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女将軍の想い
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一人の少女が、冷えた夜の荒野を走る。
背後には幾つもの魔物の目が光る。それはまさしく獲物を狙う目。獲物とされた少女が鋭い牙に掛かるのも時間の問題であった。石に躓き、転ぶ少女の前には涎を滴らせた魔物が醜悪な表情を浮かべている。恐怖と絶望のあまり、目を閉じた瞬間―――肉を切り裂く音と共に耳障りな咆哮が響き渡った。
目を開けると、長い髪とマントを靡かせた長身の女が立っていた。両手には物々しい形状の大剣を持っている。女は、襲い来る魔物を瞬時に大剣で切り裂いていく。返り血が舞う中、女が振り返る。
「お前のようなか弱き娘が、こんなところで一人出歩くとは何事だ」
気迫のある女の目つきに、思わず怯む少女。
「安心しろ。魔物どもは全て片付いた。安全な場所へ連れて行ってやる」
女が手を差し伸べると、少女は恐る恐るその手を取る。少女を連れた女が向かう先は、荒野に存在する小さな町と中心部に聳え立つ城―――エクセルス王国であった。
「これはルシェイル将軍!お帰りなさいませ!」
門番の男が敬礼すると、快く城門を開けていく。女―――ルシェイルは少女を城に招き入れ、上階に設けられた自室へ案内する。部屋にはダブルベッドと簡易な浴室が設けられていた。
「こんな城に案内されるとは思わなかったか?」
「は、はい……あの……助けて頂いてありがとうございます」
「礼には及ばん。何故魔物どもが徘徊する夜の荒野に一人出歩く必要がある。家出のつもりか?」
「え、えっと……」
少女は俯きながらも、返答に戸惑い始める。
「さては何か言えぬ事情があるのか」
ルシェイルがそっと顔を寄せ、目線を合わせて言うと、少女は目を逸らせてしまう。
「……まあいい。余程の事情なのか知らんが、気分が落ち着くまで此処にいるといい。だが、落ち着き次第話してもらうぞ」
冷徹な声でルシェイルが言うと、少女は俯き加減で黙りこくっていた。
「お前の名前を聞かせてもらおう。私はルシェイル・レオハーケン」
「私は……ティアーナ・ベラドイアです」
「……良い名だ。覚えておいてやる」
ルシェイルはマントを翻し、部屋から出る。ティアーナは去り行くルシェイルの姿を見て、心の中が熱くなるのを感じていた。
部屋から出たルシェイルは謁見の間へ向かう。多くの兵士が並ぶ中、エクセルス王を前に跪くルシェイル。
「ご苦労だったな、ルシェイル」
「ハッ、王国の周囲に急増した魔物どもは全て片付けました」
「そうか。だが、油断するでないぞ。魔物どもの気配はまだまだ消えておらぬ。領土拡大の戦の邪魔となる者は全て排除するのだ」
多くの魔物が生息する荒野の王国エクセルス―――王は、敵国として対立しているシルベランド王国の征圧による領土拡大を目的とした戦争を計画していた。王国の将軍であるルシェイルを筆頭にした戦士達は戦の兵力となる者を育成しつつも王国の周辺に湧き上がる魔物達を駆除する毎日で、王国中が常に殺伐としている状況であった。王妃は病によって既に先立たれ、子供は存在しておらず、王族となる者は王ただ一人だけであった。
「見知らぬ娘を保護しただと?」
「たった一人で夜の荒野を彷徨い、魔物に襲われていました。現時点では事情を説明しようとしない様子です。単なる家出だと思われますが」
「ふむ……何処とも知れぬ家出娘の面倒など見る必要は無い。事情を聞いて早々に親元に帰しておけ」
「ハッ」
ルシェイルは深々と頭を下げ、謁見の間を後にした。
部屋の中でティアーナがぼんやりとした表情で一人佇んでいると、ルシェイルが入ってくる。
「少しは気分が落ち着いただろう。さあ、話してもらおう。我々はお前のような見知らぬ娘の面倒など見ていられんのだ」
ルシェイルが鋭い目を向けると、ティアーナは心を落ち着けながらゆっくりと話し始めた。
「……私は、奴隷として売られていた」
ティアーナは俯きながら自身の経緯を話す。
