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第五章「氷に閉ざされし試練」
犠牲と葛藤
しおりを挟むまあ、ベリルったら今日も研究ですの? たまには息抜きしたらどうですの?
この研究は思った以上に大事な結果が出そうなのよ。だからもっと研究を重ねる必要があるわ。
そう……勉強熱心ですのね。
ハハハ、ベリルは有能な研究者だからな。僕達も負けてられないよ。
ふん、パワーだったら絶対に負けない自信がありますわよ。
リランの直属の部下に仕える身であり、優秀な研究者であったマナドール族のベリルは、イロクやデナとは仲が良い間柄であった。時には研究の手伝いをしたり、ベリルの研究を参考にした戦術を会得したりと様々な面で共に過ごしていた。だが、ベリルは今、魔公女モアゲートによってベリウルと名を改めた荒れ狂う鉱石魔獣に変えられている。その姿には最早ベリルの面影はなく、理性も失われている。イロクとデナは友人である存在と戦う事に苦痛を感じていた。
「くそ……ベリル……!」
ベリウルの咆哮と共に放たれた衝撃波に吹っ飛ばされたイロクはよろけながらも立ち上がると、両手に剣を持ったオディアンが突撃し、大きく飛び掛かる。
「空襲裂覇斬!」
その一撃はベリウルの身体に大きな傷を刻み、ダメージを受けたベリウルは暴走するように大暴れする。鋭い爪の一閃がオディアンの右腕を引き裂き、更に牙がオディアンの左肩を捉える。
「うぐああっ!」
牙は鎧の肩部分を噛み砕き、左肩に深く食い込んでいた。激痛に襲われ、膝を付くオディアン。唸り声を上げるベリウルにデナの回し蹴りが叩き込まれる。
「全く、世話が焼けますわね」
負傷したオディアンにデナが棘のある言葉を投げつける。
「済まないな。私とした事が」
「お詫びは後になさい。デクの棒、こいつに手加減なんていりませんわよ」
気丈に言い放つデナだが、その表情はどこか悲しげであった。見かねたリランがオディアンの元に駆け寄り、回復魔法を掛ける。負傷から回復したオディアンは立ち上がり、剣を手に再びベリウルに挑む。
「イロク。デクの棒を援護しますわよ」
デナが鋭い目つきで言う。イロクはふとリランの方に視線を向けると、リランは無言で何かを伝えようとしている。その目からは、魔物となったベリルを倒してくれという想いが感じられる。イロクは意を決して、再びデナに顔を向ける。
「……よし、やるぞ。デナ、しくじるなよ」
「それはこちらの台詞ですわ」
イロクとデナが同時に飛び掛かる。イロクは氷の魔力を高め、作り上げた巨大な氷の岩をベリウルに向けて投げつける。その一撃にベリウルが怯んだ瞬間、デナが空中からの鋭い蹴りを連続で叩き込む。
「奥義――閃翔連覇!」
懐に飛び掛かったオディアンの高速による連続斬りが次々と決まっていく。猛攻を受けたベリウルは大ダメージを受け、耳障りな咆哮を上げながらも勢いよく両手を地面に叩き付ける。その瞬間、周囲に衝撃波が巻き起こり、その衝撃で後方に転倒するオディアン達。ベリウルは苦痛の叫び声を轟かせていた。
一方スフレは、猛毒に苦しみながらもモアゲートに食って掛かるものの、まともに戦う事すらもままならない状況であった。止まらない寒気と全身に響き渡るような痛みで、視界も霞んでいた。
「ぐっ……このままではやられる! せめてこの毒を……毒を何とかしないと……!」
スフレは体内の毒を浄化させようとするが、水の魔力を利用した回復魔法で毒を浄化させる魔法の類は存在しておらず、唯一使える回復魔法ヒールレインで一か八かの賭けに出るしか他になかった。だが、モアゲートは容赦ない攻撃を繰り出していく。
「死ね……ダークネスショット」
魔力によって作り出された闇のオーラを纏う球体の攻撃であった。球体はグルグルと旋回しながらもスフレを嬲るように痛め付けていく。攻撃を受け続けるスフレに追い打ちを掛けるように、黒い稲妻が襲い掛かる。ヘルズサンダーであった。
「ふん、汚らわしい下等生物のゴミが。そのザマではこれ以上手を下す間もない。苦しみながら野垂れ死にするがいいわ」
