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第五章「氷に閉ざされし試練」

追憶の世界

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クリソベイアが陥落しただと? それに、お前は……。

何! お前があのジョルディスの……

……お前も親や故郷を失った故、色々苦労しただろう。このサレスティル王国は、元々行き場を失った者が多く移り住んだ国でもある。お前はこれから我が国を守る騎士として生きるが良い。我が娘、シラリネを守る騎士としてな。


ヴェルラウドは頭痛を堪えながらも、再び記憶を辿る。クリソベイアが滅ぼされ、守るべき姫を目の前で失い、更に父を失い、何もかもを失った末に辿り着いたサレスティル王国。女王に迎えられ、王女であるシラリネを守る役割を与えられた事までは覚えている。そして、シラリネとの出会い。シラリネとの初対面の時には、こんな会話を繰り返した事も記憶に残っている。
「あなたが騎士様?」
「はい。ヴェルラウド・ゼノ・ミラディルスと申します」
「まあ、ちょっと覚えにくそうだけど素敵な名前ね。私はサレスティル王女のシラリネ。よろしくね」
「姫様、ご安心を。このヴェルラウド、命に代えてでもあなたをお守りいたします」
「もう、騎士様ったら堅苦しいわよ。私は王女だからって偉いとは思ってないしそんなに偉くもないから、畏まらなくてもいいのよ」
「ふむ……では、改めてよろしく頼むよ。姫。俺の事は騎士様じゃなくてヴェルラウドと呼んでくれ」
「そうそう、それでいいのよ! こちらこそよろしくね、ヴェルラウド!」
余所者である自分を受け入れてくれた少女らしさのある優しい笑顔を前にした時、二度も守るべき者を失いたくない思いから騎士として彼女を守る事を心に誓った事も覚えている。だが、それ以外の記憶も存在していたような錯覚があり、思い出そうとしても何故かはっきりと思い出せない。まるで不要な記憶が取り除かれているかのような、今いる場所が何か違うような、そしてこれから何か悪い事が起きるような、妙な違和感を感じている状態であった。心に深い靄を抱えながらも、城の廊下を歩くヴェルラウドは槍を手にした鎧の戦士と遭遇する。
「来たか。特訓は地下の訓練所で行う」
鎧の戦士は、バランガであった。
「ちょっと待ってくれ」
バランガが訓練所へ向かおうとした時、ヴェルラウドが不意に声を掛ける。
「どうした」
ヴェルラウドは収まらない心の靄を晴らそうとバランガに何か聞き出そうとしたが、どう聞いていいか解らなかった。
「あ、いや……すまん、何でもない。えっと、地下の訓練所だったな。すぐ行くよ」
「……何だ? つまらん事を言う暇があらば早く来い」
一瞬首を傾げるバランガだが、再び足を動かす。ヴェルラウドは何とも言えない気分のまま、バランガに付いて行く形で訓練所へ続く地下階段に向かって行った。地下の訓練所は、汗の臭いと湿気に満ちていた。訓練所での特訓は、バランガとの実戦訓練であった。槍を構えるバランガを前に、ヴェルラウドはそっと剣を抜く。
「ヴェルラウド、貴様の実力を見せてみろ。貴様が本当に姫を守る戦士に相応しいか確かめたいものでな」
有無を言わさず攻撃を仕掛けて来るバランガ。心の靄が晴れないヴェルラウドは戸惑いつつもその攻撃を剣で受け止め、距離を開けては反撃に転じる。だがその攻撃にキレがなく、逆にバランガの連続突きを受け続けた。
