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7.束の間の平穏
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「っはぁ……はぁ……」
浅葱は床にへたり込んだまま動けなかった。
「仕方ないのう。今日はここまでだ」
パチンと千草が指を鳴らし結界を解く。
パッと画面が切り替わるように浅葱の部屋が現れた。
「きちんと風呂に入り、ゆっくりと休め」
それだけ言い残し、千草はさっさと部屋を出ていった。
浅葱は自分の部屋の天井を見上げる。そのまま呼吸が整うまで立ち上がることはできなかった。
※
「修行……ですか?」
頷いた千草は読んでいる古びた本から視線を上げることなく答えた。
「さよう。吾の力を取り込み過ぎたお主は無意識にアヤカシを呼び寄せる。第三の目も開きっぱなしだ。多少なりとも訓練せねばあっという間に命を落とす」
「はぁ」
ピンときていない浅葱の腑抜けた返事に、千草は顔を上げジロリと睨む。
「ただでさえお主は無防備なのだ。少し力をつけよ」
そして、浅葱に聞こえないくらいの小声で付け足す。
「この先は常に守れるとは限らんのだから」
案の定、浅葱には聞こえなかったようだ。
流石、覡の血といったところか。
修行をつけ始めた千草は浅葱の潜在能力に舌を巻いた。
元々第三の目を開くコツは掴んでいたが、予想以上に早く、自在に開け閉めするようになった。
まだ無理矢理吸収した力が体に馴染んでいないため、自然と開こうとする目を押し留めるのに多量の精神力が必要だ。
だが、それも近日中には呼吸をするように無意識に出来るようになるだろう。
この先は、千草では教えきれない。
一ヶ月の修行で、妖狐と覡の能力の使い方に違いがあり過ぎるのに気づいていた。
妖狐に受け継がれている書物をこっそり管狐に取りに行かせ読んでみたが、人間の修行のつけ方などの記述はなかった。
「多尾様に聞くかの」
なるべく妖狐と浅葱を接触させたくなかったが仕方ない。
千草は遣いに託す手紙をしたためるべく、愛用している万年筆を手に取った。
千草が大量に日本酒を買いに行かせたのはこのためか。
浅葱は盃に酒を注ぎながらカウンターに座った男を見る。
機嫌良さそうに酒を飲んでいる姿は、ただの人の良い老人だ。
多尾と名乗ったその狐を千草は丁重にもてなす。
酒を飲むのに夢中の多尾に変わって、千草が口を開く。
「多尾様が浅葱の修行先を見つけてくれたのだ。吾ではこれ以上教えられぬ」
「そういうことじゃ。同じ覡の血筋の者がおる。その者の元で2ヶ月程学べ」
「かんなぎ?」
多尾は呆れたように千草を見る。
「伝えていないのか」
「ええ。申し訳ありません」
千草が頭を下げる。多尾は気にするなと言うように手を振ると浅葱に向き合う。
「わしが行きしなに伝えよう。して、この酒を飲み干すまでに出かける準備を整えよ」
「浅葱、多尾様を待たさぬように。ここは吾が引き受ける」
千草に半ば無理矢理一升瓶を奪われた浅葱は、まだ全てを理解できない様子で、それでも身支度を整えるべく早足で部屋に戻った。
「中々強い力だの。与え過ぎじゃ」
浅葱がいた時の好々爺の顔を引っ込め、鋭い目つきで千草を刺す。
「妖力は与えていないのです。ですが、浅葱の血と吾の妖力は相性が良いようで。日に日に力が強まっているのです」
千草は悩みを吐露する。
郷田の呪詛を祓った際に浅葱の体に一時的に注ぎ込まれた千草の妖力。
普通ならそれすら取り込むことは出来ない。
浅葱はその一時的な力を自らの血肉とした。
それも浅葱の肉体を壊さないように千草は細心の注意を払って、呪いを祓う最低限の妖力しか使っていない。
にも関わらず、浅葱の力は日に日に増している。
「多尾様、このようなことはあり得るのでしょうか?」
多尾は腕組みをしたまま難しい顔で答える。
「わしも初めてじゃ。だが、実際に起きておるのだから認めん訳にはいかんだろう。それよりも……」
千草も苦しそうな顔をして頷く。
「ええ。きっと妖狐たちは、特に八紘は浅葱のことをほっとかないでしょう」
「八紘はあの人間を殺そうとするやもしれん。その時たまきはどうするのじゃ?」
意地が悪い質問だった。だが、八紘の性格としては考えられることだった。
「その時は……」
千草は、何かを求めるように天を仰いだ。
顔を戻した千草の目には迷いはなかった。
「この尻尾と引き換えに。吾が尾を切れば、煩い狐共も黙るでしょう。むざむざ殺させはしない」
強い言葉とは裏腹に瞳は驚くほど澄んでいた。
(覚悟は決まったようじゃの。……やはり黒狐の性分じゃな)
黒狐の性。人間と共に在りたいと望んでしまう本能。
人間と共に生きることを選んだ者も、そうでない者もいた。
一様に悩み、苦しみ、それでも人間を愛してやまない黒狐。
千草もやはり黒狐だ。
――尾を切る。
なんの気無しに千草は言うが、尾を失うということは力を失うと同義だ。
妖狐としての力は殆ど使えなくなる。そしてその先は長く生きられない。普通の狐と同じ、20年程だ。
ただの野狐として長く生きられない生を選び取る。
千草の覚悟は決まっている。