モアゲートは倒れたスフレを見下ろしつつ、悪態を付きながらもその場から離れていく。
「……もう、動けない……けど……あんな奴の好きにはさせない……あんな奴なんかに……!」
身体を蝕む猛毒と数々の攻撃によって受けたダメージによって生命力が尽きる寸前にまで達していたスフレは、薄らいでいく意識を奮い起こしながらも残る力を振り絞って魔法を唱えようとする。
「あたしの中の魔力よ……動いて! あたしは、まだ倒れるわけにはいかないのよ!」
スフレは老体に鞭を打つように意識を集中させ、心の中で叫び続ける。それに応えるように、スフレの中に宿る魔力が全身を包むオーラとなって現れ始めた。
モアゲートは、ベリウルとの死闘を繰り広げているオディアン、イロク、デナの姿を見届けていた。狂ったように暴れるベリウルの身体は数々の攻撃によってボロボロになっていたが、それでも倒れずに動いていた。
「へえ……マナドールをベースとした鉱石魔獣があれ程のものになるなんてねぇ。やはり最高の素材だったわけね」
薄ら笑みを浮かべながらも、モアゲートはイロクとデナに注目し始める。
「特にあの二人ならもっと凄いものを生み出せそうだわ。ベリウルとは比べ物にならない程の強力な兵器が……ククク、ますます面白くなってきたわ!」
苦しんでいる聖都内のマナドール達の姿を見回しながらも、モアゲートは足を動かし始める。
「待ちなさいよ」
突然の背後からの声に立ち止まるモアゲート。声の主は、杖で身体を支えているスフレであった。スフレは顔色を悪くしながらも口に溜まっていたものを吐き捨て、ハァハァと息を荒げながらも口元を拭い、モアゲートに鋭い目を向ける。
「あんた、まだ立ち上がれる力が残っていたの?」
「毒を少しでも軽くしようと、胃の中のものを全部吐き出して回復魔法を掛けたのよ。雀の涙程度の効果だったけどね」
スフレは体内の毒素を少しでも軽くしようと自ら嘔吐し、ヒールレインによる回復を試みたものの毒への効果には至らず、回復魔法による自身の生命力の促進で動けるだけの体力を確保していたのだ。
「クックックッ、何かと思えば悪足掻きをするつもりでノコノコとやって来たのか。全く、何処までも笑わせてくれる」
嘲笑うモアゲートを前に、スフレはよろめく身体を支えながらも、密かに意識を集中させる。
「そこまで死に急ぎたいならば、二度と起き上がれないように息の根を止めてやるわ」
モアゲートは杖から黒い雷光の玉を出現させる。スフレは動じずに意識を集中していた。
「ブラックボルト!」
黒い雷光の玉がスフレに襲い掛かる。
「……はああっ!」
スフレが魔力を解放させると、黄金に輝くオーラがスフレの身体を覆い始める。次の瞬間、黒い雷光の玉はスフレに直撃した。ニヤリと笑うモアゲートだが、スフレは全身を焦がしながらその場に立っていた。
「……アーソンブレイズ!」
スフレが杖を地面に突き立てると、モアゲートの足元に巨大な火柱が巻き起こる。
「おおおおおおおッ!」
火柱に巻き込まれたモアゲートが叫び声を上げた時、スフレは杖を拾い上げ、モアゲートに向けて投げつける。
「我が炎の血肉よ……今こそ魔を砕け……サーマルドバースト!」
巨大な火柱状に燃え上がる形で巻き起こる爆発。スフレの杖の先端部分に込められた全ての炎の魔力と自身の血が術者の持つ魂の力と共鳴し、破壊の力が秘められた爆発を起こす炎の上級魔法であった。
「ギャアアアアアア!」
モアゲートの絶叫が響き渡る中、スフレは四つん這いで苦しげに呼吸をしながらも、何とか立ち上がろうとする。爆発による煙が消えた時、体中に炎を残したまま倒れたモアゲートの姿があった。傍らに杖が転がっている。
「何とか、うまくいったみたいね……。もう戦う力は残ってないけど、これで……」
スフレは転がり落ちた杖を拾おうと、身体をふらつかせながらもモアゲートに近付いた瞬間――モアゲートの目が見開かれ、口から紫色の液体が吐き出される。毒液だった。
「……あああぁぁぁっ!」
スフレは叫び声を上げる。モアゲートの口から吐き出された毒液は、スフレに直撃していたのだ。
「ううっ……目が……!」
