傷ついた心を癒すのは大きな愛

雪本 風香

文字の大きさ
上 下
52 / 61

心と向き合う3

しおりを挟む
安心したように寝息をたてる千尋の横で武史は眠れないまま過ごしていた。
(どうなるやろな、柳田さんに会って)
千尋の心が柳田に動く可能性は五分五分といったところだろう。
武史はそっとため息をつく。
思いのほか、千尋の心の傷は深い。長い時間をかければ癒されるのかもしれないが、果たしてその時間は自分に与えられるのだろうか。

それに、武史と柳田の徹底的な違いがある。
千尋のことを仕事面で支えられるかどうかだ。
千尋には言っていないが、武史はいくつか彼女の出版された翻訳本を読んでいた。
日本語以外からきしの武史には原作を読むことが出来ないため、訳本から読み解いた内容で判断をするしかない。
訳本の千尋の文章は心の傷があるからこそかけるような類いのものだ。
頼まれる仕事のジャンルが心のドロドロしたものを表現しているものが多いのか、敢えて千尋自身が選んでそういう系の本を訳しているのかはわからない。
だが、内に抱えているものがあるからこその表現だった。

『柳田さんは私の文章しか興味がないから。だからこそ、彼に振り向いて貰いたくて必死に仕事していた、というのもあるのかもしれない』
いつだったか、千尋が柳田のことをそう評していた。
逆に言えば、その一点に関しては武史は力になれない。
千尋は今の仕事に誇りを持っている。
それは武史が漁師の仕事が天職だと思っているように、千尋から今の仕事を取ることはできない。
もし仕事が生活のため、という考え方なら辞めてもらい、武史が養うことも出来るのに。
(やけど、それなら惹かれておらんやろうなぁ)

仕事観は近しいものがある。だからこそ、お互い仕事に関しては口出ししないし、尊重もしている。
だからこそ千尋が自分の心の傷を癒すことよりも仕事を取るのであれば、武史には何もできない。
武史がこの町で漁師として生きることにこだわっているように。

何度目かのため息をついた武史は、千尋を起こさない程度に抱きしめる。
ずっとこうして自分の腕の中にいて欲しい。
だけど、近い内に千尋は守られているこの腕から出ていくだろう。
その時の千尋の選択は……。

武史を選ぶのか。
柳田を選ぶのか。
どちらも選ばないのか。

「東京に行かしたくないわ」
東京に行くと、否応なく千尋は考えないといけない。
もう少し、千尋のことを独占し愛する時間が欲しい。
聞こえないことをいいことに、武史は珍しく弱音を吐いた。


千尋の温かさに包まれている内にいつの間にか眠っていたようだ。
腕の中でモゾモゾしている動きで武史は覚醒する。
目の前では千尋が武史を起こさないように気を遣いながらも腕から逃れようと、悪戦苦闘しているところだった。
「おはよ」
挨拶と同時に腕に力を込める。
「……おはよう。タケちゃん、一晩中こうしていたの?」
「そうや。温かくて抱き心地よかったけん、つい」
武史の言葉に照れた千尋は、敢えて素っ気なく言う。
「じゃあ、もう離して」
武史は首を振った。
「あと少しだけでいいけん。もう少しだけ、俺の腕の中におってや」
こうして抱きしめていられるのも最後かもしれない。
千尋の感触を余すことなく覚えておきたい。武史は千尋を強く抱きしめた。
「んっ」
少し息苦しそうな声をあげた千尋だったが、武史が満足するまでなすがままにされていた。



「気をつけてな。東京着いたら連絡欲しいわ」
「分かった。タケちゃんも気をつけて帰ってね」
軽く手を振りながらゲートをくぐった千尋が見えなくなるまで見送る。
寂しいな、と珍しく感傷に浸っていると、ポケットに入れていた携帯が震える。
先程別れたばかりの千尋からの電話だった。
『いつも私が聞く側だから、うっかり言い忘れていた。
タケちゃん、行ってきます』
笑いながら言う千尋に、武史も思わず声を出して笑う。いつも見送られる側なため、見送る立場は何だか照れくさい。
電話口で待っている千尋に、武史も言い慣れない言葉を電話の向こうに伝えた。
「行ってらっしゃい。気をつけてな」
『はい!』
かかってきた時と同じくらい唐突に切れた電話。
しばらく見つめた後、武史は駐車場の方へ向かった。
先程までのセンチメンタルな気持ちは吹っ飛んでいた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

処理中です...