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過去の男2
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「村上くん、久しぶりだね」
美香との打ち合わせの後、たまたま入った店で誰かと話している柳田に声をかけられた。
「柳田さん、お久しぶりです。その節はありがとうございます」
柳田と直接会ったのは応接室で仕事を引き受けた時以来だったので3ヶ月前だ。
「会社辞めたんだね」
「そうなんです。今はフリーで働いています」
そうか、と呟いた柳田は千尋にこの後時間があるか尋ねる。
「出版祝いに食事でも行こう」
いつもなら適当な用事を作り早く帰る。だが、その時は誘いに乗った。
柳田がチョイスしたのはイタリアンレストランだった。
懇意にしている店なのだろう、何も言わなくとも奥の個室に案内される。
着いてきた千尋に片眉を上げ皮肉そうに笑った柳田。
「君はこういう誘いに乗らないと聞いているが」
魔が差したとしか言いようがなかった。数回会っただけの男にこんなことを言うと、どうなるか分からない年齢ではなかった。
「家に帰りたくなかったんです」
「ほう」
何故、と目線で問い掛ける柳田に千尋は言った。
「育ててくれた祖母が一月前に亡くなって…1人で祖母と暮らしていた家にいると…」
「そうか。君が会社を辞めたのはそのことが原因か」
「ええ。フレックスや在宅勤務もしていたんですが、それでは追いつかなくなって。…辞めてからすぐ亡くなったので結局孝行出来ないままでした」
少し考えて柳田は千尋に聞いた。
「最期は看取れたのか?」
「ええ、家にいたので倒れたのに気付けました。救急車で病院に行ったのですがそのまま…」
「…幸せな最期だったと思う」
低い声で呟いた柳田の言葉に、涙腺が崩壊した。
祖母の葬式でも泣かなかった。いや、泣けなかった。
頭の片隅が麻痺していて、肉体と精神が切り離されている感覚。
幽体離脱ってこういうことを言うんだろうか、と思ってしまうほど体と心がバラバラに動く。
最初にこの経験をしたのはいつの頃だったか。
そうだ、両親の葬式の時だ。
『ちーちゃんとトシくんを遺して…』
『かわいそうに』
そう言って千尋の前で涙を流す大人を前に、心がドンドンと冷めていく。
ロボットのように動く体を少し離れたところで見つめている自分。
そうして悲しみから一時現実逃避している千尋が泣けるのは、辛い出来事からかなり後のことだった。
祖母が亡くなったことから逃げていた心と体が、柳田の一言で繋がり、やっと涙を流すことが出来た。
柳田は押し殺したように泣く千尋を慰めることもなく、ただ黙って見ていた。
ひとしきり泣いて落ち着いた千尋を自分のマンションに連れて帰った柳田は、手を出さなかった。
後から振り返ると、ここで手を出されていたらこんなにも好きになることはなかった。
一晩中ベッドで手をつないで添い寝をしてくれた。
千尋は久しぶりにぐっすり眠ることができた。
「柳田さん、すみませんでした。家に押しかけて…。彼女とか奥さんに怒られますよね」
「いたら連れ込まないさ」
翌朝、そう言った千尋に皮肉な笑みを浮かべて柳田は言った。
余計なものが何もない部屋。女性の痕跡が一切見当たらなかったことも信じた材料だった。
「もう結婚はする気はない」
「バツイチですか?」
黙って頷いた柳田に千尋からキスをした。
男女の関係になっても柳田は相変わらずだった。
どこか冷めている目で千尋を見下ろす。
唯一柳田の表情が変わるのは千尋の翻訳だけだった。
「言葉選びが秀逸だ。このセンスは誰にも真似できない」
それだけで有頂天になった。
祖母の49日が終わり、千尋は引越した。一人では広すぎる家から身の丈にあったマンションへ。
「一緒に住むか?」
そう言う柳田の誘いを嬉しく思ったが断った。
(一緒に住むと私は翻訳できなくなる)
柳田が惚れているのは千尋の文章だけだと薄々気づいていた。
それでも、柳田と共にいる時間は幸せだった。
一緒に過ごしていると、柳田ほど自分勝手な男はいなかった。
千尋が連絡しても出ないのは当たり前。かと思うと突然訪問してきて、愛を囁く。
他の女性がいるな、と疑わなかったわけではなかった。
基本は千尋の家に泊まらない。夜中の3時くらいに一人で起き出して帰って行く。
「朝まで一緒にいて」
そう頼んだこともあるが、いつもの皮肉な顔で笑い、いつものように出ていった。
そのくせ、千尋が柳田の家に突然行っても泊まっても文句も言わない。
「人の家だったら寝られないだけだ」
好きなだけ泊まったらいいさ、そういう柳田がずるいと思うと同時に、彼らしいな、と思ってしまった。
ハマってはダメだ。そう思えば思うほど、ドンドン柳田に惹かれていく。
多分柳田に父親の影を見ていたのだろう。8歳になる時に事故で亡くなった父。
『お姉ちゃんだから』
2つ下の俊樹のように両親を恋しがって泣かないと決めた。
そして自分の感情を抑える術を身に着けた。
彼の愛し方はほとんどムチだった。自分に合わせるのが当たり前だった。
だからこそ、たまに与えられるアメが甘く、病みつきになる。
「俺は嘘はつかない」