とある街の富豪の娘として生まれたティアーナ・ベラドイア。物心ついた頃から母親を病で亡くし、父親は街に現れた凶暴な魔物に襲われた事によって壮絶な死を遂げた。両親を失ったティアーナは叔母となる人物に引き取られ、遺産も叔母に相続される事となったが、叔母は自分本位かつ私利私欲のままに生きる性悪な人物であった。引き取られた姪であるティアーナは疎か、実の子供も自分にとって疎ましく思い、邪魔な存在だと認識して街で暗躍している人身売買を目的とした闇商人に売り飛ばすという愚行に出る程だった。闇商人の商品として選ばれたティアーナは長い間、暗く冷たい地下牢の中で過ごす事となるが、自身が奴隷用の商品として売り出される際に叔母の子供達の必死の抵抗によってその場から逃れ、街から逃げ出してきたのだ。
「奴隷……だと?」
ルシェイルの表情が強張り始める。
「あの人は私だけじゃなく、実の子供も売っていた。私にはどうする事も出来なかった。あんな人に引き取られたせいで……私は……」
ティアーナは涙を流すと、ルシェイルはティアーナをそっと自らの胸に抱き寄せる。
「……大丈夫だ。お前の辛さは私にも解る。奴隷は、絶対に許さぬ事だ」
ルシェイルはティアーナを胸に抱きながら、過去を振り返りつつも自身の境遇を語る。幼少期の頃―――それはルシェイルにとって最も忌まわしい時期であった。
生まれた頃から両親に捨てられ、凍てつく吹雪に覆われた北の地に存在するバストフ王国を治める女王ジュリアーヌの元に引き取られたルシェイル・レオハーケン。ジュリアーヌは自身が治める国を歴史に名を残す帝国へ発展させようと考えていた冷酷な野心家であり、国民や各地にいる身寄りのない子供、行き場を失った人々を奴隷として働かせていた。ジュリアーヌに引き取られたルシェイルも奴隷として働かされるようになり、子供ながら地獄のような毎日を過ごし、今も傷跡が残る程の生傷が絶えない仕打ちを受けていた。暴君に等しいジュリアーヌはやがて女帝と呼ばれるようになり、その悪名は世界各地に名を知らしめるようになった。ある日の深夜、ルシェイルは隙を見つけて王国から脱出を試みる。猛吹雪の中、兵士達に追われながら逃走するものの、途中で力尽きるのは火を見るよりも明らかであった。体力を使い果たし、意識を失うルシェイル。だが、ルシェイルが目を覚ました場所は城の地下牢ではなく、暖炉の温度に満たされた家の中だった。目の前にいるのは、穏やかな表情をした男だった。傍らには白い体毛の犬がいる。
「こんなところに小さな女の子がいたなんて驚いたよ。その恰好、きっとバストフの奴隷として働かされていたんだな」
男は優しそうな口調で接する。村の道具屋にて買い出しに出掛けていたら突然飼い犬が走り出したので、後を追うと意識を失い、倒れていたルシェイルの姿を発見して村まで運んだのだ。
「君も色々辛かっただろう。でも大丈夫だ。ずっとここにいていいんだよ」
何も言えず、怯えるばかりのルシェイルの頭をそっと撫でる男。この日は男の住む家で一晩を過ごし、翌朝、男は村人に事情を説明した。だが、村人はルシェイルに対して冷ややかな目を向けていた。
「その子、バストフ王国の奴隷なんだろう?脱走してきたって事は、そのうちバストフの兵士が来るじゃないか」
村人の間にもジュリアーヌの暴君ぶりは知れ渡っており、ルシェイルを追う兵士達の襲撃に遭うのではと恐れを抱いていた。
「何を言ってるんだ!この子はまだ子供なのに奴隷として働かされていたんだぞ!」
「それはわかるけどねぇ……アルト。あんたも知ってるだろう?バストフの女帝ジュリアーヌの暴君ぶりをさ」
アルトと呼ばれた男は項垂れる。
「あの女帝の事だ。村を焼き払ってまでその子を取り戻しに来るに決まってるぞ!」
「そうだ!オレ達村人までもが奴隷にされなかったのは奇跡みたいなもんだからな!」
畏怖の念を抱く村人達を前にアルトは成す術もなく、ルシェイルを連れて村から出る事を選んだ。吹雪の中、ルシェイルを守るように抱えて雪の道を歩くアルト。
「クッ……何故だ。この子を助けたいという気持ちはないのか……!」
ルシェイルは口を利く事も出来ず、アルトに抱かれながら身震いさせていた。村を追われた今、行く当てもないまま凍てつく大地を彷徨う中、数人の人影が見える。人影は、バストフ王国の兵士だった。
「おい、あそこにいたぞ!」
アルトに抱えられているルシェイルを見つけた兵士達が追い始める。吹き荒れる猛吹雪で視界を遮られながらも全速力で逃げるアルト。
僕はどうなっても構わない……どうかこの子だけでも、助けてくれ……!
