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5.探している香り
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珈琲を飲みながら朱里と玄樹は浅葱の元気そうな様子に安心したようだ。
「すみません、心配かけて」
恥ずかしそうに答える浅葱に朱里は朗らかに答える。
「今度は浅葱さんの珈琲飲みたいな」
笑って次は自分が淹れると約束をすると、浅葱は話題を変える。
「お祖母さんの匂い、わかったんですか?」
首を振る朱里に浅葱は何と答えたら良いかわからなかった。
何とも言えない雰囲気が漂う。
そんな空気を変えたのは玄樹の言葉だった。
「そういえば朱里、おばあちゃんのことで思い出したことあったんじゃない?」
そうだ、と呟くと浅葱のいるであろう方向に顔を向ける。
――何かお祖母さんのことで思い出したことがあれば教えて欲しい。
そう伝えていた浅葱に答えるように朱里は口を開いた。
「おばあちゃん、おちょこを大切にしていたの。おじいちゃんに大昔貰ったって」
「おちょこ?」
浅葱は顎に手を当てて考える。
額の第三の目が開いたことで千草が微妙に眉を顰めているが、朱里の話に集中していた浅葱は目が開いたことも千草の気配にも気づかなかった。
「触ったこと……あっ」
浅葱が朱里に問いかける途中である映像が流れ込んできた。
※
おちょこだ。
おちょこを手に取り、水を含ませた筆でそっとなぞる。
おちょこの縁についている玉虫色の何かは、水に反応するように色を変え……。
『おばあちゃん!』
幼子がこちらを見ている。視線は合わない。見えていないからだ。
『朱里』
そう呼びかけたその声は、年老いた女性のものだった。
――バチッ
無理矢理額の目を閉じられた感覚に、ハッと目が醒めた感覚で浅葱は現実に戻ってくる。
「浅葱さん、大丈夫ですか?」
若葉が一番離れた席から声をかける。
まだ夢と現実の間にいる浅葱がポツリと呟く。
「玉虫色の……なんだったかな。……そうだ、紅だ」
浅葱に小言を言うために構えていた千草だったが、その一言で表情が変わる。
「玉虫色の紅……。小町紅か!ということは……」
「ええ」
二人の会話に若葉と玄樹はただ呆然とするだけだ。
突然黙りこくったと思うと、急に突飛なことを話しだした浅葱についていけない若葉と玄樹をよそに、千草と浅葱は二人で話を続ける。
「どうしたの?」
目の見えない朱里は、突然始まった不思議な会話に首を捻る。
浅葱が朱里の方に顔を向け、弾んだ声で伝えた。
「朱里さんの探している匂い、わかりました」
※
「やっぱり紅花だったか」
電気をつけず、窓に腰掛けて月の光と夜風に当たっている千草。その声からは感情を読み取ることはできない。
浅葱はいつものことだと特段気にせず、言葉を続けた。
「ええ、玄樹さんから先程連絡がありました」
山形に旅行に行っている二人は無事目的の匂いにたどり着けたようだ。
良かった、と嬉しそうに微笑む浅葱に目を合わせず、千草はいつになく真剣な声で問う。
「あの時、お主は誰の記憶を見ていた?」
ピリッとした空気。
この空気を一度だけ体感したことがある。千草と共に生きるか、決断を迫られた時以来だ。
懐かしさを感じつつ、一呼吸置いた浅葱は普段と変わらぬ口調で答えた。
「朱里さんのお祖母さんです」
千草は自分の顔が強張ったのがわかった。
朱里の願いの解く鍵になるのは浅葱とは思っていた。
だが、千草が望んでいたこととはかけ離れていた。
「浅葱」
押し殺すような低い声。浅葱の目は見れなかった。
「はい」
浅葱は返事をする。いつも通りの口調で。
変わらぬ口調で千草の言葉を待っている浅葱に、何を言えばいいのかわからなくなった。
――気遣い。
口を噤ませているのは、狐には本来持ち合わせていないもの。
千草は自分が何故言えないか気づかないが、浅葱は千草の気遣いを読み取る。
それは千草の心が読めるほど、浅葱の力が強くなっていた証拠でもあった。
「千草さんの望むままに」
浅葱の方を振り向いた千草に、彼はいつものように穏やかな笑みを浮かべていた。
「元々はあなたに生かされている命です。どうしても駄目なら千草さんの手で始末してください。
ですが……」
千草の榛色の目が浅葱を見つめる。
月明かりに照らされたその目は、いつもより神秘的に見えた。
――禁忌。
千草と浅葱を隔てる大きな谷。
浅葱はその谷を今日超えた。
「千草さん、妖狐と人間が共に暮らせる道を探しませんか?僕はあなたとこの先も共に生きたい」
浅葱の願いに榛色の瞳は迷うように揺れた。
二人を静寂が包み込む。
それは嫌な沈黙ではなかった。むしろ会話をするよりも濃密にお互いの気持ちが通じ合う。
逃げたのは千草の方だった。
「もう遅い。……はよ床につけ」
千草はそれだけ伝えると、妖狐の姿となりその場から掻き消えた。
残されたのは、千草の香り。
浅葱はしばらくその場から動けなかった。
――Fox Tail――
そこは、半端者の元人間と、追放された妖狐が住む楽園。
傷を舐め合うように寄り添っていた二人の間にあった隔たり。
見ないようにしていた、あちらとこちらを分ける谷。