毒液によってスフレは視界を奪われ、その場で毒液を拭いながらも蹲っていた。モアゲートは全身を焦がせながら立ち上がり、怒りに満ちた表情でスフレを蹴り倒す。
「……このクソガキィィイイッ!」
モアゲートは怒り任せにスフレの背中を踏みつける。
「虫ケラの分際でこんな事までして、タダで済むと思ってるの? ええ?」
憎しみと殺意が込められた目で見下ろしながらも、嬲るようにスフレの背中を何度も踏みつけていくモアゲート。
「ハッ、忌々しい。忌々しい事この上ないんだよ、このボケッ!」
口汚く罵りながらも、モアゲートはスフレの脇腹に蹴りを入れる。
「う……あうっ……」
目が見えないスフレは毒によって体力の殆どを奪われてしまい、立ち上がる事も出来ず苦しそうに喘いでいた。モアゲートは憎悪に満ちた表情を浮かべつつ、倒れているスフレの頭を足蹴にする。
「ぐっ! ああぁああっ……!」
足蹴にされたスフレの叫び声が響き渡ると、モアゲートは残忍な笑みを浮かべていた。
「おっと、あまりやりすぎると殺してしまうわね。あんたにトドメを刺す前に、残りの目障りなゴミどもを片付けなきゃあいけないからねぇ」
スフレを足蹴にしながらも、モアゲートは遠い位置でベリウルと交戦しているオディアン達の様子を眺め始める。
オディアン達の奮闘によってベリウルは多大なダメージを受け、倒れる寸前まで来ていた。雄叫びを上げながらも暴れ回るベリウルだが、最早動きすらも鈍っている状態だった。
「トドメを刺すなら今しかない。行くぞ」
剣を天に掲げ、心を集中させるオディアン。大口を開けたベリウルが飛び掛かる寸前、オディアンの目が見開かれる。
秘技――閃覇十字裂斬!
十字状に引き裂く斬撃の嵐は、ベリウルの巨体を一瞬でバラバラに切り裂いていった。断末魔の叫び声を上げる間もなく散ったベリウルの身体は消滅し、赤紫色の鉱石だけが残されていった。それは、ベリルの元となったマナリアン鉱石である。
「ベリル……」
リランがマナリアン鉱石を手に取ると、イロクとデナが駆けつける。
「何て事ですの……ベリル……」
リランの手元にあるマナリアン鉱石を見て、デナが悲しそうに呟いた。
「ちくしょう、モアゲートめ! 僕はあいつを絶対に許さない!」
イロクは悔しさの余り、地面に拳を叩き付ける。ベリルの死を悲しむイロクとデナの姿を見ていたオディアンはやり切れない気持ちになっていた。
「リラン様……魔獣と化したベリルを倒す事は本当に正しかったのでしょうか。如何に闇王の手の者に掛かったとはいえ、私は……」
リランは項垂れながらも、ベリルの元となったマナリアン鉱石を見つめている。
「……元々マナドールは我が一族によって命を与えられ、人形の肉体を与えられた鉱石。モアゲートはマナドールであるベリルを荒れ狂う魔獣へと作り替えた。ベリルを取り戻すには、我が手でもう一度命を吹き込むしか方法が見つからなかったのだ」
リランはマナリアン鉱石を握り締め、デナの方に顔を向ける。
「……安心しろ。私が再びベリルを蘇らせる。どれくらいの期間を必要とするか解らぬが、必ず……」
自らの魔力でマナリアン鉱石に命を吹き込み、マナドールを生み出すにはかなりの年月が必要とされている。ベリルとして蘇らせる事は可能ではあるが、記憶は全て失われるというのだ。
「何れにせよ、あのモアゲートという卑劣者を倒さねば。だがスフレは……」
オディアンは不意に単身でモアゲートに挑んだスフレの事が気になり始める。
「……何か悪い予感がする。モアゲートはあそこだ!」
リランが声を上げると、オディアン達はモアゲートがいる場所へ向かった。
ベリウルが倒された事を確認すると、モアゲートは倒れて動かないスフレを前にニヤリと笑う。
「待て!」
オディアン達が駆けつけて来る。
「来たわね。どうだったかしら? 私の自慢の兵器は」
モアゲートが嘲笑うように言い放つ。
「黙れ! よくもベリルを……!」
「この腐れ外道! あなただけは絶対に生かしておけませんわ」
イロクとデナが怒りに拳を震わせる。
「フン、うるさいゴミどもだわ」
モアゲートが目から紫色の怪しい光を放つ。
「うわあああああ!」
「あああああああっ!」
怪しい光を浴びたイロクとデナは激しい苦しみに襲われ、その場に蹲る。鉱石を魔獣へと変化させる呪いの力であった。
