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第三章「魔王の血族編」
第24話 私はマリー
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私の魔法が炸裂した。
爆発で煙が立ち込める中で、私は確信していた。
「やっ……た」
アザミはその瞬間まで私の方を見ることはなかった。
間違いなく私の魔法は直撃したんだ。
いくら魔族の中でも上位の存在だって言っても体の耐久力は人間とほとんど同じ。強力な魔法を浴びて無事でいられるはずがない。
「でも、まだ終わってない」
気を引き締めなくちゃ。まだ魔王の子は三人残っているんだ。もうすぐカレンがアコとナイトを連れて来る。その前にノアと対策を考えなくちゃ。
そうだ。心配かけちゃったし、今の内にママたちと合流しても――。
「そうだ、まだ終わっていないぞマリー」
「――っ!?」
ノアに向かって歩き出した私の背後から、聞こえるはずのない声が聞こえた。驚きで思わず立ち止まってしまった私に向けて、煙を突き破って腕が伸びてきた。
「がっ……!」
「マリー様!」
首に痛みが走ったと感じた時には、もう私の体が物凄い力で持ち上げられていた。指が食い込んで呼吸が封じられ、魔力の集中が妨害される。
「タイミング、戦術。いずれも見事なものだった。人間の使う魔法の紛い物まで用いるとはさすがに驚いた。よほど人間の世界には良い師、良い手本がいたのだろうな」
「な、なん……で」
「だが、相手を仕留めたかの確認を怠るとは……やはり経験が浅い」
そんな。間違いなく私の全力の魔法が直撃したはずなのに。
どうしてアザミが無傷で立っているの!
「その目でよく見て見るんだな」
「な――!?」
アザミの指がわずかに緩んだ。煙が晴れた私の目の前に、それは飛び込んで来る。
その体に巻き付くようにして所狭しと敷き詰められている細かな刃。隙間なくその体をおおっているのはアザミの「刃」の魔法だ。
「鎖帷子……っ!」
昔、お母さんに見せてもらったことがある。動きやすく防御力が高いからフロスファミリア家でもよく使われている防具。アザミが刃を敷き詰めて身を守るその原理はそれとほぼ同じだ。
「いかにお前が全力を出そうが、高密に魔力を圧縮したこの『刃』を突破することなどできぬさ」
「ぐっ……」
「言っただろう。己の型すら見出していないお前に勝ち目などないと」
悔しい。どこまでも遊ばれていたんだ。
天と地ほどの圧倒的な実力差が私たちの間にはあったから。どれだけ頑張っても、どんなに頭を使ってもひっくり返ることはあり得なかったから。
「マリー様!」
「動くなノア」
「くっ……」
ノアが私を助けようにも、私の首にアザミの指が食い込んでいる。すぐにでも殺せる状態だ。離れているノアの場所ではどうやっても間に合わない。
アザミは強すぎる。魔法を学び、魔術を使い、わずかな可能性に賭けても勝てなかった。
「ノ……ア」
あと一つだけ可能性はあるけれど、それは今使うべきじゃない。私の中のフロスファミリア家の一員としての経験がそう言っている。
確実に、アザミを倒すならもっと確率の高い人に託すべきだ。
「む?」
懐に隠し続けていたそれをノアに向かって投げる。床を転がってそれはノアの足元へとたどり着く。
「これは……!」
肌身離さず持ち続けていた私の生みの親である魔族の母親の形見。魔封じの腕輪。それをノアに託す。
「お願い、ノア……それを…ママ…たちの所に」
「マリー様……しかし!」
「いいから行って!」
私を自分の命以上に大切にしているノアに私を残して逃げろと言うのは死ぬほど辛いはずだ。でも、残された可能性を繋ぐにはこれしかない。
「大丈夫……アザミは私を殺せないから」
「くっ……どうかご無事で!」
魔封じの腕輪を拾い、ノアは影の中へと消えていく。ノアが私を救い出そうと足掻くのを期待していたのか、アザミはあっさりノアが逃げたことに拍子抜けしたようだった。
「あんな腕輪が何だというのだ。母親たちへの形見のつもりか?」
「さあ……どうかしらね」
