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4.崩れ牡丹

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「千草さん、僕は大丈夫です。それに千草さんに移したら、呪詛があなたの妖力に反応して浄化に時間がかかるでしょ?」
浅葱の言う通りだ。呪詛を払うのは、自分以外の別の器に入っている時の方が力を発揮できる。それでも自らに呪詛を移していたのは、呪をかけられた器が弱っており千草の力を注ぐと耐えきれないからだ。
その点、浅葱にはその心配はない。

「なるべく早く浄化する」
ため息をついた後に千草から吐き出された言葉に、もう迷いはなかった。
浅葱は頷くと、自らの意識を沈め体をからっぽの状態にする。
千草の目が榛色から金色に変わる。そして、唄い出す。
聞いたことのないような唄。だが、どこ懐かしさを感じる曲調。その声に引っ張られるように郷田の体からどす黒いものが浮かび上がる。
その黒いものの先端を誘導するように左手で浅葱の体を指し示す。
からっぽの器は呪詛にとって好都合だ。浅葱を発見したと思うと瞬く間に彼の体に入り、侵食する。
「うぅっ……」
生きながら、生気を食われている感覚。本能的な恐怖と襲ってくる痛み。浅葱の体はその場に崩れ落ちる。
だが、覚悟を決めた千草の顔は変わらない。大量の呪詛を浅葱に移し終えた次の瞬間、二人の姿はその場から消えていた。

「あ、明るい?」
「ふっ。ふぁふぁふぁ!!体が軽いぞ!!」
呪詛がなくなったことで霧が晴れたように一気に明るくなった部屋に驚く女の声と、怨念がなくなったことにより身軽になった郷田の歓喜の笑い声が病室に響き渡った。


二人は異空間にいた。狐耳と尻尾を顕にしている千草の口からは一瞬足りとも途切れることがなく、唄が流れている。
「うっ……。かはっ」
怪我をしないようにか柱に縛られている浅葱は、脂汗を浮かべながら苦痛の声を漏らす。身動きができないのにも関わらず、身を捩る。
いつもは心地よい千草の唄が、呪詛に取り込まれている今の浅葱にとっては痛みしか感じない。
千草も額に汗を浮かべながら妖力を使う。
早く浅葱を楽にしてあげたいという焦る気持ちを抑えながら、複雑に絡み合っている呪詛を一つ一つ紐解く。
妖力が少なければやみくもに浅葱を苦しませるだけだ。かといって妖力を注ぎすぎると、相反する二つの力が浅葱の体をまっぷたつにするだろう。
繊細な力加減を求められる呪詛払い。それができる妖狐は限られている。その限られた妖狐である千草ですら苦戦をするほどの呪い。
(どれだけ郷田は恨まれていたんだ)
思わず苦笑が漏れてしまうほどの強い業。我が身にこの呪詛を取り込んでいたら浄化するのにどれほどの時間がかかったのだろうか。

千草は身震いをした。この呪詛を受けてまで生き延びていた郷田。周りにも影響を及ぼしながらも、本人は生きていた。
人間は恐ろしい。だが、浅葱のようにすべてを投げうってまで他人を守ろうとするのもやはり人間だ。
生まれながら器が決まっている狐とは逆に、人間の能力は未知数だ。良い意味でも悪い意味でもどんどん変化する。
千草はそんな人間が恐ろしい一方で、進化し続けることを止めない人間たちを愛しくも感じるのだった。



気づいたら、浅葱は自分の部屋のベッドに横たわっていた。
「なん……にち?」
声を出すだけでも息が切れるほどのひどい倦怠感。首を横に向けると、携帯が目に入った。
日にちを確認すると、郷田の入院先に行ってから2週間が経っていた。無理矢理体を起こすと、床に倒れるように身を丸めて眠っている黒い狐が目に入った。
狐の姿を見るのは初めてだったが、一目見てわかった。
「ちぐさ……さん」
悲鳴を上げる体を無理矢理むち打ち、千草のもとに歩み寄る。
普通の狐とサイズは変わらない。違っているのは、色と尻尾の数だ。一見狼に見間違えるほどの漆黒の美しい毛並み。その尾は今は7本だ。以前、千草から聞いたのは5本だったはずだ。
「力が……強まっている?」
妖狐の尾は力の強さだ。その尾が増えているということは……。

浅葱は自らの考えに思いを巡らせながら、人型を取れないほど疲労困憊をしている千草をそっと抱き上げると、先程まで寝ていたベッドに横たえる。
その横に自らの身を滑り込ませた浅葱は、小さな千草の体を抱き寄せる。
「いつまであなたはこちらに……僕の側にいてくれるのですか?」
呪詛祓いをしている時に妖力に混じって流れ込んできた千草の過去の記憶。
罪を背負い、人間界で償いをしている千草は、いずれ妖狐の世界に帰っていく。
その時に、浅葱は共に行くことはできない。禁忌だからだ。

「千草さん。……好きです」
浅葱の言葉は千草に届かないまま虚しく空に消えた。


――Fox Tail――

そこは罪を背負ったお狐様が償いをするために作った場所。

人間を恐れ、それでも人間を愛する。

それは、禁忌だ。
かつての妖狐の過ちを繰り返そうとする、愚かな行為。

分かっていながらも、1000年に1度に誕生する黒狐は人間と共存する場所を探す。

それが、更に罪を背負うことになったとしても。
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