そう願った瞬間、アルトは兵士達に捕まっていた。だが、ルシェイルの姿はそこにはなかった。兵士達はルシェイルを探そうとしたが、ルシェイルは付近の川に流されていた。兵士達に捕まる瞬間、アルトはルシェイルを川に放り投げたのだ。冷え切った川に流されるルシェイルは、既に意識を失っていた。
それからどれくらい経ったのか―――目を覚ますと、大きなベッドが設けられた立派な部屋。そこは、エクセルス城の一室だった。
「目を覚ましたか?」
部屋に入って来たのは、エクセルス王だった。
「君のような子が海を漂流していたとは驚いたぞ。我が国の兵士が発見してくれたのは奇跡の一言だな」
川に流されてから海に数日間の間漂流していたルシェイルは、エクセルス王国の岬付近まで流れ着いたところを兵士が発見して保護され、殆ど冷え切った体で風前の灯火の状態だったが、王国に住む高等なるヒーラーの手厚い回復魔法を施された事によって奇跡的に一命を取り留めたのだ。両親に捨てられ、暴君の限りを尽くす女帝が治める王国から逃げ、身寄りのないルシェイルの事情を知った王はルシェイルを引き取る事を選び、実の娘のように育てていった。成長していくに連れて自身を苦しめていた女帝に立ち向かえる強さを求めるようになり、王や城の兵士長から剣の腕を鍛えられ、十年後、ルシェイルは王国の将軍として任命されるようになった。
「バストフの女帝ジュリアーヌめ……あれから十年経つが、奴はまだ奴隷を求めているのか」
ルシェイルは過去の記憶を振り返りながらも拳を震わせる。
「私、これからどうしよう……」
ティアーナが呟く。
「……私が何とかしてやる。今は大人しくしていろ」
ルシェイルは様々な想いを抱えながらも、静かに部屋から出る。再び謁見の間を訪れたルシェイルは、王にティアーナの事情を全て話した。
「バストフ王国の奴隷として売られそうになった娘、か。悪名高き女帝が治めるバストフの奴らも我々にとって邪魔な存在となり得るかもしれぬな」
「彼女は如何致しましょう?」
「……お前の好きにするがいい」
王の返事に安堵の表情を浮かべるルシェイル。
「ありがとうございます。ではこれにて失礼致します」
ルシェイルは深々と頭を下げ、謁見の間を去ると衣装部屋に向かう。独特の匂いが漂う数々の衣装を漁りつつ、白いドレスを手にティアーナがいる部屋にやって来る。
「着替えておけ。お前に相応しい服装だ」
ティアーナは戸惑いながらも、言う通りに与えられた衣装に着替え始める。白いドレスに着替えたティアーナの姿は、儚いお姫様のように見えた。
「ふむ、思っていたよりも似合っているな。気に入ったか?」
「え、ええ……ありがとう、私の為にわざわざここまで……」
「何、この城で過ごす為にも、それ相応の身なりでないといかんからな」
「え……」
ルシェイルはそっと顔を寄せ、ティアーナの頬を撫でる。
「お前には帰る場所がないのだろう?これからはこの城で過ごす事を許可してやる」
その一言にティアーナはただ呆然とするばかりだった。
「お前は……私が守る。薄汚い下衆どもの手からな」
ルシェイルはティアーナの手の甲にそっとキスをする。その行動に、ティアーナは驚きながらも顔を赤らめていた。
翌日―――ルシェイルの部屋で一晩過ごしたティアーナは王と顔を合わせる為、ルシェイルと共に謁見の間に来ていた。
「なるほど、そなたがルシェイルの言っていたティアーナか」
「はい……」
「美しい姿だ。そなたならば我が王国の……いや、そなたも色々苦労しただろう。我が王国一の実力者と呼ばれる将軍ルシェイルに引き取られた事を感謝するのだぞ」
王が歓迎の言葉を投げかけると、ティアーナは深く頭を下げる。
「この城の者として生きていくならば、まず城の手伝いから始めるのだ。部屋の掃除をするメイドとして働くと良いだろう」
城での仕事の紹介をされたティアーナは、ルシェイルに連れられてメイドの元へ向かう。
「ひっ!?これはルシェイル将軍!」
メイドの女性が面食らったような表情をする。
「そう驚くな。新人を連れて来ただけだ」
「へ?新人?」
「そうだ。様々な事情でこの城に過ごす事となったティアーナだ。彼女と共に仕事を頼む」
「はっ!わ、わかりました!」
声を張って敬礼をするメイドの女性。
「ティアーナ、しっかり働くのだぞ」
「は、はい。あの……よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
ティアーナとメイドの女性が挨拶をすると、ルシェイルは静かにその場を去った。
「えっと、ティアーナちゃんだったわね。私はメイドのメリン。その恰好で大丈夫なの?」
「え、ええ……これしか用意してもらえなかったから」
「まあいいわ。じゃあまず、部屋の掃除について説明するわね」
メリンの親切な指導に従いながらも、ティアーナはメイドの仕事を着実とこなしていった。
