42 / 47
【外伝1】初めて出会った黒狐
1
しおりを挟む
その視線を正面から受け止めると、八紘は、ほぅっと息を吐いた。
噂には聞いていた黒狐。特徴的な髪だが、それ以上に八紘が気に入ったのは、彼女の目だった。
何もかも諦めているような目をしながら、八紘を真っ直ぐに見返す。
数年後には長の座につくことが決定している八紘の視線を、逸らさずに見返してくる狐は数えるほどしかいない。
無気力な瞳に似合わぬ胆力に、彼としては珍しく興味をそそられた。
「名は?」
話しかけた八紘に驚いたのは、黒狐ではなく周りの白狐達だった。
「……たまき」
黒狐たまきは周りのざわめきに気に留めることなくボソリと呟いた。
無気力な表情にピッタリな、やる気のない声。予想通り過ぎて八紘は声を上げて笑った。
びっくりしたのは、今度も周りの狐達。たまきは表情を変えることはない。
そして八紘も周りの妖狐を気にする様子もない。
「俺と夫婦になれば、好きなようにさせてやろう」
僅かにたまきの眉が上がった。変化と言えばそれだけ。
暫し見つめ合う。と、急に興味を失ったようにたまきは八紘から視線を外し、背を向けた。
「ちょっ!ちょっと、待ちなさい!たまき!」
周りの狐の制止が聞こえていないかのように、たまきはスタスタとその場を去っていく。
残ったのは、面白そうな笑みを浮かべた八紘と呆気にとられた狐達。
「えっと……。つ、次の狐を呼びま……」
「それには及ばぬ。あやつに……、たまきにする」
狐達の顔が驚きに変わっていくのを横目に、八紘は席をたった。
「ちょっ!他の狐も八紘様と会うのを待って……」
「もうよい。俺の結婚相手は、黒狐たまきだ」
こうして、八紘とたまきは夫婦になった。
※
夫婦になっても、たまきの態度は変わらなかった。八紘を拒否しない代わりに興味もないようだ。
それが八紘には逆に新鮮だった。
力もある。将来、長になることも約束されている。見た目も悪くない八紘を若い女狐達はこぞってアピールをした。
だが、たまきはどうだ。
八紘を拒否はしない。だが受け入れもしない。
淡々と勤めを果たすだけだった。
「何か希望はあるか?」
気まぐれにたまきに尋ねたのは、何度目の逢瀬だっただろうか。
繁殖期でない時期だったことは覚えている。
いつものように事が終わった後、そそくさと服を身に付けていたたまきの動きが止まった。
その反応に、八紘はおや?と思ったが、顔には出さず、再び問いかける。
「そうだ。何かあるのか?」
長になったばかりだ。ある程度のことなら叶えられる力も自信もあった。
だから、たまきが告げた願いがあまりにもささやか過ぎて逆に驚いた。
「一つ任せて欲しい稲荷がある」
「稲荷?どこだ?」
「吾が最初に任された社だ」
「お前ほどの妖狐が担う社ではないだろう」
妖狐が最初に任される稲荷神社は、小さい。詣る者も少ない。だからこそ、最初に預かるのには適している。
力をつけた妖狐は、小さい稲荷から大きな稲荷の管理へと変わっていく。小さい稲荷を管理していないことは、力を持った妖狐の証なのに。
八紘の顔からその感情を読み取ったのだろう。苦笑したたまきは、八紘に言った。
「叶えてくれるのだろう、八紘」
訝しげな思いは、初めてたまきに名を呼ばれた喜びに打ち消された。
※
「報告はたまきから、と言っておいたはずだが」
ふすまを開けた八紘は、ため息をつきながら茜を見やる。
茜と呼ばれた狐は、心なしかがっかりしている様子の八紘に笑いが込み上げる。
ジロリと八紘が睨むが、茜は意に介さない。
「では、報告をしていいですか、長?」
確認する茜に右手を挙げ制すると、八紘は尋ねる。
「直接たまきから聞く。どこだ?」
「いつもの稲荷にいますよ」
八紘の返事を予想していたのだろう。茜はあっさりと行き先を告げた。
いそいそと席を立つ八紘に茜は笑う。
「長、そんなに慌てなくても母は逃げませんよ。しばらくあそこにいますから」
たまき――ここ数十年は千草と好んで名乗っている黒狐を母と呼んだ茜は、髪の色以外は千草と瓜二つの顔で答えた。
もう見向きもせず部屋を出ていこうとする八紘の背に、茜は声をかけた。
「八紘様、私でしたらいつでもあなたの妻になりますよ」