アザミはあの腕輪の正体を知らない。それはノアから教えてもらっていた通りだ。だからあれを身に着けさせることさえできればあの防御もできない。
「しかし興味深いことを口にしたな。私にお前は殺せないだと?」
「ええ……だって、私を殺したらカレンが許さないもの」
「……ふ」
私を妹としてことあるごとに世話を焼こうとしているカレン。恐らく魔王の子供たちの中で一番私を「姉妹」として見ている存在だ。つまりそれは私に執着している。カレンは私に対するこだわりが強いということだ。もしも私が死んでしまったら、間違いなくカレンは敵対する。
「なるほど、なかなかよく見ている。確かにお前を殺せばカレンは私を許さないだろう。王国騎士団たちとの戦いの前にそうなるのは実に望ましくない」
アザミが口元を歪ませた。だけどそれは私を始末できないことへの不満によるものではない。さっきまでの私を格下に見て蔑んでいる目だ。
「だが、所詮は子供の浅知恵だな」
「あっ……ぐっ!」
アザミの手が力を込めて来た。指が首筋に食い込む。呼吸ができない。体格差、身長差、男女の力の差、ありとあらゆる差を見せつけるように私をゆっくりと吊し上げ、そのもがく姿を見て、さらに彼は笑う。
「お前を始末する方法など、いくらでもある」
「ぐうっ……あっ!」
駄目、このままじゃ殺される。まだ死ぬわけにいかないのに!
「ほらほら、指が食い込むぞ。どうする!」
「ぐうう……っ!」
呼吸ができない苦しみの中で私は集中する。こんな近距離で魔法を使えば私もただじゃ済まない。それでもやるしかない!
「うああああ――!」
「切断」
「――っ!?」
アザミが一言口にしただけで、高まっていた私の魔力が収まっていく。そんな、いったいどんな魔法を使ったって言うの。
「もういち……ど」
その瞬間に私は気が付いた。
「あ……れ?」
魔法が使えない。違う、どうすれば今の魔法が使えるのか思い出せない。
どんな威力で、どれくらいの魔力で、どこから放つのか。それらが全部記憶から抜け落ちている。
「何で…さっきまで使えたはずなのに……まさか!?」
「くくく……お前は本当に頭がよく回るな」
アザミは悦びのあまり、もう毅然とした表情を維持していられなくなっていた。私たちの前では一切見せなかった邪悪な笑み。この世全てのおぞましさを凝縮したようなゾッとした笑顔を見せる。
「そうだ。私の魔法だよ、マリー!」
その魔法の正体を私はすぐに理解した。それと同時に恐怖と絶望が一気に湧き上がる。
「お前の記憶を消したのさ。魔法の使い方の一部をなあ!」
「……っ!?」
「正確にはその記憶を引き出す流れを切断したのさ。だが同じこと。二度とそれは修復できない。二度と思い出せない!」
「いやああああああああ!」
そんな。それだけはダメ。殺された方がましだ。
私が死ぬ。消える。
マリー=フロスファミリアが殺される!
「お前を作り上げて来た全てを切り裂く。人間に拾われた記憶も、忌まわしい紛い物を使う方法も!」
魔力が私の中に流れ込んでくる。私を中から切り裂くような魔法と一緒に。
「あああああああああっ!!」
忘れたくない。私が育った家、大好きな花畑、フロスファミリアのお屋敷、みんなと通った学校――。
「切断」
孤児だった私を迎えてくれたグロリオーサおじさん、ローザおばさん――。
「切断」
まだキッカお姉ちゃんとレンカお姉ちゃんに謝らないといけないのに――。
「切断」
私が魔族と知っても温かく見守ってくれたシオンさん、ドラセナさん、フジさん。
「切断」
エリカ――。
「切断」
「だ……れ…か……たす…け」
浮かんでは消えていく皆の顔と名前。もう誰に助けを求めればいいのかわからなくなってきた。
残っているのはもう二人だけ。私が一番長い時間を一緒に過ごした、一番大切な二人。
「切断」
「あ――」
お母さんが――。
「切断」
ママが――。
「切断」
「あ……あああ……」
消える。私が消えていく。
私の中をいっぱいにしている一番の宝物が。
誰にも侵されない。眩しいほどに輝いた五年間の思い出が。
大好きな人達の顔も名前も思い出も。全部全部全部全部全部全部全部全部。
「ああああああーっ!!」
ママ、お母さん。ママ、お母さん。ママ、お母さん。ママ、お母さん。ママ、お母さん!!
