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5.探している香り
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その依頼は少々変わっていた。
「匂い……か」
「ええ。祖母が時折まとっていた香りなんです。覚えているのは香りだけ、というか見えないからそれしか辿れないんですけどね」
お茶目に笑いながら言う依頼主に千草はふむ、と言うと腕を組んで黙りこくった。
常連の朱里は生まれつき目が見えない。
その分、聴覚、嗅覚、触覚は人より秀でていた。
特に嗅覚は優れているようで、今浅葱が朱里の前に置いた珈琲の匂いを嗅いだだけで、どの豆のブレンドか当てる。
「正解です。さすが朱里さん」
ニコリと笑うと朱里は珈琲に口をつける。美味しそうな表情をした彼女に浅葱も嬉しそうに微笑むと、話の続けた。
「それにしても、思い出の香り……ですか。千草さん、記憶だけで辿れるものなのですか?」
「いや、正直厳しいものがある。匂いほど、曖昧なものはないからの」
「ですよね~。もしかしたら、と思っただけなので気にしないでください」
言葉通り、ケロリとした口調で言う朱里。けど、その言葉は半分本音で半分は嘘だ。
浅葱にも感じ取れる気配だ。千草にはもっと強い思いが伝わっているだろう。
「約束はできん。が、記憶に留めておこう」
そう言い、目で浅葱に合図を送ると千草はいつものようにカウンター内の椅子に座り本を開く。
浅葱は思わず苦笑する。ジロリと浅葱を睨みつけるが千草は何も言わず本を読むふりをする。
「朱里さんの思い出の匂い、もっと詳しく教えてくれますか?でも、期待はせずにいて下さいね」
浅葱のわざと困ったような口調に朱里は吹き出した。
「ええ、覚えている範囲でね」
朱里は記憶を辿るように、ポツリポツリと語りだした。
「しかし、全くわからんな」
朝ごはんの席で千草が呟く。
「まさか、一晩中考えていたんですか!?まだ本調子じゃないのに」
心配で声を荒げる浅葱を鬱陶しそうにしながらも、言い訳じみた返事をする。
「きちんと静養は取っておる」
「ですが……」
「お主こそ、きちんと休め。仮にもその体に強い呪いを受けたのだから」
そう言われると浅葱も口を噤むしかない。
浅葱こそまだ本調子でなく、無理をしていると自覚しているからだ。
特に昨日のように若葉が休みの時は、次の日体に堪える。
それでも、千草が店に立つのであれば自分も隣にいたい。そのエゴに気づいている筈の千草は、心配そうな顔をするが何も言わなかった。
そのことをいいことに、浅葱は自らの不調を押して店に出ていた。
「爽やかな香り……というだけでは中々難しい」
夏のような爽やかな香り。それが朱里が口にしていた表現だ。
人によっては好き嫌いが分かれるような癖があるそうだ。
「稲とか麦ではない、と言っていましたからね」
「100年前からあった香りだ。……浅葱、お主は何かわからぬか?」
もうだいぶ前に亡くなっているという朱里の祖母は生きていたら浅葱と同じ年代だ。
千草は、朱里の求めている香りを見つける鍵になるのは浅葱だと考えていた。
浅葱はしばらく考えていたが、ため息をつくと首を左右に振る。
「さすがにわからないです。……この100年で日本はガラリと変わりましたから。農村も減りましたし」
「確かにな。町に漂う匂いは大分変わったからの」
頷いて肯定の意を表した浅葱に千草はポツリと呟く。
「……探してやりたいの。目の見えぬ朱里にとって香りは、他の人間の何倍も思い入れが深いものだからの」
依頼されたわけでもないのに朱里のことを気にかける。お狐様の優しさに触れ、浅葱も柔らかい笑みを浮かべる。
「そうですね。僕も考えてみます」
「これも違うか」
千草のガッカリした気配を感じたのか、朱里は申し訳なさそうな表情をする。
今日は恋人の玄樹も一緒だ。玄樹もまたこの店の常連だった。
「初めて見ましたよ、千草さんのそんな顔」
玄樹の言葉に慌てる朱里。そんな二人のやり取りに笑いを噛み殺した浅葱の声がかかる。
