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6.懐かしい場所

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千草は胸をつかれる思いだった。

あの時、目の前で命が尽きる寸前の浅葱を死なせたくないという衝動に駆られた。
エゴだ。
わかっていたが、口に出ていたのは正反対な言葉だった。

『吾は……お主の命を長引かせることが出来る。が、人とアヤカシの間で生きることになる。
どちらの世界でも半端者だ。辛いだろう。
……だが、それでも共に来るか?』

血を吐きながら、それでも肯定の意を示した浅葱の口に、千草は唇を重ねた。
力を分けるなら血の方が手っ取り早い。
だが、千草は浅葱に口から妖力を与えた。
できるだけ少ない妖力ですむように。
いずれ浅葱が人間と共に生きたいと願った時に千草が容易に回収できる量の力。
そして、血の強すぎる力で浅葱が死なないように願いを込めて。

「吾は浅葱をやみくもに不幸にしただけ、か」
ため息混じりに呟いた千草に多尾は変わらぬ口調で言う。
「それは本人に聞いてみるがよい。たまに人間界よりも狐と共に生きるのを好む人間もおる。
そもそも巫覡ふげきの家系は変わり者も多い」
二人の間に沈黙がおりる。多尾の酒を飲み干す音と、千草の酒を注ぐ音が小さないおりに広がる。
狐達のご意見番の多尾には千草の考えが読み取れた。
だが、聞かれない限りは答えない。多尾は黙々と旨い酒に舌鼓を打つ。
(本能のまま生きれば楽じゃがの。しがらみに身動きできないのも、どの黒狐になっても変わらぬな)
もう今は亡き黒狐たちもしがらみに囚われて多かれ少なかれ苦しんでいた。
平和を望む黒狐の性。そして、人と共に生きたいという本能。
それはいつの世も狐と人間の狭間で迷い、黒狐たちを苦しめて来た。
本来、天が黒狐に授けたのは人間と狐の橋渡しの役目だ。
時代が進むに連れ、両者の世界は遠く離れてしまった今の世は、黒狐にとって苦痛でしかないだろう。
(さてさて、たまきは長生きできるかの?)
妖力から考えると楽に2000年は生きられる。
だが、黒狐の寿命を全うすることは少ない。
その前に、命を落とすことが多いからだ。
千草の前の黒狐は200年で死んだ。その前は800年。千草は今、生を受けて600年程だ。
千草が長生きできるかどうかは、彼女が浅葱と呼んでいる覡次第だろう。

そんなことを考えながら最後の酒をグイッと飲み干すと、多尾は口を開いた。
「黒狐と覡か。その組み合わせを見るのは二度目だの」
ニヤリと笑う多尾に、千草は無駄だとわかっていたが問いかける。
「その結末は?」

その黒狐は覡と共に生き、100年と少しで生を終えた。
『多尾様、私は幸せです。狐としては短い生でしたが、人間と共に生き、子を為し自らの手で育てることが出来ました。彼の妻として共に墓に入れることを嬉しく思います』

そう言い残し死んだ黒狐。伝えるべきかどうか迷ったのは一瞬だった。
千草は彼女と違う。わざわざ言うことで判断を鈍らせることもない。何より大切なのは、自分でどう生きたいか考えることだ。

「秘密じゃ」
多尾の返答は予想通りだった。千草は微笑むとわかりましたと言い、立ち上がった。
もう千草の持ってきた酒は尽きていた。
酒がないと彼は話さない。多尾に礼を言い、去りかけた千草に後ろから声をかける。

「たまき、お前は黒狐だ。人間と生きたいというのは黒狐の性だ」
ついお節介が口についたのは、あまりにも千草が白狐達の決め事に縛られ過ぎていたからだ。
その原因は千草にも分かっているのだろう。ビクリと肩を震わせる。
黒狐は平和の象徴だ。だからこそ、妖狐の中でも人間を愛し、人間に寄り添いたいと本能がある。
だが、今では人間の側で生きるのは禁忌とされている。
「……それは禁じられています」
苦しそうな声で吐き出した千草の返事を、多尾は笑い飛ばす。
「たかが500年前に出来た決まりだ。黒狐は黒狐の役目がある。わしが金狐であり銀狐であるように」
千草は多尾の言葉に振り向かぬまま、その場を去った。


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