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第一章「慟哭の和魂」
第04話 高嶺の花と玉の輿
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幸いにも学校生活では大きな問題も起きることなく、平穏無事に過ごすことができた。だが、帰りのホームルームで頭の痛い問題が再浮上することになった。
「えー、と言うわけで明日から水泳の授業も始まるから水着を忘れるなよ」
「げ……」
担任の言葉に海斗は顔を引きつらせる。朝ですら、着替えるのにかなりの苦労を要したのだ。野郎の裸がそこかしこにいる男子更衣室の中でどうして着替えることができようか。
『……わかってるわよね、海斗』
「目を閉じて着替えるしかないか……」
それ以外に手はなさそうだ。海斗は今から気が重かった。
さらに言えば、これから家に帰れば落雷で半壊状態の部屋を片付けなければならない。そちらもまた頭が痛い。
「……さて、とりあえず料理部に寄って帰るか」
『あ、そう言えば深雪って誰?』
帰りの準備を進めている時にミサキは海斗に尋ねた。海斗は周囲のクラスメイトの目を気にしながら小声で答える。
「静宮先輩の事か?」
『そうそう。朝、聞き忘れてたから今のうちに聞いておこうかなって』
「料理部の部長だよ。俺と美波の料理の師匠でもある」
『ふーん……』
そう言えばレシピ本もちゃんと返さなくては。カバンの中に見えた古びたノートを見て海斗はそう思った。
『もしかして、海斗って結構チャラい?』
「なんだよ、急に」
『年頃の男子にしては女の子の知り合いが多いから』
警戒するような気持が伝わってくるのを感じた。そう思われるのであれば心外だった。少々乱暴にカバンを持ち上げ、海斗は廊下へと出る。
「なあお前、なんで俺の女性関係にそんなに興味があるんだよ?」
最初は親しい女の子が周りにいるのでからかうつもりだったのだろうと海斗は思っていた。だが、美波、御琴、深雪と探りを入れ続けられるとさすがに何か別の目的があるのではないかと疑ってしまう。
『……何となくよ。私にもよくわからない』
「少なくとも、静宮先輩に対してはそんな気はないぞ。あの人は別格だから」
『別格?』
海斗の教室は三階にある。料理部が活動しているのは一階の家庭科室だ。階段を降りてそこへと向かう。
「静宮先輩は料理部の部長ってだけじゃなくて、生徒会長も務めているんだよ。全国模試じゃ上位の常連だ。家もお金持ちで正真正銘のお嬢様さ」
『凄いわね……それじゃあ、人気も高いんじゃない?』
「逆だよ。完璧すぎて男子の間じゃ高嶺の花扱いさ」
『でも海斗と美波の師匠って言うなら、話す機会はあるんでしょ?』
「実際に話すと普通の人だよ。周りが勝手に色々とイメージを作り上げて自分たちで近寄りにくくしてるだけさ」
そう話している間に海斗は一階に到着した。廊下に出てすぐのドアは料理部の活動している家庭科室だ。
「おーい、美波ー」
海斗は慣れた様子で家庭科室の戸を開けて中に声をかけた。中ではすでに何人もの部員が調理を始めており、いい匂いが漂っていた。
「あ、伊薙君いらっしゃーい」
「ほら神崎さん、伊薙君が来たよ」
「ほいほーい」
海斗がこの場所に来るのは珍しいことではない。一年の頃から料理を習いにここに来ることも多く、むしろ料理をする男子は貴重だと料理部の部員からは歓迎されている。
調理の最中だった美波は一度火を止め、エプロンのポケットからメモを一枚海斗に差し出した。
「はい、頼まれてたレシピ」
「お、今回はかき玉うどんか」
「あんまり洋風だと、武志おじいちゃんが苦手でしょ? それと、胃に優しい感じにしました」
「サンキュー、今度またお父さんと一緒に食事しに来なよ」
「うん。カイくんのご厚意に感謝するであります」
ビシッと敬礼をもって返す美波に、気軽に海斗も同様に返す。幼い頃からの付き合いなのでこういったやり取りは日常だ。
