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第四章「血塗られた水の王国」
血塗られた歴史
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僕は、父上や母上から一度も褒められた事が無い。妹は褒められているのに、僕は褒められていない。
あれだけ厳しい稽古、過酷な訓練に耐えたのに。王家の試練をも無事で乗り越えたのに。
それなのに、未だに認めてくれない。妹と違って。
僕は、もう一人前なんだ。
アクリム王国の王子として生まれたテティノは、幼い頃から父である王からの徹底したスパルタによる槍術の稽古、王妃からは英才教育と魔法の稽古を受ける毎日であった。数々の厳しい稽古に加え、過酷な鍛錬を受ける日々に弱音を吐く事も許されず、親の愛を知らずに育っていたが故に心の底では愛情を求めていた。十四歳の誕生日を迎えた時に、テティノは王家の仕来りである試練を受ける事となった。それは王都の西にある巨大な滝の中にある洞穴の奥に奉られた水の神像から水の加護を受ける事で己の身を清めるというもので、試練と呼ばれているだけあって水の神が呼び寄せた守護者との戦いが待ち受けていた。数々の稽古で身に付けた槍術と魔法の力を駆使しての死闘の末、守護者を打ち破ったテティノは水の神からの加護を受け、水の魔魂と出会う。水の魔魂はテティノに更なる力を与える良き相棒となり、試練を乗り越えたテティノは王に報告する。
「そうか、お前は水の神に選ばれたという事か……」
「はい! これで私も晴れて一人前、ですよね」
「戯け」
「へ?」
「……それで一人前になったつもりか? 馬鹿者め。お前にはまだ乗り越えなくてはならぬものがある。王家の試練はその中の一つに過ぎん。浮かれるな」
賞賛どころか、愛情の一つすらも見せず手厳しい言葉をぶつける王。
「ち、父上……どうして……」
「下がれ。明日からの任務に備えて身体を休めろ」
冷徹な王の言葉を受けたテティノは、ただ引き下がるしかなかった。それからテティノは槍騎兵隊と共に王国を守る役目を与えられ、王や王妃からは親としての愛情を受ける事なく、部下のように使われる毎日を送っていた。そして、三年の時が流れた――。
父上や母上がいつまでも僕を認めてくれない理由は一体何なのか。
僕に足りないものと、乗り越えなくてはならないものとは何なのか。
その答えを知る為にも、まずは目の前にいるこの巨大な魔物を自身の手で倒したい。こいつは、大陸全体に地震を起こしながら大量の魔物を生み出している存在。こいつを僕の手で倒せば、父上も少しは認めてくれるかもしれないから。
「だああああっ!」
水の魔力によるオーラで身を包んだテティノが槍による連続攻撃を繰り出す。手応えはあったものの、魔物は一向に倒れる気配がない。魔物は巨大な触手を振り回し、次々と壁に叩き付けると瓦礫が降り始める。テティノは魔物の触手攻撃を回避しつつも、両手に魔力を収束させる。
「アクアドライブ!」
両手から放たれる魔力による巨大な水塊が魔物に襲い掛かる。水塊が魔物に叩き付けられると、魔物は恐ろしい程の雄叫びを上げながらも激しく暴れ、凄まじい地響きが発生する。
「くっ、しぶとい奴め……」
テティノが更に攻撃を加えようとした瞬間、魔物の口から緑色の液体が吐き出される。毒液だった。
「テティノ!」
レウィシアが咄嗟にテティノの前に立ちはだかり、間髪で飛んでくる毒液を盾で防いだ。
「危なかったわね」
盾は毒液で汚れていたが、レウィシアの炎のオーラによって溶けていく。
「また君か。何故余計な真似をするんだ」
「本当に可愛げがないわね。助けられて素直にお礼も言えないの?」
「君に助けられなくても結構だ。こいつは僕が倒すんだからな。田舎者風情に邪魔はさせないよ」
「だからどうして意地を張るの? ここはみんなで……」
「いいから黙って見てろ! まだ終わったわけじゃないんだ」
いきり立つ魔物にテティノが魔力を集中させようとした時、レウィシアは不意に背後から気配を感じて振り返る。
「ほう……俺の他に客人がいたのか」
現れたのは、二本の刀を両手に持つ忍の装束を着た男だった。
「お前は誰だ?」
声を聞いたテティノが思わず身構える。
「どけ。そいつは俺の獲物だ」
冷徹な声で男が言う。
「断る。何処の誰か知らないが、余所者の助けなど不要だ」
テティノが否定の返答をすると、男は瞬時にテティノの背後に回り込み、首元に手刀を叩き込む。
「テティノ!」
駆けつけるレウィシア達だが、テティノはそのまま倒れて気を失ってしまった。
「安心しろ。少し黙らせただけだ。ここにいる魔物は俺が片付ける」
そう言って、男は魔物に視線を移しては全身を激しい雷のオーラで包む。
「うっ! この気配……」
男から漂う雷の力に、レウィシアとラファウスは何処となく自身の持つ力と似たものを感じる。そう、男が持つ力は魔魂によるものであった。男は魔物の懐に飛び込み、目にも止まらぬ程の恐るべき速さで二刀流による攻撃を繰り出していく。その太刀筋には雷撃が迸り、深く切り裂かれた魔物の全身は激しい感電に襲われていた。振り回された触手はいともあっけなく切り落とされていき、魔物は断末魔の叫び声を上げながらも激しい地響きを起こす。だが男は動じる事なく、二本の刀に意識を集中させると、刀身から激しい雷が迸る。次の瞬間、男は居合で魔物の巨体を真っ二つに斬り落とした。勝負は、男の完全な勝利であった。
「つ、強い……」
その圧倒的な強さに愕然とするレウィシア達。男は魔物が息絶えた事を確認すると、懐から水晶玉を取り出す。両断された魔物の死骸は水晶玉の中に吸い込まれていく。
「あ、あなたは一体……?」
レウィシアが声を掛けると、男は冷酷な視線を向ける。
「ある人物の依頼を受けてターゲットを始末しただけだ。俺の事は知らない方がいい」
男は二本の刀を背中の鞘に収め、去って行く。レウィシア達は去り行く男の姿を黙って見守るばかりであった。
「あの方は何者でしょうか。しかも私達と同じ魔魂の力を……」
「どうやら助けられたみたいね。今のところ敵か味方かは解らないけど」
魔物の気配が消えた事を確認したレウィシア達は一先ず洞窟から出ようとすると……
「……ニン……ゲン……ユルサ……ナイ……ユルサ……ナ……」
再び怨念のような声が聞こえてくる。
「この声は……」
ルーチェが思わず救済の玉を取り出す。
「一体何が?」
「……死者の怨念だ。どうやら此処には強い恨みを持つ者の怨念がずっと残っていたんだ。それもたくさん……」
「ええっ!」
レウィシアは驚きの声を上げる。
「ぼくが全ての怨念を浄化させる。けど……数が多すぎる上に憎悪の力が大きい。ぼくに力を貸してほしいんだ」
「わかったわ。でもどうやって?」
「ぼくの手を握って、意識を集中させれば……」
レウィシアはルーチェの手を握り、意識を集中させる。ラファウスもルーチェの手を握る。レウィシアとラファウスの手から力が流れて来るのを感じたルーチェは、光の魔力を高めていく。
「憎悪に捉われし亡者の念よ……今こそ我が光の洗礼を受け、全ての憎悪から解放されよ……!」
光の魔力を最大限まで高めたルーチェは浄化の魔法を発動させる。辺りは大いなる光に包まれ、怨念の声が徐々に溶けていくように消えていく。光が消えると、洞窟内を覆っていた霧のような瘴気は完全に消え、辺りに散らばっていた魔物が残した無数の魚卵は溶けてなくなっていた。
「凄い……ルーチェ、よく頑張ったわね!」
レウィシアはそっとルーチェを抱きしめて頬に軽くキスをする。
「うっ……」
光によってテティノが目を覚ます。
「気が付きましたか」
ラファウスの声にテティノは思わず顔を上げる。
「君達……あの魔物はどうした!」