「……これは……」
バランガの攻撃を受けた時、ヴェルラウドは今の出来事に既視感を覚え始める。以前にもこんな出来事があった気がする。以前というか、既に経験している出来事であるかのような錯覚に襲われている。だが、それが何故なのかよく解らない。どうしてこんな錯覚になっているんだ。俺は一体どうしたというんだ。必死で自分に言い聞かせながらも、バランガの攻撃を剣で凌ぎ続けるヴェルラウド。
「……貴様、なめているのか? 本当に姫様を守る気があるのか?」
様々な考えが止まらないせいで全力で戦えないヴェルラウドに対し、バランガは次第に苛立ちを覚える。
「くっ……うおおおおお!」
ヴェルラウドは迷いを振り払うように声を上げ、バランガの攻撃を受けながらも剣を振る。激しい攻防が繰り返され、ヴェルラウドがバランガの懐に飛び掛かった瞬間、頭に痛みが走り出す。次の瞬間、頭の中に一つの出来事が浮かび上がる。その出来事は、氷の力を駆使しながらも自分を殺そうとしているバランガの姿であった。だがその出来事はすぐに頭から消え、気が付くと剣を落としていた。
「ふざけるな!」
バランガはヴェルラウドの腹に蹴りを入れる。呻き声をあげ、思わずその場に蹲るヴェルラウド。
「笑わせる。栄誉あるクリソベイアの騎士団長ジョルディスの子がまさかこんなザマだったとは失望したぞ」
見下ろしながら言い放つと、バランガはヴェルラウドの胸倉を掴み、拳を叩き付ける。
「貴様のような愚か者が俺に代わる姫様の護衛になるとは片腹痛い。その腑抜けた根性を叩き直してくれる」
更にヴェルラウドを殴るバランガ。ヴェルラウドが来る前はシラリネの護衛を任された戦士であり、生粋の真面目かつ厳格な性格故に王女の護衛はいかに女王の命令であっても生半可な実力を持つ者が務めるものではないと考えており、自分に代わる護衛となる者が腑抜けた姿を見せる事は非常に許し難いものであった。
「やめて、バランガ!」
シラリネが駆けつける。
「姫様!」
「どうしてこんな事をするの! ヴェルラウドは……」
口から血を流して蹲るヴェルラウドを庇うようにシラリネが言うと、バランガは冷静に事情を説明する。
「だからといってここまでする事ないでしょ! それに、ヴェルラウドはお母様から……」
「姫様。私に代わる貴方様の護衛を務めるには、この私自身を打ち負かす程の実力の持ち主でなくてはなりません。この男は一体何を考えているのか、私と本気で戦おうとしなかった。このような腑抜けた輩に貴方様の護衛を任せるには信用ならぬのです」
「違うわ! きっと何か事情があるのよ! そうに違いないわ! そうでしょ? ヴェルラウド!」
涙声で言うシラリネだが、ヴェルラウドはどう言うべきかわからず、答えられなかった。
「後程女王様にお伝えしておきます。姫様もどうか考えを改めて下さい」
バランガは冷徹に振る舞いながらも去って行く。
「大丈夫? ヴェルラウド」
「……ああ」
返事をするものの、ヴェルラウドは半ば放心状態になっていた。
「バランガの事は気にしないで。あの人は昔から厳格で真面目過ぎて融通が利かないところがあるけど……決して悪い人じゃないと思うわ」
シラリネが顔を寄せながら言うと、ヴェルラウドは再び頭痛に襲われる。そして頭の中にある出来事が浮かんでくる。クリソベイアにいた頃の出来事――リセリアが魔物との戦いで傷ついた自分を介抱していた時であった。


