉に安心しつつも、どうしても聞かなければならないことがあった。
「千草さんは、その……僕で……いいんですか?」
無良に聞いているとはいえ、その質問をするのには勇気を振り絞らなければならなかった。
千草は呆気に取られたように目を丸くして、そして盛大なため息をついた。
「そんなことも分からぬのか。人間とは厄介だな」
声にこもっていたのは叱責、ではなかった。ただ呆れと、億劫そうな響き。
「お主と生きたいと思うた。人間にとってそれは理由にはならんのか」
本当に厄介だ、ともう一度呟く。
「お主と共に生きたい。それを叶えるために尾を切った。
お主の子を為し、吾の手で育ててみたい。だからお主に言うたら、家を飛び出す。
自分が思った通りに動いておるだけで、それ以上の理由などない。
……何を笑っておる」
千草の言葉に浅葱は自分でも気づかない内に笑みを浮かべていたようだ。
千草はいつだって本音しか言わない。自分の信念でしか行動しない。
言葉が足りぬように感じたり、裏を考えたり。穿った見方をしたりするのは、人間である自分。
そう思うと、浅葱の肩からスッと力が抜けた。
「千草さん」
机の上に置かれた彼女の手に触れる。振り払ったり嫌がられたりはしなかった。
その場で中腰になる。重ねた手に力を入れる。
そっと顔を近付けて、彼女の、千草の唇に唇を重ねる。
ゆっくり顔を離すと同時にささやいた。
「愛しています、千草さん」
「そんなこと、とおの昔から知っておる」
彼女の言葉に浅葱はいつものように微笑むのだった。
※
「……さ、さま。……ちぐさ……さま」
呼びかけた人物は、相手が反応しないことに気付くと大きく息を吸った。
「母様!!」
耳をピクリと反応させ、千草は億劫そうに振り向く。
「何じゃ、茜。大声を出さぬでも聞こえとる。……それに『母』と呼ぶなと言っておるだろう」
千草と浅葱の子である茜は、理不尽な千草の言い分に目を釣り上げた。
「なら一回で応えてください!」
その顔に千草は懐かしそうに目を細めた。
浅葱がたった一度だけ見せた怒った顔。その顔にそっくりな表情を茜は見せる。
外見は千草に瓜二つなのに、喜怒哀楽の表情はどういう訳か浅葱に酷似していた。
浅葱と違い、茜が見せるのは穏やかな笑みではなく、もっぱら怒った表情なのだが。
自分が怒らせていることを棚に上げて千草は娘の顔をマジマジと見つめた。
「八紘様がお呼びですよ。人間界のことで」
「……わかった」
もう少し見ておきたかったが、そんなことを言うと火に油を注ぐだけだ。
千草は、よっこいしょと掛け声を上げて立ち上がった。
ふと思いついて千草は、茜が幼い頃よくしていたように頭を撫でてみた。
もう目線は千草とそう変わらない。
いつからこんなに大きくなったのか、と感慨に耽っている千草に鋭い声が飛んでくる。
「ちょっ!子ども扱いしないでよ!」
手を邪険に振り払われたし返しに、思いっきりデコピンをした。
「……ったぁ。何するのよ!」
「親に生意気な口を聞いたからじゃ」
照れくさそうに「親」と発言した千草は、サッと踵を返した。
それ以上顔を茜に見られたくなかったのだ。
足早に部屋を後にしながら、千草は心の中で浅葱に話しかける。
(「親」と思えるのも悪くないの、浅葱)
応えはない。が、きっと側にいたら、彼はいつものように穏やかに微笑んでいただろう。
千草は時折自問する。
人間と子を成したことは良かったのか。
まだ明確な応えは見つけられていない。
だが、一時の間、浅葱と茜の3人で「家族」として暮らした日々は、彼女の妖狐人生の中で何事にも代えがたい時間であった。
「さて、妖狐としての仕事をするかの。……人間と妖狐の垣根を取っ払うために」
千草は廊下を歩きながら、7本に戻った尾を震わせると「妖狐たまき」の顔になる。
千草の望みである人間と妖狐の垣根が無くなった時。
人間と子を成したこと、そして浅葱への想い。
その答えがわかるのだと信じて。
カフェオレを飲む音だけが部屋に広がる。
千草は口を開かない。
浅葱もまた、言いあぐねていた。
二人のカップが空になるまで、どちらも口を開かなかった。
「誰でも良い訳では無い」
それが昨日の夜の答えだと気づいたのはしばらくしてからだ。