「御琴ちんの家も誘うでしょ?」
「もちろん……あ、でもあいつ体型維持するために食べちゃダメなのとかあるんじゃないか?」
「その辺は私が聞いておくのです」
「頼んだ。二人であいつを応援するための夕食でも考えてやろうぜ」
「ふっふっふ。カイくんも料理の楽しさを覚えたみたいだね」
「そりゃ、これだけ教わったらな」
中学に入るまでは出された食事を平らげるのが当たり前のようになっていたが、いざ自分で作り始めるとその楽しさを海斗は実感するようになった。
自分の好きなものを好きなだけ、好きな味付けで作れるのだ。誰かに食べてもらって「美味しい」と言ってもらえること、喜んでもらえることがどれだけ嬉しさを覚えるか。それを知ってからは海斗も家で料理を手伝い始め、親が忙しい時には料理を任されるほどにまで上達している。
「そうだ。静宮先輩は?」
「今日はまだ来てないよ。クラスか生徒会室じゃない?」
「そっか。じゃあ俺の方から行くか」
「ほいほい、いてらー」
手を振る美波に見送られ、海斗は家庭科室を後にする。美波も途中だった料理に再び火を入れ、鼻歌交じりで調理を再開した。
「ふんふーん」
「ねえ……神崎さん」
「はい?」
そんな彼女に声をかける二人があった。料理部の先輩だった。確か部長の深雪とは同じクラスだったと彼女は記憶している。
「伊薙君……深雪のところに何しに行くの?」
「借りてたレシピノートを返しに行くって言ってましたよ」
「ほんとに? 他に何か要件があるわけじゃなくて?」
美波は彼女たちが何を言っているのか、その意図がつかめなかった。しかし、真剣な眼差しの二人に少しばかり不安を抱く。
「他にって……何ですか?」
「ほら、深雪と伊薙君って親しいから」
「ああ!」
美波はポンと手を打ち、その意味を察する。
「カイくん、そんな気はないと思いますよ?」
「そうなの?」
「はい。ただ料理を教わってるだけですから。皆さんも知ってるじゃないですか」
「まあ、それはそうだけど……ねえ?」
「うん、伊薙君狙ってる子は多いから」
そう言って周囲を見る。聞き耳を立てていた何人かの部員が慌てて目を逸らした。
「そうなんですか?」
「うん。うちのクラスでも人気あるんだよ」
「普通に考えて伊薙君ってかなりの優良物件だからね」
まるで物のような言われ方に、美波も違和感を抱いた。
確かに海斗は家が裕福、顔も性格も良い方、料理もできて運動神経もよい。付き合いの長い美波はそれを良く知っている。だが、だからと言って彼を「狙う」と言う感覚が彼女にはよくわからなかった。
「そうそう。うまくいけば玉の輿だもんね」
「欲しい物とか買ってもらえるかもしれないよね」
「あの……その言い方は」
さすがに美波も、海斗自身ではなく、彼に付属するものについて言及してきた辺りから不快感を示し始める。
「ああ、ごめんごめん。冗談だって」
「それに、伊薙君がそう思ってなくても深雪の方は分からないじゃない?」
美波はつい押し黙ってしまう。恋の話は嫌いではないが、自分の尊敬する先輩と、仲のいい幼馴染が話題の中心だと何とも言えない気持ちになる。
「ステータスで伊薙君と釣り合う人って言ったら、この学校じゃ深雪しかいないのよね」
「そうそう。それに深雪に気軽に話しかける男の子って、伊薙君だけだろうし」
話が二人だけで盛り上がり始めたところで、美波は話を切り上げて調理に戻る。これ以上付き合っていると何だかわからないが、モヤモヤした気持ちが膨らんで、つい余計なことを言ってしまいそうだったからだ。
「でもさ……もしも深雪がその気だったらなんか嫌じゃない?」
「ないでしょ……でも、もしものことってあるよね」
「……ずるい。なんであの子だけなんでも手に入っちゃうのよ」
聞こえてくる悪意の声から美波は調理に集中して意識を逸らす。本当なら言い返したいことはいくらでもある。だけど学校祭が近づいたこの時期に部員内で無用なトラブルは避けたいと思っていた。
