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6.懐かしい場所
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「やれやれ」
多尾も奥へと戻ろうと振り返った時、入口で音がした。
千草が戻ってきたのかと振り向いた多尾は、客人の姿を見て笑う。
「今日は客が多いのう」
土間に立っていたのは、今の狐達のトップの八紘だった。
そして、千草を縛っている枷の原因でもある。
いつの頃からか出来た決まり――狐たちを統べる者が定期的に多尾のところに酒を運び、多尾もまた対価として請われたら知識を授ける。
だが、八紘は知識を多尾に求めることは殆どなかった。
彼はまだ狐を統べるには若く、そして少々頑迷なところがあった。
「たまきが来ていたのか。……何を聞きに来た?」
威圧感を感じられる口調で言い放つ八紘に多尾は目を細める。
狐を統べるだけの力と頭の良さがある八紘にある欠点。
「わしが言うと思うか?」
小馬鹿にしたように笑うと、八紘は感情を剥き出しにした目を向ける。
「言え。夫が妻のことを聞いて何が悪い」
(相変わらず八紘はたまきへの執着が凄いのう。そして、相変わらずの堅物じゃな)
異常というくらいの千草への執着。
そして、しきたりを重視するあまり変化を望まない、つまらぬ考え。
狐らしいといえばらしいが、それが千草――黒狐には逆効果だ。しかし、この狐に言ったところで無駄なこと。
無駄なことはしない、請われない限り教えはしない。それが多尾のモットーだ。
だが、面白いことのためなら多少の労力を払うのは厭わない。
「黒狐の性は人と生きることだ。そう伝えただけだ」
ギリッと歯を噛み締め、怒りの表情を見せる。
普段は一切表情を変えない八紘にとって、多尾はあからさまに感情を向ける数少ない狐だ。
それが好意ではないとしても。
「余計なことを。それに人間と交わるのは禁忌だ」
予想通りの表情をする八紘に多尾は笑いが止まらない。
元来大多数を占める白狐と、その他1割も満たない数の色付き狐の相性は悪いのだ。
憎々しげに睨みつけた八紘は、それでも律儀に酒を置く。
「お主ら白狐が勝手に敷いた都合のよい決まりじゃ。生まれ持った性分は変えられぬ。
色付きが生まれるのは、天の采配じゃからな」
ひゃっひゃっと、人を食ったように笑う多尾に、ぎりぎりと奥歯を噛み締めた八紘。
怒りを辛うじて抑えながら吐き捨てた言葉に、多尾は何百年かぶりに心を躍らせた。
「ならば、天の采配をこの手で変えるだけだ。やっと煩い年寄りたちのほとぼりも冷めた。
……たまきはこちらに呼び戻す」
勤めを果たしたとばかりに踵を返すとあっという間に八紘は見えなくなった。
八紘の持ってきた酒をラッパ飲みしながら、多尾は面白そうに呟く。
「若いのう、二人共」
※
うたた寝をしていたようだ。
人の気配で千草は目が醒めた。
誰が近づいて来ているのかは、確認しなくても分かっていた。
「千草さん」
浅葱が呼びかける。
「随分早かったの」
「昔と比べて交通の便は良いですから。ここまでたった3時間です」
眉を上げて驚く千草の横に腰掛ける。千草は寝転んだまま、浅葱の顔を見上げる。
逆光になってどんな表情をしているのかは、よくわからなかった。
管狐に浅葱への伝言を託したのは昨日の夜だった。
早くても到着するのは明日の朝だと思っていた千草は、改めて人間の智慧と飽くなき向上心に感嘆する。
「本当に人間は凄いのう」
寝転んでいる千草の表情は、浅葱からはよく見える。
何かしら決めたのだろう。一週間前に出ていった時の憂いは一切なかった。
やっと千草らしい表情に戻ったことに安堵した浅葱は微笑むと、千草から目線を外し遠くを見つめる。
「懐かしいですね、この場所」
吾郎だった自分が千草の血と新しい名前を授かった場所。
昔はここから吾郎として暮らした村が見えていたが、今は名残すら見て取れない。
だが千草と初めて出会った社と、ここの空気は時を重ねた今でも変わらない。
「お主は人間と共に生きなくて良かったのか?」
千草が目を閉じたまま尋ねる。
「吾の妖力を取り込みすぎた。もう、人間として生きることは出来ぬ。半端者として、お主は狭間で生きなければならぬ」
千草の声には感情はこもっていなかった。その声は、出会った頃のようを思い出させる。
「恨まれても仕方ない。お主の人間としての生を奪ったのは吾だ」
浅葱は首を振る。千草が血を分けたことをどこかで気に病んでいることは知っていた。
だが、面とむかって問われたことは初めてだ。
「恨んだことなどありません。僕が望んだことです。人間として生きるよりも、あなたの側で生きたいと願った。それは『浅葱』という名を頂く前から……吾郎として、あなたと初めて会った時から変わりません」
浅葱の本音で話していることは、気配を読める千草には伝わっている筈だ。
