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目覚めし七の光

氷の中の絶望と孤独

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この身体……何と居心地の良い。忌まわしきフロストールの王族でありながらも私の新たな肉体に相応しいものだったとは実に皮肉なものよ。先程は復活が不完全だった故に不覚を取ったが、今度ばかりは完璧だ。

……そうか、お前は王女だったのか。ククク……思わぬ手土産を貰った気分だわ。お前はこれから私のものとなる。私と共に生きるのよ。


――やはりあなただったのね。今、全てが解った気がする。あなたは……



メルベリアの身体を手に入れたフロスティアは再び氷結の塔に戻り、忌々しげに塔の屋上からフロストール城を見下ろす。
「闇の力を思い知れ」
闇のオーラを身に纏ったフロスティアは闇の冷気を放つ。黒い吹雪がフロストール城を覆い始めた。


闇の冷気の影響は地下砦にも及んでおり、凍える程の冷気が砦全体を包み込んだ。
「ううっ、何だこの恐ろしい寒さは……」
「凍り付きそうだぜ」
住民は寒さによって感覚が麻痺する程凍えていた。玉座の間に戻ったグライン達も身震いする寒さに襲われている。
「おのれ……フロスティアめ。姉様の身体を使ってこんな力を!」
シルベウドは身が凍る感覚に耐えながらも怒りに震える。
「くそ、どうすればいいんだ! このままでは王国の人々が……」
被害を食い止める為にグライン達はフロスティアを倒しに行こうにも、今のフロスティアはメルベリアの身体である。このままではフロスタル大陸全体が闇の冷気によって滅ぼされるのは時間の問題だ。かといってメルベリアまでも犠牲にするわけにはいかない。一体どうすれば……。そんな中、シルベウドが口を開く。
「……最早、あの手を使うしかないのか」
シルベウドの言うあの手とは、かつてフロストール王がフロスティアを封印する為に使った古代魔法『封邪の秘法』である。封邪の秘法は自身の魔法力や生命力を費やす事で封印の石を作り出し、邪悪な力を持つ存在を石の中に封印するという。だが、封印する者の力が大きい程消費する魔法力と生命力の量は増していき、フロスティアの力はフロストール王の全ての魔法力と生命力を費やす程の大きさだった。それ故にフロストール王は命を失ったのだ。
「封邪の秘法……ですッテ?」
ティムが青ざめた様子で言う。
「知ってるのか?」
「エエ……決して人間が使ってハならない古代魔法の一種ヨ。どうしてそんな魔法ヲ……」
封邪の秘法は王国にて古来伝わっていたもので、王族の間では初代国王が国を滅ぼす程の脅威から守る為に古代の文明から発見したものだと言われていた。秘法が記された書物は地下砦の書庫に保管され、偶然にもシルベウドは書物から秘法の存在と共に、父王がフロスティアを封印した方法を知ってしまったのだ。
「どこまでモ罪な王国ネ……よりにもよって命を失う古代魔法に頼るなんテ」
ティムの声には静かな憤りが含まれていた。
「王子、一体何をお考えなのです? まさか封邪の秘法を……?」
大臣の問いにシルベウドは黙って頷く。
「いけません! それだけは絶対に使ってはなりません! 王は秘法を使った事で命を失ったのですぞ!」
切羽詰まった様子で大臣が制する。
「……確かに、父様が命を失った事を考えると決して使ってはならぬものだろうな。だが……今は躊躇している場合ではない。早く奴を何とかしないと、フロスタル大陸は……」
シルベウドは俯き加減で手を震わせながらも、半ば引き攣ったような険しい表情で呟く。フロスティアが本格的に滅ぼしに掛かっている以上、一刻の猶予もない状況と悟り、メルベリアと自分自身の犠牲を覚悟しつつも王国やフロスタル大陸を守る為に封邪の秘法を使ってフロスティアを封印しようと考えているのだ。
「何をバカな事言ってるノ! アナタの姉様を犠牲にしテ命を捨てルつもりなノ?」
シルベウドの考えを察したティムが強い口調で言う。
「気を遣ってくれるのは有難いが……このままではフロスタル大陸どころか、世界の全てが奴に凍らされてしまう。姉様を救いたいのは山々だが……奴に身体を奪われたんだ。僕達のせいで、これ以上君達に迷惑は掛けられない」
「だからと言って本当にそれでいいと思ってるんですか!」
言ったのはグラインであった。顔には怒りが表れている。
「……だったら、君達に奴を姉様の身体から追い出す方法があるのか?」
反論するシルベウド。
「そ、それは……」
メルベリアを救える方法を探ろうにも策が思いつかず、返す言葉がないグライン。重苦しい空気の中、更に冷気が砦内を襲う。
「うおおお、寒い! も、もう限界だぜ……」
凍える感覚に襲われ、身体を震わせるクレバル。
「もう解っただろう。グズグズしている暇すらもない。早く行動に移さねば奴の冷気で完全に凍り付いてジ・エンドだ」
冷徹に振る舞うシルベウドの目は自身の感情を殺している事を物語っている、とても悲しい色をしていた。本当は姉様を救いたい。だが、姉様を助け出したいが為に躊躇していては確実に取り返しがつかなくなる。何故こんな決断を強いられなければならないのか。自分はどうなってもいい。せめて姉様だけでも救い出したいのに。そんな感情を抑えてまで姉を犠牲にし、自分の命まで捨てる覚悟で挑まなければならないという残酷な運命に立たされたシルベウドは、血を吐く思いに満たされていた。
