魔王の娘に花束を~落ちこぼれ剣士と世界を変える小さな約束~

結葉 天樹

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第三章「魔王の血族編」

第7話 そして魔族は闇夜に嗤う

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 アルテミシア王国の東部には山岳地帯がある。
 豊富な湧き水と、それによって形成される緑は多くの生命を育み、川は束ねられて大河となり、王国の重要な水源となって各都市を繋ぐ水路としても活用されている。
 そんな緑と水の溢れる山の中に、今はもう誰も使っていない古城があった。
 かつてはこの地方を治める領主が住んでいたが、魔族との戦いの中で領主が死亡し、継嗣のいなかった家も断絶。それ以降は辺境の地であり、交通の便も悪いこともあって誰もこの城を利用していなかった。

「……カレンか」

 そんな、誰もいないはずの城の玉座に一人の男が座っていた。
 彼は、闇の中へ目を向ける。
 足音が近づき、闇から現れるように女性が姿を見せた。それは、アルテミシアの城から姿を消したあのフードの女性だった。

「お久しぶりですわ、アザミ兄様」
「珍しいな、お前が来るとは。何か面白いことでも見つけたか?」

 アザミと呼ばれた男の言葉に、カレンと呼ばれた女は薄い笑いを浮かべる。

「ええ、兄様がとても喜びそうなお話を」
「ほう……?」

 男は、その報告に少しばかり眉を動かす。

「先日、アルテミシアのお城へ行って遊んできたの」
「この国の王都か。例の“魔王殺し”がいるという話だな。それで?」
「なかなかの対応力だったわ。その肩書きは伊達ではないみたい」
「だが、楽しそうじゃないか」

 カレンの話では、彼女の仕掛けた遊戯は不発に終わったと見ていい。
 だが、それでもカレンが上機嫌だった。
 普段なら不満をぶちまけ、自分に愚痴を述べるはずであるにもかかわらず、そんな様子は微塵もない。

「ふふ、面白いのはここから……」
「聞こう」

 カレンがアザミに寄り添うように近付き、その耳に唇を近づける。

「――――」

 そしてカレンが二、三ほど言葉を紡ぐと、無表情だったアザミの瞳が揺れた。

「くく……くははは……はははははははは!」

 そして、城でカレンがしたのと同様に彼も哄笑する。
 ここまで彼が感情を露にするのは稀だった。

「面白い……面白いぞ。何という運命の巡り合わせだ!」
「どう、お気に召した兄様?」
「長らくの退屈に飽き飽きしていたところだったが、久し振りに面白くなりそうだ」
「ええ、きっと、そう仰ってくれると思っていましたわ」
「――だが、その前にネズミは狩っておかねばな」

「ネズミ?」とカレンが言葉を返すよりも早く、アザミがその手に魔力を集中させる。

「魔力よ、炎と成れ」

 そして、顕現した炎を部屋の隅に向けて放つ。

「つけられたな、カレン」
「ちいっ!?」

 黒い影が動く。
 着弾した炎に照らされ、その姿が露になる。
 灰色の体毛に覆われた人の形をした狼。アキレアだった。

「おや、ネズミと思ったが犬の間違いだったようだ」
「あら本当。前の魔王の忠実な犬じゃないの」
「てめえら……」

 皮肉を返す余裕はアキレアにはない。
 こうして対峙しているだけでも二人から発せられる言いしれない不気味な威圧感に気圧され、命の危機をひしひしと感じる。

「五年前、お前は人間どもと戦って死んだと思っていたがな」
「色々と聞きたいわ。大人しくなさい」
「お断りだ!」

 アキレアが跳躍する。
 崩れかかった石壁を蹴り、縦横無尽な動きで身をかわすと、素早く離脱していく。

「待ちなさいアキレ――うっ!?」

 追おうとするカレンだが、突如放たれた閃光に闇に慣れた彼女の目が眩む。

「へへ、あばよ!」

 視界が戻った時には走り去る音のみを残し、アキレアの姿は消えていた。

「やってくれたわね……犬の分際で」
「フン、気にすることはないさ」
「でも、兄様」

 動揺するカレンを前に、アザミが虚空に呼びかける。

「――出番だ。アコ、ナイト」

 すると、闇の中から小さな光の粒子が浮かび上がる。
 粒子は集って形を成し、何羽もの金の鳥となって二人の周囲を舞い踊る。
 そして、鳥の羽ばたきとともに無邪気な声が城に響く。

 ――呼んだ、兄様?
 ――呼んだ、兄様?