一週間後―――。
「はああっ!!」
夕焼けの空の下、気迫に満ちた声を上げ、魔物を大剣で一刀両断するルシェイル。だが、魔物は他にいた。背後からは鋭い牙を持つ魔獣が三体同時に襲い掛かって来る。
「チッ……まだ湧くか」
ルシェイルは魔獣の鋭い牙による攻撃に手傷を負いながらも、大剣で次々と切り裂いていく。肉を裂き、舞い上がる赤黒い血がルシェイルの身を汚していく。夜になり、激しく息を切らせつつも返り血に塗れた姿で城へと帰還する。王への報告を終え、ティアーナがいる自室へと向かう。
「ルシェイル!その姿……」
「ああ、大した事は無い。魔物どもの汚れた血だ」
椅子の上で腰掛けるティアーナは少し浮かない表情をしていた。
「どうした?」
「……私、本当に此処にいてもいいのかしら」
「何?」
「この城の人々はいい人ばかりで、私のような余所者でも迎え入れてくれたけど……ルシェイル。あなたは私の事、エクセルス王国の者として受け入れてくれるの?」
ルシェイルはティアーナに近づくと、顎に手を添えて顔を覗き込む。
「あの時言ったはずだ。お前は私が守る、とな。最早お前はエクセルスの民であり、未来の姫でもあるのだ」
「未来の……姫……?」
「だから、余計な心配はしなくて良い。ティアーナよ」
ルシェイルはティアーナの唇を奪う。突然のキスに思わず顔を赤らめ、体を硬直させるティアーナ。それは、血と汗の臭いが混じったような独特の味がするキスであった。
「……ルシェイル……どうして……」
混じり合う吐息の中、伝わる体温を感じながらもティアーナは鼓動の高鳴りが止まらなかった。ルシェイルはティアーナの表情を見ているうちに、得も言われぬ感情を抱くようになっていた。
「……体を洗い流して来る。お前も早いうちに入浴しておけ」
感情を押し殺しつつも、ルシェイルは部屋の浴場へ入って行く。
何だ……この何とも言えぬ感情は。
女でありながらも、女相手に特別な感情を抱くようになったというのだろうか。
だが、ティアーナの姿や表情を見ているうちに、私は不思議な感覚に陥っていたのだ。
冷徹なる将軍と呼ばれていたこの私が、余所者の娘相手に持つ特別な感情……そしてその感情のままに行ってしまった突然の口付け……この感情は私にとって必要なものなのだろうか。
もし必要だとしたら、それは―――。
ルシェイルが浴場で体を洗っている間、ティアーナは突然のキスの感覚が唇に残っているが故に放心状態になっていた。胸を抑えているうちに、混み上がる熱い感覚。それは何を意味するのか、ティアーナにはまだ答えが導き出せない。
あの人……ルシェイルの姿に何か惹かれるものがあった。
それは憧れという感情と、言葉ではなかなか言い表せない不思議な感情。
そして突然のキス。
あの人との出会いは、何かの運命なのかもしれない。
私にとって最も大きな、最も意味のある運命を表しているのかもしれない。
その運命の答えは―――。
それから更に時が経ち、二人は次第に心を通わせるようになっていた。ティアーナはメイドの仕事をこなしながらも、魔物を討伐する任務から帰還した兵士達やルシェイルの食事を用意していた。食卓では会話を交わしたり、同じ部屋でルシェイルと共に過ごす毎日を送っていた。ある日、ティアーナは王から呼び出され、謁見の間へ足を運んだ。玉座に座る王とルシェイル、そして多くの兵士。ティアーナは一体何が、と思いながらも王の前に跪いた。
「ティアーナ・ベラドイアよ。そなたが我が王国へ来てから早三ヶ月。ルシェイルから聞かされていたかもしれぬが……近い将来、我がエクセルスは領土拡大を目的とした戦を計画している。そこで、我がエクセルスの民に勇気と希望を与える姫君の存在が必要と考えた。そなたには我が王国の姫となってもらう」
王からの思わぬ言葉に立ち尽くすティアーナ。清楚な雰囲気が漂う美貌と、王国では冷徹な将軍と呼ばれるルシェイルの心を動かしたという点が王の眼鏡に適い、王国の姫君として選ばれたのだ。
「私が……姫だなんて……」
戸惑うティアーナに、祝福の拍手を送る兵士達。
「ティアーナよ。もはやそなたはわしの娘のような存在。ルシェイルと親密な関係となり、心を通じ合わせているとならば我が王国の姫として迎え入れねばならぬ。ルシェイルもそう望んでいるであろう」
ルシェイルは無言でティアーナに視線を向けると、ティアーナはふとルシェイルの言葉を思い出す。
あの時言ったはずだ。お前は私が守る、とな。最早お前はエクセルスの民であり、未来の姫でもあるのだ。
言葉の意味を知った時、ティアーナはどう言い表して良いかわからない感情に襲われていた。ルシェイルは美しい宝玉が鏤められた金のティアラをそっとティアーナの頭に添える。
「さあ、姫よ。この手を取るがいい」
ルシェイルが手を差し出す。ティアーナは俯き加減でその手を握ると、更に周囲からの拍手と声援が巻き起こる。