「……イイエ。一か八かだけド、方法がないワケではないワ」
突然のティムの一言。
「どういう事だ」
こんな時に何を言うつもりなんだとシルベウドは思う。
「メルベリアちゃんの意識を呼び出すのヨ」
ティムの考えは、フロスティアの中に眠るメルベリアの意識をシルベウドが呼び掛ける事で目覚めさせ、活路を見出すという事であった。
「何を言ってるんだ。仮にそんな事で姉様の意識を呼び出せたところでどう解決に結びつくと言うのだ」
シルベウドの反論にはグライン達も同意であった。
「まさか、そこでお前の不思議な力ってわけか?」
クレバルからの一言。
「……マ、そんなところネ。その為にモ、エレメントオーブが必要になるワ」
一瞬間を空けての上でティムが言う。
「エレメントオーブだと? しかしあれを持ち出したら砦の者達は……」
「ワタシ達がフロスティアの闇の力ニ耐えらレなかったラ元も子モないでショ!」
氷のエレメントオーブはクリスタの勇者の力でフロスティアの闇の力を抑える事が出来る。地下砦が最小限の影響で済んでいるのもオーブのおかげであり、グライン達がフロスティアの闇の力に耐える為にもオーブが必要不可欠になっている状況なのだ。
「解った。奴を止められるのは我々しかいない以上、止むを得んな。ティムとやら。一つの賭けとして君の作戦に乗ってみるが、もしダメだったらその時は……」
言い終わらないうちに、シルベウドはティムの提案に乗りつつも即座にエレメントオーブのある地下砦の奥へ向かって行く。
「ティム、一体どうするつもりなの?」
リルモが問い掛ける。
「オーブにハ勇者の力が込められていル。一つの賭けだけド、それヲ利用すれバ……」
ティムはオーブの中に眠る勇者の力にはクリスタの意思が宿っていると考え、勇者の力で闇の力を抑えると同時にクリスタの意思を呼び覚ます事でフロスティアの復讐心を拭うという狙いであった。だがそれは賭けであり、良い結果に向かう保証はない。しかし、姉弟共々犠牲になるという末路は避けたい。その為の策だ。
「何だかよくわからない作戦だけど、あのボウヤの為にもしっかりやる事ね」
ガザニアが腕組みしたままぼやくと、オーブを持ったシルベウドが現れる。
「待たせたな。フロスティアはまだこの近くにいるようだ。急ぐぞ」
グライン達はシルベウドと共にフロスティアの居場所へ向かおうとする。
「お、王子……」
思わず止めようとする大臣だが、シルベウドの固い意思を目の当たりにした瞬間、黙り込んでしまう。
「王子さんよ、この近くにいるってのは確定なのかい?」
フロスティアがいる場所の信憑性について問うクレバル。
「あぁ、何だか解らんがオーブを手にしているとそんな気がしたんだ」
シルベウド曰く、オーブを手にした瞬間、不思議な力が伝わっていくのを感じ取り、何故かフロスティアの居場所が読めるようになったという。フロスティアは現在、氷結の塔の屋上にいるとの事だ。それはきっとクリスタの意思によるものだとティムが言う。
「それにしても、君は一体……」
シルベウドはティムの正体がどうしても気になるばかりだった。地下砦から出ると、黒光りする凄まじい闇の吹雪が視界を奪う勢いで荒れ狂っている。凍える感覚に襲われるものの、仄かな光がグライン達を纏い始める。シルベウドの持つ氷のエレメントオーブが淡い光を放っていた。
「さ、寒いけど……何だか暖かいような……」
オーブによる勇者の力がグライン達を闇の吹雪から守っているのだ。
「勇者の力……今までこの力で砦の者達を守っていた。となると……」
シルベウドが振り返ると、フロストール城は既に巨大な黒い氷の塊と化していた事を知り、血の気が引く思いをする。
「早くフロスティアを!」
氷結の塔へ足を急がせる一行。闇の吹雪によって、道中の魔物すらも凍り付いている。吹雪に包まれた塔を登っていき、屋上にはメルベリアの姿のフロスティアが佇んでいた。
「フン……来たわね」
グライン達の姿を見た瞬間、フロスティアは目を赤く光らせる。
「忌々しいフロストールの王族め。お前だけはこの姿で嬲り殺しにしてやろうと待っていたのよ」
憎悪を剥き出しにして顔を歪めるフロスティアを前に身構えるグライン達。シルベウドは動じずにフロスティアを見つめている。
「……姉様! 姉様! 僕の声が聞こえるなら……どうか応えてくれ! 姉様!」
大声でメルベリアに呼び掛けるシルベウド。そこでティムが氷のエレメントオーブを両手で握り締め、念じ始める。
「小癪な! 凍りつけ!」
フロスティアが闇の冷気を放つ。
「う……ぐ!」
漆黒に輝く冷気は全身の感覚を奪っていき、一瞬で下半身が凍り始めるグライン達。その時、オーブが光り輝くと同時に辺りが不思議な暖かさに覆われ始める。
「グアアッ! この光……クリスタめ! まだ私の邪魔するの!」
その暖かさは勇者の力によるもので、グライン達は下半身の凍結から解放される。
「姉様! お願いだ……目を覚ましてくれ! 姉様!」
シルベウドが更に呼び掛けると、フロスティアは突如、激しい苦しみに襲われる。
「ガアアアアアアア! 邪魔をするなクリスタ! 私は……私はあああああ!」
頭を抑えながらも苦しむフロスティア。グライン達は一体何が起きようとしているんだ、と身構えるばかり。