こうやって愚痴を言い合うだけで少しでもガス抜きができるならそれも必要悪と言える。そう考えていたからだろうか。
「注意が足りなかったのかな?」
「ちょっと、釘刺しておいた方がいいかもね」
そんな、悪意に満ちたゾッとする言葉を彼女は聞き逃してしまっていた。
「えー、と言うわけで明日から水泳の授業も始まるから水着を忘れるなよ」
「げ……」
担任の言葉に海斗は顔を引きつらせる。朝ですら、着替えるのにかなりの苦労を要したのだ。野郎の裸がそこかしこにいる男子更衣室の中でどうして着替えることができようか。
『……わかってるわよね、海斗』
「目を閉じて着替えるしかないか……」
それ以外に手はなさそうだ。海斗は今から気が重かった。
さらに言えば、これから家に帰れば落雷で半壊状態の部屋を片付けなければならない。そちらもまた頭が痛い。
「……さて、とりあえず料理部に寄って帰るか」
『あ、そう言えば深雪って誰?』
帰りの準備を進めている時にミサキは海斗に尋ねた。海斗は周囲のクラスメイトの目を気にしながら小声で答える。
「静宮先輩の事か?」
『そうそう。朝、聞き忘れてたから今のうちに聞いておこうかなって』
「料理部の部長だよ。俺と美波の料理の師匠でもある」
『ふーん……』
そう言えばレシピ本もちゃんと返さなくては。カバンの中に見えた古びたノートを見て海斗はそう思った。
『もしかして、海斗って結構チャラい?』
「なんだよ、急に」
『年頃の男子にしては女の子の知り合いが多いから』
警戒するような気持が伝わってくるのを感じた。そう思われるのであれば心外だった。少々乱暴にカバンを持ち上げ、海斗は廊下へと出る。
「なあお前、なんで俺の女性関係にそんなに興味があるんだよ?」
最初は親しい女の子が周りにいるのでからかうつもりだったのだろうと海斗は思っていた。だが、美波、御琴、深雪と探りを入れ続けられるとさすがに何か別の目的があるのではないかと疑ってしまう。
『……何となくよ。私にもよくわからない』
「少なくとも、静宮先輩に対してはそんな気はないぞ。あの人は別格だから」
『別格?』
海斗の教室は三階にある。料理部が活動しているのは一階の家庭科室だ。階段を降りてそこへと向かう。
「静宮先輩は料理部の部長ってだけじゃなくて、生徒会長も務めているんだよ。全国模試じゃ上位の常連だ。家もお金持ちで正真正銘のお嬢様さ」
『凄いわね……それじゃあ、人気も高いんじゃない?』
「逆だよ。完璧すぎて男子の間じゃ高嶺の花扱いさ」
『でも海斗と美波の師匠って言うなら、話す機会はあるんでしょ?』
「実際に話すと普通の人だよ。周りが勝手に色々とイメージを作り上げて自分たちで近寄りにくくしてるだけさ」
そう話している間に海斗は一階に到着した。廊下に出てすぐのドアは料理部の活動している家庭科室だ。
「おーい、美波ー」
海斗は慣れた様子で家庭科室の戸を開けて中に声をかけた。中ではすでに何人もの部員が調理を始めており、いい匂いが漂っていた。
「あ、伊薙君いらっしゃーい」
「ほら神崎さん、伊薙君が来たよ」
「ほいほーい」
海斗がこの場所に来るのは珍しいことではない。一年の頃から料理を習いにここに来ることも多く、むしろ料理をする男子は貴重だと料理部の部員からは歓迎されている。
調理の最中だった美波は一度火を止め、エプロンのポケットからメモを一枚海斗に差し出した。
「はい、頼まれてたレシピ」
「お、今回はかき玉うどんか」
「あんまり洋風だと、武志おじいちゃんが苦手でしょ? それと、胃に優しい感じにしました」
「サンキュー、今度またお父さんと一緒に食事しに来なよ」
「うん。カイくんのご厚意に感謝するであります」
ビシッと敬礼をもって返す美波に、気軽に海斗も同様に返す。幼い頃からの付き合いなのでこういったやり取りは日常だ。
「御琴ちんの家も誘うでしょ?」
「もちろん……あ、でもあいつ体型維持するために食べちゃダメなのとかあるんじゃないか?」
「その辺は私が聞いておくのです」