「お前達の関係性も心から応援させてもらう。我がエクセルスの未来と共に歩むがいい」
ルシェイルは深く頭を下げ、ティアーナの手を引きながらも謁見の間から出る。向かった先は、地下に設けられた庭園だった。庭園には、様々な美しい花が咲いている。
「ルシェイル……一体何故……」
現状を飲み込めていないティアーナは言葉にならない想いに満ちていた。
「ティアーナよ、お前は我が王国の民として生きる事を選んだ。そしてお前は私にとって守るべき存在。私には、お前が受けた苦しみと悲しみを誰よりも理解出来る。だからこそ、ずっとお前を守りたい」
顎に手を添え、至近距離で囁くようにルシェイルが言うと、ティアーナの鼓動が高鳴り始める。
「お前の美しさは、姫と呼ぶに相応しい。私にとっても、お前は姫なのだ」
距離が近いまま言葉を続けるルシェイル。感じる吐息の中、ティアーナは表情を赤く染めたまま体を硬直させてしまう。ルシェイルはティアーナの体に手を回し、抱き寄せる形で唇を奪う。舌から伝わる、柔らかくて甘い唇の味。それは、愛に溢れた濃厚なキスであった。重なり合った唇はゆっくりと離れていく。
「……ルシェ……イル……」
ティアーナはルシェイルのキスを受け、甘い吐息を漏らしていた。ルシェイルはティアーナを抱きしめる。胸の中で暖かな体温と鼓動を感じながらも、ティアーナはうっすらと涙を浮かべていた。
背後には幾つもの魔物の目が光る。それはまさしく獲物を狙う目。獲物とされた少女が鋭い牙に掛かるのも時間の問題であった。石に躓き、転ぶ少女の前には涎を滴らせた魔物が醜悪な表情を浮かべている。恐怖と絶望のあまり、目を閉じた瞬間―――肉を切り裂く音と共に耳障りな咆哮が響き渡った。
目を開けると、長い髪とマントを靡かせた長身の女が立っていた。両手には物々しい形状の大剣を持っている。女は、襲い来る魔物を瞬時に大剣で切り裂いていく。返り血が舞う中、女が振り返る。
「お前のようなか弱き娘が、こんなところで一人出歩くとは何事だ」
気迫のある女の目つきに、思わず怯む少女。
「安心しろ。魔物どもは全て片付いた。安全な場所へ連れて行ってやる」
女が手を差し伸べると、少女は恐る恐るその手を取る。少女を連れた女が向かう先は、荒野に存在する小さな町と中心部に聳え立つ城―――エクセルス王国であった。
「これはルシェイル将軍!お帰りなさいませ!」
門番の男が敬礼すると、快く城門を開けていく。女―――ルシェイルは少女を城に招き入れ、上階に設けられた自室へ案内する。部屋にはダブルベッドと簡易な浴室が設けられていた。
「こんな城に案内されるとは思わなかったか?」
「は、はい……あの……助けて頂いてありがとうございます」
「礼には及ばん。何故魔物どもが徘徊する夜の荒野に一人出歩く必要がある。家出のつもりか?」
「え、えっと……」
少女は俯きながらも、返答に戸惑い始める。
「さては何か言えぬ事情があるのか」
ルシェイルがそっと顔を寄せ、目線を合わせて言うと、少女は目を逸らせてしまう。
「……まあいい。余程の事情なのか知らんが、気分が落ち着くまで此処にいるといい。だが、落ち着き次第話してもらうぞ」
冷徹な声でルシェイルが言うと、少女は俯き加減で黙りこくっていた。
「お前の名前を聞かせてもらおう。私はルシェイル・レオハーケン」
「私は……ティアーナ・ベラドイアです」
「……良い名だ。覚えておいてやる」
ルシェイルはマントを翻し、部屋から出る。ティアーナは去り行くルシェイルの姿を見て、心の中が熱くなるのを感じていた。
部屋から出たルシェイルは謁見の間へ向かう。多くの兵士が並ぶ中、エクセルス王を前に跪くルシェイル。
「ご苦労だったな、ルシェイル」
「ハッ、王国の周囲に急増した魔物どもは全て片付けました」
「そうか。だが、油断するでないぞ。魔物どもの気配はまだまだ消えておらぬ。領土拡大の戦の邪魔となる者は全て排除するのだ」
多くの魔物が生息する荒野の王国エクセルス―――王は、敵国として対立しているシルベランド王国の征圧による領土拡大を目的とした戦争を計画していた。王国の将軍であるルシェイルを筆頭にした戦士達は戦の兵力となる者を育成しつつも王国の周辺に湧き上がる魔物達を駆除する毎日で、王国中が常に殺伐としている状況であった。王妃は病によって既に先立たれ、子供は存在しておらず、王族となる者は王ただ一人だけであった。
「見知らぬ娘を保護しただと?」
「たった一人で夜の荒野を彷徨い、魔物に襲われていました。現時点では事情を説明しようとしない様子です。単なる家出だと思われますが」
「ふむ……何処とも知れぬ家出娘の面倒など見る必要は無い。事情を聞いて早々に親元に帰しておけ」
「ハッ」
ルシェイルは深々と頭を下げ、謁見の間を後にした。
部屋の中でティアーナがぼんやりとした表情で一人佇んでいると、ルシェイルが入ってくる。