……姉様! 姉様!


フロスティアの意識の中――眠るメルベリアはシルベウドの声で目を覚ます。

「この声……シルベウド?」

メルベリアは思わずシルベウドを探す。だが今自分がいる場所は、無限に広がる闇の空間の中。フロスティアの意識の中に存在する世界であった。

そう、私はフロスティアに身体を奪われ、心を封印された。今まで聞いていた恨みの声は、フロスティアの声だった。彼女の魂が私の心に触れた時、私は全てを知ってしまった。それは勇者達の時代の頃――王国の人々が勇者を崇める余り、勇者の姉であったフロスティアが勇者を死に追いやったと思い込んで彼女を迫害し、王国から追放した罪を犯していたと。そしてその罪は私とシルベウドには一切知らされていなかった。王国が許されざる罪を隠していた事実と、孤独と絶望に打ちひしがれていたフロスティアの悲しみを知った私は彼女を憐れみ、この身を捧げた。私は病に蝕まれている身であり、どの道長くはない。病を抱えているが故に外の世界へ行く事は許されず、唯一の肉親となった弟は王位を継ぐ為の教育を受けていてろくに接する事も出来ず、病床で隔離されてばかりの孤独な日々を送っていた。だからこそフロスティアを憐れむ気持ちが生まれたのかもしれない。