「頼んだ。二人であいつを応援するための夕食でも考えてやろうぜ」
「ふっふっふ。カイくんも料理の楽しさを覚えたみたいだね」
「そりゃ、これだけ教わったらな」
中学に入るまでは出された食事を平らげるのが当たり前のようになっていたが、いざ自分で作り始めるとその楽しさを海斗は実感するようになった。
自分の好きなものを好きなだけ、好きな味付けで作れるのだ。誰かに食べてもらって「美味しい」と言ってもらえること、喜んでもらえることがどれだけ嬉しさを覚えるか。それを知ってからは海斗も家で料理を手伝い始め、親が忙しい時には料理を任されるほどにまで上達している。
「そうだ。静宮先輩は?」
「今日はまだ来てないよ。クラスか生徒会室じゃない?」
「そっか。じゃあ俺の方から行くか」
「ほいほい、いてらー」
手を振る美波に見送られ、海斗は家庭科室を後にする。美波も途中だった料理に再び火を入れ、鼻歌交じりで調理を再開した。
「ふんふーん」
「ねえ……神崎さん」
「はい?」
そんな彼女に声をかける二人があった。料理部の先輩だった。確か部長の深雪とは同じクラスだったと彼女は記憶している。
「伊薙君……深雪のところに何しに行くの?」
「借りてたレシピノートを返しに行くって言ってましたよ」
「ほんとに? 他に何か要件があるわけじゃなくて?」
美波は彼女たちが何を言っているのか、その意図がつかめなかった。しかし、真剣な眼差しの二人に少しばかり不安を抱く。
「他にって……何ですか?」
「ほら、深雪と伊薙君って親しいから」
「ああ!」
美波はポンと手を打ち、その意味を察する。
「カイくん、そんな気はないと思いますよ?」
「そうなの?」
「はい。ただ料理を教わってるだけですから。皆さんも知ってるじゃないですか」
「まあ、それはそうだけど……ねえ?」
「うん、伊薙君狙ってる子は多いから」
そう言って周囲を見る。聞き耳を立てていた何人かの部員が慌てて目を逸らした。
「そうなんですか?」
「うん。うちのクラスでも人気あるんだよ」
「普通に考えて伊薙君ってかなりの優良物件だからね」
まるで物のような言われ方に、美波も違和感を抱いた。
確かに海斗は家が裕福、顔も性格も良い方、料理もできて運動神経もよい。付き合いの長い美波はそれを良く知っている。だが、だからと言って彼を「狙う」と言う感覚が彼女にはよくわからなかった。
「そうそう。うまくいけば玉の輿だもんね」
「欲しい物とか買ってもらえるかもしれないよね」
「あの……その言い方は」
さすがに美波も、海斗自身ではなく、彼に付属するものについて言及してきた辺りから不快感を示し始める。
「ああ、ごめんごめん。冗談だって」
「それに、伊薙君がそう思ってなくても深雪の方は分からないじゃない?」
美波はつい押し黙ってしまう。恋の話は嫌いではないが、自分の尊敬する先輩と、仲のいい幼馴染が話題の中心だと何とも言えない気持ちになる。
「ステータスで伊薙君と釣り合う人って言ったら、この学校じゃ深雪しかいないのよね」
「そうそう。それに深雪に気軽に話しかける男の子って、伊薙君だけだろうし」
話が二人だけで盛り上がり始めたところで、美波は話を切り上げて調理に戻る。これ以上付き合っていると何だかわからないが、モヤモヤした気持ちが膨らんで、つい余計なことを言ってしまいそうだったからだ。
「でもさ……もしも深雪がその気だったらなんか嫌じゃない?」
「ないでしょ……でも、もしものことってあるよね」
「……ずるい。なんであの子だけなんでも手に入っちゃうのよ」
聞こえてくる悪意の声から美波は調理に集中して意識を逸らす。本当なら言い返したいことはいくらでもある。だけど学校祭が近づいたこの時期に部員内で無用なトラブルは避けたいと思っていた。
こうやって愚痴を言い合うだけで少しでもガス抜きができるならそれも必要悪と言える。そう考えていたからだろうか。
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