「貴様、二人に何をした!」
オディアンが剣を構える。
「おっと、動くんじゃないわよデクの棒。これが見えないかしら?」
モアゲートは再びスフレの頭を足蹴にした。オディアンは足蹴にされているスフレを見て愕然とする。
「スフレ!」
「動くなと言ったでしょう? こいつを助けたければ、私の言う通りにしてもらうわよ」
「くっ、貴様……!」
オディアンとリランは唇を噛みしめながらモアゲートを見据えている。スフレは頭を踏まれた状態で、息も絶え絶えで声を出そうとする。
「……あたしに……構わないで……」
弱々しくも声を出すスフレ。
「……こいつを……この薄汚い女をぶった斬って……」
モアゲートは醜悪な表情を浮かべ、力を込めてスフレの頭を踏みつける。
「あ……あがあああぁ! ぎゃああ!」
苦悶の叫び声を上げ、気を失うスフレ。残虐なモアゲートに怒りを募らせるオディアンだが、嬲られながらも人質に取られているスフレに気を取られ、その場から動く事が出来ずにいた。
「アッハッハッ、安心しろ。あんたがちゃんと言う事を聞けば殺さないでおくよ。ちゃんと言う事を聞けばね」
オディアンは鋭い視線を向けながらも、剣を持つ手を震わせていた。イロクとデナは苦しみに蹲るばかりである。
「まずは……そうねぇ。デクの棒。その立派な剣で大僧正リランを殺してしまいなさい」
「何だと?」
「そいつもあんた達や赤雷の騎士同様、闇王様にとって邪魔で愚かな存在でしかない。あんた達のようなくだらない正義で生きている人間がこういう時にどちらを選ぶのか見てみたくなったのよ。尤も……このヘド臭いゴミクズの命がどうなってもいいというならいつでも来るといいわよ。その瞬間にこいつは粉々になるけどね」
モアゲートはスフレの頭を踏みつけながらも、杖の先端部分をスフレの身体に充てがう。杖の先端部分からは、いつでも魔法を発動出来るように禍々しい魔力が込められていた。
「おのれ……外道め!」
オディアンは激昂する。
「外道? クチの利き方にも気を付けて欲しいわね。私の機嫌を損なう事をすると気が変わってこいつを殺すかもしれないわよ?」
スフレを人質に取りつつもしゃあしゃあと言い放つモアゲートを前に、オディアンは手も足も出ない状態であった。
「……オディアン、構わぬ。やれ」
リランが手を広げて言う。
「リラン様!」
「君達はいずれこの世界に現れる巨大な闇に立ち向かう者。スフレや、君達までも犠牲にするわけにはいかぬ」
オディアンは戸惑いの表情を浮かべる。イロクとデナは苦しみながらも、リランの元に近付いた。
「リラン様、そんな事は……」
「許せ。私がいなくても、この聖地だけは守ってくれ」
「どうして……そんなの、絶対に許しませんわ……!」
死をも覚悟したと言わんばかりに目を閉じるリラン。オディアンはモアゲートによって足蹴にされているスフレの姿を見る。傷付き、気を失っているスフレを見ているうちに、過去の出来事が頭を過る。
ヴェルラウドと出会う少し前――賢者の神殿を訪れたオディアンは賢王マチェドニルに仕える賢者であるスフレと出会う。マチェドニルの要請を受けたブレドルド王から、スフレのボディガードになるという任務を与えられたのだ。
「あなたがあたしのボディガードになるブレドルド王国の戦士さん?」
「うむ。名前はオディアルダ・レド・ロ・ディルダーラ。オディアンと呼んで頂きたい」
「ふーん、ややこしい本名ね。あたしはスフレ・モルブレッド! 宜しくね、オディアン!」
オディアンとスフレは蘇った闇王を討つとされる赤雷の騎士たる者を探し求める為に、行動を共にする事になった。スフレが操る数々の魔法は、オディアンも一目置く程であった。
「成る程……噂には聞いていたが、流石は賢王様に仕える賢者といったところか」
「まぁね。このスフレちゃんはこう見えても炎、水、地、風の四大魔力を司るんだからね! 魔法だったらお任せよ!」
賢者としての実力は本物であり、それでいて物怖じせずに天真爛漫に振る舞うスフレの姿に、オディアンは何処となく信頼を寄せるようになっていた。同時にスフレもオディアンの騎士として、兵団長としての剣の実力を前にして、とても頼もしい味方と認識するようになり、剣と魔法のバランスが取れたコンビとしてお互いの信頼関係が生まれていたのだ。