「此処にいたのね……王女」


メルベリアの前に現れたのは、光に包まれた女――氷塊の勇者クリスタだった。


「あなたは……」
「私はクリスタ。氷塊の勇者と呼ばれし者……」
クリスタはジッとメルベリアを見つめている。
「邪心に捉われた姉……スティアを受け入れたのね」
メルベリアは目の前にいるクリスタがフロスティアの妹だという事実を知らされ、驚きの表情を浮かべる。
「あなたは姉に全てを奪われてはいけない。私の力で、あなたを姉の意識世界から脱出させてみる。そうすればあなたの肉体から姉を追い出せるかもしれないから」
フロスティアの意識の中から脱出させようとメルベリアに手を差し出すクリスタだが、メルベリアはその手を取ろうとせず、俯くばかり。
「……どうしたの?」
クリスタが顔を覗き込むと、メルベリアは顔を上げる。
「悪いけどそれは出来ない。彼女は絶望と孤独に苦しんでいる。今まで彼女の悲しみに満ちた恨みの声を聞いていたから……」
抑揚のない声でクリスタの考えを拒むメルベリア。これまで聞かされた恨みの声はフロスティアの憎悪と悲しみである事や、フロスティアが邪心に捉われるきっかけとなった王国の許されざる過去を知らされ、少しでも彼女の悲しみを受け止めてあげたいと思うようになった。病に冒されている事を理由に隔離されていた自分も孤独だったから、フロスティアの気持ちが理解出来る。だから傍にいてあげたい、と。
「確かに国民のしてきた事は愚かだった。私を勇者と崇めるばかり、姉に矛先を向けるなんて……。でも、今の姉は復讐に身を任せ、罪を犯している。優しかった頃の姉はもう死んだのよ」
クリスタが淡々と言うと、メルベリアは眉を顰めつつも黙り込んでしまう。
「あなたは弟のところへ帰るのよ。姉の為に、あなたが犠牲になる必要はないんだから」
手を差し出したまま言葉を続けるクリスタ。メルベリアは手を取らずに距離を縮め、クリスタと目線を合わせる。
「……あなたがフロスティアの妹だというのなら、彼女の気持ちを聞いてあげたらどうなの?」
クリスタは思わず目を見開かせる。
「彼女はずっと苦しみ続けていたのよ。あなたが彼女を庇って死んだ事も……あなたが勇者だったから、彼女は……」
その一言にクリスタはメルベリアを引っ叩いてしまう。
「……そうよ。元はと言えば私のせいよ。私が勇者じゃなければ……!」
クリスタの目から涙が零れ落ちる。
「私にだって、姉が苦しんでいた事は理解出来るわよ! 姉があんな事になったのは、私が勇者だったせいで……」
項垂れ、止まらない涙を溢れさせるクリスタを前に叩かれた頬を抑えつつも立ち尽くすメルベリア。


姉様――


不意にシルベウドの声が響き渡り、メルベリアは辺りを見回す。
「おのれ……化けてまで邪魔するのか、クリスタ……」
現れたのは、元の姿のフロスティアだった。
「……姉さん……」
クリスタはフロスティアの姿を見て悲しげな表情を浮かべる。
「お前も私を滅ぼそうというの……死んでも勇者の使命に従うつもりなの……!」
フロスティアは激昂する。
「出来れば姉さんを滅ぼしたくないわ。王国に復讐するのはやめて。それが私の望みよ」
クリスタが涙目で訴えかけるものの、フロスティアはますます激昂するばかり。
「黙れ! 王国は私を追放したんだ……お前を崇めるばかりに、私から全てを奪ったんだ!」
凄まじい憎悪を剥き出しにしたフロスティアの表情は醜く歪んでいた。
「……やはり、戻れないところまで来てしまったのね。私の知ってる姉さんは……運命に殺されたのよ」
クリスタが両手を差し出すと、青白い光が溢れ出す。氷塊の勇者が扱える光であった。光を浴びたフロスティアは激しく苦しみ出す。
「あ……ぐっ! あああああッ! や、やめろ……」
苦しむフロスティアを見たメルベリアは思わず駆け寄ろうとするものの、光に触れた瞬間、手が凍傷したような痛みが襲い掛かる。
「メルベリア王女。あなたは闇の血を引く存在……我が勇者の力を受けると命を落とす事になるわ」
クリスタの一言に身を引くメルベリア。


姉様――目を覚ましてくれ……お願いだ! 姉様は僕のたった一人の肉親なんだ……! お願いだから僕のところに戻って来てくれ……姉様!