「あら、貴方たちも一緒だったのね。アコ、ナイト」

 聞き慣れた声にカレンも表情が緩む。

 ――やあ、姉様だよ、アコ。
 ――あら、姉様ね、ナイト。

 再会の挨拶もそこそこに、アザミが二人に告げる。

「アキレアと遊んで来い。好きにして構わん」

 ――ふふ、鬼ごっこだね、アコ。
 ――ええ、鬼ごっこね、ナイト。

 金色の鳥が城の窓から飛び去るとともに気配が消えていく。すぐに城は闇と静寂を取り戻した。

「さて、私たちも行こうか」
「あら、元幹部と言っても犬ごときに四人も必要かしら?」
「いや、私たちの獲物は別だ」

 アキレアが逃げる際、閃光が放たれた。
 魔力を光に変えて炸裂させた魔法。知性があるとはいえ、魔力のほとんどを身体強化と変化に費やす魔物のアキレアが使ったとは考えにくい。

「ネズミはもう一匹いる。あの獣を操る頭脳の持ち主がな」

 意味もなく、アキレアがここに来るわけがない。
 ここは打ち捨てられた古城。そんな場所に忍び込むなど、何かを、あるいは自分たちを探していたとしか考えられない。
 だとすればその理由は――。

「そう……彼も生きていたのね」

 そして、カレンもその人物に思い当たり微笑む。

「そう言うことだ」

 アザミとカレンの足元から影が伸び、その体を覆っていく。
 そして、瞬きの後には城から全ての気配が消えていた。



「……アキレアは逃げ切れたでしょうか」

 アキレアの脱出の補助をした後、二人は別々の方向へと逃げていた。
 魔王軍の残党を探し続けていた二人にとって、最優先で捜し出さなければならなかった人物。それがアザミ、カレン、アコ、ナイトの四人組だった。
 だが、その足取りがつかめないまま五年が経過した。
 周辺国の調査も終わり、他の魔王軍残党の動向をあらかた把握した頃、隠れ家としていた山林にある古城に何者かの気配があった。そして、二人で様子を見に伺ったのだが、その際に城へ向かうカレンを見つけたのだった。
 そして、今に至る。アザミとカレンの二人が何かを企んでいたのは間違いない。話では先日アルテミシア王国でも事件を起こしたという。

「ここからだとアルテミシアの王都に近い。一刻も早く――」
「久しぶりだな、ノア」
「くっ!?」

 森に響く男の声に、ノアは思わず足を止める。

「やはり、お前だったか」
「ちっ! 魔力よ、閃光を放て!」

 間髪入れず足元へ魔力弾を放つ。
 爆風とともに土砂が舞い上がり、土煙でノアの姿を隠す。

「いきなりの逃げを打つか」
「あなたと話すことはありません!」

 視界を遮っている間にノアは走り出す。
 木々の間を縫い、少しでも先へと進まなくてはならない。

「逃がさん」

 だが、土煙を突き破り、巨大な魔力弾がノアに飛ぶ。
 魔力を手に集結させ、振り向きざまにノアも魔力の障壁を展開する。

「魔力よ、盾と成れ!」

 眼前に展開した魔力の壁に男の魔力弾が炸裂する。
 だが、飛んできた弾は一つではない。
 二つ、三つと次々に繰り出された光弾は魔力障壁に亀裂を入れていく。

「うおおおお!」

 ノアも魔力をさらに注ぎ込む。
 亀裂を魔力で埋め、飛来する光弾を全力で防ぐ。

「――がっ!?」

 だからこそ別方向から放たれた一撃に、ノアは気づくことができなかった。
 腹部を貫く激痛。魔力で生成された針が数本、突き刺さっていた。
 すぐさま針を抜く。厄介な術式が込められていて操られでもすれば致命的だからだ。