助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて!!
「切断切断切断切断切断切断切断切断切断!!」
「―――――――――――――――っ!!」
「……おめでとうマリー」
あれ――。
「これでようやく」
わたし――。
「お前も家族の一員だ」
誰に助けてもらおうとしていたんだっけ……。
「マリー、マリー。しっかりしなさい!」
「う……ん」
誰かが私を呼んでいる。どこか聞き覚えのある声だ。
「よかった、目が覚めたのねマリー」
私と同じ紅い眼が私の顔をのぞき込んでいた。
ああ、ちょっと記憶が混乱しているけど覚えている。
「いったい何があったの。まさかアザミ兄様と戦ったんじゃ……」
「……そんなわけないわ。勝てるわけがないもの」
私は手を差し出す。意外そうな顔でその人は手をまじまじと見ていた。
「どうしたの、起こしてくれないのカレン姉さん?」
「――っ!?」
私の呼びかけにカレン姉さんは心底驚いていた。まるで初めて呼ばれたみたいに。
「アザミ兄様……いったいこの子に何をしたの」
私を助け起こしながらカレン姉さんがアザミ兄さんを睨みつける。私は無事だったというのに、いったいどうしたんだろう。
「なに、らしからぬ態度が目立ったので少々教育したまでだ」
「そうよ。私がちょっと反発しただけ。ちょっと暴れたらすっきりしたわ」
まだ頭の中がぼんやりとしている。途切れ途切れの記憶を集めてみると、どうやらこの部屋の惨状は私が魔法で大暴れしたのが原因だ。アザミ兄さんはほとんど危険な魔法を使っていなかった。たぶん私を止めようとしたのだろう。
「どうしたカレン。念願通りマリーは素直にお前を姉と呼ぶようになったじゃないか。何が不満だと言うんだ?」
「……これ以上変な真似をしたらその時は許さないわよ」
「安心しろ。お前の大事な『マリー』に手は出さないさ」
いったい何の話をしているのだろう。カレン姉さんは私を抱き寄せてアザミ兄さんを睨みつけている。こんなに敵意を向けていたのは初めてかもしれない。
「あれ……?」
「マリー、どうしたの?」
「ううん、何でもない」
何だろう。カレン姉さんに抱き締められたのはたぶん初めてじゃないはずだ。なのになぜかその温もりに違和感があった。
「くすくす。マリーってばまだ寝ぼけているみたいね、ナイト」
「そうだね。マリーはまだ寝ぼけているみたいだね、アコ」
アコ姉さんとナイト兄さんは、小馬鹿にしたような態度でにやにやと笑っている。
まあ仕方ないか。私は末っ子で、まだ魔法の型すらできてない未熟者だから。
「それで、どうするのアザミ兄様。人間たちはもうこの城を取り囲んでいるわ」
「ほう、なかなか早かったな」
アザミ兄さんが埃を払って玉座に腰かけた。その堂々とした姿は一国の王様を思わせる。そして突然に、アザミ兄さんは私に問いかけてきた。
「マリー、お前ならどうする?」
「決まってるじゃない。人間なんかに背を向けるとでも言うと思った?」
「マリー……!?」
カレン姉さんが驚きの声を上げた。アコ姉さんとナイト兄さんも意外そうに私に振り向いた。
「へえー、意外だな。てっきり人間を甘く見るなとか言うと思ったのに。ねえアコ」
「そうね、人間びいきのマリーならそれくらい言うと思ったのに」
「マリー、あなた……」
「よく言った。それでこそ魔王の娘だ」
アザミ兄さんが私の言葉に満足そうにうなずくけど、私は首をかしげる。
今更の話だ。そもそも人間と魔族は昔から対立している。私の父親である魔王が倒されたことで人間側が勝利したと世の中では思われているみたいだけど、まだ魔族は何人も生き残っている……って、変だな。どこでそんな知識を覚えたんだっけ?
