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第四章「血塗られた水の王国」

地底に潜むもの

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港町マリネイから徒歩で約一時間、一行は王都アクリムに辿り着いた。中心地にある王宮がひと際目立つ街の中には運河が流れ、所々に巨大な噴水が設けられている。まさに水の都と呼ばれる場所であった。
「まあ、なんて素敵な場所なんでしょう! 運河といい噴水といい、観光地としては最高ですねえ! って、ちょっと待って下さいよおお!」
相変わらず観光気分のメイコを放置して、レウィシア達は王都を探索しつつも王宮へ向かう。王宮の門は、甲冑姿の衛兵二人に守られていた。
「我が王宮に何用だ?」
衛兵の二人が厳重に門を守りながらも一行に声を掛ける。
「私はクレマローズ王国の王女レウィシア・カーネイリスという者です。国王陛下に御用があって来たのですが」
レウィシアが身分を明かすと、衛兵の二人はお互い目を合わせながらも首を傾げる。
「クレマローズ王国? はて、何処かで聞いたような……お前、知ってるか?」
「うーん、聞いた事あるようなないような……」
衛兵はうろ覚えの様子。
「え! アクリムの人達ってクレマローズ王国の事知らないんですかぁ? このレウィシアさんはクレマローズが誇る美しいお姫様で有名なのに!」
「ちょ、ちょっとメイコさん! 別に有名って程じゃないわよ」
思わず赤面するレウィシア。
「おい、何をしている」
突然聞こえてきた声。現れたのは、馬に跨り、ランスを手に頑強な鎧を着用した重装兵タイプの騎士だった。
「これはウォーレン隊長!」
ウォーレンと呼ばれた騎士は、王国の槍騎兵隊の隊長だった。衛兵が敬礼すると、ウォーレンは不思議そうにレウィシア達を見つめる。
「この者達は?」
「ハッ! 聞いたところ、クレマローズ王国から来訪された者との事です」
レウィシアが事情を説明すると、ウォーレンはジッとレウィシアの目を見る。
「ふむ、クレマローズ王国の王女か……わかった。陛下の元へ案内しよう」
ウォーレンに案内される形で、レウィシア達は王宮へ招き入れられる事になった。
「うっわあ! これが王宮ですかぁ! 荘厳で美しいですねぇ! あ、何かお土産とか売ってますかぁ?」
ウキウキしながらもはしゃぐメイコだが、レウィシア達はそんなメイコを相手せずウォーレンの後を付いていくだけであった。
「す、少しは私の観光に付き合って下さいよおおおお!」
メイコは慌ててレウィシア達の後を追う。

謁見の間に、ウォーレンが単身でやって来て王の前で頭を下げる。王の玉座の隣にある王妃の玉座は空席となっていた。
「ウォーレンよ、何事か?」
「ハッ、クレマローズ王国の王女とその連れの者達が陛下にお会いしたいとの事でやって参りました」
「クレマローズ王国……だと?」
王は少し首を傾げるが、即座に招き入れるように命じる。一行が招き入れられると、王はレウィシアの姿を見る。
「そなたがクレマローズの王女か。遠い異国の者が我が国を訪れるとは一体何用だ?」
レウィシアは自己紹介を兼ねて事情とこれまでの経緯を話すと、王は咳払いをしつつも真剣な表情になる。
「邪悪なる道化師……か。そのような者は見た事はないが、いずれこの国を狙うかもしれないという事か?」
「はい。私達は今、その道化師を追っているところです。あの男の目的が一体何なのか、今のところ解りかねますが」
「……用件はそれだけか?」
「いえ。他にも一つお聞きしたい事があります。それは……」