「久し振りね、ノア。五年振りかしら」
「……これはまた、私も高く評価されたものですね。お二人がお相手とは」

 針の放たれた方向からカレンが姿を現す。

「よく生きていたわね……いえ、死んだと見せかけていたのかしら?」
「ぐうっ!」

 その手に魔力を集結させ、再び閃光弾を放つ。
 少しの隙でもいい。逃げ延びることさえできればそれでいい。

「く……まだ……まだです」

 回復魔法を当てるが傷口から血が止まらない。どうやら傷口を広げるか治癒を遅くする術式の類のようだ。
 だが、ノアは膝を折ることはしない。
 今ここで自分が捕まってしまえば大変なことになる。
 せめて、自分かアキレアのどちらかが逃げ延びてオウカ、あるいはトウカのどちらかにこのことを伝えなくてはならない。
 幸いアザミとカレンの二人はノアを追って来ていた。ならばアキレアは逃げ切れるということだ。

 だがノアは気づく。何かがおかしかった。
 何故、姿を見せたアキレアではなく、自分を追って来たのか。
 こちらにこの二人がいるのなら、アキレアは誰に追われているのか。

「まさか……残りの二人も」
「気づいたか」

 アザミの口元が吊り上がる。
 それは、最悪を意味する肯定だった。
 まさか、探していた四人全てが一所に集まっていようとは、ノアも想定していなかった。

「あの犬の始末は妹と弟に任せたわ。私たちは貴方と遊んであげる」
「ちいっ!」

 すぐ傍の大木の根元を次々と爆破して抉る。
 それら全てがアザミとカレンの方へと倒れていく。

「……フン」
「……ふふふ」

 だが、直撃する前に大木は消滅した。
 アザミへ倒れこんだ木は、次の瞬間に真っ二つに切り裂かれて炎上。
 カレンへと倒れた木は、彼女が針を打ち込み、込められていた術式によって大爆発を起こして粉々に吹き飛ぶ。

 足止めにもならないことは分かっていた。
 だが、ノアはその少しの時間すら逃走のために使う。
 アキレアも逃げ延びられるかわからない。
 せめて、自分だけでも生き延びなければならない。

 逃げ続けるノアの前に森の切れ目が見えた。
 その先へ出て、何としても王都へ――。

「……しまった」

 だが、その先に道など無かった。
 目の前に広がるのは切り立った崖。いつの間にか逃げる先を誘導されていたらしい。

「さて、どうするノア」
「逃げ道はないわよ」

 男とカレンの足音が迫る。
 その手には魔力を既に集め、炎への属性変換が完了している。恐らく爆発を伴う攻撃用の魔法だ。

「く……」

 仮に飛行魔法を使ってもこの距離ではよけきれない。
 かといって二人分の魔力を相殺できる力はノアにはない。
 そもそも彼ら相手では一対一でも分が悪い。その上、戦うためには腹部の傷が集中の妨げになる。

「ですが……それでも捕まるわけにはいきません!」

 ノアの両手に二つの光弾が顕現する。
 彼は魔力運用を可能な限り効率よくすることにより、同時に二つ以上の魔法を放つことを可能としている。
 己の特性を最大限に生かし、手数で隙を作り、逃げ延びる。それ以外に道はなかった。

「相変わらず小賢しい魔法だ」

 二人が表情を変えず、魔力を放った。
 ノアも迫りくる炎弾へ光弾を放つ。だが、二人の魔法の威力に飲み込まれるようにかき消され、それが彼の下へ向かう。

「魔力よ、炎と成れ、氷柱と成れ、土壁と成れ!」

 さらなる魔力を放出する。彼の手から放出された魔力は周囲で凝縮され、あるいは地面に作用して命じられた形を成して行く。
 そして彼の前で壁になるが、そのいずれも威力を減じさせることはなく、突き破って行く。

