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第四章「血塗られた水の王国」

呪われた運命

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港町マリネイの中心で大爆発が起きる。それはゲウドが空中から街に投下した巨大な爆弾によるもので、爆発はバザーが開かれていた街の中心地を跡形もなく消し飛ばした。燃え盛る炎と黒煙が巻き起こる中、一人の男が逃げ惑う人々を虐殺していく。男は、セラクであった。
「クヒヒヒヒ……ヒャーッヒャッヒャッ! 破滅のショータイムの始まりじゃあ!」
玉座の形をした空中浮遊マシンに乗っているゲウドが笑いながら上空で街の惨状を観察している。大きく燃える炎と立ち上る巨大な黒煙、そしてセラクによって殺された人々の死体。その有様は見るも無残な地獄絵図の一言であった。


窓から見える街からの巨大な黒煙を見たテティノは即座に着替える等の支度を済ませ、槍を手に部屋を飛び出す。王宮内でもマリネイでの大爆発の件で既に騒然となっていた。
「お兄様!」
マレンが呼び掛ける。
「お前はジッとしていろ、マレン。何があっても絶対に余計な事するなよ!」
「で、でも……」
「いいから言う通りにしろ!」
切羽詰まった様子でテティノが言うと、マレンは返す言葉を失ってしまう。テティノは足を急がせ、バルコニーに出た途端角笛を吹き、飛竜オルシャンを呼び出す。
「テティノ王子! 何処へ行かれるのです!」
「お前達は来るな! マレンを……マレンを頼む!」
兵士達の制止を聞かず、テティノを乗せたオルシャンは飛び上がり、マリネイの方向へ向かって行った。


間違いなく何かがいる。あのレウィシアという余所者の王女が言ってた邪悪なる道化師とやらの仕業だというのか?

マリネイは僕を色々楽しませてくれた港町。あんな風にするなんて絶対に許さない。


街の中心地で定期的に開催されるバザーや様々な見世物イベント等で楽しんだ思い出があるテティノにとってマリネイは憩いの街であり、突然の大爆発に怒りを隠せないままだった。


「何ですって?」
謁見の間にいたレウィシア達は、兵士の報告でマリネイの大爆発の一件を知らされて愕然とする。
「ひええええ! つ、つまり一難去ってまた一難ってやつですかあああ?」
あたふたするメイコの隣で、レウィシアは俯き加減で手を震わせる。
「マリネイの中心地で大爆発が……まさか」
ラファウスの脳裏に浮かんできたのは、セラクの姿であった。同時にレウィシアは止まらない胸騒ぎに襲われていた。
「何者かの襲撃とならばいずれ王都にも……お前達、今すぐ王都の守りを固めよ!」
「ハッ!」
王の命令によって、大勢の槍騎兵が王都の防衛に向かう。
「陛下! テティノ王子が……!」
更にもう一人の兵士が現れ、オルシャンに乗ったテティノがマリネイに向かった事を報告する。
「クッ、あの馬鹿め……どこまで手を焼かせるつもりだ!」
王は眉を顰めながらも拳を震わせる。
「私達が行きましょう」
そう言ったのはラファウスだった。
「レウィシア、解っているでしょう?」
「え、ええ。そうね」
レウィシアはどこか乗り気がなさそうに返事する。
「……どうかなさいましたか?」
様子が少し気になったラファウスが思わず問い掛ける。
「ううん、何でもないわ。でも……」
レウィシアはルーチェに視線を移す。
「ルーチェ。あなたは残ってなさい」
「え?」
「お願い。今は黙ってお姉ちゃんの言う事を聞いて欲しいの」
何とも言えない心のざわつきに満たされていたレウィシアの表情はどこか強張っており、それを見たルーチェは少し面食らいながらも大人しく従う事にした。
「……わかった。無事で帰って来てよね」
「勿論よ」
レウィシアは微笑みながらそっとルーチェの頭を撫でる。
「わ、私は当然お留守番させて頂きますよおおお!」
大騒ぎするメイコと切なげな表情で祈りを捧げるルーチェを背に謁見の間から出るレウィシアとラファウス。王宮から出た二人は槍騎兵が利用している馬車を借りてマリネイへ急いだ。