レウィシアが過去に王国がエルフ族の領域を侵攻していた事について聞こうとしたその時、一人の槍騎兵が慌てた様子でやって来る。
「陛下! 隊長! 大変です! 調査部隊の者がズシク台地で魔物が現れる巨大な穴を発見したとの事です!」
「何だと!」
槍騎兵の報告に王が声を上げる。巨大な穴が発見されたというズシク台地は、王都から北の地に存在する場所であった。
「ウォーレンよ、聞いたな? 今すぐズシク台地の調査を開始するのだ」
「ハッ!」
ウォーレンが謁見の間から去って行く。
「ま、魔物が現れる巨大な穴って何ですかぁ? これまた面白い大発見という事ですかあああ?」
メイコが大騒ぎする中、地震が起き始める。数十秒程の軽震であった。揺れが収まると、王は冷静に構えて再び話し始める。
「……レウィシアよ。お前達は邪悪なる道化師とやらを追って旅しているとの事だな。そんなお前達に一つ頼み事があるのだが、どうか聞いて欲しい」
レウィシアは王の意図を察しつつも了承の返事をする。
「既に存じているかもしれんが、王国は一ヵ月前から今のような地震が頻繁に起きている上に魔物が急増するようになった。恐らく北のズシク台地に発見された巨大な穴から地震や魔物の原因となる恐るべき魔物が潜んでいると見てよかろう。そこで、お前達にウォーレンを始めとする槍騎兵隊の援護を願いたい」
案の定と思ったレウィシアは腰に納められた剣に視線を向け、すぐに王に視線を移す。
「解りました。他国といえど、王国の危機を見過ごすわけにはいきません。喜んで力になりましょう」
レウィシアが勇ましく承諾すると……
「待って下さい!」
突然の声と共に現れたのは、テティノだった。
「テティノか。何故戻って来た?」
「父上、一体どういうおつもりですか! この僕を差し置いて実力も不確かな余所者を信用するなんて!」
「クチを慎め、愚か者が。まだ半人前でしかないお前は湧き上がる魔物の群れを駆除するだけで良い。原因となるものはお前よりも先に兵の一人が突き止めたのだからな」
「そ、そんな……僕だってこいつがいるから……」
テティノの前に小さなペンギンの姿をした生き物が現れる。生き物の額には水色の結晶が嵌め込まれている。スプラと名付けられた水の魔魂の化身であった。それを見たレウィシアとラファウスはやはり、と心の中で呟いた。
「それで一人前のつもりだというのか? 馬鹿者め。水の魔魂はお前に力を与えているだけに過ぎん」
「……くっ!」
王の辛辣な言葉を受け、テティノは悔しげな表情を浮かべたまま謁見の間から去って行った。
「今のはさっき私達を助けてくれた王子様ですよね? 何だかやけに辛辣ですねぇ……」
メイコはテティノに対する王の態度に疑問を感じずにはいられなかった。
「奴の事は気にしなくても良い。レウィシアよ、どうか槍騎兵隊の力になって頂きたい。もし無事で任務を終える事が出来たら改めてそなたらの質問に答えよう。いいな?」
レウィシアは王の考えやテティノの事が気になりつつも王の申し出に頷き、仲間と共に謁見の間から出た。


「何故だ……何故父上は僕の事を認めてくれないんだ! 僕だって……」
王宮のバルコニーで、テティノは悔しさに打ち震えていた。
「お兄様……」
現れたのはマレンだった。背後から聞こえてきたマレンの声に一瞬驚くテティノ。
「な、何だ! いきなり出てくるなよ」
「ごめん。またお父様に何か言われたの?」
「別に」
テティノは何事もなかったかのように素っ気なく返答する。
「大丈夫よ。お父様やお母様もいつかきっとお兄様の事を認めてくれるわ。お兄様だって凄い魔法が使えるんだし、槍の才能もあるんだから」
マレンは落胆していたテティノを気遣うような言葉を掛けるが、テティノはそっぽを向くばかりであった。
