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5.探している香り

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部屋に戻った浅葱はまだ顔を赤くしたままベッドに横になる。
千草は何も思っていない。
わかっているが、共に過ごしてきた100年が千草の中で振り返るに値する時間だということに、こみ上げるものがあった。
「……100年、か」
千草がいくつか知らない。だから彼女にとってどれ程の重みがあった時間なのかはわからない。
だが、元人間の浅葱としてはとても長い時間だ。

目を閉じると、あの時の千草の声が鮮明に思い出される。

『吾は……お主の命を長引かせることが出来る。が、人とアヤカシの間で生きることになる。
どちらの世界でも半端者だ。辛いだろう。
……だが、それでも共に来るか?』

どのように自分が答えたのかも覚えている。

『行きます。お狐様と共に……この命を』

今、同じ問いをされても返事は変わらないだろう。
100年前、この返事をした浅葱に痛々しい目を向けた千草。
今、同じ回答をしたら、どんな表情を彼女は見せてくれるのだろうか……。




――これは朱里の記憶だ。
そう気づいたのは、目の前が何も見えなかったからだ。
「朱里」
自分の名前を呼んだ声の方に手を伸ばすと、ギュッと抱きしめられた。
「おばあちゃん!」
朱里は抱きしめながら祖母の香りを確かめる。
太陽をいっぱいに浴びたお布団に包まれているような匂いに混じって漂う、独特の香り。
これは祖母の匂いだ。
嬉しくなって、朱里は思いっきり鼻で息を吸い込んだ。



コンコン、と部屋をノックされる音で目が覚めた。
浅葱が返事をする前にドアを開けた千草はホッとした表情をする。
「起きておったか。大分疲れとるようだったの。丸2日寝ておったぞ」
「え?そんなに?」
千草の言葉に驚いた様子で答えた浅葱に軽く頷く。
「朱里と玄樹が様子を見に来ておる。動けるようなら顔を出すが良い」
「わかりました」

その答えを聞いて部屋を出ていこうとする千草を呼び止める。
「朱里さんの記憶……を見ました」
眉をあげた千草は無言で続きを促す。
「朱里さんが言っていたお祖母さんの匂いも嗅ぎました。僕も昔、嗅いだことあります。……何かは思い出せないのですか」
千草は無言のまま、そっと浅葱の額に手を当てる。
「夢見……か。さて、どうしたものか」
「何かまずいことでも?」
いや、と言ったきり黙りこくる千草の顔が近い。
息をするのも憚れるくらいの沈黙が部屋を支配する。

憂いを帯びた千草の顔に、不謹慎ながら浅葱の心臓は逆に鼓動を早める。
千草に聞こえてしまう、と思えば思うほど、ますます鼓動は早まり同時に顔が熱で火照る。
ただ固まったまま、千草のなすがままにされる浅葱。
そっと額から手が離れると同時に千草も身を遠ざける。
「感受性が高いのも考えものだの。……先だっての呪詛を祓う際に力加減を少々間違えたようだ。
……力が強まっておる」
「それだけ、ですか?なら……」
そこまで影響がない、と続けようとした浅葱は言葉を飲み込んだ。
榛色の目に浮かんでいたのは、哀しさだった。
千草は何も言わないまま立ち上がると、フッとその場から消えた。


店に顔を出すと、いたのは若葉と朱里、玄樹の三人だけだった。
「あれ、千草さんは?」
若葉の問いかけに浅葱も緩く首を振る。
「出かけたみたいです」
いつものようにカウンターに向かう。が、何かいつもと違う。
不思議そうに周りを見渡す浅葱に不審げな表情を向ける若葉に尋ねる。
「何か模様替えした?」
「?いえ、何も」
「大掃除……とかもしていないよね?」
「ええ、普通に普段通りの掃除だけですけど」
心配そうな顔で浅葱を見る若葉。

浅葱の目には2日前と違う店のように見えていた。
店内が、二重にみえていたのだ。
今まで見えていた店の上に薄いベールが張られていた。
窓の外に目を向ける。窓の外も二重に視える。
膜がはっている外側を歩いている男性が店内に入ろうとして、ドアに手を触れる。
と、次の瞬間呆けた顔を見せると、フラフラと店の入口から離れる。
再び歩き出した時には、男性の目にはこの喫茶店は映っていなかった。

ハッとした瞬間、酩酊にも似た感覚が体を巡る。倒れそうになる体をいつの間にか後ろに現れた千草が指一本で支える。

真名を呼ばれた瞬間に、全身に流れる千草の気に意識が持っていかれる。
。深呼吸をし、目を閉じよ」
浅葱にしか聴こえない大きさだが、凛とした声に誘導されるように目を閉じた。
「額の目もだ。半分開いておる」
開いていることに気づかなかった。
いつも第三の目を開いた時に感じている違和感が全くなかったからだ。
すべての目を閉じ、数回深呼吸する。

落ち着いた、と思った時には千草の指は背中から離れていた。
ゆっくり目を開けると、店は普段どおりの風景を見せていた。
さっさとカウンターの中に入った千草が手づから珈琲を入れる。
用意したサイフォンの数を見ると、どうやら今店にいる5人全員に入れるつもりなのだろう。
目で浅葱と若葉にもカウンターに座るように促す千草に甘えて、二人は朱里と玄樹を両サイドから挟む位置に腰掛けた。


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