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第四章「渇愛の奇魂」

第46話 祭の朝

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「一、二、三、四!」

 芦達祭あだちさい当日。この日も海斗かいとは朝から稽古に取り組んでいた。月曜日から始まった準備期間のお陰で連日帰りは遅くなっていたが、生徒たちの間ではお祭り前の盛り上がりで日々が充実している雰囲気だった。

「一、二、三、四!」

 そのお陰だろうか。芦達祭あだちさいが始まるこの日に至るまで、ぬえの気配も、その暗躍による異変の前兆も見られない。お陰で海斗かいとはこの数日を体力を回復し、稽古に打ち込む時間に充てることができた。

「うむ。だんだんと動きもよくなってきたのう」

 武志たけし海斗かいとによって繰り返される型を見ながら頷く。

「最近は取り組む姿勢も見違えとる。伊薙の後継ぎとして自覚がやっと芽生えて来たみたいじゃの!」
「ははは……」

 海斗かいとは苦笑する。とは言え、この短い期間に彼に心境の変化があったのは事実だ。
 これまでのミサキとの戦いで、海斗かいとは全くと言っていいほど戦力になっていない。それをずっと気にしていた。
 鎌鼬かまいたちには圧倒され、みずちには勾玉が力を貸してくれなければ殺されていた。妖狐の時もそうだ。ミサキが手を貸してくれていなければ海斗かいと美波みなみと共に屋上から転落していたに違いない。

「よし、次はわしと動きを合わせてみるぞ」
「ああ」

 もっと強く。皆を守れるくらいに。ミサキが分離した今、戦うとなれば海斗かいと本人の力が求められる。それは伊薙いなぎ家の先祖、武深たけみのように、ミサキの霊力と海斗かいとの武の力を――。

「あれ?」

 海斗かいとはふと何かに気が付いた。海斗かいとが刀を、ミサキが霊力を使い戦う。それはまるで――。

「んがっ!?」

 強烈な衝撃が海斗かいとの思考を中断させた。武志たけしの竹刀が海斗かいとの防御を抜けて脳天を思い切り叩いていた。

「なーにをやっとるんじゃ。突然動きが鈍くなりおって?」
「うおお……痛い」

 当然受け止めるものと思っていた一撃が綺麗に海斗かいとの頭を打ったことに、武志たけしも驚いていた。

「最近、美波みなみちゃんやら御琴みことちゃんと遊び惚けておるからじゃ。しゃきっとせい!」
「いや、ちょっと今大事なことを……あいたたた」

 まだ目の前で星が散っている。お陰で考えていたことが飛んでしまった。

「よいか。いざという時のために一寸の見切りを身に付けるんじゃ。相手の攻撃の軌道を察知し、最小限の動きか剣で受け流して攻撃を回避する。この見切りから攻撃に転じるコツこそ伊薙の剣術の極意じゃ」
「いや、それ宮本武蔵じゃなかった?」

 武志たけしから借りた本の中にそのような記述があったのを海斗かいとは記憶していた。放っておくと二天一流すら伊薙家のものにしてしまうのではないだろうかと海斗かいとは思った。

「細かいことはいいんじゃ」
「いやダメでしょ、じいちゃん」
「ともかく。最小限の動きで回避か受け流しができれば、相手は攻撃後の隙が生まれ、己は敵の懐に飛び込んでおる。そこへ一撃を入れるのじゃ!」

 武志たけしがゆっくりと実演を踏まえて海斗かいとに動きを説明する。霞の構えで敵に近づいて攻撃を受け流し、返す刀で下段から――。

「ちょちょちょ、ちょっと待ってじいちゃん!」
「ぬおっ!? なんじゃいきなり!」
「今の動き、もう一度やって!」

 海斗かいとの剣幕に訝りながら、武志たけしはもう一度、その動きを海斗かいとに見せる。霞の構えを取り、敵からの攻撃を想定して足を運ぶ。

「そして、ここで敵の上段からの攻撃を受け流す。あるいは見切り、敵の懐で下段から振り上げる!」
「嘘だろ……」

 その動きに海斗かいとは見覚えどころか、身に覚えがあった。敵の攻撃をかわし、或いは受け流し、刀を後方へと向けて下段から振り上げるように敵を切り裂く。あたかも刀が半円を描くかのような軌道で繰り出されるその技。たった二回だけだがその身で放ち、妖をほふった必殺の技。

「神威一閃!?」
「なんじゃ、その漫画の必殺技みたいなネーミングは。これは名付けて伊薙一刀流三日月の型じゃ!」
「いや、名付けないでよ!?」
「仕方ないじゃろ。元々の名前が忘れられてしまったんじゃから、わしが付けてやらんと教えにくくていかん」