マリネイの現状は、もはや壊滅状態にあった。炎は尚も黒煙を上げながら燃え続け、逃げようとしていた人々はセラクによって全員殺され、駆けつけた槍騎兵は闇の魔法で返り討ちにされていった。
「うっ……!」
見る影もないマリネイの惨状を目の当たりにしたテティノは驚愕の余り立ち尽くす。視界に飛び込んできたのは重なる死体の山、巨大な炎。そして目を赤く光らせているセラクの姿。
「まだいたのか、忌々しい人間め……」
テティノの存在に気付いたセラクが闇のオーラを纏う。
「……お前がやったのか? お前がこの街をこんな風にしたんだな! しかも街の人々まで……!」
怒りに震えながらも槍を構え、魔魂の力で水のオーラを纏うテティノ。
「この気配……何者だ」
「僕はテティノ・アクアマウル。水の神に選ばれしアクリム王国の王子だ」
「アクリム王国、だと……?」
セラクの表情が憎悪のままに歪み始める。
「お前が一体何者か知らないけど、絶対に許さないからな!」
槍を構え、突撃するテティノ。セラクは次々と繰り出すテティノの槍の攻撃を受け止め、左手から闇の光球を放つ。テティノは辛うじて飛んでくる光球を回避し、距離を取る。
「許さないのはお前達の方だ。愚かなる人間よ」
闇のオーラに包まれたセラクが歩み寄る。
「お前は聞かされた事はないのか? 三百年前にアクリム王国の人間どもが我々エルフ族の領域を侵攻したという事を」
「何だと? お前は一体……」
「私は人間どもに裁きを与える為に来たエルフ族の長の子……名はセラクだ」
セラクの言葉にテティノは衝撃を受ける。アクリム王国の血塗られた歴史に関しては幼い頃に王妃から聞かされており、今この場で敵対している人物がエルフ族の一人である事に驚きを隠せなかった。
「つまり……王国や人間に復讐するつもりでこの街を破壊したのか」
「左様。貴様は忌まわしきアクリムの王族……この手で消してくれよう」
セラクが闇の炎に包まれた手を差し出す。テティノは何とも言えない気分のざわつきを感じながらも、破壊された街の姿と人々の死骸を見て拳を震わせた。
「……エルフ族の領域を侵攻した事は許されざる王家の罪だと代々伝えられている。それは償っても償い切れない愚行であり、僕だって許せない事だと思っているよ。だが、お前の行いは正しいとは思わない。復讐に身を任せた裁きは決して正義じゃない。お前のしている事だって、平和に生きる者の命を奪う罪なんだ!」
テティノは再び槍を構え、水の魔力を高める。
「己の罪を棚に上げて、都合の良いように考える事しか出来ぬ人間が言う綺麗事か。どこまでも忌々しい……! ならば思い知るがいい。我がエルフ族の怒りを」
セラクは両手から闇の炎を放つ。魔力を最大限まで高めたテティノは水の魔法で相殺を図った。


レウィシア達が王都を出てから数十分が経過した頃、ルーチェとメイコはランを連れてマレンの部屋に来ていた。
「可愛い犬……」
マレンはシッポを振っているランの姿に和みながらも、ずっとランを撫でていた。
「お姉ちゃん達、大丈夫かな……」
不安な気持ちが収まらないルーチェは、ランを撫でているマレンの姿を見つめていた。
「大丈夫よ、ルーチェ君! レウィシアさんだったらきっと無事で帰って来るわよ! ラファウスさんも頼りになるから!」
気休めの声を掛けるメイコだが、ルーチェは表情を曇らせていた。何処となく悪い予感が収まらないのだ。それはマレンも同じであった。
「う、うーん、王女様も不安でしたらちょっと気晴らしにお外へ行きません? ランの散歩という事で!」
張り詰めた空気を和ませようとメイコは一生懸命明るく振る舞う。ルーチェとマレンは不安な気持ちが止まらないものの、メイコと一緒にランの散歩をする目的で王宮の外へ出る事にした。王都内はいつになく賑やかで、魔物による地震が何度も起きていた上、大勢の槍騎兵が王都の防衛に向かったにも関わらず、平和な暮らしである事に変わりない様子だった。人々がマレンの姿に気付くと一斉に注目を集め、騒ぎ始める。
「まあ、私達ったら注目の的じゃありませんか! これも王女様のおかげでしょうか?」
「そ、そういう事でしょうね……」
少々照れながらマレンが言う。
「こういう時に商売が滾りそうなんですが、売り物がないのが非常に惜しいところですねぇ! せめて何か掘り出し物でもあれば……」
メイコ達への注目の的は更に集まっていた。
「……王女様。ぼく、人が多いところはちょっと怖いから早く行こう」
ルーチェがマレンの手を握り始める。
「そうね。ここまで注目されたら落ち着けないわ」
「あの人の事は気にしなくていいから」
マレンはルーチェと手を繋ぎながら歩き始める。
「もうルーチェ君ったら、私にも声掛けてくれたっていいでしょお!」
メイコはシッポを振ったランと共にルーチェとマレンの後を追った。


