傷ついた心を癒すのは大きな愛

雪本 風香

文字の大きさ
上 下
13 / 61

過去の男1

しおりを挟む
柳田との出会いは、会社の応接室だった。
大学時代、アルバイトをしていた翻訳会社にそのまま就職をした千尋にとっては働きやすいいい会社だった。
育ててくれた祖父を亡くし、大学生活の途中で実家の賃貸マンションで祖母との二人暮らしに戻った千尋にとって、フレックス出勤も在宅勤務も認められていることがありがたかった。
柳田の名前は以前から知っていた。
社長の友人で有名なデザイナー兼装丁家。本屋で何気なく表紙が気に入った本を手に取り、装丁家の名前を見ると、大抵柳田の名前が書いていた。

たまたま柳田が会社に訪ねたときにお茶を出した。
「君はこの会社長いな。ずっと産業翻訳?」
「アルバイトの時からお世話になっていますから。ずっと産業翻訳をしております」
「そうか。出版翻訳に興味はあるか?」
まだ社長は部屋に来ていなかった。どう返事をしたら良いか考えあぐね、何も言わずにお茶を置き、退出した。

一時間後、社長に応接室に呼ばれた。
「産業翻訳しかしたことないらしいな?一度出版翻訳してみないか?」
柳田にそう声をかけられ、一冊の詩集を差し出された。
「先程社長と話をして、個人として仕事を受けてならいいとのことだ。プライベートの時間に訳すことになるし、大して金にはならんが、興味あるなら一度出版社の方へ推薦はしておく」
社長も口添えをする。
「村上が興味あるならやってみたらどうだ?仕事の幅は広がるぞ」
返事は躊躇わなかった。
「ありがとうございます。ぜひさせてください」

プライベートの時間を削って仕上げた翻訳を柳田から教えて貰った担当へ連絡をして原稿を預けた。
「確かにお預かりしました。またご連絡しますね」
山崎 美香やまさき みかとは、その時の担当だった。
後日、美香から電話がかかってきた。
「村上さん!柳田さんが装丁してくれるそうです!」
弾んだ声でそう伝える美香に千尋はピンときていない様子だった。
「柳田さんレベルになると、今回のような部数が少ない本の装丁は予算が足りなくて依頼できないんです。今回は知り合いだからこちらの言い値でしてくれるそうですよ」
良かったですね、という言葉と共に美香からの電話は切れた。


貰っていた名刺の連絡先に電話したのは、ただ純粋にお礼が言いたかったからだ。
『はい』
7回コールしても出ないので切ろうと思った時に繋がる電話。
「村上千尋です。柳田さんの携帯でしょうか?」
『そうだ。なんだね』
「先程出版社の山崎さんから話を聞きました。あの詩集の訳書の装丁をしていただき、ありがとうございます」
そんなこと、と低く笑う。
『あの訳書を見ていると相応しいデザインをしたくなっただけだ。
俺の見込んだ通りだ。お前は独特のセンスがある』
たまには出版翻訳もやれよ。
それだけ言い、唐突に電話が切れた。

それきり柳田と会うことはなかった。
美香から出来上がった見本を見たときにあまりにも出来映えに思わず声があがった。
「素敵…」
柳田の装丁の美しさに身震いした。そして、自分の実力が足りていないことも自覚した。
この本に見合うだけの翻訳が出来ていない。黙り込んだ千尋を美香は良い方に解釈した。
「ですよね!私も見本が届いた時に驚きました」
重版目指して頑張って売りますね!という美香の言葉通りにはいかなかったが、詩集としてはそこそこの売上だった。

それでも、柳田が装丁をした本というので業界では注目をされていたようだ。
女だから体で取った仕事だろう、という話はどこからともなく聞こえてきた。
「気にするなよ」
社長にそう声をかけられたが、悔しかった。
自分の実力が見合わないことも、それに伴って云われない噂を立てられることも。
(もっと実力をあげたい)

そう思っている時に祖母の具合が悪くなった。
会社と何回か話す中で、雇用形態を業務委託に切り替えることにした。
少しだけだが、千尋を指名してくる出版翻訳の仕事もしてみたかった。
多くの社員が業務委託で働いていたことで話はすんなり進んだ。
「まぁ仕事の中身は変わらんが、やればやるほど返ってくる。だが、おばあさんのこともあるし無理はするなよ。村上は無理しがちだからな」
社長はそう言って送り出してくれた。

会社にも少なからず苦情が来ていたのは知っていた。
それでも千尋に一切何も言わずに支えてくれた社長と会社。
恩返しの意味も込めて業務委託になってからますます仕事に励んだ。
千尋にはフリーランスの方が向いていたようだった。
元の会社から回ってくる仕事だけでなく、美香から来る仕事も余力があれば受けていた。
「千尋さん!助かります」
何回か仕事をする内に呼び名も千尋さん、美香ちゃんになる程、懇意にしていた。
少しずつ自分のペースで仕事が出来るようになった頃、柳田と再会した。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

処理中です...