「倒されましたよ。あの男に」
「何だと……?」
テティノは既に魔物の気配が完全に消えている事を認知すると同時に呆然とする。
「クソッ! いつもこうだ! 肝心な時に空回りばかりする!」
悔しがるテティノにレウィシアがそっと手を差し伸べる。
「あなたが今何を思っているのか知らないけど、無事だっただけでも幸いだと思わなきゃ。一先ず戻りましょう」
テティノはレウィシアの手を払い除ける。
「なっ……何なの? 一体何が不満だというの?」
「黙れ! お前なんかに僕の気持ちが解るものか!」
苛立った様子でテティノが怒鳴り、走り去って行く。
「テティノ、あなたは一体……」
不可解なテティノの言動にレウィシアは戸惑うばかりだった。
「私達には解らないような事情があるのかもしれませんね」
ラファウスが呟く。レウィシアの心境は色々もやもやしている状態だった。
「ぼく、あの人嫌い。感じ悪いし、お姉ちゃんの事馬鹿にするから」
ルーチェがレウィシアにしがみ付きながら言うと、レウィシアはそっとルーチェの頭を軽く撫でる。
「……戻りましょう。彼の事も気になるけど、今は出来る事をやらなきゃ」
レウィシアはルーチェの手を握り、足を動かし始めた。
「テティノ王子! ご無事であらせられましたか!」
忍の男に気絶させられ、目を覚ましたばかりの槍騎兵隊の面々がテティノを迎える。
「お前達が来なくとも魔物は倒れたよ。通りすがりの変な男によってね」
「なんと! 兎も角、城へお戻り下さいまし! 陛下へご報告しなければ!」
「ふん、言われる間でもないさ……」
面白くなさそうに返答しつつも、テティノは槍騎兵隊が設けた地上へ通じる縄梯子を登って行った。
地下洞窟の魔物を撃退した忍の男の元にゲウドがやって来る。
「ヒッヒッ、ロドルよ。仕事を終えたばかりだったかの? 早速見せてくれんか?」
ロドルと呼ばれた忍の男が水晶玉を差し出すと、ゲウドは薄ら笑いを浮かべながら水晶玉を受け取り、玉に映し出された魔物の死骸をジッと見つめる。
「ヒヒヒ、流石は『死を呼ぶ影の男』と呼ばれるだけあるのう。この大陸を震撼させていた魔物クラドリオを容易く片付けるとは」
「フン、あの程度の魔物など相手にすらならんがな」
「ヒッヒッヒッ……そうかそうか。おっと、報酬じゃな。受け取るがいいぞ」
ゲウドが大量の金貨が入った袋を差し出す。ロドルは金貨の袋を黙って受け取り、その場を去って行った。
「ヒヒ……とことん愛想のない男じゃのう。報酬を受け取れば黙って去るとは。だが奴は金さえあれば手駒に出来る。あやつをうまく使えば……クックックッ」
ゲウドは水晶玉を眺めながらも不気味に笑っていた。
レウィシア達が王都に戻ると、ランがシッポを振りながらやって来る。
「ラン! よしよし、メイコさんはどうしたのかしら?」
嬉しそうにすり寄るランをレウィシアはそっと撫で始める。
「ああもう、ランったらいきなりどこ行っちゃうのよお! って、レウィシアさんですか! お帰りなさいませ!」
メイコが駆けつけてくると、ランはキュンキュンと鳴き声を上げながらメイコの足元に鼻を寄せた。
「お戻りになられたという事は魔物退治に成功したのですね! 流石レウィシアさん! お疲れ様です!」
「そ、そうね……」
心のもやもやが収まらず、気分が優れないレウィシアはメイコの声を聴いているうちに思わず「呑気でいいわね」と本音を漏らしそうになる。
「せっかくの観光だというのに頻繁に地震が起きるもんですからもうひたすらパニックの連続でしたよぉ! これで晴れて観光出来ますよね!」
「えっと……後はもうご自由になさって下さい」
能天気なメイコを相手せず王宮に向かう一行。
「ちょ、どうして素っ気ないんですかあああ!」
ランを連れて後を追ってくるメイコの姿を見てレウィシアは溜息を付いた。槍騎兵に迎えられつつも謁見の間にやって来た一行は事の全てを王に報告する。そこにはテティノの姿はなかった。
「魔物が生息していた洞窟に彷徨う死者の怨念……そして魔物を打ち倒した怪しい男、か……」
王は表情を険しくさせながらも考え事をしていた。
「……我々に協力して頂いて大変感謝する。そなたらの事も色々知りたいところだが、まずは約束通りそなたらが聞こうとしていた質問に答えよう。私に聞きたい事は何だ?」
「はい。このアクリム王国はかつてエルフ族の領域を侵攻していたとお聞きしましたが……何か知っている事があれば教えて頂きますか?」
レウィシアの言葉に王は思わず目を見開かせる。
「……何故それを聞く必要がある?」
「私達は以前、エルフ族の生き残りと戦いました。そのエルフ族は、人間への復讐に生きる男だったのです。エルフ族は人間によって住む場所を奪われ、人間を憎むようになったという事も聞きました。だからこそ、何故過去にエルフ族の領域を侵攻する必要があったのかを知りたいのです」
真剣な眼差しで言うレウィシアを前に、王は落ち着いて咳払いをする。
「……確かにこのアクリム王国は三百年前の過去、先々代王の時代にエルフ族の領域を侵攻していたというのは事実だ。それは我が国として、王家として忘れてはならぬ最大の過ちであり、人として許されぬ罪だった。だが……その他にも決して忘れてはならぬ血塗られた歴史が存在しているのだ」
王は語り始める。三百年前の過去の時代に王国で起きていた全ての出来事を。
三百年前のアクリム王国は、支配欲の強い若き王が支配する時代であった。この時代のアクリム王国では世界に存在する多くの飛竜を手懐けて我が物としており、飛竜に騎乗して戦う竜騎兵団と呼ばれる竜騎士の集団によって守られていた。王国自体は平和であるものの、王は支配欲のままに王国の更なる繁栄を求めて大陸にあるエルフ族の領域の侵攻を計画した。王国の竜騎兵団とエルフ族による戦争が始まり、激しい戦いの末アクリム王国の勝利に終わり、エルフ族の領域は第二の王国の街に生まれ変わった。時が経つに連れ、王は領土拡大による国の繁栄に浮かれる余り独裁政治を行うようになり、アクリム帝国を設立しようと目論むようになる。その独裁ぶりは兵力の強化を目的とした重税や貿易、奴隷制度を設ける等と様々な形で民を苦しめる悪政へと進み、既に人としての心を失っていたのだ。だがそれも束の間であった。王は何者かによって暗殺されてしまい、王国にいた飛竜、王に仕える竜騎士達も殆ど殺されてしまった。王を暗殺した人物は、クーデターを起こそうとしていた人物に依頼された闇の世界に生きる暗殺者であった。こうして王の独裁政治の時代は終わりを告げ、息子である第一王子が王位を継ぐ事となり、血塗られた愚行を繰り返さないように元の平和な王国へと建て直すと同時に、侵攻と戦争によって命を失ったエルフ族への償いと弔いを込めた巨大な石碑を湖の中心に浮かぶ巨大な島に建て、許されざる王家の罪として後世に代々伝えていく事を決意したのであった。
時は流れ、血塗られた歴史を背負いつつも平和を望む王から生まれし王族の血筋は、やがて水の神に選ばれし者を生んだ――。
「今では水の王国と呼ばれているこのアクリムは、多くの罪を背負う国でもある。償っても償いきれぬ人としての罪をな……。侵攻によって失われた多くの命は、いくら償っても戻って来ない。そして、支配欲に捉われる余り独裁政治へと走った先々代王の愚かさも、王国としての許されざる罪……」
アクリム王国の歴史を全て聞かされた一行は言葉を失っていた。
「……レウィシアよ。薄々と感じていたのだが、そなたらも我が息子と同様、魔魂の力を得た者ではないのか?」
王の問いに応えるかのように、レウィシアの足元にソル、ラファウスの足元にエアロが出現する。
「この力は……やはり水の神のお告げは本当だったのか」
「え?」