「少しは気分が落ち着いただろう。さあ、話してもらおう。我々はお前のような見知らぬ娘の面倒など見ていられんのだ」
ルシェイルが鋭い目を向けると、ティアーナは心を落ち着けながらゆっくりと話し始めた。
「……私は、奴隷として売られていた」
ティアーナは俯きながら自身の経緯を話す。
とある街の富豪の娘として生まれたティアーナ・ベラドイア。物心ついた頃から母親を病で亡くし、父親は街に現れた凶暴な魔物に襲われた事によって壮絶な死を遂げた。両親を失ったティアーナは叔母となる人物に引き取られ、遺産も叔母に相続される事となったが、叔母は自分本位かつ私利私欲のままに生きる性悪な人物であった。引き取られた姪であるティアーナは疎か、実の子供も自分にとって疎ましく思い、邪魔な存在だと認識して街で暗躍している人身売買を目的とした闇商人に売り飛ばすという愚行に出る程だった。闇商人の商品として選ばれたティアーナは長い間、暗く冷たい地下牢の中で過ごす事となるが、自身が奴隷用の商品として売り出される際に叔母の子供達の必死の抵抗によってその場から逃れ、街から逃げ出してきたのだ。
「奴隷……だと?」
ルシェイルの表情が強張り始める。
「あの人は私だけじゃなく、実の子供も売っていた。私にはどうする事も出来なかった。あんな人に引き取られたせいで……私は……」
ティアーナは涙を流すと、ルシェイルはティアーナをそっと自らの胸に抱き寄せる。
「……大丈夫だ。お前の辛さは私にも解る。奴隷は、絶対に許さぬ事だ」
ルシェイルはティアーナを胸に抱きながら、過去を振り返りつつも自身の境遇を語る。幼少期の頃―――それはルシェイルにとって最も忌まわしい時期であった。
生まれた頃から両親に捨てられ、凍てつく吹雪に覆われた北の地に存在するバストフ王国を治める女王ジュリアーヌの元に引き取られたルシェイル・レオハーケン。ジュリアーヌは自身が治める国を歴史に名を残す帝国へ発展させようと考えていた冷酷な野心家であり、国民や各地にいる身寄りのない子供、行き場を失った人々を奴隷として働かせていた。ジュリアーヌに引き取られたルシェイルも奴隷として働かされるようになり、子供ながら地獄のような毎日を過ごし、今も傷跡が残る程の生傷が絶えない仕打ちを受けていた。暴君に等しいジュリアーヌはやがて女帝と呼ばれるようになり、その悪名は世界各地に名を知らしめるようになった。ある日の深夜、ルシェイルは隙を見つけて王国から脱出を試みる。猛吹雪の中、兵士達に追われながら逃走するものの、途中で力尽きるのは火を見るよりも明らかであった。体力を使い果たし、意識を失うルシェイル。だが、ルシェイルが目を覚ました場所は城の地下牢ではなく、暖炉の温度に満たされた家の中だった。目の前にいるのは、穏やかな表情をした男だった。傍らには白い体毛の犬がいる。
「こんなところに小さな女の子がいたなんて驚いたよ。その恰好、きっとバストフの奴隷として働かされていたんだな」
男は優しそうな口調で接する。村の道具屋にて買い出しに出掛けていたら突然飼い犬が走り出したので、後を追うと意識を失い、倒れていたルシェイルの姿を発見して村まで運んだのだ。
「君も色々辛かっただろう。でも大丈夫だ。ずっとここにいていいんだよ」
何も言えず、怯えるばかりのルシェイルの頭をそっと撫でる男。この日は男の住む家で一晩を過ごし、翌朝、男は村人に事情を説明した。だが、村人はルシェイルに対して冷ややかな目を向けていた。
「その子、バストフ王国の奴隷なんだろう?脱走してきたって事は、そのうちバストフの兵士が来るじゃないか」
村人の間にもジュリアーヌの暴君ぶりは知れ渡っており、ルシェイルを追う兵士達の襲撃に遭うのではと恐れを抱いていた。
「何を言ってるんだ!この子はまだ子供なのに奴隷として働かされていたんだぞ!」
「それはわかるけどねぇ……アルト。あんたも知ってるだろう?バストフの女帝ジュリアーヌの暴君ぶりをさ」
アルトと呼ばれた男は項垂れる。
「あの女帝の事だ。村を焼き払ってまでその子を取り戻しに来るに決まってるぞ!」
「そうだ!オレ達村人までもが奴隷にされなかったのは奇跡みたいなもんだからな!」
畏怖の念を抱く村人達を前にアルトは成す術もなく、ルシェイルを連れて村から出る事を選んだ。吹雪の中、ルシェイルを守るように抱えて雪の道を歩くアルト。
「クッ……何故だ。この子を助けたいという気持ちはないのか……!」
ルシェイルは口を利く事も出来ず、アルトに抱かれながら身震いさせていた。村を追われた今、行く当てもないまま凍てつく大地を彷徨う中、数人の人影が見える。人影は、バストフ王国の兵士だった。
「おい、あそこにいたぞ!」
アルトに抱えられているルシェイルを見つけた兵士達が追い始める。吹き荒れる猛吹雪で視界を遮られながらも全速力で逃げるアルト。
僕はどうなっても構わない……どうかこの子だけでも、助けてくれ……!