「朱里さん、玄樹さん、気にしないで。この表情はいじけているだけですから」
「浅葱!」
余計なことを言うなとばかりに千草の叱責が飛んでくる。が、浅葱は気にも止めず話を続ける。
「千草さん、今回は自信があったんです。でも違ったから拗ねている。……ですよね?」
にっこりと微笑む浅葱に千草は呆気にとられる。
次の瞬間、千草は笑いだした。
「妖狐にそんな口のきき方する者なぞ、浅葱以外おらぬ」
ひとしきり笑った後、朱里にむけて千草は気にするな、と伝えた。
「浅葱の言うとおりじゃ。朱里が気にすることない。……中々お主のいう香りが見つからんで拗ねとっただけじゃ」
「安心しました。……でも千草さんも忙しいでしょうし。
今まで見つからなかったんですから、出会えなくても仕方ないって思っているんです。なのであまり気にしないでくださいね」
朱里の言葉に軽い口調で千草は答える。
「なんの。考える時間も楽しんでおる。
……それに100年程前の香りを探すのは、吾にとって浅葱と過ごしてきた日々を思い出すことにもなる。記憶に思いを馳せる時間の過ごし方は、意外と悪くないものだ」
――ガシャーン。
「す、すみません」
浅葱が手を滑らせ、カップを割る。
驚いた三人は浅葱の方を見るが、浅葱は誰とも目を合わせないままカップの欠片を拾う。
床にしゃがんだ浅葱の顔は真っ赤だったが、幸いにも千草には気づかれなかったようだ。
「気をつけよ。だが、珍しいな。疲れているなら家で休め」
普段と同じ千草の声に、安心しつつも先程のセリフで動揺しているのは自分だけだと思うとやりきれない。
「大丈夫……。いえ、やっぱり少し休みます」
黙って頷いた千草に顔を見られないように素早く片付けると、浅葱は朱里と玄樹に一礼して奥へと引っ込んだ。
「千草さん、罪なことしますね」
ピンと来ていない様子の千草は首を捻り尋ねる。
「なんのことだ?」
どこか責めるような目で千草を見ていた二人だったが、返答を聞くと顔を見合わせ盛大なため息をついた。
「浅葱さんも大変だ」
玄樹の返事にますます千草は混乱するのだった。
「匂い……か」
「ええ。祖母が時折まとっていた香りなんです。覚えているのは香りだけ、というか見えないからそれしか辿れないんですけどね」
お茶目に笑いながら言う依頼主に千草はふむ、と言うと腕を組んで黙りこくった。
常連の朱里は生まれつき目が見えない。
その分、聴覚、嗅覚、触覚は人より秀でていた。
特に嗅覚は優れているようで、今浅葱が朱里の前に置いた珈琲の匂いを嗅いだだけで、どの豆のブレンドか当てる。
「正解です。さすが朱里さん」
ニコリと笑うと朱里は珈琲に口をつける。美味しそうな表情をした彼女に浅葱も嬉しそうに微笑むと、話の続けた。
「それにしても、思い出の香り……ですか。千草さん、記憶だけで辿れるものなのですか?」
「いや、正直厳しいものがある。匂いほど、曖昧なものはないからの」
「ですよね~。もしかしたら、と思っただけなので気にしないでください」
言葉通り、ケロリとした口調で言う朱里。けど、その言葉は半分本音で半分は嘘だ。
浅葱にも感じ取れる気配だ。千草にはもっと強い思いが伝わっているだろう。
「約束はできん。が、記憶に留めておこう」
そう言い、目で浅葱に合図を送ると千草はいつものようにカウンター内の椅子に座り本を開く。
浅葱は思わず苦笑する。ジロリと浅葱を睨みつけるが千草は何も言わず本を読むふりをする。
「朱里さんの思い出の匂い、もっと詳しく教えてくれますか?でも、期待はせずにいて下さいね」
浅葱のわざと困ったような口調に朱里は吹き出した。
「ええ、覚えている範囲でね」
朱里は記憶を辿るように、ポツリポツリと語りだした。
「しかし、全くわからんな」
朝ごはんの席で千草が呟く。
「まさか、一晩中考えていたんですか!?まだ本調子じゃないのに」
心配で声を荒げる浅葱を鬱陶しそうにしながらも、言い訳じみた返事をする。
「きちんと静養は取っておる」
「ですが……」
「お主こそ、きちんと休め。仮にもその体に強い呪いを受けたのだから」