「この五人がいれば王国騎士団など恐れることはない。魔王の血族の力を奴らに見せつけてやろうではないか」
「当然よ」
「もちろんよ!」
「任せて兄様」
「当たり前でしょ」
「ふふ……だが、まだマリーは体力と魔力が回復していない。三人に任せてしばらくここで休んでいくと良い」
「はあ……仕方ないなあ」
悔しいけど仕方ない。兄さんの言う通り私は暴れすぎて消耗している。
「なに、必ずお前にも活躍の場はあるさ」
「ふうん……もしかしたら例の『魔王殺し』でも殺させてくれるって言うのかしら?」
「な……!?」
アザミ兄さんが口元を歪ませた。まだみんなと出会ってから日が浅い。だからその笑いがどんな意味なのか私にはわからない。
「機会があればな」
「……一応、期待しておくわ」
濁すような返事だった。これはあまり期待はしないでおこう。
「あなた……本当にマリーなの?」
さっきから私の一言一言にカレン姉さんが動揺している。私のことを大事に思うのは構わないけどちょっと過保護かもしれない。
「はあ……変な姉さん」
紛れもなく私は魔王の娘。兄妹に共通する銀色の髪と紅の眼、そして強大な魔力がその証だ。
「私はマリーよ。当たり前のことじゃない」
「え、ええ……そうね、ごめんなさい。変なことを聞いたわ」
変な感じだ。なぜだろう……今、自分の名前を言おうとした時。
「わかればいいのよ……あれ?」
何かが足りないような、そんな気がした。
爆発で煙が立ち込める中で、私は確信していた。
「やっ……た」
アザミはその瞬間まで私の方を見ることはなかった。
間違いなく私の魔法は直撃したんだ。
いくら魔族の中でも上位の存在だって言っても体の耐久力は人間とほとんど同じ。強力な魔法を浴びて無事でいられるはずがない。
「でも、まだ終わってない」
気を引き締めなくちゃ。まだ魔王の子は三人残っているんだ。もうすぐカレンがアコとナイトを連れて来る。その前にノアと対策を考えなくちゃ。
そうだ。心配かけちゃったし、今の内にママたちと合流しても――。
「そうだ、まだ終わっていないぞマリー」
「――っ!?」
ノアに向かって歩き出した私の背後から、聞こえるはずのない声が聞こえた。驚きで思わず立ち止まってしまった私に向けて、煙を突き破って腕が伸びてきた。
「がっ……!」
「マリー様!」
首に痛みが走ったと感じた時には、もう私の体が物凄い力で持ち上げられていた。指が食い込んで呼吸が封じられ、魔力の集中が妨害される。
「タイミング、戦術。いずれも見事なものだった。人間の使う魔法の紛い物まで用いるとはさすがに驚いた。よほど人間の世界には良い師、良い手本がいたのだろうな」
「な、なん……で」
「だが、相手を仕留めたかの確認を怠るとは……やはり経験が浅い」
そんな。間違いなく私の全力の魔法が直撃したはずなのに。
どうしてアザミが無傷で立っているの!