「ねえお兄様、聞いてるの?」
「うるさい! 魔物討伐の事で頭が一杯なんだ! あっちへ行ってろ」
テティノが感情的に怒鳴ると、マレンは目に涙を浮かべ始める。
「私は……ちゃんとお兄様の事を認めてるわよ!」
涙ながらに去るマレン。
「……お前に何が解るっていうんだ。僕よりもずっと親に愛されてるくせにな」
テティノは悪態を付きながらも、懐から水色の結晶――魔魂を取り出す。魔魂は化身であるスプラの姿に変化する。
「スプラ……お前は僕を認めてくれるか? お前は僕を選んだんだからさ……」
テティノの呼び掛けに応えるかのように、スプラはクワックワッと鳴き声を上げる。
「……父上と母上には見る目が無いんだ。僕だってもう十分一人前なんだ。地震や魔物を生むバケモノだろうと、この僕だったら……!」
拳を震わせながらも、テティノは懐から角笛を取り出し、吹き始める。すると、角笛の音に反応したかのように一体の青い飛竜が現れる。アクアマウル一族によって手懐けられた水の飛竜であった。
「オルシャン、北へ向かってくれ」
オルシャンという名前を持つ飛竜は、テティノを乗せて北の方へ飛び立った。


「何だか王様のいいようにされたみたいですねぇ。易々と引き受けちゃっていいんですかぁ?」
一行が謁見の間を出た途端、メイコがぼやき始める。
「仕方ないわよ。地震や魔物が急増しているとならばこの国も大変な事になるかもしれないわ」
「地震を起こしつつも多くの魔物を生み出している存在……決して油断は出来ませんね」
そんな会話を繰り返していると、一人の高貴な女性が現れる。王妃だった。
「あら、見かけない顔ですわね。客人かしら?」
貴婦人らしく振る舞う王妃を前にレウィシアは軽くお辞儀をする。
「貴女、見たところご立派な出で立ちをしてらっしゃりますわね。それはいいとして、我が息子テティノはお見掛けしなかったかしら?」
「えっと、先程謁見の間を訪れましたが、すぐに何処かへ行ってしまいました」
「まあ。あの子ったら妹のマレンを泣かせたのですよ。あんなに可愛い妹を泣かすような事をするなんて、王子の風上にも置けませんわね。この私がうんと叱ってやらなくては」
「そ、そうですか……」
何やらこの王家は色々ひと癖あって、それでいて複雑な事情がありそうだと感じたレウィシアはどうしたものかと思い始める。
「そうそう、もし宜しければマレンにもお会いして下さいまし。あの子は我が国が誇る心優しい姫。どんな相談事でも気軽に乗ってくれますわよ」
扇子で仰ぎながらもその場から去る王妃。
「……妹様を泣かせるなんて、何があったというのでしょうか」
ラファウスも王家の事情が気になり始めていた。
「あのカッコいい王子様の妹が心優しいお姫様だなんて! 美男子の王子様に美少女のお姫様……嗚呼、なんて素敵なんでしょう……! レウィシアさん! お姫様にも会ってみましょうよ!」
「メイコさん、少しは静かにしてて下さい……」
空気を読まずに騒ぎ出すメイコに半ばウンザリしながらも、一行はマレンの部屋を訪れる。マレンは部屋の隅っこですすり泣いていた。レウィシアは気まずい空気を感じながらも、そっと声を掛ける。
「あ……すみません。えっと、あなた達は?」
レウィシアを始め、全員が自己紹介と共に事情を説明する。
「まあ、遠いところからお越しになられたのですね。確かに私は姫と呼ばれていますが、兄と比べて大した事ありませんよ」
お淑やかで謙虚に振る舞うマレンに、レウィシアは少し安心した気分になる。
「あなたのお兄様……テティノと何かあったの? 王妃様からテティノに泣かされたって聞かされたけど」
レウィシアの問いにマレンは物憂げな表情で俯く。