「既に存じているだろうが、我が息子テティノは水の魔魂に選ばれし者。テティノが生まれる前から、水の神からあるお告げを聞かされていたのだ」
若き頃の現アクリム王は、先代王が亡くなった直後に水の神からお告げを聞かされていた。
かつて世界を闇で覆い尽くした冥神が再び蘇り、汝の血筋から水を司りし古の英雄の力を受け継ぐ者が生まれようとしている。汝の子が生まれた時、世界に強大な災いと闇が現れる。そして、その災いと闇に立ち向かいし者達が汝の子と共にする。
汝の子は、災いと闇に立ち向かいし運命の子の一人。新たなる英雄の一人として生まれるのだ――。
「テティノには、生まれた時から大きな水の魔力が備わっていた。私はお告げに従うかのように、ずっとテティノを鍛え続けていた。そしてこの地にそなたらが訪れた今、テティノは災いと闇に立ち向かう者としてそなたらと共に……」
王は真剣な眼差しでレウィシア達の姿を見つめる。
「……いや、まずその前にテティノを呼ばなくてはな。テティノを呼んでまいれ」
兵士達は一斉にテティノがいる部屋へ向かって行く。
「……ねえ、あの人もぼく達と一緒に行くの? ぼく、あの人やだよ」
ルーチェが浮かない表情でレウィシアにしがみ付く。
「私も正直付き合いにくいタイプだと思ったけど、仕方ないわ。彼も心強い味方になりそうだから」
レウィシアは周りに聞こえないような小声で、ルーチェの耳元で囁くように言った。
「陛下! 大変です! テティノ王子が……!」
兵士の一人が慌てた様子で戻って来る。
「何事だ?」
「テティノ王子が、部屋に引き籠っていらっしゃるのです! しかも鍵が掛けられていて……」
テティノの部屋は鍵が掛けられており、兵士が呼びかけても部屋に閉じこもったままで全く応じないというのだ。兵士からの知らせを聞いた王は表情を険しくさせる。
「あの愚か者め……何のつもりだ。ならば私が直接呼びかけに行く」
王は強張らせた顔で玉座から立ち上がり、テティノの部屋に足を運んで行った。
「あ、あの王様……何だか強面って感じで怒らせると凄く怖そうですねぇ……」
メイコは王の表情におっかない印象を抱いていた。
「テティノ……一体何を考えてるのかしら」
レウィシアはテティノの行動が気になりつつも、王が戻って来るのを待つ事にした。
「お父様、お待ち下さい!」
王がテティノの部屋の前に来た時、マレンが飛び出して部屋の前に立つ。
「マレン、何のつもりだ?」
「お父様……今はお兄様を一人にさせて下さい。お兄様は……苦悩しているんです」
マレンが訴えるように言うと、王は首を傾げる。
「どういう事だ。あいつめが何ゆえに苦悩しているというのだ」
「お願いします……どうか……」
マレンの目から涙が零れ落ちる。王は涙を流しているマレンの表情を見ているうちに何かあったのかと思いつつも、一度限りで言葉に従う事にした。
「……何があったのかは知らぬが、一先ず下がっておく。だが、奴の事情がどうあろうとすぐに出てきてもらう。いいな」
王がその場から引き下がると、マレンは心の中で詫びながらもテティノの部屋に入ろうとする。だが、ノックしてもテティノは応じようとしなかった。
「……お兄様……もう思い悩まないで。お父様やお母様だって、決してお兄様の事を愛していないわけじゃないわ。第一私なんて、そんなに立派じゃないから……」
マレンはテティノの部屋の前で涙を零していた。
謁見の間に戻った王が再び玉座に座ると、辺りは静寂に包まれる。
「テティノの奴は何を思っているのか、部屋から出ようともせん。今日のところは我が城で泊まっていくと良い。奴なら明日必ず引っ張り出しておく」
王宮での宿泊の許可を得たレウィシア達はその言葉に甘える事にし、兵士達に宿泊する場所となる部屋へ案内される。
「いやぁ、こんなご立派な王宮で一泊出来るなんて太っ腹ですねえ!宿代が浮きましたし、感謝の一言ですよぉ!」
案内された部屋の前で歓喜の声を上げるメイコを背に、レウィシアはある人物の姿を目にしていた。目にした人物は、マレンであった。マレンは階段を登っていく。
「みんな、ちょっと待ってて」
レウィシアはマレンの後を追い始める。テティノの事が気掛かりなマレンは、悲しげな表情のままバルコニーに出る。潮風が吹く中、マレンは暗くなった空を見上げると、レウィシアが現れる。
「あら、あなたは……」
「マレン王女。何かあったの?」
レウィシアの問いに、マレンは黙り込んでいた。
「……もしよかったら、話してくれないかしら? テティノに何があったのかを。お父上も、話がしたいと仰られているから」
マレンは少し戸惑うものの、レウィシアの純粋な眼差しを見ていると次第に信頼出来る相手だと感じるようになり、一呼吸置いて話し始める。
「……お兄様は……親からの愛情を受ける事なく育ったから……私とは違って毎日鍛錬ばかりの日々を送っていたから……私に劣等感を抱くようになったのです」
その言葉に、レウィシアは衝撃を受ける。
王と王妃の第二子であり、テティノの妹として生まれた王女マレンは、天性の美しさと純粋な水のように透き通った心による優しさ、そして癒しの水の魔力が備わっていたが故に、国民に希望を与える姫として育てられていた。誰もが称え、戦いで傷付いた槍騎兵や悩める人々の心の支えとなり、国民から愛される姫となった。そんなマレンを陰で見つつも、王からの厳しい稽古や過酷な鍛錬の日々を送るばかりのテティノ。王国の人々から称えられ、王や王妃からも評価されているマレンに劣等感を覚えるようになった。
何故、自分とはここまで違うのか。何故、自分とは違って周りから沢山愛されているのか。血を分けた兄妹なのに、何故自分は妹と違って、いつも望んでいない鍛錬ばかりの毎日を送らなくてはならないのか。確かに妹はか弱い女の子だからというのもある。長男だからこそ、しっかりしないといけないというのもある。だが、自分とは違って、妹は苦労せずともお姫様として生きているだけで愛されている。周りから沢山評価されている。それに比べて、自分なんて……。
王国を守る騎士として生きる事なんて、最初から望んでいなかった。魔物と戦う事も、望んでいなかった。けど、与えられた使命だとかいう理由で幼い頃から厳しくしごかれ続けた。だからこそ、妹が羨ましく思えた。同時に、自分との待遇の差を目の当たりにして疎ましく思えた。自分が妹のようにか弱い女の子として生まれていたら、こんな待遇じゃなかったかもしれない。
お前はいいよな。僕とは違って皆から愛されてるし、父上や母上からも褒められていて真っ当に評価されている。僕とは全然違うくらいだから……。
人々の悩み相談に応じ、傷ついた兵士を癒しているマレンの姿を見る度、テティノは心の中でそう何度も呟いていた。
「彼は……自分の立場と望んでいない使命による境遇で思い悩んでいたのね」
レウィシアは思わず王国を守る騎士として鍛えられていた自身の境遇を振り返りつつも、自身が稽古をつけていた亡き弟ネモアの姿を思い浮かべる。
「……お兄様は時々見せていたのです。寂しくて悲しい色をした目を。同じ血を分けた兄妹だからこそ対等に愛して、そして認めて欲しかった。そう言ってるように見えたのです」
マレンは俯き加減で涙を浮かべていた。レウィシアはマレンにそっと近付き、ゆっくりと抱きしめる。
「大丈夫よ。少しでもテティノの蟠りが解けるように、私が何とかしてみせるわ。ほら、涙を拭いて」
顔が近い距離のまま、レウィシアがそっとハンカチを差し出す。マレンはハンカチで涙を拭うと、物音が聞こえてくる。現れたのは、テティノだった。
「うっ……マレン? それに君は余所者の……!」
テティノの登場に、レウィシアはタイミングがいいのか悪いのかと思い始める。
「お兄様……気分は落ち着いたの?」
「ふん、風に当たるつもりで来ただけだよ。こんな田舎の国の王女と何を話していたんだ?」
