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10.過去

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だが、幸いにも多尾との会話では尾を切らないといけない理由も、それに伴うリスクも話してなかった。
リスクを知れば浅葱は何が何でも千草を狐界に戻そうとするだろう。
ならば、隠し通すまでだ。
さて、どう言えば真実を隠しながら納得させられるだろうかと思案している千草に、浅葱から鋭い声が飛んでくる。

「千草さん!答えてください!」
その声の強さに千草は驚いた。一緒に過ごして100年以上。
初めて聞く浅葱の声。顔もどこか切羽詰まっている。
「尾を切るのは、あなたの命に関わるんですよね?」
浅葱の言葉にハッとする。
何故知っているのか。
咄嗟のことで、一瞬驚いたのが顔に出た。そしてそれを見逃す浅葱ではない。
疑いが確信に変わったのだろう。あからさまに顔色が変わった。
浅葱は真実を聞くまで決して追及を止めないだろう。

ため息をつき、それでも一縷の望みを掛けて尋ねる。
「多尾様との話にはそのことに触れてなかったが」
「無良さんから聞きました。なので、今日千草さんの気持ちを読めなくてもお聞きするつもりでした」
「あやつか。余計なことを」
思わず舌打ちが出る。千草が隠そうとしても化け狸の無良はきっとすべて伝えているだろう。
もう、誤魔化しは聞かない。すべて話すしか。

「無良から聞いてることは概ね間違いないだろう。あやつは狐の掟も良く知っておる」
そして、狐の掟を、尻尾を切るリスクを全て話した。
話さざるを得なかった。


無良から聞いていたから耐性があったのだろう。浅葱は表情を変えることはなかった。
それでも千草が話し終えたあとは、自身を宥めるように何度か深呼吸をして、心を落ち着かせている。
少し頭が冷えたのか次に口を開いた浅葱は、冷静な口調に戻っていた。
「無良さんは千草さんは妖狐界の戻った方がいいと。僕にあなたを説得するように言われました」
一旦言葉を切り、深呼吸する浅葱。真剣な顔で話す浅葱に千草は目で続きを促した。
「僕はあなたと離れるのは嫌です。ですが、命をかけてほしくない。
......だから」


「僕も一緒に行きます。僕の命を賭けて他のお狐様を説得します。千草さんが尾を切らず、それでも僕とこの先も一緒にいれるようにお願いします」



「なっ......」
予想もしていない言葉だった。
あまりにも意外な言葉に千草は呆気にとられるしか出来なかった。
浅葱はというと、いつものように穏やかな笑みをたたえているだけだった。

答えられない千草に、浅葱はゆっくりと話しかける。
「一人で背負わなくていいです。あなたが僕と生きたいと願っているのと同じくらい、いえ、それ以上に僕は千草さんと共に有りたい」
浅葱の目に揺らぎはなかった。
「惚れた女性のためなら、男は何でもしたいんです。なので、暇を出すのではなく、僕を連れていってください。千草さんを護らせてください」

「護る......か」
護る、など言われたことはなかった。妖狐は護ってもらう者ではなく、護るべきものだからだ。
人を、自然を、稲荷神社を護るべき神。
その神を、力をつけたとはいえ、元人間でしかない浅葱が護るというのか。
馬鹿なことを、と一蹴すればいい話だ。なのに、千草がしたことは正反対のことだった。

「そうか、護るのか」
「はい」
「吾は浅葱と同じ想いではないぞ」
「はい、知っています」
「名ばかりだが夫もおる」
「わかっています」
「したっぱの妖狐でもお主よりも遥かに強い」
「火事場の馬鹿力というでしょう?あなたを護るときは妖狐様よりも強い力を出せます。......多分」

最後に付け加えられた自信なさげな言葉が浅葱の本音を代弁している。
浅葱の正直さに千草は初めて笑顔を見せた。
「自信があるのかないのかわからぬな」
ツボに入ったのか、笑い転げる千草に浅葱は情けない笑顔を見せた。
「葛の葉様のお屋敷で妖力に当てられて倒れたのに、自信満々には言えないでしょう。でも、気持ちに嘘はありません」
そして、これだけは譲れないというように力強く宣言した。
「千草さんが置いていこうとしても、無理矢理ついていきますからね!」