「あ、言えない事情だったら無理して言う必要ないわ。何かあったのかなって思っただけで、つい……」
「いえ、気にしないで下さい。私は大丈夫ですので……。あなた達も長旅でお疲れでしょう。疲れが消えるおまじないをかけますね」
マレンは意識を集中させ、両手から仄かな水色の光を放つ。すると、レウィシア達の疲労感は一瞬で消え去った。
「え……何だか疲れが取れて体が軽くなったみたい」
マレンのおまじないは、水の魔力による癒しの魔法であった。それは傷を治すだけでなく、水の力によって疲労感を洗い流すように鎮めていく効果も含まれているのだ。
「凄い! 疲れと肩凝りとストレスが一気に消えたみたいですよ! 驚きですねぇ!」
歓喜の声を上げるメイコ。
「これは、ぼくの魔法よりもすごいかもしれない……」
「水の魔力……癒しの力も存在しているのですね」
ルーチェとラファウスも素直に驚いていた。レウィシアはマレンに礼を言って部屋を後にし、王都から北のズシク台地へ向かおうとする。
「あ、これから魔物退治の旅に向かうのでしたら私は一端離脱させて頂きますよ! なんてったって観光日和ですからねぇ! それじゃ、後は頑張って下さいね!」
メイコはウキウキした様子でランを連れてさっさと去って行く。
「……放っておきましょう。あの人は」
「そうね」
能天気なメイコにラファウスは半ば呆れていた。王都から北にあるズシク台地は徒歩で数十分程の距離で、レウィシア達は北へ向かって行った。


その頃セラクは、血塗れの姿で多くの機械兵との戦いに挑んでいた。機械兵はゲウドによって魔物を機械のボディに改造したものであり、セラクの右腕移植改造の結果をテストする為に差し向けたものであった。闇のオーラを纏いながらも、襲い来る機械兵を闇の炎で迎え撃ち、光弾で破壊していく。最後の機械兵が倒された時、セラクは激しく息を付かせていた。
「ヒッヒッヒッ、実験は成功といったところかのう」
ゲウドが現れる。
「貴様……どういうつもりだ」
憎悪に溢れ出るセラクの目。
「ヒッヒッ、お前を試したのじゃよ。ワシに与えられた新しい右腕をうまく使いこなせるかをな。その様子じゃと、問題はないようじゃな」
「……ふざけるな。貴様のくだらん実験に付き合ってられん」
セラクは忌々しげに倒れた機械兵の身体に蹴りを入れる。だが、機械兵との戦いでのダメージが響き、全身に痛みが襲い掛かる。
「ヒッヒッヒッ、流石にお疲れじゃろう。今日のところはゆっくりと休むが良いぞ。何、焦る必要は無い。お前さんの復讐は必ずしも果たせるようにしてやる。必ずな……」
セラクは拳を地面に叩き付け、わなわなと震わせていた。
「さて、あやつめを追うかのう。あやつのおかげでまたも新しい実験材料が……ヒッヒッヒッ」
ゲウドは不敵に笑いながらも、その場を去った。


ズシク台地に開けられた巨大な穴からは、次々と魔物が湧き上がっていた。醜悪な姿の魔物が穴からどんどん現れ、迎え撃つ槍騎兵の面々。だが、湧き上がる魔物を倒しても穴から無限に現れるばかりだった。
「くそ、一体どうなっているのだ! やはりあの穴の底から魔物を生み出している何かが潜んでいるというのか……」
ウォーレンが穴の中を調べようとした矢先、鳴き声と共に飛竜が飛んで来る。テティノを乗せた飛竜オルシャンだった。
「これはテティノ王子!」
「穴の調査は僕がやる。お前達はザコどもの処理をしていてくれ」
「え? ですが穴の中は何か待ち受けているか……」
「いいから僕に任せろ! 甘く見るのも大概にしろよな」
テティノはウォーレンの制止を聞かずオルシャンに乗ったまま穴のある場所へ向かい、果敢にも上空から穴の中に飛び込んで行った。オルシャンはけたたましい鳴き声を上げながら飛び去って行く。