 聞けば武志たけしもこの技を親から教わったらしい。技や方の名称こそ伝えられなくなったが、数多くある訓練の中でもこの動きだけは代々必ず継承させられて来たのだと言う。

「お前ももう十七歳じゃ。そろそろこの技を伝えておく頃かと思ってのう」
「そうか……やっぱりご先祖様はこの技を伝えてくれていたんだ」

 伊薙武深いなぎたけみが過去で言っていた、この地を治め、子に技を伝えるという言葉。徐々に繋がりを見せていく過去と現在に海斗かいとは興奮を覚え始めていた。

「さて、今日はこの辺で終わりにしようかの。今日から学校祭じゃろ?」
「あ、ほんとだ。もうこんな時間だ」

 そろそろ朝食をとって学校に行かなければいけない時間だ。今日、金曜日は芦達祭あだちさい初日の校内祭だ。外部の客が来ないとはいえ、高校生レストランのスタッフである以上、遅れるわけにはいかない。

「あれ?」

 片づけをしている最中、道場の隅に置いていたスマートフォンに通知ランプが灯っているのに海斗かいとは気が付いた。ディスプレイを点灯させてそれを確認する。

「……え?」

 それは、美波みなみからのメッセージだった。

《たすけて》

 その一文だけで異常事態が起きていることはすぐにわかった。そう理解した途端、海斗かいとは弾かれたように走り出していた。

海斗かいと、どうした?」
「ごめんじいちゃん。俺、今すぐ出るから!」

 一目散に部屋に飛び込むと着替え、カバンと竹刀袋に入れた三日月を抱えて自転車に飛び乗る。自転車通学の許可をもらっていない立場だが、そんなことを言っている場合ではなかった。

美波みなみ!」

 身の回りに異変が起きていないからと言って、まだぬえが仕掛けてくるはずがないと高をくくっていた。
 一緒にいるはずのミサキはどうしたのだろう。もしかして既に戦っているのだろうか。分離してしまい、怪異の発生を感知できなくなってしまったことがこんな時になって悔しく思える。

《部屋に来て。鍵はポストの蓋の裏》

 まだメッセージは届く。美波みなみは無事だ。

《このままj》

 だが、奇妙な途切れ方をしてメッセージが届かなくなる。海斗かいとは息を切らせながら自転車を全力で漕ぎ、美波みなみの家に向かった。

「はあ……はあ……美波みなみ

 この汗が暑さからなのか、冷や汗なのかわからない。自転車を乗り捨てるようにして美波みなみの家にたどり着く。
 美波みなみの家は異様なほど静まり返っていた。美波みなみのメッセージ通り見つけた合鍵を使って静かに海斗かいとは家の中へと入っていく。

美波みなみ……ミサキ……いるのか?」

 一階の部屋を回っていく。カーテンが閉じられ、暗い部屋の中で目を凝らすが誰かがいる気配も感じられない。

「二階か?」

 三日月の柄に手を置き、いつでも抜けるようにしておく。一歩一歩階段を上っていく。集中し、かすかな物音にも聞き漏らさないよう注意を払う。
 二階には三つの部屋がある。奥は豊秋の、左右のドアは美波みなみと亡くなった紗那さなの部屋だ。海斗かいとはまず美波みなみの部屋のドアノブに手をかける。

「……っ!」

 そして、静かにドアを開けて隙間から美波みなみの部屋をのぞきこむと、布団から出た手がバタバタともがいているのが見えた。

美波みなみ!」

 勢いよくドアを開け、海斗かいとは部屋に飛び込んだ。そして――。

「……何やってるんだ?」

 ――海斗かいとは三日月を抜こうと思った瞬間、その光景に思わず脱力した。

「むーっ! むぐぐ!」
「すぅ……すぅ……」

 二人で並んで横になり、後ろから美波みなみを抱きしめてミサキは眠っていた。その右腕は美波みなみの腕を、足も巻き付くようにして完全に美波みなみの自由を奪っている。美波みなみの口元はわきの下から回った左腕で封じられており、声を上げることすらできないでいた。

「うみゅ~……」
「むぐぐー!」

 布団の近くにスマートフォンは落ちていた。抱き枕にされたまま、美波みなみは必死に僅かに動く右肘から先でスマートフォンを操作していたらしいが海斗かいとにメッセージを送っている途中で落としてしまったらしい。

「凄いな。完璧な送襟締おくりえりじめだ」

 安眠しながらのそのあまりに見事な拘束に思わず海斗かいとは感心してしまった。美波みなみはそんな海斗かいとに気が付き、視線で助けを求める。

「やーだー。一緒にいるー」
「むぎー!」

 そんな側からミサキが締めを強くする。腕の向こうの美波みなみの口から変な悲鳴が上がり始めた。

「……心配して損した」

 三日月を置いて海斗かいと美波みなみの救出に向かう。ミサキは眠ったまま、美波みなみを抱き締めて幸せそうに笑っていた。
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