しばし考え、そして大きく息を吸い込むとそっと目を開けた千草。浅葱の好きな榛色の瞳が見える。
多尾も奥へと戻ろうと振り返った時、入口で音がした。
千草が戻ってきたのかと振り向いた多尾は、客人の姿を見て笑う。
「今日は客が多いのう」
土間に立っていたのは、今の狐達のトップの八紘だった。
そして、千草を縛っている枷の原因でもある。
いつの頃からか出来た決まり――狐たちを統べる者が定期的に多尾のところに酒を運び、多尾もまた対価として請われたら知識を授ける。
だが、八紘は知識を多尾に求めることは殆どなかった。
彼はまだ狐を統べるには若く、そして少々頑迷なところがあった。
「たまきが来ていたのか。……何を聞きに来た?」
威圧感を感じられる口調で言い放つ八紘に多尾は目を細める。
狐を統べるだけの力と頭の良さがある八紘にある欠点。
「わしが言うと思うか?」
小馬鹿にしたように笑うと、八紘は感情を剥き出しにした目を向ける。
「言え。夫が妻のことを聞いて何が悪い」
(相変わらず八紘はたまきへの執着が凄いのう。そして、相変わらずの堅物じゃな)
異常というくらいの千草への執着。
そして、しきたりを重視するあまり変化を望まない、つまらぬ考え。
狐らしいといえばらしいが、それが千草――黒狐には逆効果だ。しかし、この狐に言ったところで無駄なこと。
無駄なことはしない、請われない限り教えはしない。それが多尾のモットーだ。
だが、面白いことのためなら多少の労力を払うのは厭わない。
「黒狐の性は人と生きることだ。そう伝えただけだ」
ギリッと歯を噛み締め、怒りの表情を見せる。
普段は一切表情を変えない八紘にとって、多尾はあからさまに感情を向ける数少ない狐だ。
それが好意ではないとしても。
「余計なことを。それに人間と交わるのは禁忌だ」
予想通りの表情をする八紘に多尾は笑いが止まらない。
元来大多数を占める白狐と、その他1割も満たない数の色付き狐の相性は悪いのだ。
憎々しげに睨みつけた八紘は、それでも律儀に酒を置く。
「お主ら白狐が勝手に敷いた都合のよい決まりじゃ。生まれ持った性分は変えられぬ。
色付きが生まれるのは、天の采配じゃからな」
ひゃっひゃっと、人を食ったように笑う多尾に、ぎりぎりと奥歯を噛み締めた八紘。
怒りを辛うじて抑えながら吐き捨てた言葉に、多尾は何百年かぶりに心を躍らせた。
「ならば、天の采配をこの手で変えるだけだ。やっと煩い年寄りたちのほとぼりも冷めた。
……たまきはこちらに呼び戻す」
勤めを果たしたとばかりに踵を返すとあっという間に八紘は見えなくなった。
八紘の持ってきた酒をラッパ飲みしながら、多尾は面白そうに呟く。
「若いのう、二人共」
※
うたた寝をしていたようだ。
人の気配で千草は目が醒めた。
誰が近づいて来ているのかは、確認しなくても分かっていた。
「千草さん」
浅葱が呼びかける。
「随分早かったの」
「昔と比べて交通の便は良いですから。ここまでたった3時間です」
眉を上げて驚く千草の横に腰掛ける。千草は寝転んだまま、浅葱の顔を見上げる。
逆光になってどんな表情をしているのかは、よくわからなかった。
管狐に浅葱への伝言を託したのは昨日の夜だった。
早くても到着するのは明日の朝だと思っていた千草は、改めて人間の智慧と飽くなき向上心に感嘆する。
「本当に人間は凄いのう」
寝転んでいる千草の表情は、浅葱からはよく見える。
何かしら決めたのだろう。一週間前に出ていった時の憂いは一切なかった。
やっと千草らしい表情に戻ったことに安堵した浅葱は微笑むと、千草から目線を外し遠くを見つめる。
「懐かしいですね、この場所」
吾郎だった自分が千草の血と新しい名前を授かった場所。
昔はここから吾郎として暮らした村が見えていたが、今は名残すら見て取れない。
だが千草と初めて出会った社と、ここの空気は時を重ねた今でも変わらない。
「お主は人間と共に生きなくて良かったのか?」
千草が目を閉じたまま尋ねる。
「吾の妖力を取り込みすぎた。もう、人間として生きることは出来ぬ。半端者として、お主は狭間で生きなければならぬ」
千草の声には感情はこもっていなかった。その声は、出会った頃のようを思い出させる。
「恨まれても仕方ない。お主の人間としての生を奪ったのは吾だ」
浅葱は首を振る。千草が血を分けたことをどこかで気に病んでいることは知っていた。
だが、面とむかって問われたことは初めてだ。
「恨んだことなどありません。僕が望んだことです。人間として生きるよりも、あなたの側で生きたいと願った。それは『浅葱』という名を頂く前から……吾郎として、あなたと初めて会った時から変わりません」
浅葱の本音で話していることは、気配を読める千草には伝わっている筈だ。
しばし考え、そして大きく息を吸い込むとそっと目を開けた千草。浅葱の好きな榛色の瞳が見える。
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