ヴェルラウド、気が付いたのね?

ハッ、申し訳ありません。私とあろう者が、このようなブザマな姿を見せてしまいまして……。

まあ……そんな事ないわ。あなたが無事だっただけでも幸いよ。あなたの事、とても心配したんだから。

姫様……。

ヴェルラウド……私、何だか最近ずっとあなたの事を考えてる。何ていうか、あなたがいてくれるだけで元気が出るというか。

な、なんと……俺、いえ。私なんかで……?

……。


慈悲深い言葉と共に、甘い口付けを授けたリセリアとの出来事。この時の自分の感情は、言葉では言い表せない高鳴りを感じていた。そして、忘れられない感触と温度があった。だが、その出来事は一瞬で血塗られたものに切り替わってしまう。
「ヴェルラウド……?」
シラリネの言葉で我に返ったヴェルラウドは自分が今置かれている現状を把握しようとする。
「うっ……姫様……いや、シラリネ……」
「姫様?」
ヴェルラウドの口から出た姫様という言葉に一瞬驚くシラリネ。
「あ、いや。ちょっと休みたい。うまく言えないんだが、何だかずっと調子が悪いんだ」
今は一人で自分の置かれている状況を整理をしたいと考えたヴェルラウドはその場から逃れようとする。シラリネはヴェルラウドの様子を見て何処か不信感を覚えるようになる。
「……ヴェルラウド。あなたが今何を思ってるのか解らないけど……私、あなたに言われた事は本当に嬉しかったんだから。ただの堅物のバランガよりも、あなたの方がずっと安心できるような気がするから……」
シラリネはヴェルラウドにそっと口付けをする。それは半ば強引に唇を奪うようなキスであり、次第に濃厚なものとなっていく。突然のシラリネのキスにただ戸惑うばかりのヴェルラウドは動く事も出来ず、成すがままにされていた。唇が離れると、シラリネの吐息がヴェルラウドの顔を擽る。鼓動が高鳴る中、ヴェルラウドは言葉を失っていた。シラリネは僅かに涙を浮かべながらも、無言でその場を後にする。シラリネが去ると、ヴェルラウドの脳裏にある出来事が浮かび始める。


どうしてそう思うの? 呼び寄せた悪魔って何? あなたが何者であろうと、そんな事関係ないわ。あなたは、私達をずっと守ろうとしているじゃない。

あなたがこの国に来て間もない頃、こう言ったじゃない。命に代えてでもお守りするって。私、すごく嬉しかったんだから。


それは、記憶に無いはずのシラリネの言葉であった。そして、自分の頭を抱きながらも唇を重ね合わせるキス。それらの出来事は突然自分の記憶として現れるようになった。何故だ。何故こんな出来事が浮かんでくる? いつの出来事だ? しかも何故かそれを知っている。本当に、俺は一体どうなったというんだ? 俺は……俺は……。

ヴェルラウドは頭を抑えながらも、自室に向かって行く。自室に入り、ぼんやりと部屋の中を見つめていると、部屋の奥に黄色に輝く宝石が埋め込まれたブローチが置かれているのを見つける。
「何だこれは……?」
ふとブローチの事が気になり始めたヴェルラウドは手に取ってみる。その瞬間、ヴェルラウドは激しい頭痛に襲われる。
「うっ……ぐあああ! あっ……!」
これまで起きた頭痛の中では一番の痛みであり、頭が割れそうだと感じる程であった。激しい痛みの中、頭に浮かび上がるのは、黄色い服を着た金髪の少女。


……帰ってきてよね! 絶対に……


――誰だ。誰だか解らない。突然頭に浮かんできた女の子は一体誰なんだ。過去を辿っても、会った記憶がない。それなのに、頭の中に浮かんできたという事は、もしかしたら何処かで会った事があるのかもしれない。だが、はっきりと思い出せない。けど、何故か知っている。まさか、このブローチが……。
「ヴェルラウド!」
謎の記憶の答えを探ろうとした時、シラリネが部屋に入って来る。シラリネは止まらない頭痛に苦しんでいるヴェルラウドの姿と、手にしているブローチを見て驚きの表情を浮かべる。
「ねえヴェルラウド……そのブローチは一体何なの? まさかそのブローチに何かが……」
不可解なヴェルラウドの様子と相まって不安を覚えたシラリネは、思わずブローチを取り上げようとする。だが、ヴェルラウドは不意にその手を払い除けてしまう。
「ヴェルラウド、そのブローチを渡しなさい!」
「ダメだ。こいつは……渡せない。何故だか知らないが、渡してはいけない気がするんだ……うっ、おああぁっ!」
更に頭の痛みが増し、その場に崩れ落ちるヴェルラウド。次の瞬間、ヴェルラウドの脳裏にある光景が浮かび上がる。その光景は、自身の左胸を剣で突き刺し、大量の血を吐いて倒れるシラリネの姿であった。
「う、ぐっ……あああああああ!」
ヴェルラウドはブローチを無理矢理奪おうと近付いてくるシラリネを突き飛ばし、部屋から飛び出して行く。
「ヴェルラウド! 待ちなさい! ヴェルラウド!」
シラリネはヴェルラウドの後を追うが、ヴェルラウドの姿は既に消えていた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……うっ、ううっ……」
城から出て人通りの少ない場所まで全速力で走るヴェルラウドだが、頭痛のせいで思うように走る事が出来ず、力尽きてその場で頽れてしまう。手に持っていたブローチが地面に転がり落ちた時、ヴェルラウドの頭にある少女の声が浮かび上がる。