盃の酒を飲みながら、多尾は少々複雑な気持ちでため息をついたのだった。
浅葱は床にへたり込んだまま動けなかった。
「仕方ないのう。今日はここまでだ」
パチンと千草が指を鳴らし結界を解く。
パッと画面が切り替わるように浅葱の部屋が現れた。
「きちんと風呂に入り、ゆっくりと休め」
それだけ言い残し、千草はさっさと部屋を出ていった。
浅葱は自分の部屋の天井を見上げる。そのまま呼吸が整うまで立ち上がることはできなかった。
※
「修行……ですか?」
頷いた千草は読んでいる古びた本から視線を上げることなく答えた。
「さよう。吾の力を取り込み過ぎたお主は無意識にアヤカシを呼び寄せる。第三の目も開きっぱなしだ。多少なりとも訓練せねばあっという間に命を落とす」
「はぁ」
ピンときていない浅葱の腑抜けた返事に、千草は顔を上げジロリと睨む。
「ただでさえお主は無防備なのだ。少し力をつけよ」
そして、浅葱に聞こえないくらいの小声で付け足す。
「この先は常に守れるとは限らんのだから」
案の定、浅葱には聞こえなかったようだ。
流石、覡の血といったところか。
修行をつけ始めた千草は浅葱の潜在能力に舌を巻いた。
元々第三の目を開くコツは掴んでいたが、予想以上に早く、自在に開け閉めするようになった。
まだ無理矢理吸収した力が体に馴染んでいないため、自然と開こうとする目を押し留めるのに多量の精神力が必要だ。
だが、それも近日中には呼吸をするように無意識に出来るようになるだろう。
この先は、千草では教えきれない。
一ヶ月の修行で、妖狐と覡の能力の使い方に違いがあり過ぎるのに気づいていた。
妖狐に受け継がれている書物をこっそり管狐に取りに行かせ読んでみたが、人間の修行のつけ方などの記述はなかった。
「多尾様に聞くかの」
なるべく妖狐と浅葱を接触させたくなかったが仕方ない。
千草は遣いに託す手紙をしたためるべく、愛用している万年筆を手に取った。
千草が大量に日本酒を買いに行かせたのはこのためか。
浅葱は盃に酒を注ぎながらカウンターに座った男を見る。
機嫌良さそうに酒を飲んでいる姿は、ただの人の良い老人だ。
多尾と名乗ったその狐を千草は丁重にもてなす。
酒を飲むのに夢中の多尾に変わって、千草が口を開く。
「多尾様が浅葱の修行先を見つけてくれたのだ。吾ではこれ以上教えられぬ」
「そういうことじゃ。同じ覡の血筋の者がおる。その者の元で2ヶ月程学べ」
「かんなぎ?」
多尾は呆れたように千草を見る。
「伝えていないのか」
「ええ。申し訳ありません」
千草が頭を下げる。多尾は気にするなと言うように手を振ると浅葱に向き合う。
「わしが行きしなに伝えよう。して、この酒を飲み干すまでに出かける準備を整えよ」
「浅葱、多尾様を待たさぬように。ここは吾が引き受ける」
千草に半ば無理矢理一升瓶を奪われた浅葱は、まだ全てを理解できない様子で、それでも身支度を整えるべく早足で部屋に戻った。
「中々強い力だの。与え過ぎじゃ」
浅葱がいた時の好々爺の顔を引っ込め、鋭い目つきで千草を刺す。
「妖力は与えていないのです。ですが、浅葱の血と吾の妖力は相性が良いようで。日に日に力が強まっているのです」
千草は悩みを吐露する。
郷田の呪詛を祓った際に浅葱の体に一時的に注ぎ込まれた千草の妖力。
普通ならそれすら取り込むことは出来ない。
浅葱はその一時的な力を自らの血肉とした。
それも浅葱の肉体を壊さないように千草は細心の注意を払って、呪いを祓う最低限の妖力しか使っていない。
にも関わらず、浅葱の力は日に日に増している。
「多尾様、このようなことはあり得るのでしょうか?」
多尾は腕組みをしたまま難しい顔で答える。
「わしも初めてじゃ。だが、実際に起きておるのだから認めん訳にはいかんだろう。それよりも……」
千草も苦しそうな顔をして頷く。
「ええ。きっと妖狐たちは、特に八紘は浅葱のことをほっとかないでしょう」
「八紘はあの人間を殺そうとするやもしれん。その時たまきはどうするのじゃ?」
意地が悪い質問だった。だが、八紘の性格としては考えられることだった。
「その時は……」
千草は、何かを求めるように天を仰いだ。
顔を戻した千草の目には迷いはなかった。
「この尻尾と引き換えに。吾が尾を切れば、煩い狐共も黙るでしょう。むざむざ殺させはしない」
強い言葉とは裏腹に瞳は驚くほど澄んでいた。
(覚悟は決まったようじゃの。……やはり黒狐の性分じゃな)
黒狐の性。人間と共に在りたいと望んでしまう本能。
人間と共に生きることを選んだ者も、そうでない者もいた。
一様に悩み、苦しみ、それでも人間を愛してやまない黒狐。
千草もやはり黒狐だ。
――尾を切る。
なんの気無しに千草は言うが、尾を失うということは力を失うと同義だ。
妖狐としての力は殆ど使えなくなる。そしてその先は長く生きられない。普通の狐と同じ、20年程だ。
ただの野狐として長く生きられない生を選び取る。
千草の覚悟は決まっている。
盃の酒を飲みながら、多尾は少々複雑な気持ちでため息をついたのだった。
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