再びシルベウドの声が聞こえ始める。メルベリアは思わずシルベウドの事を考えてしまう。


シルベウド……たった一人の肉親。

王制や持病のせいでお互いのすれ違いが続いていたとはいえ、姉弟である事に変わりない。


私はどれくらい生きられるのか解らないけど……私が死んだら、シルベウドはどれくらいの悲しみを背負うのだろうか。

今、シルベウドは私を救おうとしている。余命幾ばくもない私を。

シルベウド……もし私達が王族じゃなかったら、姉弟仲良く過ごせていたのかな。



「ぐ……メルベリア! こいつを……こいつを何とかしろ!」
クリスタの勇者の力を止めるようメルベリアに言うフロスティア。だがメルベリアはぼんやりと立ち尽くすばかりで、止めようとしない。
「メルベリア! 聞こえないのか!」
怒鳴るフロスティア。メルベリアはずっとシルベウドの呼び掛けを聞いていたのだ。


僕は姉様を失いたくないんだ! 姉様には……生きてて欲しい。だから……だから……戻って来て……姉様……



「シルベウド……」
メルベリアはシルベウドの声を聞いているうちに、涙を流すシルベウドの姿がうっすらと見えていた。
「メルベリア……私を憐れんでおきながら、裏切るというのかァッ!」
凄まじい形相で怒鳴り付けるフロスティアだが、メルベリアは動こうとせず、俯き加減に手を震わせる。
「もうお止めなさい」
クリスタは勇者の力を放ちながらも、そっとフロスティアの前まで歩み寄る。
「姉さん……今までずっと辛かったでしょう? 今も苦しんでいるんでしょう? だから、今その苦しみから解放させてあげる」
問い掛けるようにクリスタが言う。その目からは再び涙が溢れ出す。
「く、おのれ……邪魔を……邪魔をするなああああああ!」
光の中で苦しみながらも絶叫するフロスティア。
「メルベリア王女。今からあなたを姉の意識から脱出させる。まだ拒むというのなら……あなたは命を失う事になる」
今この場にいるメルベリアは自身の心そのものであり、魂でもある。フロスティアが死ぬと意識世界は完全に消滅し、意識世界から脱出しないと死を迎える事になる。そんなクリスタの言葉を聞いたメルベリアは一瞬フロスティアの苦しむ姿を見るものの、すぐさまクリスタと目線を合わせ、黙って頷いた。そして心の中で呟く。



ごめんなさい、フロスティア。私はあなたの傍にいる事は出来ない。私を必要としてくれる弟がいるから――。



「うっ……ぐがああああああああ!」
意識の中でのフロスティアの絶叫は、現実においてもメルベリアの身体で叫んでいた。それはまるで悪夢から醒めたかのような絶叫ぶりである。
「な、何が起きたんだ?」
驚くばかりのグライン達。次の瞬間、白目を剥いたメルベリアの口から青白い霧が吐き出される。
「まさカ……」
オーブを握り締めているティムが確信する。青白い霧がフロスティアの本体だという事を。
「グライン! アレがフロスティアよ!」
ティムの言葉にグラインは即座に炎の魔力を呼び起こす。
「フレイムアロー!」
矢のような形をした炎が青白い霧に襲い掛かる。
「ウガアアアアアアアアアッ!」
断末魔の叫び声が響き渡る中、青白い霧は炎の中で蒸発するように消え去った。メルベリアは白目を剥いたまま、その場でバタリと倒れてしまう。
「姉様!」
シルベウドがメルベリアの元へ駆け寄る。意識を失っているものの、心臓は動いていた。周囲を覆い尽くしていた闇の冷気は止まっている。それはフロスティアが完全に倒された事を意味していた。
「……姉様は生きている。僕達は勝ったんだな」
周囲を確認するグライン達だが、邪気は感じられない。
「思い切った賭けだったケド、大成功だったみたいネ」
ティムがウィンクすると、シルベウドは安堵したように微笑みかける。
「とにかく、今はメルベリアさんを安全な場所に運ばなきゃ」
グライン達は倒れたメルベリアを地下砦に運び出す。冷気は収まり、フロストール城を覆っていた黒い氷は解けていた。