「その目でよく見て見るんだな」
「な――!?」
アザミの指がわずかに緩んだ。煙が晴れた私の目の前に、それは飛び込んで来る。
その体に巻き付くようにして所狭しと敷き詰められている細かな刃。隙間なくその体をおおっているのはアザミの「刃」の魔法だ。
「鎖帷子……っ!」
昔、お母さんに見せてもらったことがある。動きやすく防御力が高いからフロスファミリア家でもよく使われている防具。アザミが刃を敷き詰めて身を守るその原理はそれとほぼ同じだ。
「いかにお前が全力を出そうが、高密に魔力を圧縮したこの『刃』を突破することなどできぬさ」
「ぐっ……」
「言っただろう。己の型すら見出していないお前に勝ち目などないと」
悔しい。どこまでも遊ばれていたんだ。
天と地ほどの圧倒的な実力差が私たちの間にはあったから。どれだけ頑張っても、どんなに頭を使ってもひっくり返ることはあり得なかったから。
「マリー様!」
「動くなノア」
「くっ……」
ノアが私を助けようにも、私の首にアザミの指が食い込んでいる。すぐにでも殺せる状態だ。離れているノアの場所ではどうやっても間に合わない。
アザミは強すぎる。魔法を学び、魔術を使い、わずかな可能性に賭けても勝てなかった。
「ノ……ア」
あと一つだけ可能性はあるけれど、それは今使うべきじゃない。私の中のフロスファミリア家の一員としての経験がそう言っている。
確実に、アザミを倒すならもっと確率の高い人に託すべきだ。
「む?」
懐に隠し続けていたそれをノアに向かって投げる。床を転がってそれはノアの足元へとたどり着く。
「これは……!」
肌身離さず持ち続けていた私の生みの親である魔族の母親の形見。魔封じの腕輪。それをノアに託す。
「お願い、ノア……それを…ママ…たちの所に」
「マリー様……しかし!」
「いいから行って!」
私を自分の命以上に大切にしているノアに私を残して逃げろと言うのは死ぬほど辛いはずだ。でも、残された可能性を繋ぐにはこれしかない。
「大丈夫……アザミは私を殺せないから」
「くっ……どうかご無事で!」
魔封じの腕輪を拾い、ノアは影の中へと消えていく。ノアが私を救い出そうと足掻くのを期待していたのか、アザミはあっさりノアが逃げたことに拍子抜けしたようだった。
「あんな腕輪が何だというのだ。母親たちへの形見のつもりか?」
「さあ……どうかしらね」
アザミはあの腕輪の正体を知らない。それはノアから教えてもらっていた通りだ。だからあれを身に着けさせることさえできればあの防御もできない。
「しかし興味深いことを口にしたな。私にお前は殺せないだと?」
「ええ……だって、私を殺したらカレンが許さないもの」
「……ふ」
私を妹としてことあるごとに世話を焼こうとしているカレン。恐らく魔王の子供たちの中で一番私を「姉妹」として見ている存在だ。つまりそれは私に執着している。カレンは私に対するこだわりが強いということだ。もしも私が死んでしまったら、間違いなくカレンは敵対する。
「なるほど、なかなかよく見ている。確かにお前を殺せばカレンは私を許さないだろう。王国騎士団たちとの戦いの前にそうなるのは実に望ましくない」
アザミが口元を歪ませた。だけどそれは私を始末できないことへの不満によるものではない。さっきまでの私を格下に見て蔑んでいる目だ。
「だが、所詮は子供の浅知恵だな」
「あっ……ぐっ!」
アザミの手が力を込めて来た。指が首筋に食い込む。呼吸ができない。体格差、身長差、男女の力の差、ありとあらゆる差を見せつけるように私をゆっくりと吊し上げ、そのもがく姿を見て、さらに彼は笑う。
「お前を始末する方法など、いくらでもある」
「ぐうっ……あっ!」
駄目、このままじゃ殺される。まだ死ぬわけにいかないのに!
「ほらほら、指が食い込むぞ。どうする!」
「ぐうう……っ!」
呼吸ができない苦しみの中で私は集中する。こんな近距離で魔法を使えば私もただじゃ済まない。それでもやるしかない!