「魔力よ――」
「無駄だ」

 大爆発が夜空を紅く染め上げる。
 崖の先端は吹き飛び、煙が晴れた時にノアの姿はどこにもなかった。

「……フン、跡形もなく消し飛んだか」
「ふふふ……抵抗しなければ生き延びることくらいはできたのに」

 だがそれは、己の意思を奪われて物言わぬ人形となってだ。
 果たしてそれは生きていると言えるのだろうか――。

「行くぞカレン。第二幕の始まりだ」
「ええ、アザミ兄様」

 そして、二人の姿は闇の中へと再び溶け込んでいくのだった。



「はあ……はあ……くそったれ!」

 その頃、アキレアも木々を縫い、疾走していた。
 だが、不気味な気配はどこまでもピタリとついてくる。

 ――あははは! ねえ、アキレアってばどうしちゃったのかな、アコ。
 ――もう疲れちゃったのかな、ナイト。

 逃げても、逃げても金色の粒子で形作られた鳥は追いかけてくる。
 振り払うが、光の粒に飛散した後にまた元の形をとる。
 更に速度を上げるが、いつの間にか森全体に光の粒が飛散している。
 どこへ行っても見られているような感覚がぬぐえない。

「まさか、てめえらもいたとはな……アコ、ナイト!」

 ――気安く名前を呼んで欲しくないよね、アコ。
 ――そうね、気安く名前を呼んで欲しくないわ、ナイト。

「……相変わらず気持ちの悪い喋り方しやがって」

 同じ言葉ないし似たような言葉を駆け合う。
 彼と彼女は二人で一つ。だから魔法も一緒に操る。

 ――逃げるよ、逃げるよ、狼さん。

 少年が謡うような声が聞こえた。アキレアは背筋に寒気が走る。

 ――どうして逃げるの狼さん。

「やばい!」

 続いては少女の声。
 それは、アコとナイトと呼ばれた二人が魔法を使う際に用いる詠唱の特徴。

 ――捕まらないよ狼さん。

 魔力が一点、いや二点に収束していく。
 アキレアの前で光の鳥たちが集まり、その粒子がほどけて形を再構築していく。

 ――どうしてどうして捕まらない?

「……冗談きついぜ」

 現れた二人の魔族の姿に、苦虫を嚙み潰したような顔しかできない。

「捕まらないなら」

 二人の周囲に無数の光の矢が展開する。
 そして、その声が重なった。

「殺しちゃえ」
「殺しちゃえ」

 アキレアの耳に水音が聞こえる。
 それは、付近を流れる急流だった。

「うおおおお!」

 放たれる光の矢。
 無数に飛び交うその矢に体中を貫かれながらアキレアは急流へと飛び込む。
 大量の血痕を川岸に残し、アキレアの姿は急流に飲まれて消えていった。

「あーあ、逃げられちゃったね、アコ」
「逃げられちゃったね、ナイト」

 今日は月も出ていない。夜の闇の中で川を探るのはさすがに難しい。

「でも、あの傷で泳げるのかな、アコ」
「でも、あの傷じゃ泳げないよね、ナイト」
「死んだかな、アコ」
「死んだかもね、ナイト」

 二人は見つめ合う。その姿は多少の差異はあれど全くの瓜二つ。

「あははは!」
「きゃははは!」

 そして無邪気に二人は笑った。
 だがそれは、無邪気さと喜悦に染まった残忍な笑顔。

「帰ろう、帰ろう、お城へと」
「お城に何が待ってるの」

 手を取り合う二人の姿が再び光の粒子となって行く。

 ――きっと楽しいお話だ。
 ――そうね、兄様姉様笑ってた。

 闇の中に溶けていくように光がその場から消えていく。
 満足そうに歌いながらその場から消えていく双子の二人。ただ一つだけ二人が残念だったのは、アキレアの屍をその目で見ることができなかったことだった。

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