……馬鹿よ、あんた。一人で悩んで自分を責めないでよ……あんたには、守れなかった人達の為にも果たすべき使命があるんじゃないの?

あの時言ったじゃない。あたしでよかったらいくらでも協力するって。あんたは……もう一人じゃないんだから……。


「……スフレ!」
ヴェルラウドはブローチを握り締めると、不意に声を感じ取る。そしてその声が、はっきりと聞こえて来る。



ねえ、ヴェルラウド……あの時、約束したよね? これから何があっても、もう自分を責めたり過去に囚われたりしないって。あんたは決して一人じゃないから。

あたしはそんなあんたをずっと助けて行きたい。ずっと守ってあげたい。それがあたしの使命だから。

あたしはいつだって待ってる。あんたの事、ずっと信じてるから。

だから、帰ってきて。ヴェルラウド……。



その声を聞いた瞬間、ヴェルラウドの全ての記憶が蘇っていく。そして悟る。この場所は偽りの世界である事を。神の試練に挑む中、記憶の一部を消され、自分の過去の記憶を元に作られた偽りの世界に飛ばされたという事を。


……そうだ、此処は本当のサレスティルではない。俺の心に存在していた何かを利用した試練なんだ。俺を試す為のな。


ヴェルラウドはスフレのブローチを握り締めながら立ち上がると、シラリネがその場に現れる。
「ヴェルラウド、此処にいたのね」
シラリネが抑揚のない声で言う。
「……もう茶番はよせ。あんたは俺が知っているシラリネじゃない。本当のシラリネは死んだんだからな」
「何を言ってるのよ? やっぱりあのブローチのせいでおかしくなってしまったんじゃない? お願いだからブローチを渡して!」
ヴェルラウドは無言で剣を抜く。
「な、何をするつもり?」
「……今から教えるよ。このブローチは、俺の仲間がお守りという事で貸してくれたものだ。今まで俺の挙動がおかしかったのも、記憶をなくしていたからだった。だが、今全ての記憶が戻った。そして今解ったんだ。あんたと、この世界は全部俺を試す為に作られた存在だという事がな」
「ねえ、何なのよ? 一体何の話をしているの?」
ヴェルラウドは上着の内ポケットから、ルベライトのペンダントを取り出す。そう、シラリネから貰ったペンダントであった。
「……仮に過去に戻っていたという事だとしたら、このペンダントは存在していなかったと思う。あくまで推測だがな。もうこんなまやかしに付き合うのも沢山だ。何を試すつもりなのかは知らんが、終わりにしてやる」
「ヴェルラウド! お願い、目を覚まして! ヴェルラウド!」
悲痛な声を上げるシラリネに一瞬心を奪われそうになるヴェルラウドだが、すぐに心を無にして目を閉じ、剣を両手で構える。
「っ……あああああああああああ!」
無心で剣を振り下ろした瞬間、シラリネの身体は深々と切り裂かれていた。迸る鮮血の中、ヴェルラウドは思わず目を背ける。血に塗れたシラリネの口からゴボリと血の塊が吐き出され、涙が溢れ出る。
「……ヴェル……ラウ……ド……」
血を撒き散らしながらもシラリネが倒れた瞬間、ヴェルラウドは剣を地に落とし、身震いさせる。
「うっ……あぁ……ああぁぁぁぁああああ! うあああああああああぁぁぁぁ!」
喉が潰れる程の叫び声を轟かせると、景色が歪み始め、空間に罅割れが生じ、硝子が叩き割られるように砕けて行く。ヴェルラウドは意識が吸い込まれていく感覚に襲われ、気を失った。