イライラした様子で言うテティノは、焦燥感を募らせていた。嫌味のような物言いだと感じたレウィシアは一瞬むっと来るものの、マレンの事を思いつつも心を落ち着かせる。
「お兄様! 失礼な事言わないで! 別に悪口とか言ってたわけじゃないんだから!」
「それならいいが……お前達がいると落ち着けないんだ。あっちへ行ってくれないか。一人にさせて欲しいんだ」
「そ、そう……」
マレンは渋々とその場から去って行くが、レウィシアはずっと立ち止まっていた。
「ほら、君もあっちへ行けよ」
「いいえ。行かないわ。あなたに話したい事があるのよ、テティノ」
「何だって? ふん、どうせ何の利益もない話だろう? 言っておくけど、僕は田舎者のつまらない話を聞くような耳は持っていないからな。とっとと向こうへ行っておくれ」
尊大な態度で振る舞いながらレウィシアを追い払おうとするテティノだが、レウィシアはそれでも動こうとしない。
「向こうへ行けって言ってるだろ! 何故動かないんだ」
「私の話を聞いてくれないと絶対に行かないわ。例え殴られたり蹴られたりしても絶対に行かないから」
鋭い目を向けて言い放つレウィシアを前に、テティノは舌打ちしつつもわかったよと返答し、話を聞く事を引き受ける。
「あなたの事は、マレン王女から聞いたわ」
「何だと……?」
「あの魔物を自分が討伐する事に拘っていたのも、ご両親から認めて欲しかったから。そして妹様と対等に愛して欲しかった。そうでしょう?」
テティノは俯きながらも返す言葉を失ってしまう。
「あなたの気持ちは解るわ。でも、ご両親は決してあなたを愛していないわけじゃない。ご両親があなたを厳しく育てたのは、意味があったのよ」
レウィシアは腰に付けている道具袋を開けると、ソルが顔を出し始める。
「この子は、私と共にする魔魂の化身。あなたもわかるでしょう?」
テティノはレウィシアの道具袋に入っているソルをジッと見つめる。
「……まさかと思ったら君も僕のように魔魂に選ばれた存在というわけか。それで、何が言いたいんだ?」
「この世界にいる邪悪なる者と戦うのよ、私達と。ご両親があなたを厳しく鍛えたのは、私達と共に災いを呼ぶ闇と戦う使命が与えられていたから。勿論それはあなたにとって望んでいない事だというのは解っている。けど、逃げたところであなたが心から望んでいるものをいつまで経っても手に入れる事は出来ない。この使命を終える事が出来たら、きっとあなたも……」
レウィシアが真剣な眼差しを向けて言うと、テティノは突然含み笑いを始める。
「……くっくっくっ……ははははは! 何を言い出すかと思えば、使命だの何だのといった理由で君達に協力しろというのか。君は生まれ持って与えられたわけのわからない使命に従って戦っているというのかい?」
半笑いでテティノが反論し始める。
「第一君はクレマローズとかいう国の王女なんだろ? 魔魂に選ばれたとしても、王女でありながら戦わなければならない理由があるのか? それに、君が言う邪悪なる者とやらは何者なんだ?」
レウィシアは話す。暗躍する謎の邪悪な道化師の存在や、道化師によって浚われたガウラ王、サレスティル女王、聖風の神子エウナを救出する為に戦っているという事を全て打ち明けた。
「……つまりそいつが、君達と共に戦うべき存在というわけか?」
「ええ。あなたの水の魔力もなかなかのものだから、私達と共に……」
そっと手を差し出すレウィシア。だが、テティノはその手を取ろうとしない。
「……ところで、一つ聞いていいか? 君はあの地下洞窟の魔物に戦いを挑んだ時、どうも躊躇しているような動きだったよな。あれはどういうつもりだったんだ?」
「えっ……」
テティノの問いに思わず戸惑うレウィシア。大陸に地震を起こしつつ、大量の魔物を生んでいた巨大な魔物クラドリオとの戦いの際、レウィシアが繰り出した攻撃は何処か躊躇している様子でキレがない動きであった。その様をテティノは見ていたのだ。
「まさかと思うが、君は魔物相手にも変な情を抱くようなタイプだというのか?」
「ち、違うわよ! あれはただ……」
レウィシアは心の中がざわめくのを感じる。胸中に抱えていた密かな思い――それはセラクとの戦いをきっかけに生じた相手に対して非情になり切れない思いや、本能的な心の優しさによる相手を傷付ける事への恐れ、そしてこれから待ち受ける戦いに対する迷いであった。
「言っておくけど、僕は余計な感情を抱いて足を引っ張るような奴はお断りだよ。敵対する相手でも変なところで優しさを持つ奴だったら尚更ね」
「だから違うって言ってるでしょ!」
「じゃあ何だと言うんだ?」
「そ、それは……」
返答に困ったレウィシアは思わず黙り込んでしまう。
「君のお父上も使命だの何だのとかいった理由で子供の頃からずっと君を鍛えていたのかな? だとしたら馬鹿げてるというか、理解に苦しむね。王女はか弱い存在であるべきだというのに、同情するよ」
皮肉を込めたテティノの物言いにカチンと来たレウィシアは、思わずテティノの頬を引っ叩いてしまう。
「いい加減にしなさいよ! どうしてそんな言い方ばかりするの?」
感情的に怒鳴るレウィシアの目から涙が零れ落ちる。テティノは叩かれた頬を抑えながらも、涙を流すレウィシアの悲しい表情を見て驚き、言葉を失う。
「……私だって好き好んで戦っているわけじゃないけど、この命に代えてでも守りたいものがあるから……騎士として強く育ててくれたお父様にはとても感謝しているのよ。何も知らないくせに、お父様の事を悪く言わないで!」
レウィシアは涙を零しながらも走り去っていく。
「お、おい……待てよ」
慌ててテティノが呼び止めようとするが、レウィシアは既にその場から去っていた。焦燥感を募らせた事によって出た自分の心無い言動で気まずい事態を招いた事に何とも言えない罪悪感を覚えたテティノは、バツが悪そうに立ち尽くしてしまう。
「……何て事だ……余所者の王女までも泣かせてしまうなんて……僕は……僕は……」
後味の悪い思いをしつつも、テティノは膝を付いて地面に拳を何度も打ち付ける。
「は、はは……こうなってしまっては父上や母上に失望されるだろうな。僕って奴は妹と違って本当にダメなんだな……」
自虐するかのように、地面に拳を叩き付けるテティノ。拳から血が出ても、何度も地面に叩き付けていた。
ルーチェ達が待つ部屋に戻ったレウィシアは、目に涙を浮かべたまま悲しい表情を浮かべていた。
「お姉ちゃん……?」
「レウィシア、どうかなさいましたか?」
レウィシアの様子が気になったルーチェとラファウスが同時に声を掛ける。だが、レウィシアは何事もなかったかのように振る舞おうと涙を堪える。
「……ううん。何でもない。今日はもう寝る事にするわ」
「え? 夕食はどうするんですかぁ? 私達、レウィシアさんが戻って来るまで夕食の事で相談してたんですよぉ?」
明るい調子でメイコが言うと、レウィシアは苦笑いするばかりだった。
「あ、そうだったわね。えっと、今日は何しようか? 何かオススメでもある?」
内心やり切れない想いを抱えつつも気持ちを切り替えようとするレウィシアだが、明らかに無理している様子だった。ルーチェとラファウスはレウィシアの事を気にしつつも、一先ず夕食の相談を続けた。
夜が更け、皆が寝静まった頃――マレンはバルコニーで一人佇んでいた。不意に胸騒ぎを感じて眠りから覚め、眠れなくなったのだ。無数の星が鏤められた夜空を見上げながらも、マレンは静かに祈りを捧げる。
間もなく、何かが起きようとしている。よく解らないけど、何か恐ろしい事が起きる気がする。
水の神様……どうか、お兄様を守って。
私はどうなっても構わない。どうか、どうかお兄様を――。