「うああああ――!」
「切断」
「――っ!?」
アザミが一言口にしただけで、高まっていた私の魔力が収まっていく。そんな、いったいどんな魔法を使ったって言うの。
「もういち……ど」
その瞬間に私は気が付いた。
「あ……れ?」
魔法が使えない。違う、どうすれば今の魔法が使えるのか思い出せない。
どんな威力で、どれくらいの魔力で、どこから放つのか。それらが全部記憶から抜け落ちている。
「何で…さっきまで使えたはずなのに……まさか!?」
「くくく……お前は本当に頭がよく回るな」
アザミは悦びのあまり、もう毅然とした表情を維持していられなくなっていた。私たちの前では一切見せなかった邪悪な笑み。この世全てのおぞましさを凝縮したようなゾッとした笑顔を見せる。
「そうだ。私の魔法だよ、マリー!」
その魔法の正体を私はすぐに理解した。それと同時に恐怖と絶望が一気に湧き上がる。
「お前の記憶を消したのさ。魔法の使い方の一部をなあ!」
「……っ!?」
「正確にはその記憶を引き出す流れを切断したのさ。だが同じこと。二度とそれは修復できない。二度と思い出せない!」
「いやああああああああ!」
そんな。それだけはダメ。殺された方がましだ。
私が死ぬ。消える。
マリー=フロスファミリアが殺される!
「お前を作り上げて来た全てを切り裂く。人間に拾われた記憶も、忌まわしい紛い物を使う方法も!」
魔力が私の中に流れ込んでくる。私を中から切り裂くような魔法と一緒に。
「あああああああああっ!!」
忘れたくない。私が育った家、大好きな花畑、フロスファミリアのお屋敷、みんなと通った学校――。
「切断」
孤児だった私を迎えてくれたグロリオーサおじさん、ローザおばさん――。
「切断」
まだキッカお姉ちゃんとレンカお姉ちゃんに謝らないといけないのに――。
「切断」
私が魔族と知っても温かく見守ってくれたシオンさん、ドラセナさん、フジさん。
「切断」
エリカ――。
「切断」
「だ……れ…か……たす…け」
浮かんでは消えていく皆の顔と名前。もう誰に助けを求めればいいのかわからなくなってきた。
残っているのはもう二人だけ。私が一番長い時間を一緒に過ごした、一番大切な二人。
「切断」
「あ――」
お母さんが――。
「切断」
ママが――。
「切断」
「あ……あああ……」
消える。私が消えていく。
私の中をいっぱいにしている一番の宝物が。
誰にも侵されない。眩しいほどに輝いた五年間の思い出が。
大好きな人達の顔も名前も思い出も。全部全部全部全部全部全部全部全部。
「ああああああーっ!!」
ママ、お母さん。ママ、お母さん。ママ、お母さん。ママ、お母さん。ママ、お母さん!!
助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて!!
「切断切断切断切断切断切断切断切断切断!!」
「―――――――――――――――っ!!」
「……おめでとうマリー」
あれ――。
「これでようやく」
わたし――。
「お前も家族の一員だ」
誰に助けてもらおうとしていたんだっけ……。
「マリー、マリー。しっかりしなさい!」
「う……ん」
誰かが私を呼んでいる。どこか聞き覚えのある声だ。
「よかった、目が覚めたのねマリー」
私と同じ紅い眼が私の顔をのぞき込んでいた。
ああ、ちょっと記憶が混乱しているけど覚えている。
「いったい何があったの。まさかアザミ兄様と戦ったんじゃ……」
「……そんなわけないわ。勝てるわけがないもの」
私は手を差し出す。意外そうな顔でその人は手をまじまじと見ていた。
「どうしたの、起こしてくれないのカレン姉さん?」
「――っ!?」
私の呼びかけにカレン姉さんは心底驚いていた。まるで初めて呼ばれたみたいに。
「アザミ兄様……いったいこの子に何をしたの」
私を助け起こしながらカレン姉さんがアザミ兄さんを睨みつける。私は無事だったというのに、いったいどうしたんだろう。
「なに、らしからぬ態度が目立ったので少々教育したまでだ」