再び目を覚ますとそこは、自分以外何も存在しない暗闇の世界だった。ヴェルラウドは少々ふらつきながらも立ち上がり、いつ何が起きても立ち向かえるよう剣を構える。


――汝の心が生んだ偽りの世界を自らの手で砕いたか、試練に挑みし者よ。


響き渡るように聞こえる重々しい声。
「……やはりお前の仕業だったのか。お前は一体何なんだ! さっきから何の為にこんな胸くそ悪い事をさせやがる! 俺の何を試すつもりなんだ!」
感情的に声を張り上げるヴェルラウド。


――汝が見たものは、己の心に巣食う、己自身が生み出した闇の姿。

汝が挑んだ見えざる敵――それは、己の心に潜む様々な闇が生んだ仮想の敵。
汝が歩んだ暗闇の迷宮――それは、己の拭い切れぬ負の感情が生んだ無限の迷宮。
汝が見た追憶の映像――それは、己の心に大きな影を落とした忌まわしき記憶が呼び起こした映像。
そして汝が訪れたかの地――それは、己の罪の意識と汝を愛する者の想いが生んだ偽りの世界。

今こそ汝に問う。全ての闇を見て、全ての闇を乗り越えて何を見つけた? 汝が見出した答えは何か?


「ぐあっ……!」
ヴェルラウドは全身が縛られる感覚に襲われ、身動きが出来なくなる。


――答えよ、試練に挑みし者よ。全ての闇を乗り越えて見出せた真の心を示さぬ者は、この場で朽ち果てるのみ。真の心を我に示すのだ。


「真の……心、だと……?」
身動きが出来ない中、ヴェルラウドは声を聴きつつもこれまでの出来事と過去を振り返る。


真っ白の空間で戦った見えない敵から始まり、暗闇の空間を歩き、過去の映像を見せられ、一部の記憶を失った状態で訪れていた偽物のサレスティルでの出来事――それが俺の中に潜む闇? ……つまり、今までの出来事は俺自身の闇と戦い続けていたという事か?

確かに、俺はあの忌まわしい出来事から自責と後悔に打ちのめされ、心の中でずっと自分と戦い続けていた。何と戦っているのか自分でも解らなくなる程に。それがあの見えない敵だとしたら……。いや、あれだけではなく無限に広がる暗闇の世界も、俺がずっと抱えていた闇が生んだという事を意味しているのだろう。そしてあの過去の映像と、偽物のサレスティルで出会ったシラリネは――。

クリソベイアが滅ぼされる前、俺はクリソベイアの騎士としてリセリア姫を守ると心から誓った。だが、俺の力が足りなかったせいで目の前で守るべき者を失ってしまった。その後、サレスティルに流れ着き、王女であるシラリネを守る事にしたのは、姫を守れなかった自分の無力さによる罪の意識が軽くなるかもしれないという気持ちがあったからだ。

シラリネからの吐息が混じった深い口付けの感覚が、今でも忘れられない。あの時の口付けの意味は、俺に対する特別な想いを意味しているのだろう。だが俺には、その想いに応える事が出来ない。あくまで護衛という任務を受けた王国の騎士として守る為であって、決してリセリア姫の代わりというわけではない、という気持ちがあったからだ。それに俺は、決して普通の人間ではない。現に俺のせいで国が滅びてしまった。あの悲劇を繰り返さないよう、守るべき姫に対して特別な感情は持ってはいけないものだと悟っていたのだ。シラリネの想いに応える事が出来ないという事に対する罪悪感が、俺の中に生まれていたのだろう。