そう言われると浅葱も口を噤むしかない。
浅葱こそまだ本調子でなく、無理をしていると自覚しているからだ。
特に昨日のように若葉が休みの時は、次の日体に堪える。
それでも、千草が店に立つのであれば自分も隣にいたい。そのエゴに気づいている筈の千草は、心配そうな顔をするが何も言わなかった。
そのことをいいことに、浅葱は自らの不調を押して店に出ていた。
「爽やかな香り……というだけでは中々難しい」
夏のような爽やかな香り。それが朱里が口にしていた表現だ。
人によっては好き嫌いが分かれるような癖があるそうだ。
「稲とか麦ではない、と言っていましたからね」
「100年前からあった香りだ。……浅葱、お主は何かわからぬか?」
もうだいぶ前に亡くなっているという朱里の祖母は生きていたら浅葱と同じ年代だ。
千草は、朱里の求めている香りを見つける鍵になるのは浅葱だと考えていた。
浅葱はしばらく考えていたが、ため息をつくと首を左右に振る。
「さすがにわからないです。……この100年で日本はガラリと変わりましたから。農村も減りましたし」
「確かにな。町に漂う匂いは大分変わったからの」
頷いて肯定の意を表した浅葱に千草はポツリと呟く。
「……探してやりたいの。目の見えぬ朱里にとって香りは、他の人間の何倍も思い入れが深いものだからの」
依頼されたわけでもないのに朱里のことを気にかける。お狐様の優しさに触れ、浅葱も柔らかい笑みを浮かべる。
「そうですね。僕も考えてみます」
「これも違うか」
千草のガッカリした気配を感じたのか、朱里は申し訳なさそうな表情をする。
今日は恋人の玄樹も一緒だ。玄樹もまたこの店の常連だった。
「初めて見ましたよ、千草さんのそんな顔」
玄樹の言葉に慌てる朱里。そんな二人のやり取りに笑いを噛み殺した浅葱の声がかかる。
「朱里さん、玄樹さん、気にしないで。この表情はいじけているだけですから」
「浅葱!」
余計なことを言うなとばかりに千草の叱責が飛んでくる。が、浅葱は気にも止めず話を続ける。
「千草さん、今回は自信があったんです。でも違ったから拗ねている。……ですよね?」
にっこりと微笑む浅葱に千草は呆気にとられる。
次の瞬間、千草は笑いだした。
「妖狐にそんな口のきき方する者なぞ、浅葱以外おらぬ」
ひとしきり笑った後、朱里にむけて千草は気にするな、と伝えた。
「浅葱の言うとおりじゃ。朱里が気にすることない。……中々お主のいう香りが見つからんで拗ねとっただけじゃ」
「安心しました。……でも千草さんも忙しいでしょうし。
今まで見つからなかったんですから、出会えなくても仕方ないって思っているんです。なのであまり気にしないでくださいね」
朱里の言葉に軽い口調で千草は答える。
「なんの。考える時間も楽しんでおる。
……それに100年程前の香りを探すのは、吾にとって浅葱と過ごしてきた日々を思い出すことにもなる。記憶に思いを馳せる時間の過ごし方は、意外と悪くないものだ」
――ガシャーン。
「す、すみません」
浅葱が手を滑らせ、カップを割る。
驚いた三人は浅葱の方を見るが、浅葱は誰とも目を合わせないままカップの欠片を拾う。
床にしゃがんだ浅葱の顔は真っ赤だったが、幸いにも千草には気づかれなかったようだ。
「気をつけよ。だが、珍しいな。疲れているなら家で休め」
普段と同じ千草の声に、安心しつつも先程のセリフで動揺しているのは自分だけだと思うとやりきれない。
「大丈夫……。いえ、やっぱり少し休みます」
黙って頷いた千草に顔を見られないように素早く片付けると、浅葱は朱里と玄樹に一礼して奥へと引っ込んだ。
「千草さん、罪なことしますね」
ピンと来ていない様子の千草は首を捻り尋ねる。
「なんのことだ?」
どこか責めるような目で千草を見ていた二人だったが、返答を聞くと顔を見合わせ盛大なため息をついた。
「浅葱さんも大変だ」
玄樹の返事にますます千草は混乱するのだった。
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