燃え盛る炎による黒煙と熱気に包まれる中、テティノとセラクの激しい戦いは続いていた。
「ウォータースパウド!」
巨大な水の竜巻が巻き起こる中、セラクは両手を広げて闇の炎による竜巻を発生させる。二つの竜巻は激しくぶつかり合うと、相殺という形で吹き飛んだ。テティノは額や口から血を流しながらも、槍で応戦する。セラクは槍の攻撃を避けつつも、闇の炎を纏った拳をテティノに叩き込んでいく。
「ぐおはっ! がっ……」
顎に一撃が決まり、テティノは大きく吹っ飛ばされて倒れる。セラクは倒れたテティノに次々と闇の光球を放っていく。
「うわああああ!」
容赦なく繰り出される光球。爆発の中、のたうち回るテティノ。その激しい攻撃はかなりのダメージとなった。
「ま……負けるか……! 僕は、負けないぞ……」
テティノは何とか立ち上がろうとする。
「何度立ち上がろうと同じ事だ、人間め」
セラクはテティノの至近距離まで詰め寄り、拳を腹にめり込ませる。
「ぐぼぉっ……」
腹に強烈な一撃を受けたテティノは目を見開かせ、唾液を吐き出す。悶絶するテティノを忌々しげに殴り倒し、殺気立った目で見下ろしながらセラクは手に闇の炎を纏う。
「ぐっ……!」
テティノは腹を抑えながらも立ち上がり、攻撃に備えて水の魔力を高めようとした瞬間、セラクは手に集中させた闇の炎をテティノに向けて放った。
「ぐああああ!」
直撃を受けたテティノは炎に包まれながら吹っ飛ばされていく。
「消えろ。二度とその面を見せるな」
倒れたテティノにトドメの一撃とばかりに両手から巨大な闇の光球を放つ。勢いよく迫る光球に回避は不可能だと悟ったテティノは思わず目を瞑る。爆発と共に巻き起こる黒煙を伴った爆風。終わりだとセラクが呟き、黒煙の中を歩み寄る。煙が薄れた時、セラクは不意に足を止める。盾を構えたレウィシアがテティノの前に立ちはだかっていたのだ。
「貴様……! そして裏切り者の子め、やはりこの地にいたか」
レウィシアの姿を確認したセラクは憎悪を滾らせ、悪鬼のような表情になる。
「間一髪で間に合ったようですね」
声と共にラファウスがやって来る。
「君達も……来たのか」
身を挺して攻撃を受け止めたレウィシアによって直撃を免れたテティノは火傷による痛みを堪えながらもゆっくりと立ち上がる。レウィシアとラファウスは破壊された街の惨憺な有様や数々の人の死骸、そして憎悪に満ちた表情を浮かべているセラクの姿を見て絶句していた。
「どうして……どうしてこんな酷い事を!」
拳を震わせながら感情任せにレウィシアが言う。
「……これもあなたの復讐だというのですか。セラク」
続けてラファウスが言う。冷徹なその声は静かな怒りに満ちていた。
「裏切り者の子よ。私が真に憎むべきなのは人間だ。一族の裏切り者を生んだのも人間……我々が人間を忌まわしき存在として憎むようになったのも、王国の愚かな人間による侵攻から始まった事。この地はかつて我々エルフ族の住んでいた領域でもあったのだ。人間どもへの裁きは今始まったばかりだ」
憎悪に満ちたセラクの目が赤く輝き、全身を包む闇のオーラから禍々しい力が漂い始める。力任せに着ている服を破り捨て、刻印のある魔物の右腕を露出させる。レウィシアはセラクの右腕を見た瞬間、愕然とする。
「その腕、一体どこで……」
「私に力を与えた者の腹心となる人物から与えられた。この腕は復讐の腕ともいう。私の腕を奪った貴様への復讐を果たす為にな」
セラクの言葉を受けたレウィシアは胸が疼くのを感じる。自身の剣で切り裂かれ、右腕を失った苦痛に喘ぐセラクの姿が脳裏に浮かび上がり、心が痛む思いをしていた。
「……もう、私達とは解り合えないのね」
心の痛みを抑えながらも、レウィシアは魔魂の力による魔力を最大限まで高め、戦闘態勢に入る。ラファウスもそれに続き、魔魂の力を最大限に高めた。
「テティノ、下がってなさい。後は私達がやるわ」
背を向けたままレウィシアが言う。
「待て! いくら君達でもそいつは……」
「いいから言う通りにして!」
切羽詰まった様子で声を張り上げるレウィシアに、テティノは思わず黙り込んでしまう。
「裏切り者の子と我が腕を奪った忌々しい人間の女よ。あの時は不覚を取ったが、貴様らだけはこの手で殺してくれる。己の罪の深さをその身に焼き付けるがいい」
闇の力を放ったセラクが憎悪に満ちた表情のままに襲い掛かる。ラファウスが風の魔力を集中させ、レウィシアが剣を手に突撃する。闇のオーラを纏った手刀でレウィシアの剣を受け止め、剣と手刀による打ち合いが始まる。だが、レウィシアの剣の一撃には迷いがあり、込められた力と動きが鈍り出す。その隙を見逃さなかったセラクは容赦なく手刀の攻撃を与えていく。打ち合いは防戦一方となった。