翌日――自室で眠っていたテティノは遠くから聞こえてきた轟音で目が覚め、思わず窓の景色を見る。その瞬間、テティノは愕然とした。窓から映るその景色は、港町マリネイから立ち上っている巨大な黒煙だった。
あれだけ厳しい稽古、過酷な訓練に耐えたのに。王家の試練をも無事で乗り越えたのに。
それなのに、未だに認めてくれない。妹と違って。
僕は、もう一人前なんだ。
アクリム王国の王子として生まれたテティノは、幼い頃から父である王からの徹底したスパルタによる槍術の稽古、王妃からは英才教育と魔法の稽古を受ける毎日であった。数々の厳しい稽古に加え、過酷な鍛錬を受ける日々に弱音を吐く事も許されず、親の愛を知らずに育っていたが故に心の底では愛情を求めていた。十四歳の誕生日を迎えた時に、テティノは王家の仕来りである試練を受ける事となった。それは王都の西にある巨大な滝の中にある洞穴の奥に奉られた水の神像から水の加護を受ける事で己の身を清めるというもので、試練と呼ばれているだけあって水の神が呼び寄せた守護者との戦いが待ち受けていた。数々の稽古で身に付けた槍術と魔法の力を駆使しての死闘の末、守護者を打ち破ったテティノは水の神からの加護を受け、水の魔魂と出会う。水の魔魂はテティノに更なる力を与える良き相棒となり、試練を乗り越えたテティノは王に報告する。
「そうか、お前は水の神に選ばれたという事か……」
「はい! これで私も晴れて一人前、ですよね」
「戯け」
「へ?」
「……それで一人前になったつもりか? 馬鹿者め。お前にはまだ乗り越えなくてはならぬものがある。王家の試練はその中の一つに過ぎん。浮かれるな」
賞賛どころか、愛情の一つすらも見せず手厳しい言葉をぶつける王。
「ち、父上……どうして……」
「下がれ。明日からの任務に備えて身体を休めろ」
冷徹な王の言葉を受けたテティノは、ただ引き下がるしかなかった。それからテティノは槍騎兵隊と共に王国を守る役目を与えられ、王や王妃からは親としての愛情を受ける事なく、部下のように使われる毎日を送っていた。そして、三年の時が流れた――。
父上や母上がいつまでも僕を認めてくれない理由は一体何なのか。
僕に足りないものと、乗り越えなくてはならないものとは何なのか。
その答えを知る為にも、まずは目の前にいるこの巨大な魔物を自身の手で倒したい。こいつは、大陸全体に地震を起こしながら大量の魔物を生み出している存在。こいつを僕の手で倒せば、父上も少しは認めてくれるかもしれないから。
「だああああっ!」
水の魔力によるオーラで身を包んだテティノが槍による連続攻撃を繰り出す。手応えはあったものの、魔物は一向に倒れる気配がない。魔物は巨大な触手を振り回し、次々と壁に叩き付けると瓦礫が降り始める。テティノは魔物の触手攻撃を回避しつつも、両手に魔力を収束させる。
「アクアドライブ!」
両手から放たれる魔力による巨大な水塊が魔物に襲い掛かる。水塊が魔物に叩き付けられると、魔物は恐ろしい程の雄叫びを上げながらも激しく暴れ、凄まじい地響きが発生する。
「くっ、しぶとい奴め……」
テティノが更に攻撃を加えようとした瞬間、魔物の口から緑色の液体が吐き出される。毒液だった。
「テティノ!」
レウィシアが咄嗟にテティノの前に立ちはだかり、間髪で飛んでくる毒液を盾で防いだ。
「危なかったわね」
盾は毒液で汚れていたが、レウィシアの炎のオーラによって溶けていく。
「また君か。何故余計な真似をするんだ」
「本当に可愛げがないわね。助けられて素直にお礼も言えないの?」
「君に助けられなくても結構だ。こいつは僕が倒すんだからな。田舎者風情に邪魔はさせないよ」
「だからどうして意地を張るの? ここはみんなで……」
「いいから黙って見てろ! まだ終わったわけじゃないんだ」
いきり立つ魔物にテティノが魔力を集中させようとした時、レウィシアは不意に背後から気配を感じて振り返る。
「ほう……俺の他に客人がいたのか」
現れたのは、二本の刀を両手に持つ忍の装束を着た男だった。
「お前は誰だ?」
声を聞いたテティノが思わず身構える。
「どけ。そいつは俺の獲物だ」
冷徹な声で男が言う。
「断る。何処の誰か知らないが、余所者の助けなど不要だ」
テティノが否定の返答をすると、男は瞬時にテティノの背後に回り込み、首元に手刀を叩き込む。
「テティノ!」
駆けつけるレウィシア達だが、テティノはそのまま倒れて気を失ってしまった。
「安心しろ。少し黙らせただけだ。ここにいる魔物は俺が片付ける」
そう言って、男は魔物に視線を移しては全身を激しい雷のオーラで包む。
「うっ! この気配……」
男から漂う雷の力に、レウィシアとラファウスは何処となく自身の持つ力と似たものを感じる。そう、男が持つ力は魔魂によるものであった。男は魔物の懐に飛び込み、目にも止まらぬ程の恐るべき速さで二刀流による攻撃を繰り出していく。その太刀筋には雷撃が迸り、深く切り裂かれた魔物の全身は激しい感電に襲われていた。振り回された触手はいともあっけなく切り落とされていき、魔物は断末魔の叫び声を上げながらも激しい地響きを起こす。だが男は動じる事なく、二本の刀に意識を集中させると、刀身から激しい雷が迸る。次の瞬間、男は居合で魔物の巨体を真っ二つに斬り落とした。勝負は、男の完全な勝利であった。
「つ、強い……」
その圧倒的な強さに愕然とするレウィシア達。男は魔物が息絶えた事を確認すると、懐から水晶玉を取り出す。両断された魔物の死骸は水晶玉の中に吸い込まれていく。
「あ、あなたは一体……?」
レウィシアが声を掛けると、男は冷酷な視線を向ける。
「ある人物の依頼を受けてターゲットを始末しただけだ。俺の事は知らない方がいい」
男は二本の刀を背中の鞘に収め、去って行く。レウィシア達は去り行く男の姿を黙って見守るばかりであった。
「あの方は何者でしょうか。しかも私達と同じ魔魂の力を……」
「どうやら助けられたみたいね。今のところ敵か味方かは解らないけど」
魔物の気配が消えた事を確認したレウィシア達は一先ず洞窟から出ようとすると……
「……ニン……ゲン……ユルサ……ナイ……ユルサ……ナ……」
再び怨念のような声が聞こえてくる。
「この声は……」
ルーチェが思わず救済の玉を取り出す。
「一体何が?」
「……死者の怨念だ。どうやら此処には強い恨みを持つ者の怨念がずっと残っていたんだ。それもたくさん……」
「ええっ!」
レウィシアは驚きの声を上げる。
「ぼくが全ての怨念を浄化させる。けど……数が多すぎる上に憎悪の力が大きい。ぼくに力を貸してほしいんだ」
「わかったわ。でもどうやって?」
「ぼくの手を握って、意識を集中させれば……」
レウィシアはルーチェの手を握り、意識を集中させる。ラファウスもルーチェの手を握る。レウィシアとラファウスの手から力が流れて来るのを感じたルーチェは、光の魔力を高めていく。
「憎悪に捉われし亡者の念よ……今こそ我が光の洗礼を受け、全ての憎悪から解放されよ……!」
光の魔力を最大限まで高めたルーチェは浄化の魔法を発動させる。辺りは大いなる光に包まれ、怨念の声が徐々に溶けていくように消えていく。光が消えると、洞窟内を覆っていた霧のような瘴気は完全に消え、辺りに散らばっていた魔物が残した無数の魚卵は溶けてなくなっていた。
「凄い……ルーチェ、よく頑張ったわね!」
レウィシアはそっとルーチェを抱きしめて頬に軽くキスをする。
「うっ……」
光によってテティノが目を覚ます。
「気が付きましたか」
ラファウスの声にテティノは思わず顔を上げる。
「君達……あの魔物はどうした!」
「倒されましたよ。あの男に」
「何だと……?」
テティノは既に魔物の気配が完全に消えている事を認知すると同時に呆然とする。
「クソッ! いつもこうだ! 肝心な時に空回りばかりする!」
悔しがるテティノにレウィシアがそっと手を差し伸べる。