そう願った瞬間、アルトは兵士達に捕まっていた。だが、ルシェイルの姿はそこにはなかった。兵士達はルシェイルを探そうとしたが、ルシェイルは付近の川に流されていた。兵士達に捕まる瞬間、アルトはルシェイルを川に放り投げたのだ。冷え切った川に流されるルシェイルは、既に意識を失っていた。
それからどれくらい経ったのか―――目を覚ますと、大きなベッドが設けられた立派な部屋。そこは、エクセルス城の一室だった。
「目を覚ましたか?」
部屋に入って来たのは、エクセルス王だった。
「君のような子が海を漂流していたとは驚いたぞ。我が国の兵士が発見してくれたのは奇跡の一言だな」
川に流されてから海に数日間の間漂流していたルシェイルは、エクセルス王国の岬付近まで流れ着いたところを兵士が発見して保護され、殆ど冷え切った体で風前の灯火の状態だったが、王国に住む高等なるヒーラーの手厚い回復魔法を施された事によって奇跡的に一命を取り留めたのだ。両親に捨てられ、暴君の限りを尽くす女帝が治める王国から逃げ、身寄りのないルシェイルの事情を知った王はルシェイルを引き取る事を選び、実の娘のように育てていった。成長していくに連れて自身を苦しめていた女帝に立ち向かえる強さを求めるようになり、王や城の兵士長から剣の腕を鍛えられ、十年後、ルシェイルは王国の将軍として任命されるようになった。
「バストフの女帝ジュリアーヌめ……あれから十年経つが、奴はまだ奴隷を求めているのか」
ルシェイルは過去の記憶を振り返りながらも拳を震わせる。
「私、これからどうしよう……」
ティアーナが呟く。
「……私が何とかしてやる。今は大人しくしていろ」
ルシェイルは様々な想いを抱えながらも、静かに部屋から出る。再び謁見の間を訪れたルシェイルは、王にティアーナの事情を全て話した。
「バストフ王国の奴隷として売られそうになった娘、か。悪名高き女帝が治めるバストフの奴らも我々にとって邪魔な存在となり得るかもしれぬな」
「彼女は如何致しましょう?」
「……お前の好きにするがいい」
王の返事に安堵の表情を浮かべるルシェイル。
「ありがとうございます。ではこれにて失礼致します」
ルシェイルは深々と頭を下げ、謁見の間を去ると衣装部屋に向かう。独特の匂いが漂う数々の衣装を漁りつつ、白いドレスを手にティアーナがいる部屋にやって来る。
「着替えておけ。お前に相応しい服装だ」
ティアーナは戸惑いながらも、言う通りに与えられた衣装に着替え始める。白いドレスに着替えたティアーナの姿は、儚いお姫様のように見えた。
「ふむ、思っていたよりも似合っているな。気に入ったか?」
「え、ええ……ありがとう、私の為にわざわざここまで……」
「何、この城で過ごす為にも、それ相応の身なりでないといかんからな」
「え……」
ルシェイルはそっと顔を寄せ、ティアーナの頬を撫でる。
「お前には帰る場所がないのだろう?これからはこの城で過ごす事を許可してやる」
その一言にティアーナはただ呆然とするばかりだった。
「お前は……私が守る。薄汚い下衆どもの手からな」
ルシェイルはティアーナの手の甲にそっとキスをする。その行動に、ティアーナは驚きながらも顔を赤らめていた。
翌日―――ルシェイルの部屋で一晩過ごしたティアーナは王と顔を合わせる為、ルシェイルと共に謁見の間に来ていた。
「なるほど、そなたがルシェイルの言っていたティアーナか」
「はい……」
「美しい姿だ。そなたならば我が王国の……いや、そなたも色々苦労しただろう。我が王国一の実力者と呼ばれる将軍ルシェイルに引き取られた事を感謝するのだぞ」
王が歓迎の言葉を投げかけると、ティアーナは深く頭を下げる。
「この城の者として生きていくならば、まず城の手伝いから始めるのだ。部屋の掃除をするメイドとして働くと良いだろう」
城での仕事の紹介をされたティアーナは、ルシェイルに連れられてメイドの元へ向かう。
「ひっ!?これはルシェイル将軍!」
メイドの女性が面食らったような表情をする。
「そう驚くな。新人を連れて来ただけだ」
「へ?新人?」
「そうだ。様々な事情でこの城に過ごす事となったティアーナだ。彼女と共に仕事を頼む」
「はっ!わ、わかりました!」
声を張って敬礼をするメイドの女性。
「ティアーナ、しっかり働くのだぞ」
「は、はい。あの……よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
ティアーナとメイドの女性が挨拶をすると、ルシェイルは静かにその場を去った。
「えっと、ティアーナちゃんだったわね。私はメイドのメリン。その恰好で大丈夫なの?」
「え、ええ……これしか用意してもらえなかったから」
「まあいいわ。じゃあまず、部屋の掃除について説明するわね」
メリンの親切な指導に従いながらも、ティアーナはメイドの仕事を着実とこなしていった。
一週間後―――。
「はああっ!!」
夕焼けの空の下、気迫に満ちた声を上げ、魔物を大剣で一刀両断するルシェイル。だが、魔物は他にいた。背後からは鋭い牙を持つ魔獣が三体同時に襲い掛かって来る。
「チッ……まだ湧くか」
ルシェイルは魔獣の鋭い牙による攻撃に手傷を負いながらも、大剣で次々と切り裂いていく。肉を裂き、舞い上がる赤黒い血がルシェイルの身を汚していく。夜になり、激しく息を切らせつつも返り血に塗れた姿で城へと帰還する。王への報告を終え、ティアーナがいる自室へと向かう。
「ルシェイル!その姿……」
「ああ、大した事は無い。魔物どもの汚れた血だ」
椅子の上で腰掛けるティアーナは少し浮かない表情をしていた。
「どうした?」