軽い感じで告げる茜を一瞥すると、八紘はボソリと呟いた。
「たまきの代わりはおらぬ。茜、お前の代わりがいないように」
ふすまが閉められた室内で、茜は畳の上に転がる。
「あーあ、またフラれた、か」
茜は、穏やかな笑みを浮かべた。
その笑みは、浅葱にそっくりな表情だった。
噂には聞いていた黒狐。特徴的な髪だが、それ以上に八紘が気に入ったのは、彼女の目だった。
何もかも諦めているような目をしながら、八紘を真っ直ぐに見返す。
数年後には長の座につくことが決定している八紘の視線を、逸らさずに見返してくる狐は数えるほどしかいない。
無気力な瞳に似合わぬ胆力に、彼としては珍しく興味をそそられた。
「名は?」
話しかけた八紘に驚いたのは、黒狐ではなく周りの白狐達だった。
「……たまき」
黒狐たまきは周りのざわめきに気に留めることなくボソリと呟いた。
無気力な表情にピッタリな、やる気のない声。予想通り過ぎて八紘は声を上げて笑った。
びっくりしたのは、今度も周りの狐達。たまきは表情を変えることはない。
そして八紘も周りの妖狐を気にする様子もない。
「俺と夫婦になれば、好きなようにさせてやろう」
僅かにたまきの眉が上がった。変化と言えばそれだけ。
暫し見つめ合う。と、急に興味を失ったようにたまきは八紘から視線を外し、背を向けた。
「ちょっ!ちょっと、待ちなさい!たまき!」
周りの狐の制止が聞こえていないかのように、たまきはスタスタとその場を去っていく。
残ったのは、面白そうな笑みを浮かべた八紘と呆気にとられた狐達。
「えっと……。つ、次の狐を呼びま……」
「それには及ばぬ。あやつに……、たまきにする」
狐達の顔が驚きに変わっていくのを横目に、八紘は席をたった。
「ちょっ!他の狐も八紘様と会うのを待って……」
「もうよい。俺の結婚相手は、黒狐たまきだ」
こうして、八紘とたまきは夫婦になった。
※
夫婦になっても、たまきの態度は変わらなかった。八紘を拒否しない代わりに興味もないようだ。
それが八紘には逆に新鮮だった。
力もある。将来、長になることも約束されている。見た目も悪くない八紘を若い女狐達はこぞってアピールをした。
だが、たまきはどうだ。
八紘を拒否はしない。だが受け入れもしない。
淡々と勤めを果たすだけだった。
「何か希望はあるか?」
気まぐれにたまきに尋ねたのは、何度目の逢瀬だっただろうか。
繁殖期でない時期だったことは覚えている。
いつものように事が終わった後、そそくさと服を身に付けていたたまきの動きが止まった。
その反応に、八紘はおや?と思ったが、顔には出さず、再び問いかける。
「そうだ。何かあるのか?」
長になったばかりだ。ある程度のことなら叶えられる力も自信もあった。
だから、たまきが告げた願いがあまりにもささやか過ぎて逆に驚いた。
「一つ任せて欲しい稲荷がある」
「稲荷?どこだ?」
「吾が最初に任された社だ」
「お前ほどの妖狐が担う社ではないだろう」
妖狐が最初に任される稲荷神社は、小さい。詣る者も少ない。だからこそ、最初に預かるのには適している。
力をつけた妖狐は、小さい稲荷から大きな稲荷の管理へと変わっていく。小さい稲荷を管理していないことは、力を持った妖狐の証なのに。
八紘の顔からその感情を読み取ったのだろう。苦笑したたまきは、八紘に言った。
「叶えてくれるのだろう、八紘」
訝しげな思いは、初めてたまきに名を呼ばれた喜びに打ち消された。
※
「報告はたまきから、と言っておいたはずだが」
ふすまを開けた八紘は、ため息をつきながら茜を見やる。
茜と呼ばれた狐は、心なしかがっかりしている様子の八紘に笑いが込み上げる。
ジロリと八紘が睨むが、茜は意に介さない。
「では、報告をしていいですか、長?」
確認する茜に右手を挙げ制すると、八紘は尋ねる。
「直接たまきから聞く。どこだ?」
「いつもの稲荷にいますよ」
八紘の返事を予想していたのだろう。茜はあっさりと行き先を告げた。
いそいそと席を立つ八紘に茜は笑う。
「長、そんなに慌てなくても母は逃げませんよ。しばらくあそこにいますから」
たまき――ここ数十年は千草と好んで名乗っている黒狐を母と呼んだ茜は、髪の色以外は千草と瓜二つの顔で答えた。