「あなたが今何を思っているのか知らないけど、無事だっただけでも幸いだと思わなきゃ。一先ず戻りましょう」
テティノはレウィシアの手を払い除ける。
「なっ……何なの? 一体何が不満だというの?」
「黙れ! お前なんかに僕の気持ちが解るものか!」
苛立った様子でテティノが怒鳴り、走り去って行く。
「テティノ、あなたは一体……」
不可解なテティノの言動にレウィシアは戸惑うばかりだった。
「私達には解らないような事情があるのかもしれませんね」
ラファウスが呟く。レウィシアの心境は色々もやもやしている状態だった。
「ぼく、あの人嫌い。感じ悪いし、お姉ちゃんの事馬鹿にするから」
ルーチェがレウィシアにしがみ付きながら言うと、レウィシアはそっとルーチェの頭を軽く撫でる。
「……戻りましょう。彼の事も気になるけど、今は出来る事をやらなきゃ」
レウィシアはルーチェの手を握り、足を動かし始めた。
「テティノ王子! ご無事であらせられましたか!」
忍の男に気絶させられ、目を覚ましたばかりの槍騎兵隊の面々がテティノを迎える。
「お前達が来なくとも魔物は倒れたよ。通りすがりの変な男によってね」
「なんと! 兎も角、城へお戻り下さいまし! 陛下へご報告しなければ!」
「ふん、言われる間でもないさ……」
面白くなさそうに返答しつつも、テティノは槍騎兵隊が設けた地上へ通じる縄梯子を登って行った。
地下洞窟の魔物を撃退した忍の男の元にゲウドがやって来る。
「ヒッヒッ、ロドルよ。仕事を終えたばかりだったかの? 早速見せてくれんか?」
ロドルと呼ばれた忍の男が水晶玉を差し出すと、ゲウドは薄ら笑いを浮かべながら水晶玉を受け取り、玉に映し出された魔物の死骸をジッと見つめる。
「ヒヒヒ、流石は『死を呼ぶ影の男』と呼ばれるだけあるのう。この大陸を震撼させていた魔物クラドリオを容易く片付けるとは」
「フン、あの程度の魔物など相手にすらならんがな」
「ヒッヒッヒッ……そうかそうか。おっと、報酬じゃな。受け取るがいいぞ」
ゲウドが大量の金貨が入った袋を差し出す。ロドルは金貨の袋を黙って受け取り、その場を去って行った。
「ヒヒ……とことん愛想のない男じゃのう。報酬を受け取れば黙って去るとは。だが奴は金さえあれば手駒に出来る。あやつをうまく使えば……クックックッ」
ゲウドは水晶玉を眺めながらも不気味に笑っていた。
レウィシア達が王都に戻ると、ランがシッポを振りながらやって来る。
「ラン! よしよし、メイコさんはどうしたのかしら?」
嬉しそうにすり寄るランをレウィシアはそっと撫で始める。
「ああもう、ランったらいきなりどこ行っちゃうのよお! って、レウィシアさんですか! お帰りなさいませ!」
メイコが駆けつけてくると、ランはキュンキュンと鳴き声を上げながらメイコの足元に鼻を寄せた。
「お戻りになられたという事は魔物退治に成功したのですね! 流石レウィシアさん! お疲れ様です!」
「そ、そうね……」
心のもやもやが収まらず、気分が優れないレウィシアはメイコの声を聴いているうちに思わず「呑気でいいわね」と本音を漏らしそうになる。
「せっかくの観光だというのに頻繁に地震が起きるもんですからもうひたすらパニックの連続でしたよぉ! これで晴れて観光出来ますよね!」
「えっと……後はもうご自由になさって下さい」
能天気なメイコを相手せず王宮に向かう一行。
「ちょ、どうして素っ気ないんですかあああ!」
ランを連れて後を追ってくるメイコの姿を見てレウィシアは溜息を付いた。槍騎兵に迎えられつつも謁見の間にやって来た一行は事の全てを王に報告する。そこにはテティノの姿はなかった。
「魔物が生息していた洞窟に彷徨う死者の怨念……そして魔物を打ち倒した怪しい男、か……」
王は表情を険しくさせながらも考え事をしていた。
「……我々に協力して頂いて大変感謝する。そなたらの事も色々知りたいところだが、まずは約束通りそなたらが聞こうとしていた質問に答えよう。私に聞きたい事は何だ?」
「はい。このアクリム王国はかつてエルフ族の領域を侵攻していたとお聞きしましたが……何か知っている事があれば教えて頂きますか?」
レウィシアの言葉に王は思わず目を見開かせる。
「……何故それを聞く必要がある?」
「私達は以前、エルフ族の生き残りと戦いました。そのエルフ族は、人間への復讐に生きる男だったのです。エルフ族は人間によって住む場所を奪われ、人間を憎むようになったという事も聞きました。だからこそ、何故過去にエルフ族の領域を侵攻する必要があったのかを知りたいのです」
真剣な眼差しで言うレウィシアを前に、王は落ち着いて咳払いをする。
「……確かにこのアクリム王国は三百年前の過去、先々代王の時代にエルフ族の領域を侵攻していたというのは事実だ。それは我が国として、王家として忘れてはならぬ最大の過ちであり、人として許されぬ罪だった。だが……その他にも決して忘れてはならぬ血塗られた歴史が存在しているのだ」
王は語り始める。三百年前の過去の時代に王国で起きていた全ての出来事を。
三百年前のアクリム王国は、支配欲の強い若き王が支配する時代であった。この時代のアクリム王国では世界に存在する多くの飛竜を手懐けて我が物としており、飛竜に騎乗して戦う竜騎兵団と呼ばれる竜騎士の集団によって守られていた。王国自体は平和であるものの、王は支配欲のままに王国の更なる繁栄を求めて大陸にあるエルフ族の領域の侵攻を計画した。王国の竜騎兵団とエルフ族による戦争が始まり、激しい戦いの末アクリム王国の勝利に終わり、エルフ族の領域は第二の王国の街に生まれ変わった。時が経つに連れ、王は領土拡大による国の繁栄に浮かれる余り独裁政治を行うようになり、アクリム帝国を設立しようと目論むようになる。その独裁ぶりは兵力の強化を目的とした重税や貿易、奴隷制度を設ける等と様々な形で民を苦しめる悪政へと進み、既に人としての心を失っていたのだ。だがそれも束の間であった。王は何者かによって暗殺されてしまい、王国にいた飛竜、王に仕える竜騎士達も殆ど殺されてしまった。王を暗殺した人物は、クーデターを起こそうとしていた人物に依頼された闇の世界に生きる暗殺者であった。こうして王の独裁政治の時代は終わりを告げ、息子である第一王子が王位を継ぐ事となり、血塗られた愚行を繰り返さないように元の平和な王国へと建て直すと同時に、侵攻と戦争によって命を失ったエルフ族への償いと弔いを込めた巨大な石碑を湖の中心に浮かぶ巨大な島に建て、許されざる王家の罪として後世に代々伝えていく事を決意したのであった。
時は流れ、血塗られた歴史を背負いつつも平和を望む王から生まれし王族の血筋は、やがて水の神に選ばれし者を生んだ――。
「今では水の王国と呼ばれているこのアクリムは、多くの罪を背負う国でもある。償っても償いきれぬ人としての罪をな……。侵攻によって失われた多くの命は、いくら償っても戻って来ない。そして、支配欲に捉われる余り独裁政治へと走った先々代王の愚かさも、王国としての許されざる罪……」
アクリム王国の歴史を全て聞かされた一行は言葉を失っていた。
「……レウィシアよ。薄々と感じていたのだが、そなたらも我が息子と同様、魔魂の力を得た者ではないのか?」
王の問いに応えるかのように、レウィシアの足元にソル、ラファウスの足元にエアロが出現する。
「この力は……やはり水の神のお告げは本当だったのか」
「え?」
「既に存じているだろうが、我が息子テティノは水の魔魂に選ばれし者。テティノが生まれる前から、水の神からあるお告げを聞かされていたのだ」
若き頃の現アクリム王は、先代王が亡くなった直後に水の神からお告げを聞かされていた。