ある日の夜――。
「ねえ、オディアン」
「何だ?」
「赤雷の騎士って、どんな人なんだろう? オディアンみたいな逞しい人なのかな?」
焚き火を囲む中、オディアンは少し考え事をしつつも空を見上げる。
「赤雷の騎士……かつて闇王に挑みし英雄であって、俺にとって憧れの存在だ。我々が探している赤雷の騎士たる者は所謂英雄の子でもある。逞しい人物と言われればその通りかもしれぬ」
「英雄の子ねぇ……つまり勇者様みたいな存在だよね。その人がいたら、闇王を倒せるのかな」
スフレは少し物憂げな表情を浮かべている。
「……正直言うとね。あたし、この旅に出るのが怖かったんだ。賢王様に仕える賢者の中では一番優秀という事で、こんな大役を背負う事になったんだから、色々不安だったのよ。もしオディアンがいなかったら、きっと途中でリタイアしていたわ」
俯き加減にスフレが言うと、オディアンはそっとスフレの傍に寄る。
「……スフレよ、安心しろ。お前が背負う使命は、決してお前一人で立ち向かうものではない。その為に俺はお前を守る使命を受けた。人を守るのも騎士の務めだ」
スフレはオディアンの力強い眼差しを見ていると心を打たれ、思わず笑顔になる。
「ふふ……あはは。あたしとした事がついしんみりとしちゃった! こんな切ない顔するなんて、ちっともあたしらしくないよね。でも、聞いてくれてありがとう」
胸の内を打ち明けたスフレは心が晴れたように普段の明るい調子になる。オディアンはそんなスフレを見て心が救われる思いであった。
「ともあれ、今日はもう遅い。早く寝るようにな」
「はーい」
静かに燃える焚き火の中、一晩を過ごす二人。眠りに就く前に、オディアンは思う。
そう、騎士としての使命は人や大切な仲間を守る為。若くして大きな使命を背負った彼女もまた、守るべき存在。
だからこそ、この命に代えてでも守らなくてはならない。誇り高きブレドルドの騎士として。
「スフレ……!」
スフレと過ごした過去の出来事が頭を過ると、オディアンはリランの方に振り返り、目を閉じながら剣を掲げる。リランは既に覚悟を決めた様子で目を閉じて手を広げていた。だが、オディアンはその剣を振り下ろそうとしない。
「言っておくけど、あんまり悩んでいるとマナドールどもが魔獣になってしまうわよ。残り時間はあと数分くらいかもしれないわねぇ」
背後から聞こえるモアゲートの言葉に、オディアンは冷や汗を流していた。
「……リラン様……どうかお許しを……!」
仲間を守る為にも非情になる事を自身に言い聞かせつつ、震える手でその剣をゆっくりと振り下ろし始める。そうだ、それでいい。出来る事ならもっと君達の力になりたかったが……君達ならばきっとこの世界を守ってくれると信じている。心の中でそう呟きながらも死を覚悟したリラン。振り下ろされたオディアンの剣によって切り裂かれたのは――イロクであった。
「……イロク……?」
思わぬ出来事に全員が愕然とする。剣は、イロクの左肩から大きく食い込まれ、深々と切り裂いていた。
「がはっ……! リラン様……あなたはまだ死ぬ時ではありません……あなたには、ま、だ……」
致命傷で既に助からない状態となっていたイロクの身体は砂のように崩れて行き、マナリアン鉱石を残して息絶えた。
「イロク……何故だ……何故お前が……」
リランはイロクだったマナリアン鉱石を拾い上げ、その場に頽れる。
「……イロク……そ、そんな……こんな、事って……」
苦しみながらも、嘆きの声を上げるデナ。オディアンは思わず地面に剣を落としてしまい、その場に立ち尽くしてしまう。
「ふん、小賢しい。ザコの分際で犬死にする事を選ぶなんてね。どうせならもうこいつも殺してやろうかしら?」
モアゲートが足蹴にしているスフレを見下ろす。
「……いい加減にしなさい」
デナがよろめきながらもそっと立ち上がり、モアゲートに鋭い視線を向ける。何事かと思った瞬間、デナは瞬時にモアゲートの懐に飛び込み、回し蹴りを叩き込んだ。