彼とは、もう解り合えない。復讐にしか生きる事が出来なくなった今、戦うしかない。

解っているのに、心に迷いがある。例え敵でも、運命に苦しんでいるが故に深く傷付ける事の辛さや、命まで奪いたくない気持ちが私の中にある。

ここで迷ってはいけない。戦わなくてはいけない。余計な情を抱いてはいけない。

だけど……だけど……。


力を込めたセラクの手刀が振り下ろされる。レウィシアは無意識のうちに、その一撃を盾で防御しては押し返し、鋭い蹴りをセラクの顎に叩き付けた。
「トルメンタ・サイクロン!」
ラファウスの魔法によって生まれた巨大な風の渦が、倒れたセラクを飲み込んでいく。真空の刃に切り裂かれていく渦の中のセラクに向かって斬りかかるレウィシア。剣を振り下ろすが、その一撃には本気を出しきれず、一筋の浅い傷を負わせた程度だった。セラクは力を込めた拳をレウィシアの腹に叩き付ける。
「ぐはっ! ごっ……」
見開いた目で唾液を吐き散らすレウィシア。腹への一撃によろめいたところに、闇の光球が襲い掛かる。
「あああぁぁ!」
光球は連続で飛んでくる。次々と攻撃を受けたレウィシアは地面を引き摺る形で吹っ飛ばされてしまう。
「ぐっ……」
立ち上がろうとするレウィシアの元にラファウスとテティノが駆け寄る。
「レウィシア……」
「大丈夫よ。まだ戦えるわ」
剣を手に再び立つレウィシア。
「やはりあいつは強すぎる。悔しいけど、あいつは僕一人では敵わない程の強さだ。ここは全員で掛かるしかないな」
テティノは槍を構える。
「レウィシア……あなた、まさかまだ迷っているのですか?」
レウィシアの心の迷いを察していたラファウスが思わず問い掛ける。だがレウィシアは答えようとしない。
「あの時言ったでしょう? 彼が背負う呪われた運命は優しさでは救えない。あえて非情になるしかないと」
諭すラファウスだが、レウィシアは無言で俯く。
「迷いを断ち切りなさい! 何を躊躇っているのです! 戦いで非情に徹する事は、決して罪ではありません。あなたは何の為に戦っているのですか?」
感情を露にするラファウスを前に、レウィシアは思わずハッとする。ラファウスの眼差しからは、今までにない強い意思が秘められた力強さが感じられた。


確かに、戦いでは非情にならないといけない時もある。寧ろ戦いは常に非情なものだと教えられた事もある。

私が戦わなくては、守りたいものを守れないどころか、救われないものもある。
私には、守りたいものや、救うべきものがある。

だから……だから……。


「危ない!」
突然の声でレウィシアの前に立ちはだかったのはテティノだった。セラクがレウィシアに向けて闇の炎を放ったのだ。
「カタラクトウォール!」
滝のような水の壁が闇の炎を遮断する。密かに魔力を高めていたテティノによる水の防御魔法であった。
「テティノ……」
「借りを返しただけさ。君が一体何を迷っているのか知らないけど、あいつの思うが儘にさせるわけにはいかないからな」
テティノの言葉に、レウィシアは心を落ち着かせて再び構えを取る。闇の炎を凌ぎ切った時、水の壁は自然に消えていく。
「ゴミどもが……小賢しい」
セラクが指から紫色の光線を放つ。光線はテティノの左肩を捉えた。
「うぐっ、ああああぁぁ!」
左肩を貫かれたテティノは傷口を抑えながら苦痛に叫ぶ。更に光線が襲い掛かると、レウィシアが前に飛び出しては盾を構え、光線を全て防いだ。出血が止まらない傷口を抑え、激痛に喘いでいるテティノの元にラファウスが近付く。
「テティノ、大丈夫ですか?」
「ぼ、僕に構うな……彼女を……レウィシアを助けるんだ……」
ラファウスは負傷したテティノを気遣いながらも、セラクに鋭い視線を向ける。その時、辺りに闇の瘴気が発生し、黒い影となって集まり始める。その出来事にまさかと思ったレウィシアとラファウスは身構える。