ダメですよ。王女様は病を患われている身。どうかお部屋でお身体を大切になさって下さい――


王女の中に潜む病魔は、王女を孤独に陥れた。王女が持つ闇の血は王妃である母から譲り受けたもので、病は母が患っていたものと同じであった。長らく蝕んでいた病魔は母の命を奪い、王女の身体に巣食っている。王国の医学士によると、病は闇の血を引く人間の中で稀に発病する遺伝性の難病であり、治療法も解明されていない。王制のままに王位を継ぎ、亡き父に代わって国を治める新たな王として生きる事となった弟の王子とは距離が遠のいて溝が生まれ、姉弟のすれ違いが続いていた。


姉様は病気なんだから、身体を大事にしないとダメだろ。また発作が起きたらどうするんだ。

僕は色々忙しいんだ。部屋で大人しく本でも読んでてくれよ。


王としての職務に勤しみ、まるで疎ましく思っているかのように突き放す弟。病人な故、身体を大事にとかいった理由で病床で過ごす事しか許されなくなっていた。


そんな過去が次々と蘇る中、王女は目を覚ます。視界に映るのは、弟の姿。


「姉様!」
メルベリアが目を覚ますと、シルベウドは歓喜の声を上げる。赤く染まっていた目の色は碧眼に戻り、フロスティアの憑依から完全に解放されていた。
「シルベウド……私は一体……」
状況が把握出来ず、ぼんやりとした様子でメルベリアが呟く。そこでティムが全ての出来事を打ち明ける。
「そう……フロスティアはあなた達が……」
メルベリアは悲しげな表情で項垂れると、シルベウドが突然涙を流す。
「……もういいんだよ姉様……もう……彼女の事は考えなくていいんだよ」
涙を流しながらも、シルベウドはメルベリアに抱きつく。突然の弟の行動に驚き戸惑うメルベリア。
「姉様……ごめん……ごめんよ……僕は……」
嗚咽を漏らしながらも、シルベウドは話す。メルベリアがフロスティアに身体を奪われた時、王国やフロスタル大陸どころか世界全体が取り返しのつかない事態になる事は避けられず、自分とメルベリアの犠牲を覚悟して封邪の秘法を使おうとしていた事。メルベリアがフロスティアを憐れんで受け入れた理由が、メルベリア自身も孤独を感じていた故に気持ちが理解出来るからだったという事をエレメントオーブに宿るクリスタが教えてくれたと。その事を知ってから今までメルベリアの身を案じてはいたものの、父に代わって国を治める者としての使命を重んじるがままに各国の出来事、様々な魔法と歴史等の研究、兵力の育成といった職務を優先し、突き放す形で病床に隔離させていた事を悔やみつつも、メルベリアを犠牲にする事なく無事で救い出せたという現実に感極まり、涙が止まらなくなっていた。
「シルベウド……泣かないで……」
胸の中で泣くシルベウドをそっと撫でるメルベリア。その表情は、儚くも穏やかなものであった。
「……これデ、よかったのヨ」
姉弟を見守りつつもティムが呟く。フロスティアを救うには倒すしか他になかった。闇の力を手にした彼女に残っていたのは完全なる憎悪だけだった。人としての心を失い、憎悪のままに世界を滅ぼす存在に堕ちた彼女は忌まわしき過去の傷がもたらす痛みでずっと苦しみ続けていた。そんな彼女を倒す事は、呪われた運命による苦しみから救う為でもあったのだ、と。