「……私、本当に此処にいてもいいのかしら」
「何?」
「この城の人々はいい人ばかりで、私のような余所者でも迎え入れてくれたけど……ルシェイル。あなたは私の事、エクセルス王国の者として受け入れてくれるの?」
ルシェイルはティアーナに近づくと、顎に手を添えて顔を覗き込む。
「あの時言ったはずだ。お前は私が守る、とな。最早お前はエクセルスの民であり、未来の姫でもあるのだ」
「未来の……姫……?」
「だから、余計な心配はしなくて良い。ティアーナよ」
ルシェイルはティアーナの唇を奪う。突然のキスに思わず顔を赤らめ、体を硬直させるティアーナ。それは、血と汗の臭いが混じったような独特の味がするキスであった。
「……ルシェイル……どうして……」
混じり合う吐息の中、伝わる体温を感じながらもティアーナは鼓動の高鳴りが止まらなかった。ルシェイルはティアーナの表情を見ているうちに、得も言われぬ感情を抱くようになっていた。
「……体を洗い流して来る。お前も早いうちに入浴しておけ」
感情を押し殺しつつも、ルシェイルは部屋の浴場へ入って行く。
何だ……この何とも言えぬ感情は。
女でありながらも、女相手に特別な感情を抱くようになったというのだろうか。
だが、ティアーナの姿や表情を見ているうちに、私は不思議な感覚に陥っていたのだ。
冷徹なる将軍と呼ばれていたこの私が、余所者の娘相手に持つ特別な感情……そしてその感情のままに行ってしまった突然の口付け……この感情は私にとって必要なものなのだろうか。
もし必要だとしたら、それは―――。
ルシェイルが浴場で体を洗っている間、ティアーナは突然のキスの感覚が唇に残っているが故に放心状態になっていた。胸を抑えているうちに、混み上がる熱い感覚。それは何を意味するのか、ティアーナにはまだ答えが導き出せない。
あの人……ルシェイルの姿に何か惹かれるものがあった。
それは憧れという感情と、言葉ではなかなか言い表せない不思議な感情。
そして突然のキス。
あの人との出会いは、何かの運命なのかもしれない。
私にとって最も大きな、最も意味のある運命を表しているのかもしれない。
その運命の答えは―――。
それから更に時が経ち、二人は次第に心を通わせるようになっていた。ティアーナはメイドの仕事をこなしながらも、魔物を討伐する任務から帰還した兵士達やルシェイルの食事を用意していた。食卓では会話を交わしたり、同じ部屋でルシェイルと共に過ごす毎日を送っていた。ある日、ティアーナは王から呼び出され、謁見の間へ足を運んだ。玉座に座る王とルシェイル、そして多くの兵士。ティアーナは一体何が、と思いながらも王の前に跪いた。
「ティアーナ・ベラドイアよ。そなたが我が王国へ来てから早三ヶ月。ルシェイルから聞かされていたかもしれぬが……近い将来、我がエクセルスは領土拡大を目的とした戦を計画している。そこで、我がエクセルスの民に勇気と希望を与える姫君の存在が必要と考えた。そなたには我が王国の姫となってもらう」
王からの思わぬ言葉に立ち尽くすティアーナ。清楚な雰囲気が漂う美貌と、王国では冷徹な将軍と呼ばれるルシェイルの心を動かしたという点が王の眼鏡に適い、王国の姫君として選ばれたのだ。
「私が……姫だなんて……」
戸惑うティアーナに、祝福の拍手を送る兵士達。
「ティアーナよ。もはやそなたはわしの娘のような存在。ルシェイルと親密な関係となり、心を通じ合わせているとならば我が王国の姫として迎え入れねばならぬ。ルシェイルもそう望んでいるであろう」
ルシェイルは無言でティアーナに視線を向けると、ティアーナはふとルシェイルの言葉を思い出す。
あの時言ったはずだ。お前は私が守る、とな。最早お前はエクセルスの民であり、未来の姫でもあるのだ。
言葉の意味を知った時、ティアーナはどう言い表して良いかわからない感情に襲われていた。ルシェイルは美しい宝玉が鏤められた金のティアラをそっとティアーナの頭に添える。
「さあ、姫よ。この手を取るがいい」
ルシェイルが手を差し出す。ティアーナは俯き加減でその手を握ると、更に周囲からの拍手と声援が巻き起こる。
「お前達の関係性も心から応援させてもらう。我がエクセルスの未来と共に歩むがいい」
ルシェイルは深く頭を下げ、ティアーナの手を引きながらも謁見の間から出る。向かった先は、地下に設けられた庭園だった。庭園には、様々な美しい花が咲いている。
「ルシェイル……一体何故……」
現状を飲み込めていないティアーナは言葉にならない想いに満ちていた。
「ティアーナよ、お前は我が王国の民として生きる事を選んだ。そしてお前は私にとって守るべき存在。私には、お前が受けた苦しみと悲しみを誰よりも理解出来る。だからこそ、ずっとお前を守りたい」
顎に手を添え、至近距離で囁くようにルシェイルが言うと、ティアーナの鼓動が高鳴り始める。
「お前の美しさは、姫と呼ぶに相応しい。私にとっても、お前は姫なのだ」
距離が近いまま言葉を続けるルシェイル。感じる吐息の中、ティアーナは表情を赤く染めたまま体を硬直させてしまう。ルシェイルはティアーナの体に手を回し、抱き寄せる形で唇を奪う。舌から伝わる、柔らかくて甘い唇の味。それは、愛に溢れた濃厚なキスであった。重なり合った唇はゆっくりと離れていく。
「……ルシェ……イル……」
ティアーナはルシェイルのキスを受け、甘い吐息を漏らしていた。ルシェイルはティアーナを抱きしめる。胸の中で暖かな体温と鼓動を感じながらも、ティアーナはうっすらと涙を浮かべていた。
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