「そうよ。私がちょっと反発しただけ。ちょっと暴れたらすっきりしたわ」
まだ頭の中がぼんやりとしている。途切れ途切れの記憶を集めてみると、どうやらこの部屋の惨状は私が魔法で大暴れしたのが原因だ。アザミ兄さんはほとんど危険な魔法を使っていなかった。たぶん私を止めようとしたのだろう。
「どうしたカレン。念願通りマリーは素直にお前を姉と呼ぶようになったじゃないか。何が不満だと言うんだ?」
「……これ以上変な真似をしたらその時は許さないわよ」
「安心しろ。お前の大事な『マリー』に手は出さないさ」
いったい何の話をしているのだろう。カレン姉さんは私を抱き寄せてアザミ兄さんを睨みつけている。こんなに敵意を向けていたのは初めてかもしれない。
「あれ……?」
「マリー、どうしたの?」
「ううん、何でもない」
何だろう。カレン姉さんに抱き締められたのはたぶん初めてじゃないはずだ。なのになぜかその温もりに違和感があった。
「くすくす。マリーってばまだ寝ぼけているみたいね、ナイト」
「そうだね。マリーはまだ寝ぼけているみたいだね、アコ」
アコ姉さんとナイト兄さんは、小馬鹿にしたような態度でにやにやと笑っている。
まあ仕方ないか。私は末っ子で、まだ魔法の型すらできてない未熟者だから。
「それで、どうするのアザミ兄様。人間たちはもうこの城を取り囲んでいるわ」
「ほう、なかなか早かったな」
アザミ兄さんが埃を払って玉座に腰かけた。その堂々とした姿は一国の王様を思わせる。そして突然に、アザミ兄さんは私に問いかけてきた。
「マリー、お前ならどうする?」
「決まってるじゃない。人間なんかに背を向けるとでも言うと思った?」
「マリー……!?」
カレン姉さんが驚きの声を上げた。アコ姉さんとナイト兄さんも意外そうに私に振り向いた。
「へえー、意外だな。てっきり人間を甘く見るなとか言うと思ったのに。ねえアコ」
「そうね、人間びいきのマリーならそれくらい言うと思ったのに」
「マリー、あなた……」
「よく言った。それでこそ魔王の娘だ」
アザミ兄さんが私の言葉に満足そうにうなずくけど、私は首をかしげる。
今更の話だ。そもそも人間と魔族は昔から対立している。私の父親である魔王が倒されたことで人間側が勝利したと世の中では思われているみたいだけど、まだ魔族は何人も生き残っている……って、変だな。どこでそんな知識を覚えたんだっけ?
「この五人がいれば王国騎士団など恐れることはない。魔王の血族の力を奴らに見せつけてやろうではないか」
「当然よ」
「もちろんよ!」
「任せて兄様」
「当たり前でしょ」
「ふふ……だが、まだマリーは体力と魔力が回復していない。三人に任せてしばらくここで休んでいくと良い」
「はあ……仕方ないなあ」
悔しいけど仕方ない。兄さんの言う通り私は暴れすぎて消耗している。
「なに、必ずお前にも活躍の場はあるさ」
「ふうん……もしかしたら例の『魔王殺し』でも殺させてくれるって言うのかしら?」
「な……!?」
アザミ兄さんが口元を歪ませた。まだみんなと出会ってから日が浅い。だからその笑いがどんな意味なのか私にはわからない。
「機会があればな」
「……一応、期待しておくわ」
濁すような返事だった。これはあまり期待はしないでおこう。
「あなた……本当にマリーなの?」
さっきから私の一言一言にカレン姉さんが動揺している。私のことを大事に思うのは構わないけどちょっと過保護かもしれない。
「はあ……変な姉さん」
紛れもなく私は魔王の娘。兄妹に共通する銀色の髪と紅の眼、そして強大な魔力がその証だ。
「私はマリーよ。当たり前のことじゃない」
「え、ええ……そうね、ごめんなさい。変なことを聞いたわ」
変な感じだ。なぜだろう……今、自分の名前を言おうとした時。
「わかればいいのよ……あれ?」
何かが足りないような、そんな気がした。
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