かつて世界を闇で覆い尽くした冥神が再び蘇り、汝の血筋から水を司りし古の英雄の力を受け継ぐ者が生まれようとしている。汝の子が生まれた時、世界に強大な災いと闇が現れる。そして、その災いと闇に立ち向かいし者達が汝の子と共にする。
汝の子は、災いと闇に立ち向かいし運命の子の一人。新たなる英雄の一人として生まれるのだ――。
「テティノには、生まれた時から大きな水の魔力が備わっていた。私はお告げに従うかのように、ずっとテティノを鍛え続けていた。そしてこの地にそなたらが訪れた今、テティノは災いと闇に立ち向かう者としてそなたらと共に……」
王は真剣な眼差しでレウィシア達の姿を見つめる。
「……いや、まずその前にテティノを呼ばなくてはな。テティノを呼んでまいれ」
兵士達は一斉にテティノがいる部屋へ向かって行く。
「……ねえ、あの人もぼく達と一緒に行くの? ぼく、あの人やだよ」
ルーチェが浮かない表情でレウィシアにしがみ付く。
「私も正直付き合いにくいタイプだと思ったけど、仕方ないわ。彼も心強い味方になりそうだから」
レウィシアは周りに聞こえないような小声で、ルーチェの耳元で囁くように言った。
「陛下! 大変です! テティノ王子が……!」
兵士の一人が慌てた様子で戻って来る。
「何事だ?」
「テティノ王子が、部屋に引き籠っていらっしゃるのです! しかも鍵が掛けられていて……」
テティノの部屋は鍵が掛けられており、兵士が呼びかけても部屋に閉じこもったままで全く応じないというのだ。兵士からの知らせを聞いた王は表情を険しくさせる。
「あの愚か者め……何のつもりだ。ならば私が直接呼びかけに行く」
王は強張らせた顔で玉座から立ち上がり、テティノの部屋に足を運んで行った。
「あ、あの王様……何だか強面って感じで怒らせると凄く怖そうですねぇ……」
メイコは王の表情におっかない印象を抱いていた。
「テティノ……一体何を考えてるのかしら」
レウィシアはテティノの行動が気になりつつも、王が戻って来るのを待つ事にした。
「お父様、お待ち下さい!」
王がテティノの部屋の前に来た時、マレンが飛び出して部屋の前に立つ。
「マレン、何のつもりだ?」
「お父様……今はお兄様を一人にさせて下さい。お兄様は……苦悩しているんです」
マレンが訴えるように言うと、王は首を傾げる。
「どういう事だ。あいつめが何ゆえに苦悩しているというのだ」
「お願いします……どうか……」
マレンの目から涙が零れ落ちる。王は涙を流しているマレンの表情を見ているうちに何かあったのかと思いつつも、一度限りで言葉に従う事にした。
「……何があったのかは知らぬが、一先ず下がっておく。だが、奴の事情がどうあろうとすぐに出てきてもらう。いいな」
王がその場から引き下がると、マレンは心の中で詫びながらもテティノの部屋に入ろうとする。だが、ノックしてもテティノは応じようとしなかった。
「……お兄様……もう思い悩まないで。お父様やお母様だって、決してお兄様の事を愛していないわけじゃないわ。第一私なんて、そんなに立派じゃないから……」
マレンはテティノの部屋の前で涙を零していた。
謁見の間に戻った王が再び玉座に座ると、辺りは静寂に包まれる。
「テティノの奴は何を思っているのか、部屋から出ようともせん。今日のところは我が城で泊まっていくと良い。奴なら明日必ず引っ張り出しておく」
王宮での宿泊の許可を得たレウィシア達はその言葉に甘える事にし、兵士達に宿泊する場所となる部屋へ案内される。
「いやぁ、こんなご立派な王宮で一泊出来るなんて太っ腹ですねえ!宿代が浮きましたし、感謝の一言ですよぉ!」
案内された部屋の前で歓喜の声を上げるメイコを背に、レウィシアはある人物の姿を目にしていた。目にした人物は、マレンであった。マレンは階段を登っていく。
「みんな、ちょっと待ってて」
レウィシアはマレンの後を追い始める。テティノの事が気掛かりなマレンは、悲しげな表情のままバルコニーに出る。潮風が吹く中、マレンは暗くなった空を見上げると、レウィシアが現れる。
「あら、あなたは……」
「マレン王女。何かあったの?」
レウィシアの問いに、マレンは黙り込んでいた。
「……もしよかったら、話してくれないかしら? テティノに何があったのかを。お父上も、話がしたいと仰られているから」
マレンは少し戸惑うものの、レウィシアの純粋な眼差しを見ていると次第に信頼出来る相手だと感じるようになり、一呼吸置いて話し始める。
「……お兄様は……親からの愛情を受ける事なく育ったから……私とは違って毎日鍛錬ばかりの日々を送っていたから……私に劣等感を抱くようになったのです」
その言葉に、レウィシアは衝撃を受ける。
王と王妃の第二子であり、テティノの妹として生まれた王女マレンは、天性の美しさと純粋な水のように透き通った心による優しさ、そして癒しの水の魔力が備わっていたが故に、国民に希望を与える姫として育てられていた。誰もが称え、戦いで傷付いた槍騎兵や悩める人々の心の支えとなり、国民から愛される姫となった。そんなマレンを陰で見つつも、王からの厳しい稽古や過酷な鍛錬の日々を送るばかりのテティノ。王国の人々から称えられ、王や王妃からも評価されているマレンに劣等感を覚えるようになった。
何故、自分とはここまで違うのか。何故、自分とは違って周りから沢山愛されているのか。血を分けた兄妹なのに、何故自分は妹と違って、いつも望んでいない鍛錬ばかりの毎日を送らなくてはならないのか。確かに妹はか弱い女の子だからというのもある。長男だからこそ、しっかりしないといけないというのもある。だが、自分とは違って、妹は苦労せずともお姫様として生きているだけで愛されている。周りから沢山評価されている。それに比べて、自分なんて……。
王国を守る騎士として生きる事なんて、最初から望んでいなかった。魔物と戦う事も、望んでいなかった。けど、与えられた使命だとかいう理由で幼い頃から厳しくしごかれ続けた。だからこそ、妹が羨ましく思えた。同時に、自分との待遇の差を目の当たりにして疎ましく思えた。自分が妹のようにか弱い女の子として生まれていたら、こんな待遇じゃなかったかもしれない。
お前はいいよな。僕とは違って皆から愛されてるし、父上や母上からも褒められていて真っ当に評価されている。僕とは全然違うくらいだから……。
人々の悩み相談に応じ、傷ついた兵士を癒しているマレンの姿を見る度、テティノは心の中でそう何度も呟いていた。
「彼は……自分の立場と望んでいない使命による境遇で思い悩んでいたのね」
レウィシアは思わず王国を守る騎士として鍛えられていた自身の境遇を振り返りつつも、自身が稽古をつけていた亡き弟ネモアの姿を思い浮かべる。
「……お兄様は時々見せていたのです。寂しくて悲しい色をした目を。同じ血を分けた兄妹だからこそ対等に愛して、そして認めて欲しかった。そう言ってるように見えたのです」
マレンは俯き加減で涙を浮かべていた。レウィシアはマレンにそっと近付き、ゆっくりと抱きしめる。
「大丈夫よ。少しでもテティノの蟠りが解けるように、私が何とかしてみせるわ。ほら、涙を拭いて」
顔が近い距離のまま、レウィシアがそっとハンカチを差し出す。マレンはハンカチで涙を拭うと、物音が聞こえてくる。現れたのは、テティノだった。
「うっ……マレン? それに君は余所者の……!」
テティノの登場に、レウィシアはタイミングがいいのか悪いのかと思い始める。
「お兄様……気分は落ち着いたの?」
「ふん、風に当たるつもりで来ただけだよ。こんな田舎の国の王女と何を話していたんだ?」
イライラした様子で言うテティノは、焦燥感を募らせていた。嫌味のような物言いだと感じたレウィシアは一瞬むっと来るものの、マレンの事を思いつつも心を落ち着かせる。
「お兄様! 失礼な事言わないで! 別に悪口とか言ってたわけじゃないんだから!」