「テティノ王子! な、何という無茶を……」
後を追おうとするウォーレンだが、魔物の群れが襲い掛かる。ウォーレンはテティノの事を気に掛けながらも、部下と共に全力で応戦した。


穴の中は、苔で覆われ、壁が腐食した地底の洞窟に繋がっていた。中には多くの魔物が潜んでおり、至る所に魚卵のようなヌメヌメした丸い物体が無数に散らばっている。洞窟にいる魔物はスライム系統の不定形生物や、ドロドロに腐敗した肉体を持つアンデッド等の不気味な魔物ばかりだった。テティノは水の魔力を集中させると、傍らにいたスプラがテティノの中に入り込む。
「ハイドローリスタンプ!」
水の魔魂の力によって魔力を増大させたテティノが魔法を発動すると、巨大な水柱が魔物達を襲う。水圧で押し潰された魔物達は不気味な叫び声を上げる。
「今だ! タイダルウェイブ!」
魔力によって作り出された海水の津波が魔物を飲み込んでいく。魔力の津波は、辺りの魔物を全て浄化させていった。
「ふっ、やはり僕に掛かれば大した事ないな。大体僕は槍騎兵どもと違って凄い魔法が使えるんだし」
勝ち誇ったようにテティノが呟きながら、洞窟の奥へ進んで行く。
「……ニンゲン……オノレ……ニンゲン……」
洞窟の中を歩いていると、辺りに響き渡るような不気味な声が聞こえてくる。
「だ、誰だ!」
テティノが槍を構える。
「……ニンゲン……ユルサナイ……ニンゲン……」
怨念のように聞こえてくる声。その声に応えるかのように、魔物の群れが襲い掛かる。
「チッ、まだいるのか!」
水の魔力のオーラを身に纏ったテティノが詠唱を始める。
「水の刃よ……アクアスラッシュ!」
水の刃が襲い来る魔物の群れを次々と両断していく。だが、魔物はまだ現れる。テティノが更に魔法を発動させようとした瞬間――。
「シャイニングウォール!」
突然、魔物達の元に光の柱が次々と発生する。光の柱に飲み込まれた魔物達は叫び声を上げながらも、浄化されるように消えていく。レウィシア、ラファウスと共に駆けつけてきたルーチェの光魔法だった。
「何とか追い付いたみたいね」
何事かとテティノが振り返った瞬間、レウィシア達が駆けつけてくる。ズシク台地で繰り広げられている魔物の群れと槍騎兵隊による激しい戦いの中、テティノが果敢にも大穴に飛び込んで行った事をウォーレンから聞かされていたのだ。
「何だ、何かと思えばさっきの女子供か。やはり僕の邪魔をしに来たのか?」
「可愛くないわね。そんな言い方しなくてもいいじゃない。私達はあなたを助けるつもりで来たのよ」
レウィシアの一言にテティノは顔を背ける。
「ふん、そんな事は結構だよ。付いてくるのは勝手だけど、余計な真似だけはするなよ。魔物は僕が倒すんだからな」
「何言ってるのよ。槍騎兵隊の隊長さんからも言われたでしょ? たった一人で何とかなると思っているの?」
「いちいちうるさいな。これだから田舎者は嫌いだよ」
「な、何よ……田舎者って」
思わずカチンと来るレウィシアだが、心を落ち着かせて苛立ちを抑える。
「みんな、ちょっと静かにして……」
突然、ルーチェが懐から救済の玉を取り出し、念じ始める。
「ルーチェ、どうしたの?」
「……強い憎悪の怨念を感じる。数々の恨みがそのまま集まっているような……物凄い怨念を感じる」
レウィシアが思わず辺りを見回す。苔のある腐食した壁に無数の魚卵が散らばる床、霧のような瘴気が漂う中、腐敗臭とカビが混ざったような異様な臭い。そんな環境の中、耳を澄ましてみると怨念のような声が聞こえてくる。
「オオオオ…………ン…………ユ……ナイ……ニンゲ……オオオオおおおオオオ……」