それから――グライン一行はシルベウドに呼ばれて玉座の間へやって来る。玉座に居座るシルベウドの傍らには大臣の他、メルベリアもいる。
「君達のおかげで姉様とフロストール王国を救う事が出来た。心から礼を言うぞ。本当にありがとう」
感謝の意を述べるシルベウド。大臣とメルベリアも感謝とばかりに頭を下げる。
「このような災いが生まれたのも、全ては王国の身勝手さによる罪が生んだもの。決して忘れてはならぬ事だ。それに……」
シルベウドはリルモに視線を向けると、申し訳なさそうな表情になる。
「リルモといったな。君の御父上の事は本当に済まなかった。せめてもの償いとして我々に出来る事なら何でもするつもりだ。我々に望む事があらば遠慮なく言うと良い」
リルモは思わず険しい表情になるが、一呼吸置いて口を開く。
「……償う意思があるのなら、人として許されない過ちを二度と繰り返さないで下さい。そして、自分達の保身の為に嘘は付かない事を約束して下さい」
真剣な表情で思う事を打ち明けるリルモ。
「解った。君の言葉を真摯に受け止める。レイニーラの王には過去の真実を伝えておこう。そして君達や世界の平和の為に役立てる事があらば全力を尽くすと此処に誓おう」
シルベウドが決意を表明すると、鋭い目を大臣に向ける。
「大臣よ。聞いたな。リルモの言葉を忘れるでないぞ。もし今後何かよからぬ動きをすればその時は容赦せん。よいな!」
過去の愚行を咎めるかのようにシルベウドが言う。
「はい、重々承知しております! 本来なら処罰に値する愚行ですが……リルモ殿の意思を胸に刻みつつも、生涯掛けて償うと此処に誓います」
償いの意思を示す大臣。リルモはふとメルベリアに視線を移すと、申し訳なさそうな表情に変わる。
「メルベリアさん。あの時はつい乱暴な事をしてしまってごめんなさい」
頭を下げてメルベリアに謝罪するリルモ。父の敵討ちで頭に血が登る余り、行く手を阻むメルベリアを感情任せに突き飛ばしてしまった事を気にしていたのだ。
「いいのよ、気にしなくて。過ぎた事だから……」
メルベリアは優しい眼差しでリルモを見つめる。あの時の自分は明らかに自暴自棄だったし、本当に殴り倒してたらと思うと……。感情に流されて一時期自分を見失っていた事を反省し、自分を戒めるリルモ。何があったのだとシルベウドが問うものの、メルベリアは何でもないわと冷静に返した。
「これにて一件落着ネ。氷のエレメントオーブは預からせてもらうわヨ」
ティムが持つ氷のエレメントオーブは淡い水色の光を放っていた。
「うむ。王国を救ってくれた君達ならば、いずれ世界に希望をもたらす者だと信じられる。きっとクリスタも力になってくれるであろう」
念願のオーブを手に入れた一行は快くシルベウド達に見送られつつも、地下砦から出ようとする。
「キーッ! こんな物騒なところ、居てらんないわよ!」
ルビーの声が響き渡る。フロスティアの闇の冷気で再び氷漬けの憂き目に遭い、冷気から解放されてから危険な場所だと認識するようになり、早く他の場所へ行きたいと喚いているのだ。
「あ、グラインさん! この人達何とかしてよ!」
ペチュニアが困った様子で駆けつけてくると、めんどくさいなと言わんばかりの表情になるグライン。
「アンタ達、丁度いいところに来たわ! 今すぐ気球の修理を手伝ってもらうわよ!」
「オネエ様の言う通り! 気球がないとこの大陸から出られないんだぜ!」
「そうそう!」
口々に移動手段である気球の修理を要求してくるルビー一味。やなこったと反論するクレバルを横に、ガザニアが一輪の花を取り出し、フゥッと息を吹き掛ける。
「アラ……何かしら? 急に眠くなってきたわ……」
「オレもですぜ、オネエ様……」
「同じくですぜ、オネエ様……」
突然眠気に襲われたルビー一味はその場で深い眠りに就いてしまう。ガザニアの自然魔法の一種であり、眠気を招く香りの花を利用した眠りの息吹であった。
「悪いけど、こんな目障りなバカトリオに構ってられないの。後はあなた達が何とかしてちょうだい」
冴える毒舌のガザニアを前に苦笑いするペチュニア。グラインが次の目的地へ旅立つ事を話すと、ペチュニアはグライン一行を送りつつもフリズル村に帰る為、ロペロ達芸人一座に挨拶をしていく。
「そうか、行っちまうんだな」
「うん。私は村の踊り子だからね。それに、新メンバー候補もいるからさ」
新メンバー候補とは、ルビー一味の事であった。
「あいつらか……色々手が掛かりそうだが、悪くはないかもな」
「まあ何かあったらまた来るよ。それじゃ、またね!」
「ああ。お前さんもしっかりやれよ!」
芸人一座に見送られ、地下砦を後にするグライン達。ペチュニアと共にフリズル村に辿り着き、村の船着き場で海獣ドーファンを呼び寄せる。ドーファンに乗り込んだ一行を見守るペチュニアと座長。
「グラインさーん! 旅人の皆さーん! またねー!」
ペチュニアの声が響く中、ドーファンが動き始める。フロスタル大陸を離れ、次なる目的地へ向かい始めた。リルモは封魔の緋石を握り締め、首に掛けているペンダントを眺めつつも亡き父を思う。