「それならいいが……お前達がいると落ち着けないんだ。あっちへ行ってくれないか。一人にさせて欲しいんだ」
「そ、そう……」
マレンは渋々とその場から去って行くが、レウィシアはずっと立ち止まっていた。
「ほら、君もあっちへ行けよ」
「いいえ。行かないわ。あなたに話したい事があるのよ、テティノ」
「何だって? ふん、どうせ何の利益もない話だろう? 言っておくけど、僕は田舎者のつまらない話を聞くような耳は持っていないからな。とっとと向こうへ行っておくれ」
尊大な態度で振る舞いながらレウィシアを追い払おうとするテティノだが、レウィシアはそれでも動こうとしない。
「向こうへ行けって言ってるだろ! 何故動かないんだ」
「私の話を聞いてくれないと絶対に行かないわ。例え殴られたり蹴られたりしても絶対に行かないから」
鋭い目を向けて言い放つレウィシアを前に、テティノは舌打ちしつつもわかったよと返答し、話を聞く事を引き受ける。
「あなたの事は、マレン王女から聞いたわ」
「何だと……?」
「あの魔物を自分が討伐する事に拘っていたのも、ご両親から認めて欲しかったから。そして妹様と対等に愛して欲しかった。そうでしょう?」
テティノは俯きながらも返す言葉を失ってしまう。
「あなたの気持ちは解るわ。でも、ご両親は決してあなたを愛していないわけじゃない。ご両親があなたを厳しく育てたのは、意味があったのよ」
レウィシアは腰に付けている道具袋を開けると、ソルが顔を出し始める。
「この子は、私と共にする魔魂の化身。あなたもわかるでしょう?」
テティノはレウィシアの道具袋に入っているソルをジッと見つめる。
「……まさかと思ったら君も僕のように魔魂に選ばれた存在というわけか。それで、何が言いたいんだ?」
「この世界にいる邪悪なる者と戦うのよ、私達と。ご両親があなたを厳しく鍛えたのは、私達と共に災いを呼ぶ闇と戦う使命が与えられていたから。勿論それはあなたにとって望んでいない事だというのは解っている。けど、逃げたところであなたが心から望んでいるものをいつまで経っても手に入れる事は出来ない。この使命を終える事が出来たら、きっとあなたも……」
レウィシアが真剣な眼差しを向けて言うと、テティノは突然含み笑いを始める。
「……くっくっくっ……ははははは! 何を言い出すかと思えば、使命だの何だのといった理由で君達に協力しろというのか。君は生まれ持って与えられたわけのわからない使命に従って戦っているというのかい?」
半笑いでテティノが反論し始める。
「第一君はクレマローズとかいう国の王女なんだろ? 魔魂に選ばれたとしても、王女でありながら戦わなければならない理由があるのか? それに、君が言う邪悪なる者とやらは何者なんだ?」
レウィシアは話す。暗躍する謎の邪悪な道化師の存在や、道化師によって浚われたガウラ王、サレスティル女王、聖風の神子エウナを救出する為に戦っているという事を全て打ち明けた。
「……つまりそいつが、君達と共に戦うべき存在というわけか?」
「ええ。あなたの水の魔力もなかなかのものだから、私達と共に……」
そっと手を差し出すレウィシア。だが、テティノはその手を取ろうとしない。
「……ところで、一つ聞いていいか? 君はあの地下洞窟の魔物に戦いを挑んだ時、どうも躊躇しているような動きだったよな。あれはどういうつもりだったんだ?」
「えっ……」
テティノの問いに思わず戸惑うレウィシア。大陸に地震を起こしつつ、大量の魔物を生んでいた巨大な魔物クラドリオとの戦いの際、レウィシアが繰り出した攻撃は何処か躊躇している様子でキレがない動きであった。その様をテティノは見ていたのだ。
「まさかと思うが、君は魔物相手にも変な情を抱くようなタイプだというのか?」
「ち、違うわよ! あれはただ……」
レウィシアは心の中がざわめくのを感じる。胸中に抱えていた密かな思い――それはセラクとの戦いをきっかけに生じた相手に対して非情になり切れない思いや、本能的な心の優しさによる相手を傷付ける事への恐れ、そしてこれから待ち受ける戦いに対する迷いであった。
「言っておくけど、僕は余計な感情を抱いて足を引っ張るような奴はお断りだよ。敵対する相手でも変なところで優しさを持つ奴だったら尚更ね」
「だから違うって言ってるでしょ!」
「じゃあ何だと言うんだ?」
「そ、それは……」
返答に困ったレウィシアは思わず黙り込んでしまう。
「君のお父上も使命だの何だのとかいった理由で子供の頃からずっと君を鍛えていたのかな? だとしたら馬鹿げてるというか、理解に苦しむね。王女はか弱い存在であるべきだというのに、同情するよ」
皮肉を込めたテティノの物言いにカチンと来たレウィシアは、思わずテティノの頬を引っ叩いてしまう。
「いい加減にしなさいよ! どうしてそんな言い方ばかりするの?」
感情的に怒鳴るレウィシアの目から涙が零れ落ちる。テティノは叩かれた頬を抑えながらも、涙を流すレウィシアの悲しい表情を見て驚き、言葉を失う。
「……私だって好き好んで戦っているわけじゃないけど、この命に代えてでも守りたいものがあるから……騎士として強く育ててくれたお父様にはとても感謝しているのよ。何も知らないくせに、お父様の事を悪く言わないで!」
レウィシアは涙を零しながらも走り去っていく。
「お、おい……待てよ」
慌ててテティノが呼び止めようとするが、レウィシアは既にその場から去っていた。焦燥感を募らせた事によって出た自分の心無い言動で気まずい事態を招いた事に何とも言えない罪悪感を覚えたテティノは、バツが悪そうに立ち尽くしてしまう。
「……何て事だ……余所者の王女までも泣かせてしまうなんて……僕は……僕は……」
後味の悪い思いをしつつも、テティノは膝を付いて地面に拳を何度も打ち付ける。
「は、はは……こうなってしまっては父上や母上に失望されるだろうな。僕って奴は妹と違って本当にダメなんだな……」
自虐するかのように、地面に拳を叩き付けるテティノ。拳から血が出ても、何度も地面に叩き付けていた。
ルーチェ達が待つ部屋に戻ったレウィシアは、目に涙を浮かべたまま悲しい表情を浮かべていた。
「お姉ちゃん……?」
「レウィシア、どうかなさいましたか?」
レウィシアの様子が気になったルーチェとラファウスが同時に声を掛ける。だが、レウィシアは何事もなかったかのように振る舞おうと涙を堪える。
「……ううん。何でもない。今日はもう寝る事にするわ」
「え? 夕食はどうするんですかぁ? 私達、レウィシアさんが戻って来るまで夕食の事で相談してたんですよぉ?」
明るい調子でメイコが言うと、レウィシアは苦笑いするばかりだった。
「あ、そうだったわね。えっと、今日は何しようか? 何かオススメでもある?」
内心やり切れない想いを抱えつつも気持ちを切り替えようとするレウィシアだが、明らかに無理している様子だった。ルーチェとラファウスはレウィシアの事を気にしつつも、一先ず夕食の相談を続けた。
夜が更け、皆が寝静まった頃――マレンはバルコニーで一人佇んでいた。不意に胸騒ぎを感じて眠りから覚め、眠れなくなったのだ。無数の星が鏤められた夜空を見上げながらも、マレンは静かに祈りを捧げる。
間もなく、何かが起きようとしている。よく解らないけど、何か恐ろしい事が起きる気がする。
水の神様……どうか、お兄様を守って。
私はどうなっても構わない。どうか、どうかお兄様を――。
翌日――自室で眠っていたテティノは遠くから聞こえてきた轟音で目が覚め、思わず窓の景色を見る。その瞬間、テティノは愕然とした。窓から映るその景色は、港町マリネイから立ち上っている巨大な黒煙だった。
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