素っ気ない言い方だが、優しい声。千草が今できる最大限のいたわり。
浅葱はその言葉に安心しつつも、どうしても聞かなければならないことがあった。
「千草さんは、その……僕で……いいんですか?」
無良に聞いているとはいえ、その質問をするのには勇気を振り絞らなければならなかった。
千草は呆気に取られたように目を丸くして、そして盛大なため息をついた。
「そんなことも分からぬのか。人間とは厄介だな」
声にこもっていたのは叱責、ではなかった。ただ呆れと、億劫そうな響き。
「お主と生きたいと思うた。人間にとってそれは理由にはならんのか」
本当に厄介だ、ともう一度呟く。
「お主と共に生きたい。それを叶えるために尾を切った。
お主の子を為し、吾の手で育ててみたい。だからお主に言うたら、家を飛び出す。
自分が思った通りに動いておるだけで、それ以上の理由などない。
……何を笑っておる」
千草の言葉に浅葱は自分でも気づかない内に笑みを浮かべていたようだ。
千草はいつだって本音しか言わない。自分の信念でしか行動しない。
言葉が足りぬように感じたり、裏を考えたり。穿った見方をしたりするのは、人間である自分。
そう思うと、浅葱の肩からスッと力が抜けた。
「千草さん」
机の上に置かれた彼女の手に触れる。振り払ったり嫌がられたりはしなかった。
その場で中腰になる。重ねた手に力を入れる。
そっと顔を近付けて、彼女の、千草の唇に唇を重ねる。
ゆっくり顔を離すと同時にささやいた。
「愛しています、千草さん」
「そんなこと、とおの昔から知っておる」
彼女の言葉に浅葱はいつものように微笑むのだった。
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「……さ、さま。……ちぐさ……さま」
呼びかけた人物は、相手が反応しないことに気付くと大きく息を吸った。
「母様!!」
耳をピクリと反応させ、千草は億劫そうに振り向く。
「何じゃ、茜。大声を出さぬでも聞こえとる。……それに『母』と呼ぶなと言っておるだろう」
千草と浅葱の子である茜は、理不尽な千草の言い分に目を釣り上げた。
「なら一回で応えてください!」
その顔に千草は懐かしそうに目を細めた。
浅葱がたった一度だけ見せた怒った顔。その顔にそっくりな表情を茜は見せる。
外見は千草に瓜二つなのに、喜怒哀楽の表情はどういう訳か浅葱に酷似していた。
浅葱と違い、茜が見せるのは穏やかな笑みではなく、もっぱら怒った表情なのだが。
自分が怒らせていることを棚に上げて千草は娘の顔をマジマジと見つめた。
「八紘様がお呼びですよ。人間界のことで」
「……わかった」
もう少し見ておきたかったが、そんなことを言うと火に油を注ぐだけだ。
千草は、よっこいしょと掛け声を上げて立ち上がった。
ふと思いついて千草は、茜が幼い頃よくしていたように頭を撫でてみた。
もう目線は千草とそう変わらない。
いつからこんなに大きくなったのか、と感慨に耽っている千草に鋭い声が飛んでくる。
「ちょっ!子ども扱いしないでよ!」
手を邪険に振り払われたし返しに、思いっきりデコピンをした。
「……ったぁ。何するのよ!」
「親に生意気な口を聞いたからじゃ」
照れくさそうに「親」と発言した千草は、サッと踵を返した。
それ以上顔を茜に見られたくなかったのだ。
足早に部屋を後にしながら、千草は心の中で浅葱に話しかける。
(「親」と思えるのも悪くないの、浅葱)
応えはない。が、きっと側にいたら、彼はいつものように穏やかに微笑んでいただろう。
千草は時折自問する。
人間と子を成したことは良かったのか。
まだ明確な応えは見つけられていない。
だが、一時の間、浅葱と茜の3人で「家族」として暮らした日々は、彼女の妖狐人生の中で何事にも代えがたい時間であった。
「さて、妖狐としての仕事をするかの。……人間と妖狐の垣根を取っ払うために」
千草は廊下を歩きながら、7本に戻った尾を震わせると「妖狐たまき」の顔になる。
千草の望みである人間と妖狐の垣根が無くなった時。
人間と子を成したこと、そして浅葱への想い。
その答えがわかるのだと信じて。
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