その声は、ルーチェとラファウスの耳にも届いていた。
「何のつもりか知らんが、君達女子供に付き合ってられる程暇じゃないんだ。僕はもう行くからな」
テティノはウンザリした様子で先へ進む。
「ちょっと待ちなさい!」
レウィシアが後を追おうとしたところ、テティノが突然足を止める。何事かとレウィシアが声を掛けようとした途端、驚愕の声を上げる。とてつもなく太い六つの触手を持つ巨大な烏賊のような姿の醜悪な魔物が立ち塞がっていた。濁った巨大な目玉を覗かせ、口からは瘴気とボトボトと大量の魚卵を吐き出している。
「こ、これは……?」
一行が身構えると、魔物は不気味な声を上げながらも触手を力任せに壁や床に叩き付けると、地面が激しく揺れ出した。
「くっ! まさかこいつが……!」
間違いなく今いるこの魔物が地震や大勢の魔物を生み出している元凶だと確信した一行は戦闘態勢に入ると、テティノが槍を構えつつ前に飛び出した。
「ダメよ! ここは私に任せてあなたは下がってなさい!」
「田舎者風情が僕に命令するな」
「命令じゃないわよ! 変な意地を張らないで!」
「君に何が出来ると……」
言い終わらないうちに、魔物の触手がテティノに襲い掛かる。咄嗟にその一撃を飛んで回避したテティノは機敏な動きで構えを取り、魔力を集中させる。
「ウォータースパウド!」
巨大な水の竜巻が触手共々魔物を飲み込んでいく。竜巻に飲まれた魔物は不気味な声を轟かせながらももがき始める。それに応えるかのように、再び地面が揺れ出す。地響きによって思うように動けないテティノに触手が飛んで来る。
「ぐおあ!」
触手の攻撃を受けたテティノは吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられる。レウィシアは剣を手に魔力を高めると、足元にいたソルがレウィシアの懐に飛び込んで行く。ソルがレウィシアの中に入ると、レウィシアの全身が炎のオーラに包まれる。
「はあああっ!」
レウィシアの炎に包まれた剣技が次々と魔物に決まる。だがその攻撃にはキレがなく、何処か躊躇しているように見えていた。ラファウスはその様子を不思議に思いながらも、足元にいたエアロが自身の中に入り込むと風の魔力を最大限に高める。
「螺旋の風よ……ハリケーンスパイラル!」
螺旋状に巻き起こる真空波が魔物を襲う。真空波は魔物の全身を引き裂いていき、ズタズタに肉が裂けた魔物は凄まじい叫び声を上げながらも触手を振り回して大暴れを始める。地響きの中、触手に叩き付けられるレウィシアとラファウス。
「ぐはっ! うっ……」
咳込んで唾液を吐き出し、体を起こすレウィシアを前に、水のオーラに包まれたテティノが立つ。
「余計な真似をするなと言ったはずだ」
背中を向けたまま冷たく言い放つテティノは魔力を高めていた。


一方、ウォーレン率いる槍騎兵隊は魔物の群れを全滅させ、ウォーレンと数人の兵はテティノの後を追って穴に飛び込んでいた。
「まさか、穴の底にこんな洞窟があったとは……」
洞窟の中を進んでいると、背後から足音が聞こえて来る。
「誰だ!」
ウォーレンが振り返ると、一人の男が歩いていた。背中に二本の刀を装着し、忍の装束を着た物々しい雰囲気を放つ男であった。
「怪しい奴め、貴様は何者だ?」
ウォーレン達が一斉に槍を構える。
「……この奥にいるターゲットに用がある。貴様らに用は無い」
男は二本の刀を抜き、一瞬でウォーレンと槍騎兵を峰内で倒していく。槍騎兵隊が倒れると、男は静かに洞窟の奥へ進んで行った。

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