「ごあっ!」
「許さない……許さない! この腐れ外道! 絶対に許しませんわあああ!」
不意に攻撃を受けたモアゲートが怯んだ瞬間、怒りに満ちたデナは連続蹴りをモアゲートの腹に叩き込む。
「ぐぼあっ……」
口から赤黒い血反吐を吐き出すモアゲート。その隙にオディアンとリランは倒れているスフレの元に駆け寄った。
「大丈夫だ、まだ息がある。オディアン、スフレは私に任せておけ。奴を倒すんだ」
リランはスフレに回復魔法を掛け始めると、オディアンは再び剣を手に取る。モアゲートに攻撃を加え続けるデナは再び苦しみに襲われ、バタリと倒れてしまう。
「貴様ぁっ……このガラクタ人形がぁぁ!」
モアゲートは口から血を滴らせながらも、凄まじい形相で倒れたデナに黒い稲妻を叩き付ける。口内の血を吐き捨て、倒れているデナに憎悪の目を向けながら何度も何度も踏みつけていくモアゲートの前に飛び出したオディアンが剣による一閃を加える。間髪でその一撃を回避したモアゲートは怒りに震える。
「くっ、どこまでも目障りなゴミどもが。貴様らだけは許さん……許さぁぁん!」
モアゲートの全身が禍々しい闇のオーラに包まれると、顔が悪鬼のような醜悪なものに変化していき、黒い刻印が浮かび上がる。その姿は闇の力を全て解放した魔族を象徴させるものであった。
「人間……コロス……まずはオマエからだ……」
牙を剥けながらも空中から次々と黒い雷光の玉ブラックボルトを放つモアゲート。オディアンはブラックボルトによる攻撃を凌ぎながらも身構えるが、闇のオーラに包まれた魔力の球体――ダークネスショットが襲い掛かる。生き物のように旋回する球体に翻弄されながらも、オディアンは距離を取りつつ、精神を集中させて大きく剣を振り下ろす。斬撃によって球体は真っ二つに裂かれ、溶けるように消えて行った。
「があああぁぁぁっ!」
口から紫色の霧を吐き出すモアゲート。ファントムベノムによる毒霧であった。この霧は危険なものだと察したオディアンは霧を振り払おうとするが、霧は広範囲に渡ってどんどん広がっていく。
「ハハハハハッ、デクの棒め。虫ケラに相応しい死を与えてやる」
モアゲートが杖を掲げ、ヘルズサンダーによる黒い稲妻を呼び寄せ、ブラックボルトの連打を繰り出す。霧が消えた時、モアゲートの表情が青ざめる。なんと、光に包まれたオディアンが立っていたのだ。リランの光の魔力による防御魔法がファントムベノムの霧を遮断していたのだ。
「……お……おのれえええええ!」
焦りと共に激昂し、オディアンに向けて闇の魔法を発動しようとするモアゲート。オディアンは剣を両手に構え、大きく飛び上がる。
「魔の者よ、覚悟。秘技――裂空覇!」
渾身の力が込められた空中からの一閃――そして更なる一閃。赤黒い血が迸ると共に、モアゲートの身体は真っ二つに両断されていた。
「……や……闇王……様ぁ……」
モアゲートは断末魔の言葉を残し、溶けるように消えて行く。モアゲートが完全に倒れた事を確認すると、オディアンは気を失っているデナを抱えながらリランの元へ向かう。
「奴を倒したようだな」
「はい。スフレは……」
「大丈夫だ。猛毒で危険な状態だったが、辛うじて一命を取り留めた」
リランの回復魔法によってスフレの体内の毒は全て浄化され、傷も完治されていた。命に別状はないものの、暫く安静にさせておく必要があり、オディアンは意識を失っているスフレを神殿に連れて行く。モアゲートが倒された事を再度確認したリランは聖都内で苦しんでいるマナドール達の様子を見る。魔獣化の呪いが解けたマナドール達は既に苦しみから解放されていた。
「よかった……街のマナドール達は無事で助かったようだな。だが……」
リランは手元にあるベリルとイロクの元となったマナリアン鉱石をジッと見つめる。
「お前達も人間と同じ生きとし生ける者……もっと私に力があれば……!」
ベリルとイロクの犠牲にやり切れない思いを抱えつつも、リランはマナリアン鉱石を懐に忍ばせ、倒れているデナを抱えて神殿に向かって行った。
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