――クックックッ……これは面白い。更に楽しめそうだ。


球体と化して浮かび上がる黒い影。裂けた大口と目玉が現れ、口は不気味に歪んでいる。
「……貴様、何の用だ。復讐の邪魔をするつもりか?」
セラクが黒い球体に向けて問い掛ける。


――セラクよ。悪いが少しばかりターゲットの一人を借りさせてもらう。約束通りお遊びに付き合ってやろうと思ったものでな。何、殺しはせん。貴様の意思は尊重するつもりだ。


黒い球体の大口からは複数の触手が次々と現れ、レウィシアを捕える。
「うっ! な、何……いやああっ!」
捕われたレウィシアは触手から伝わる強烈な電撃を受け、気を失ってしまう。
「レウィシア!」
咄嗟にラファウスが飛び出すが、レウィシアを捕獲した触手は黒い球体の大口に運ばれていく。
「貴様、どういうつもりだ!」
黒い球体に対してセラクが声を上げる。


――セラクよ、一番の標的はまずそこにいる裏切り者の子ではないのか? そいつを始末すればレウィシアは返してやる。オレは今、レウィシアに用があるのでな。せいぜい頑張るがいい。クックックッ……。


黒い球体は笑い声を轟かせながらも、溶けるように消えていく。
「な……何なんだあれは。今の黒い奴は何者なんだ!」
左肩の傷を抑えているテティノは黒い球体から漂う邪気に戦慄していた。
「説明は後です。まずはこの男と決着を付けなくては」
黒い球体に浚われたレウィシアの事が気になるものの、冷静に目の前にいる敵との戦いに心を集中させる事を選んだラファウスが再び魔力を高める。
「……奴め、味な真似を」
口惜し気にセラクが呟くと、ラファウスに憎悪の視線を向ける。
「セラク、今此処で呪われた運命から解放させてあげます。あなたを倒す事で」
冷徹な声でラファウスが言うと、セラクは眉を顰める。
「人間の大いなる罪によって我々エルフ族はどれ程の犠牲を生んだのか、貴様には解るまい。私は愚かな人間への裁きを下す為に闇の力を受け入れた。失われた同族はもう戻らぬ今、私には復讐の道しか残されていない。私に与えられた運命は、罪を犯した者への裁きなのだ」
セラクを包む闇のオーラからは凄まじい憎悪の気が漂う。ラファウスはセラクの闇と憎悪の力に威圧を感じながらも、構えを取る。
「人が犯した罪や過ちを裁くのは人であり、正しき方向に人を導くのもまた人の務め。それを奪う事は決して許されない事。だから、私はあなたを倒します」
ラファウスは両手に魔力を集中する。
「裏切り者の子め……貴様だけはこの手で消してくれる!」
闇の力を拳に集中させたセラクが襲い掛かった。


「うっ……」
気が付いた時、レウィシアは道化師の世界である亜空間にいた。
「ここは……何処なの?」
無限に広がる見慣れない空間の中にいる現状を把握したレウィシアは、まるで夢でも見ているかのような錯覚に陥っていた。同時に空間に漂う禍々しい邪気を肌で感じた時、全身が凍り付くような感覚を覚える。
「クックックッ……ようこそ。我が世界へ」
声と共に、道化師がレウィシアの前に姿を現す。
「お、お前は……!」
思わず身構えるレウィシア。道化師は冷たい笑みを浮かべていた。
「ここはオレの世界となる場所。オレの魔力によって造られた魔の空間だ」
道化師は含み笑いをしながらも唇を舌なめずりする。
「……私をこんなところに閉じ込めてどうするつもり? それに……お前は一体何者なの?」
レウィシアは込み上がる得体の知れない不安感と戦いながらも気丈に言い放つ。
「オレの事が知りたいのか? まあいいだろう。隠す必要など無い。オレの名はケセル。人間でも魔族でもない。冥魂身めいこんしんと呼ばれる存在だ」
道化師が自身の名前を語った瞬間――レウィシアはこれまでにない戦慄を覚えた。

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