どれだけ振り回されても、その魔法の言葉を信じていた。
いや、信じたかった…。
美香との打ち合わせの後、たまたま入った店で誰かと話している柳田に声をかけられた。
「柳田さん、お久しぶりです。その節はありがとうございます」
柳田と直接会ったのは応接室で仕事を引き受けた時以来だったので3ヶ月前だ。
「会社辞めたんだね」
「そうなんです。今はフリーで働いています」
そうか、と呟いた柳田は千尋にこの後時間があるか尋ねる。
「出版祝いに食事でも行こう」
いつもなら適当な用事を作り早く帰る。だが、その時は誘いに乗った。
柳田がチョイスしたのはイタリアンレストランだった。
懇意にしている店なのだろう、何も言わなくとも奥の個室に案内される。
着いてきた千尋に片眉を上げ皮肉そうに笑った柳田。
「君はこういう誘いに乗らないと聞いているが」
魔が差したとしか言いようがなかった。数回会っただけの男にこんなことを言うと、どうなるか分からない年齢ではなかった。
「家に帰りたくなかったんです」
「ほう」
何故、と目線で問い掛ける柳田に千尋は言った。
「育ててくれた祖母が一月前に亡くなって…1人で祖母と暮らしていた家にいると…」
「そうか。君が会社を辞めたのはそのことが原因か」
「ええ。フレックスや在宅勤務もしていたんですが、それでは追いつかなくなって。…辞めてからすぐ亡くなったので結局孝行出来ないままでした」
少し考えて柳田は千尋に聞いた。
「最期は看取れたのか?」
「ええ、家にいたので倒れたのに気付けました。救急車で病院に行ったのですがそのまま…」
「…幸せな最期だったと思う」
低い声で呟いた柳田の言葉に、涙腺が崩壊した。
祖母の葬式でも泣かなかった。いや、泣けなかった。
頭の片隅が麻痺していて、肉体と精神が切り離されている感覚。
幽体離脱ってこういうことを言うんだろうか、と思ってしまうほど体と心がバラバラに動く。
最初にこの経験をしたのはいつの頃だったか。
そうだ、両親の葬式の時だ。
『ちーちゃんとトシくんを遺して…』
『かわいそうに』
そう言って千尋の前で涙を流す大人を前に、心がドンドンと冷めていく。
ロボットのように動く体を少し離れたところで見つめている自分。
そうして悲しみから一時現実逃避している千尋が泣けるのは、辛い出来事からかなり後のことだった。
祖母が亡くなったことから逃げていた心と体が、柳田の一言で繋がり、やっと涙を流すことが出来た。
柳田は押し殺したように泣く千尋を慰めることもなく、ただ黙って見ていた。
ひとしきり泣いて落ち着いた千尋を自分のマンションに連れて帰った柳田は、手を出さなかった。
後から振り返ると、ここで手を出されていたらこんなにも好きになることはなかった。
一晩中ベッドで手をつないで添い寝をしてくれた。
千尋は久しぶりにぐっすり眠ることができた。
「柳田さん、すみませんでした。家に押しかけて…。彼女とか奥さんに怒られますよね」
「いたら連れ込まないさ」
翌朝、そう言った千尋に皮肉な笑みを浮かべて柳田は言った。
余計なものが何もない部屋。女性の痕跡が一切見当たらなかったことも信じた材料だった。
「もう結婚はする気はない」
「バツイチですか?」
黙って頷いた柳田に千尋からキスをした。
男女の関係になっても柳田は相変わらずだった。
どこか冷めている目で千尋を見下ろす。
唯一柳田の表情が変わるのは千尋の翻訳だけだった。
「言葉選びが秀逸だ。このセンスは誰にも真似できない」
それだけで有頂天になった。
祖母の49日が終わり、千尋は引越した。一人では広すぎる家から身の丈にあったマンションへ。
「一緒に住むか?」
そう言う柳田の誘いを嬉しく思ったが断った。
(一緒に住むと私は翻訳できなくなる)
柳田が惚れているのは千尋の文章だけだと薄々気づいていた。
それでも、柳田と共にいる時間は幸せだった。
一緒に過ごしていると、柳田ほど自分勝手な男はいなかった。
千尋が連絡しても出ないのは当たり前。かと思うと突然訪問してきて、愛を囁く。
他の女性がいるな、と疑わなかったわけではなかった。
基本は千尋の家に泊まらない。夜中の3時くらいに一人で起き出して帰って行く。
「朝まで一緒にいて」
そう頼んだこともあるが、いつもの皮肉な顔で笑い、いつものように出ていった。
そのくせ、千尋が柳田の家に突然行っても泊まっても文句も言わない。
「人の家だったら寝られないだけだ」
好きなだけ泊まったらいいさ、そういう柳田がずるいと思うと同時に、彼らしいな、と思ってしまった。
ハマってはダメだ。そう思えば思うほど、ドンドン柳田に惹かれていく。
多分柳田に父親の影を見ていたのだろう。8歳になる時に事故で亡くなった父。
『お姉ちゃんだから』
2つ下の俊樹のように両親を恋しがって泣かないと決めた。
そして自分の感情を抑える術を身に着けた。
彼の愛し方はほとんどムチだった。自分に合わせるのが当たり前だった。
だからこそ、たまに与えられるアメが甘く、病みつきになる。
「俺は嘘はつかない」
どれだけ振り回されても、その魔法の言葉を信じていた。
いや、信じたかった…。
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