父さん……母さんと共に空の上で私を見守っているのかな。

あの時からずっと帰らなくなっていても、いつかきっと会えると思っていた。 

行方不明になっているって聞かされたせいで、何処かにいると心の中で信じていた。


……それがもう叶わない事だと知った今……父さんと母さんの分まで生きなくちゃ。


父さんと母さんは……もういないんだから。



グラインはリルモの心中を察するものの、声を掛けず、黙って見守るばかりだった。残るエレメントオーブはあと一つ。ドーファンは、風のエレメントオーブがあるとされるオストリー大陸へと向かっていく。



グライン一行が去った後、シルベウドは静まり返った無人のフロストール城に出ていた。闇の冷気による氷は消えたものの、城内の至る所に氷が残っている。
「……こうなったのも、民の愚かさが招いた災いか」
シルベウドはフロスティアの悲しき過去について考えつつも思う。災いは去ったものの、爪痕が残っているのは戒めだろうな、と。その時、背後から足音が聞こえてくる。メルベリアであった。
「姉様?」
「邪魔だったかしら? つい城の様子が気になったから」
「ああ、構わないよ」
メルベリアは城内に残る氷を見て、フロスティアの力によって残された爪痕だと感じ取る。
「私があの時代の人間だったら、身を挺して彼女を守っていたわ。彼女は……ずっと救いを求めていたのよ」
メルベリアの呟きにシルベウドは振り返り、そして決意を新たにする。彼女のような悲劇を繰り返さない為にも、国を治める者として人の過ちは何たるかを伝えていかなければならない。偽りや迫害など決してあってはならぬ事だと。
「姉様。僕はこれからも色々やらなきゃいけない事がある。もし何か行き詰まるような事があったら……相談に乗ってくれてもいいか? 出来る事なら……姉様の傍にいてあげたいんだ」
シルベウドが抱えていた自分の気持ちをメルベリアに打ち明ける。
「……いいに決まってるでしょ。そんな事、最初から素直に言えば……」
思わず涙ぐむメルベリア。国を治める立場を重んじていた事もあって今まで誰にも頼らず自分一人で解決しようとしていた上、自分を疎んでいるかのように隔離ばかりさせていた弟が始めて自分を頼ろうとしている。そして自分に寄り添おうとしている。そんな気持ちを打ち明けた事で、メルベリアは何とも言えない嬉しさを感じていた。シルベウドは穏やかに微笑みかけ、ありがとうと礼を言う。
「私がこうしてあなたの傍にいれるのも……あなたが私を想い、呼び掛けてくれたからよ」
メルベリアはそっとシルベウドを抱きしめる。フロスティアの意識の中で聞いたシルベウドの声は、自分を必要としてくれる想いが感じられたから。彼女の傍にいてあげたいという気持ちがあっても、唯一の肉親である弟の気持ちを拒みたくない想いがあったから元の自分に戻れたのだと。あとどれくらい生きられるか解らないけど、自分にも出来る事なら、弟の力になりたい。弟を抱きしめながら、メルベリアも礼を言う。ありがとう、と。



姉弟は、城の屋上に出る。吹雪が止み、暗くなった空にはうっすらとオーロラが見えていた。シルベウドは空を見上げながら思う。



ありがとう、世界に希望をもたらす新たな勇者達よ。

君達の旅の無事を、心から祈る――。


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