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10.過去

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浅葱の淹れた番茶を啜りながら千草はおもむろに話し出した。
「本当なら浅葱にも暇を出すつもりじゃった」
突然の言葉だったが、思ったより動揺はしなかった。どこかで覚悟していたのだろう。千草の言葉を冷静に受け止めている自分がいた。
「そうでしたか。……出すつもりだった、ということは今は違うのですか?」
僅かに頷くと千草。
「浅葱にはすべて知った上で判断してほしいのだ。吾のことを。そしてついてくるかどうかを。……長い話だが、聞いてくれるか」
「もちろんです」
間髪入れずに答えた浅葱にどこかホッとした様子で、千草はポツリポツリと話しだした。




妖狐は生まれた時から生き延びるために戦う。
生まれ落ちたら湯で洗われ、そのまま生後1年以内の子狐達の集団に入れられる。
食べ物を口にできるのも、布にくるまって眠れる寝床を確保するのも、力がある者だけ。
弱いものはただ死を待つだけの空間。

その中で千草は生き延びた。
本能の赴くまま食べ物を口にした。同じ条件の子狐達から食べ物を奪い、寝床を取り上げ、死んで行く仲間を見ながらそれでも自ら生に執着した。
1年。なんとか生き延びたところで次に待っているのは妖狐としての厳しい修行だった。

育手そだてと呼ばれる何人かの教育係の狐が生まれ落ちてから1年から10年以内の狐を妖狐とすべく修行をつける。
見込みがある狐は早くて1年で一通りの修行をこなした後、適正に合わせた師の屋敷へ行く。そしてそこでも先輩妖狐達と尽きない修行を行うのだ。

7割は生まれて1年も生きられず、残った3割の狐の内2割も10年以内に亡くなる。妖狐として芽が出ないものは、生まれて10年で育手の手で殺されるのだ。
そうして生き残った1割の妖狐達でも、師の元での厳しい修行の中で大半が命を落とす。
運よく生き延びた狐の中でも八紘や千草のように稲荷神社を任されるような妖狐になるのは、ほんの一握り。
100万に1人出るかどうかだ。能力がある一部の妖狐が稲荷神社を守り神となる。大半は師匠に仕え、一生を終える。

そして生き残った妖狐達には次の世代を生むという任務もある。人間と違い、狐の繁殖期は1年の中でほんの僅かだ。生まれても大半が生き残れない狐達。
妖狐としての能力が定着する生後100年を過ぎた頃には、同じような力を持った狐とつがいになり、子を生むことが課せられる。
妖力が同レベルでないと上手く子を成せないのだ。そして、力がある番から生まれた妖狐が親と同じ妖力を持つとは限らない。
生まれた赤ん坊が妖狐としてモノになるのかどうかは博打のようなものだ。

千草は数少ない能力のある妖狐として数多の稲荷神社の護りを任されていた。
同程度の妖力の八紘と番になり、秋から冬にかけて繁殖活動をし春に子を産む。
師として妖狐を鍛え上げ、1つの稲荷を任せられるように育てあげる。
そして多くの稲荷神社に来る人間たちの願いを叶える責務もあった。

繰り返される日常。楽しみもない。育てた狐もほとんどが稲荷神社を任せるレベルには達しない。
子を産んでも顔を見ることもなく、育手の元に渡される。
たまき様、お稲荷様と崇められ尊敬は集める。だが、千草は苦痛でたまらなかった。

モヤモヤとした感情に名前がついたのは、生を受けて300年、稲荷を任されるようになって200年を過ぎた頃だった。

――人間が羨ましい――

大勢の狐を育てるより人間のように生きたいと、そう思ってしまった。

多くの狐に崇められ、大きなやしろを構え妖狐達を召し抱えるよりも、荒ら屋あばらやのようなところでもよい、好いた妖狐おとこと暮らし、手元で我が子を抱き、子の成長を見守りたい。



「たまき、何故そのようなことを考える?」


普通の妖狐――白狐なら当たり前にこなせる。
その証拠に八紘は特段疑問に思わず、淡々と自らの義務と責任を受け入れていた。
だからこの生活に疑問に思うのは、自身が黒狐だからだ。

黒狐だから……。
白狐なら歯牙にもかけない、些細なこと。

だが、一旦浮かんだ想いは消えない棘になり、千草の心を時折揺さぶるのだった。
そして、人間が羨ましいと思い浮かぶ度に、妖狐として生きなければと打ち消していた気持ちは、千草の中でおりとなり心を大きく支配するようになっていった。




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