かつて人間だったものは、その谷を越えて、アヤカシ側に行くことを決めた。
アヤカシ側にいるお狐様は
まだ……。
「すみません、心配かけて」
恥ずかしそうに答える浅葱に朱里は朗らかに答える。
「今度は浅葱さんの珈琲飲みたいな」
笑って次は自分が淹れると約束をすると、浅葱は話題を変える。
「お祖母さんの匂い、わかったんですか?」
首を振る朱里に浅葱は何と答えたら良いかわからなかった。
何とも言えない雰囲気が漂う。
そんな空気を変えたのは玄樹の言葉だった。
「そういえば朱里、おばあちゃんのことで思い出したことあったんじゃない?」
そうだ、と呟くと浅葱のいるであろう方向に顔を向ける。
――何かお祖母さんのことで思い出したことがあれば教えて欲しい。
そう伝えていた浅葱に答えるように朱里は口を開いた。
「おばあちゃん、おちょこを大切にしていたの。おじいちゃんに大昔貰ったって」
「おちょこ?」
浅葱は顎に手を当てて考える。
額の第三の目が開いたことで千草が微妙に眉を顰めているが、朱里の話に集中していた浅葱は目が開いたことも千草の気配にも気づかなかった。
「触ったこと……あっ」
浅葱が朱里に問いかける途中である映像が流れ込んできた。
※
おちょこだ。
おちょこを手に取り、水を含ませた筆でそっとなぞる。
おちょこの縁についている玉虫色の何かは、水に反応するように色を変え……。
『おばあちゃん!』
幼子がこちらを見ている。視線は合わない。見えていないからだ。
『朱里』
そう呼びかけたその声は、年老いた女性のものだった。
――バチッ
無理矢理額の目を閉じられた感覚に、ハッと目が醒めた感覚で浅葱は現実に戻ってくる。
「浅葱さん、大丈夫ですか?」
若葉が一番離れた席から声をかける。
まだ夢と現実の間にいる浅葱がポツリと呟く。
「玉虫色の……なんだったかな。……そうだ、紅だ」
浅葱に小言を言うために構えていた千草だったが、その一言で表情が変わる。
「玉虫色の紅……。小町紅か!ということは……」
「ええ」
二人の会話に若葉と玄樹はただ呆然とするだけだ。
突然黙りこくったと思うと、急に突飛なことを話しだした浅葱についていけない若葉と玄樹をよそに、千草と浅葱は二人で話を続ける。
「どうしたの?」
目の見えない朱里は、突然始まった不思議な会話に首を捻る。
浅葱が朱里の方に顔を向け、弾んだ声で伝えた。
「朱里さんの探している匂い、わかりました」
※
「やっぱり紅花だったか」
電気をつけず、窓に腰掛けて月の光と夜風に当たっている千草。その声からは感情を読み取ることはできない。
浅葱はいつものことだと特段気にせず、言葉を続けた。
「ええ、玄樹さんから先程連絡がありました」
山形に旅行に行っている二人は無事目的の匂いにたどり着けたようだ。
良かった、と嬉しそうに微笑む浅葱に目を合わせず、千草はいつになく真剣な声で問う。
「あの時、お主は誰の記憶を見ていた?」
ピリッとした空気。
この空気を一度だけ体感したことがある。千草と共に生きるか、決断を迫られた時以来だ。
懐かしさを感じつつ、一呼吸置いた浅葱は普段と変わらぬ口調で答えた。
「朱里さんのお祖母さんです」
千草は自分の顔が強張ったのがわかった。
朱里の願いの解く鍵になるのは浅葱とは思っていた。
だが、千草が望んでいたこととはかけ離れていた。
「浅葱」
押し殺すような低い声。浅葱の目は見れなかった。
「はい」
浅葱は返事をする。いつも通りの口調で。
変わらぬ口調で千草の言葉を待っている浅葱に、何を言えばいいのかわからなくなった。
――気遣い。
口を噤ませているのは、狐には本来持ち合わせていないもの。
千草は自分が何故言えないか気づかないが、浅葱は千草の気遣いを読み取る。
それは千草の心が読めるほど、浅葱の力が強くなっていた証拠でもあった。
「千草さんの望むままに」
浅葱の方を振り向いた千草に、彼はいつものように穏やかな笑みを浮かべていた。
「元々はあなたに生かされている命です。どうしても駄目なら千草さんの手で始末してください。
ですが……」
千草の榛色の目が浅葱を見つめる。
月明かりに照らされたその目は、いつもより神秘的に見えた。
――禁忌。
千草と浅葱を隔てる大きな谷。
浅葱はその谷を今日超えた。
「千草さん、妖狐と人間が共に暮らせる道を探しませんか?僕はあなたとこの先も共に生きたい」
浅葱の願いに榛色の瞳は迷うように揺れた。
二人を静寂が包み込む。
それは嫌な沈黙ではなかった。むしろ会話をするよりも濃密にお互いの気持ちが通じ合う。
逃げたのは千草の方だった。
「もう遅い。……はよ床につけ」
千草はそれだけ伝えると、妖狐の姿となりその場から掻き消えた。
残されたのは、千草の香り。
浅葱はしばらくその場から動けなかった。
――Fox Tail――
そこは、半端者の元人間と、追放された妖狐が住む楽園。
傷を舐め合うように寄り添っていた二人の間にあった隔たり。
見ないようにしていた、あちらとこちらを分ける谷。
かつて人間だったものは、その谷を越えて、アヤカシ側に行くことを決めた。
アヤカシ側にいるお狐様は
まだ……。
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