浅葱が言ったところで変えられない。
掟は絶対だ。
そして、妖狐は人間ごときが頼んだところで簡単に絆されるほど甘くない。
だが、浅葱の固い決意に置いていくことは諦めるしかなかった。
それに、人間がどのように『妖狐を護る』のか興味もある。

「掟は変えられぬ。だが、お主の闘い方は見てみたい」
遠回しだが、浅葱には千草の言葉の意味を正しく理解した。
千草はかつて浅葱に贈られたかんざしを差し出す。
「吾は護られる程弱くはないからな。代わりにこれを護るがいい」
「かんざし......をですか?」
不思議そうな顔で受け取った浅葱は、次の千草の言葉で笑顔になる。
「大切な者から貰った物だからの。会合の際に懐にいれておると気になって力が発揮できぬ。......折るなよ、100年物だからの。もう同じものは二度と手に入らぬからな」
「......はい!」




月が、きれいだ。
出窓に肘をつき、月明かりに照らされた浅葱の寝顔を見る。
心は驚くほど落ち着いていた。
会合前のつかの間の休息。気が重いはずだった会合。だが、昨日までと違い、心が凪いでいる。
(吾ながら現金だ)
浅葱を置いていくつもりだったのに、ついてくると決まった途端安心をしている。
人間界に追放されていたこの200年は、千草に厚意を持っている狐しか会うことはなかった。
だが、会合は稲荷を守っているすべての狐が出席する。その中には千草のことをよく思わない狐もいるだろう。
意識しないところで気を張っていたようだ。浅葱が後ろに居てくれると思うだけで心強い。

(いつから、ここまで弱くなったのか)
妖狐は一人で生きていくものだ。
夫がいても、友人がいても、信じられるのは自分の力だけだ。
なのに、今は浅葱に支えられていることに安堵し、知らないうちに頼りにしている自分がいる。

まるで人間のようだ。
自分が黒狐だからか。それとも他の妖狐も人間と時を過ごしたら同じように支えられることに居心地の良さを感じるのだろうか。

妖狐本来の姿からはかけ離れた今の自分。
会合で会う狐達はどのような反応を示すだろうか。

認めるのか、それとも罰を下すのか。

結果は、今の千草にはわからない。
だが、ふたつだけわかっていることがある。

人間臭い今の自分が好きだということ。
そして、自分に寄り添う浅葱が好ましいと思うこと。

物思いに耽っている千草に小声で浅葱が囁いた。
「眠れないなら添い寝しましょうか。それとも子守唄でも歌います?」
寝ていなかったのか、とは聞かなかった。何となく起きていた気がしていたからだ。
「......いや、構わぬ。......長い一日になるだろう。寝ておけ」
浅葱が取った行動は、千草の言葉とは正反対だった。

起き上がって千草の横に行くと、彼女の手にそっと自分の手を重ねた。
「月が、きれいですね」
一回目の台詞は、実際に月を見ながら。
「月が、綺麗ですね」
二回目は、千草の顔を見ながら照れ臭そうに。

『I love you』を『月が綺麗』と訳した作家は明治の頃だったか。
その頃には既に浅葱と共に在った。
当時、この言葉が流行したことを思い出しながら、千草は同じ台詞を返した。

「そうだな。月が、綺麗だ」
月と浅葱を見ながら。

浅葱は、どちらの意味かは訊ねなかった。
返事代わりに、手を握る。
千草もまた、浅葱の手を握り返した。


――Fox Tail――

一人の黒狐と一人の元人間。

それぞれ想いの強さは違うけれど、

同じ道を歩むべく、選択をする。

それが、修羅の道だとしても

今の二人には、もはや大きな障害ではなかった。


狐界を揺るがす日の前の穏やかな時間。

二人は惜しむように、

夜が明けるまで

言葉を交わすこともなく

その時間を過ごすのだった。




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