そして今では――。


ヴェルラウドは全ての出来事を整理しつつ、身動きが出来ないまま目を見開き、ゆっくりと口を開いた。

「……お前が何者なのか知らんが、俺が心の中で抱えている事を全て打ち明けてやる。俺は今……守るべき者、いや。守りたいものを全て守りたい。お前の言う闇とやらは、全て俺の中に存在するモノだったんだろ? それを嫌という程見せられたおかげで、自分でも気付いていない感情や想いを知った気がするんだ。もう過去に囚われたくない。振り返りたくもない。だが、過去はあえて封印しない。過去を封印すると、俺が守ろうとしていた者達の想いを封印する事になってしまうからだ。俺は、ずっと前に進みたい。俺に出来る事なら何でもする。そしてこの命に代えてでも、守りたいものを守りたい。これは騎士としての使命ではなく、俺自身の意思によるものだ!」

全ての想いを打ち明けると、ヴェルラウドは全身が熱くなるのを感じる。


――汝の真の心、とくと受け止めたぞ。

心を爛れさせた忌まわしき闇の記憶をあえて封印せず、そして振り返らず、守りたいものを守るという己の行く道を進むという意思――それが真の心と証明するのであらば、神が造りし剣の力を扱う事を許そう。

だが、汝は剣を使う資格を得たに過ぎぬ。己の力量を見つめ直し、剣を使いこなす力量、そして心を手に入れよ。汝の真の試練は、これからなのだ。とくと覚えておくがいい。


まるで全身が焼かれるような感覚に襲われながらも、ヴェルラウドは意識を失った。


その頃スフレは、単身でリランの元を訪れていた。試練に挑んでから数日経過しても戻らないヴェルラウドが気掛かりなのだ。
「ねえ、ヴェルラウドはいつ戻って来るの? あたしがこれだけお祈りしてるっていうのに、帰って来ないなんて絶対に許さないわよ!」
掴み掛るようにスフレが言う。
「スフレ、落ち着くんだ。私も彼がどうなるかは予測出来ぬ。ただ彼の無事を祈るしかない。それしか言えぬ」
「リラン様! あなたも何かお祈りくらいしてよ! ヴェルラウドはあたしにとって……」
思わずリランの眼前で怒鳴るように言うスフレだが、途中で顔を赤らめて言いあぐねてしまう。
「……ごめんなさい。何でもないわ」
リランはスフレの素振りを見て何かを察すると同時に、冷静に咳払いをする。
「君にとって彼が大切な存在ならば、彼が帰って来る事を信じるべきだろう? 君が信じなくてどうするんだ」
スフレはリランの一言を聞いてハッと我に返る。
「……そ、そうよ。お祈りした時も帰って来る事を信じてるって言ったのに何やってんだろあたし。ヴェルラウドだって頑張ってるのよ!」
リランは無言で頷く。
「ヴェルラウド……あたしはずっと待ってるよ。あなたが帰って来る事を……!」
スフレは祈る気持ちでヴェルラウドの帰還を願い続けた。


翌日、リランの元にデナが駆けつける。
「リラン様! 氷鏡の迷宮に来て下さいまし!」
デナの一言にリランは目を見開かせる。
「何事だ! ハッ、もしや……! デナよ、スフレ達を呼んでまいれ!」
「畏まりましたわ」
リランは即座に氷鏡の迷宮へ向かう。遅れてスフレとオディアン、そしてデナがやって来る。氷鏡の迷宮の入り口前には、ヴェルラウドが倒れていた。
「ヴェルラウド!」
リランとスフレが倒れているヴェルラウドの元に駆け寄ると、リランは即座にヴェルラウドの様子を確かめる。
「大丈夫だ、息はある。今すぐ客室に運ぶんだ」
スフレとオディアンはヴェルラウドを客室に運び、ベッドに寝かせる。
「ヴェルラウド……死んだわけじゃないよね? 帰って来れたのよね……?」
スフレはベッドで眠るヴェルラウドの手を強く握った。その手は冷えているものの、微かな温もりがある。
「あたしは何があっても、絶対に死なせないよ。だって、あたしはあなたの事が……」
眠るヴェルラウドの顔に一滴の雫が零れ落ちる。それは、スフレの涙であった。