もう見向きもせず部屋を出ていこうとする八紘の背に、茜は声をかけた。
「八紘様、私でしたらいつでもあなたの妻になりますよ」
軽い感じで告げる茜を一瞥すると、八紘はボソリと呟いた。
「たまきの代わりはおらぬ。茜、お前の代わりがいないように」
ふすまが閉められた室内で、茜は畳の上に転がる。
「あーあ、またフラれた、か」
茜は、穏やかな笑みを浮かべた。
その笑みは、浅葱にそっくりな表情だった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ニンジャマスター・ダイヤ
竹井ゴールド
キャラ文芸
沖縄県の手塚島で育った母子家庭の手塚大也は実母の死によって、東京の遠縁の大鳥家に引き取られる事となった。
大鳥家は大鳥コンツェルンの創業一族で、裏では日本を陰から守る政府機関・大鳥忍軍を率いる忍者一族だった。
沖縄県の手塚島で忍者の修行をして育った大也は東京に出て、忍者の争いに否応なく巻き込まれるのだった。
清く、正しく、たくましく~没落令嬢、出涸らしの姫をお守りします~
宮藤寧々
キャラ文芸
古き伝統と新しい文化が混じり合う、文明開化が謳われる時代――子爵令嬢の藤花は、両親亡き後、家の存続の為に身を粉にして働いていた。けれど、周囲の心無い振る舞いに傷付き、死を選ぶことを決める。
失意の藤花を支えたのは、幾つかの小さなご縁。
悪霊や妖怪を祓う家の産まれなのに霊力を持たない不遇の姫と、不思議な化け猫との、賑やかな生活が始まって――
幽子さんの謎解きレポート~しんいち君と霊感少女幽子さんの実話を元にした本格心霊ミステリー~
しんいち
キャラ文芸
オカルト好きの少年、「しんいち」は、小学生の時、彼が通う合気道の道場でお婆さんにつれられてきた不思議な少女と出会う。
のちに「幽子」と呼ばれる事になる少女との始めての出会いだった。
彼女には「霊感」と言われる、人の目には見えない物を感じ取る能力を秘めていた。しんいちはそんな彼女と友達になることを決意する。
そして高校生になった二人は、様々な怪奇でミステリアスな事件に関わっていくことになる。 事件を通じて出会う人々や経験は、彼らの成長を促し、友情を深めていく。
しかし、幽子にはしんいちにも秘密にしている一つの「想い」があった。
その想いとは一体何なのか?物語が進むにつれて、彼女の心の奥に秘められた真実が明らかになっていく。
友情と成長、そして幽子の隠された想いが交錯するミステリアスな物語。あなたも、しんいちと幽子の冒険に心を躍らせてみませんか?
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
鬼と私の約束~あやかしバーでバーメイド、はじめました~
さっぱろこ
キャラ文芸
本文の修正が終わりましたので、執筆を再開します。
第6回キャラ文芸大賞 奨励賞頂きました。
* * *
家族に疎まれ、友達もいない甘祢(あまね)は、明日から無職になる。
そんな夜に足を踏み入れた京都の路地で謎の男に襲われかけたところを不思議な少年、伊吹(いぶき)に助けられた。
人間とは少し違う不思議な匂いがすると言われ連れて行かれた先は、あやかしなどが住まう時空の京都租界を統べるアジトとなるバー「OROCHI」。伊吹は京都租界のボスだった。
OROCHIで女性バーテン、つまりバーメイドとして働くことになった甘祢は、人間界でモデルとしても働くバーテンの夜都賀(やつが)に仕事を教わることになる。
そうするうちになぜか徐々に敵対勢力との抗争に巻き込まれていき――
初めての投稿です。色々と手探りですが楽しく書いていこうと思います。
ようこそ猫カフェ『ネコまっしぐランド』〜我々はネコ娘である〜
根上真気
キャラ文芸
日常系ドタバタ☆ネコ娘コメディ!!猫好きの大学二年生=猫実好和は、ひょんなことから猫カフェでバイトすることに。しかしそこは...ネコ娘達が働く猫カフェだった!猫カフェを舞台に可愛いネコ娘達が大活躍する?プロットなし!一体物語はどうなるのか?作者もわからない!!
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる