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2.借りていた手

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千草の唄が終わるとコトリ、とカウンターに紫の珠が転がった。
「……紫?親父の時は赤い珠だったのに」
「ほう。上手く混ざったな」
千草は満足そうに頷く。

『息子に、俺の陶芸家としての技を教えたかった』
信夫の父親は激しい想いと共にそう言い残した。
燃え上がる炎のような赤い珠。
そこに信夫の穏やかだが深みのある青が混ざり、紫になったようだ。
「きれいなすみれ色じゃ。信夫の陶芸家人生は満足できたようじゃな。……父親の分も」

父親の死を目の前で見たのは5歳の時だ。それから千草に育てられた。
『信夫が決めたらええ。どう生きるかも、父親の跡を継ぐのも』
千草が尋ねたのは信夫が15歳になった春だった。
信夫は迷うことなく父親の跡を継ぐことを決意した。
ならば、と千草は信夫の眉間に赤い珠を押し付けた。
その瞬間、父親の技の記憶が押し寄せる波のように信夫の脳内を駆け巡った。
そして、父の最期の言葉も、この珠に込めた想いも。

だが、父親の記憶をトレースしたところでイメージ通りの焼物は出来るものではなかった。
むしろ、理想の姿があるからこそ、表現できない自分がもどかしかった。

――お狐様に守られていては一生大成しない――

そう考えた信夫は千草の元を去っていった。
『お主の満足いく品が出来たらぜひ欲しいものだ。待っとるぞ』
千草はアッサリと信夫を送り出した。
それから50年、便りは出しても会うことはなかった。


「紫、か」
今までのことを走馬灯のように思い出しながら、信夫は指でそっと珠を撫でた。
もう指先には感覚がない。それでも触れると安心した。
「この……は二……の魂を……。いず……れ相応しい……げん……に」
千草の言葉も半分も理解出来なかった。だが、言っている言葉は分かった。
(儂と親父の魂を引継ぐ相応しい人間、か。お狐様なら見つけてくれるじゃろ)
意識が遠のく。もう体も息を引き取る寸前なのだろう。

「ありがとう、お狐様」

きちんと言葉になったかわからない。だが、きっと千草には聞こえているはずだ。
そこで信夫の意識は途切れた。




「今日は刺し身か」
居間に顔を出した千草は並んだ膳を見て鼻を鳴らす。
「ええ。信夫さんが好きだった鰆が売っていましたので」
自分の場所に胡座をかいて座った千草は箸を取り、さっさと食べ始めた。
「人間はわからぬ。信夫の膳を用意したところでアイツは食わぬぞ」
千草の指摘を予想していたのか、浅葱は苦笑いで答えた。
「陰膳の代わりですから、後で僕がお下がりを頂きます。本当は生モノはダメなのですが、信夫さんが好きだったので」
ふうん、とつまらなそうに箸を運ぶ。
と、その時千草の箸が信夫の膳に伸びて刺し身を掴んだ。
「ちょ、千草さん!?」
行儀の悪さを指摘した浅葱を気にも止めず、サッサと食べ終わり席をたった。


「もう一度くらい信夫と一緒に飯を食べたかったの。……人間はすぐ死ぬ」

ポツリと呟いた千草は、浅葱がなにか言う前にその場から消える。
同時に浅葱に千草の気持ちがなだれ込む。

生まれ持った能力と分け与えられている血の影響があっても、千草の気持ちは浅葱には読み取れない。
だが、今日は千草の気が乱れているからか、アッサリと感情が伝わってきた。

「千草さん、それが『寂しい』という気持ちなんですよ」
千草が聞いたら、目を三角にして怒るだろう。

だが、浅葱の独り言は彼女には届かない。
浅葱は静かに食事を再開した。


――Fox Tail――

そこはお狐様とかつて人間だった青年が営む喫茶店。
人間のことを知りたくて山から降りてきた狐と、人に寄り添いすぎる人間の小さな住処。

あなたの大切な記憶を後世に残したいのであれば、一度聞いてみればいい。
気まぐれなお狐様が叶えてくれるかもしれません。

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