気が付くとそこは、靄が立ち込める空間の中だった。夢なのか、それとも生と死の狭間の世界なのか解らない。そんな空間を、ヴェルラウドは歩いていた。


ヴェルラウド……ヴェルラウドよ……。


何処かで名前を呼ぶ声が聞こえる。懐かしい響きの声。次の瞬間、懐かしい姿が視界に飛び込んで来る。その姿は、父であるジョルディスだった。
「父さん……?」
「ヴェルラウドよ。成長したな。あの惨劇から、俺はずっとお前の事を見守っていた。そしてお前は、俺を越えたのだな。言わずとも解る」
「俺が……父さんを越えた……?」
「お前はあれから多くの苦難を乗り越え、我が命を捨てる覚悟で我々ですら踏み入れた事のない未知の試練に挑み、そして打ち勝った。お前にはエリーゼが遺した神の遺産がある。今こそ赤雷の騎士として巨大な闇に立ち向かうんだ」
ヴェルラウドは驚愕する。ジョルディスの隣に、母であるエリーゼの姿が現れたのだ。
「あなたが……母さん……?」
「ヴェルラウド。お前がヴェルラウドなのだな。私がお前の母、エリーゼだ。まさかこんなに逞しい姿に成長していたとはな……」
エリーゼはそっとヴェルラウドの傍に寄る。
「ヴェルラウドよ。お前に辛い運命を与えてしまった事や、母親らしい事をしてやれなかった私を許してくれ。私が赤雷の騎士たる者でなければ、普通の母親としてお前に沢山の愛情を注げたはず……」
「……いいんだ、母さん。あなたが遺した物は、俺にとって誇りでもある。それに、こういう形で母さんと会う事が出来るだけでも嬉しいんだ。俺にとって……父さんと母さんは誇りだ。だから、俺は戦う。赤雷の騎士として」
決意を固めたヴェルラウドの眼差しを見たジョルディスとエリーゼは穏やかな表情を浮かべる。そしてその姿は次第に薄れて行く。


もっとお前と過ごしたかったけど、残念ながらそうはいかないようだ。
だが、嬉しかったぞ。大きく成長したお前に会えたのだから……。

さようなら、ヴェルラウド。我々はいつでもお前を見守っている。

お前は、我々の誇りだから――。


目を覚ました時、そこは神殿の客室のベッドだった。誰もいない暗い部屋の中、起き上がってはそっとベッドから出る。ああ、俺は無事で帰って来れたのか……。だが、何故こんなところで目を覚ましたんだ? そんな事を考えながらもヴェルラウドが部屋から出ると、スフレとオディアンがいた。
「ヴェルラウド!」
「……よう。何とか……帰ったぜ」
ヴェルラウドの登場に、スフレは驚きと同時に目を潤ませる。
「ヴェルラウド……ヴェルラウド!」
スフレが勢いよくヴェルラウドに抱きつく。
「お、おい。こんなところでやめろっての」
ぶっきらぼうに振る舞うヴェルラウドだが、スフレはヴェルラウドに抱きついたまますすり泣き始める。
「えうっ……だって……あたし……あんたの事、ずっと心配してたんだからっ……ぐすっ……もう、バカァッ! うっ……うえぇぇぇん!」
スフレは感極まって号泣してしまう。ヴェルラウドはやれやれと呟きながらもスフレをそっと抱きしめた。オディアンはそんな二人を見て表情を綻ばせる。
「ヴェルラウドよ、見事に試練を乗り越えたのだな。我々は疎か、リラン様も危惧されていたが、無事で何よりだ」
「ああ、心配かけて済まなかった。まだ実感はないんだが、上手くいったみたいだ」
ヴェルラウドはスフレ、オディアンと共にリランのいる祭壇の間へ向かって行った。

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