魔王の娘に花束を~落ちこぼれ剣士と世界を変える小さな約束~

結葉 天樹

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第三章「魔王の血族編」

第1話 未来への不安

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 私が覚えているのは、真っ暗な光景だった。

「マリーっ!」

 安心した矢先に起きた崩壊。

「え――?」

 抱き締められたまま、轟音が鳴り響く。

「……ママ?」

 静まり返った部屋で聞こえてくる微かな喜びの混じった声。

「ああ……よか…った」

 その声を最後に、私を抱く腕から力が抜けていった。

「オウ……カ……ご…め……」

 少しずつ、その温もりが遠ざかっていく

「ねえ……どうしちゃったの?」

 私は抱き締められていて、動けない。

「早く行こうよ」

 何が起こったのか。そして、私を抱く人に何が起きたのかがわからない。

「ねえ、ママってば」

 新しくママになってくれた人。その人は私の声掛けに何も反応してくれない。

「寝ちゃったの?」

 それから――どうなったんだっけ。



「……また、あの夢」

 窓から差し込む朝日が顔に当たり、マリーは目を覚ました。
 新緑が香り、鳥たちの囀りが出迎える爽やかな朝なのに、彼女の目覚めは最悪だった。

「最近多いな……どうしてだろ?」

 この所、マリーは頻繁に五年前のことを夢に見ていた。
 トウカとの出会いの時、そして崩壊する家から脱出する際に起きたトラブル。
 何が起きたのか、今ならわかる。落ちて来た天井から彼女を守るためにトウカが庇ってくれたのだ。
 だが、その直撃を受けてトウカは瀕死の重傷を負った。まだ“死”の概念がなかったマリーにはそれがわからなかったのだ。
 徐々に命の灯が消えていくトウカ。今思い出してもマリーは寒気が走るほどの恐怖を覚える。

 ――だが、その後がわからない。

 その後、何かが起きた。
 マリーも気を失い、気づいたときには神殿から脱出した先の小屋でトウカの隣で寝ていた。
 トウカは怪我の影響こそ残っていたが、命はとりとめていた。
 一体何が起きたのか。マリーは何も覚えていなかったのだ。

「……今度、ノアが来た時に聞いてみよう」

 部屋から小屋へ移動させたのは彼らだ。何かしらの事情を知っているかもしれない。
 恐らく駆け付けたノアが回復魔法を使い、命を助けてくれたのだろう。
 そうだ。そうに違いない。それが一番現実的な結論だ。

「マリー、もう起きたー? 朝食できてるよー」
「はーい、ママ。今行きまーす」

 何も気に病む必要などない――今、こうしてマリー=フロスファミリアは、トウカ=フロスファミリアと一緒に暮らしているのだから。

 テーブルには既にパンとスープ、サラダが用意されていた。
 焼いたパンに自家製のジャムを塗る。
 そろそろ残りも少なくなってきた。また野イチゴを採りに行かなくては。
 学校から帰ってくるときについでに採ってくるのもいいかもしれない。エリカもお裾分けをすると言えば手伝ってくれるだろう。
 そんなことを考えるマリーにトウカが声をかけた。

「マリー、今日は何の日か覚えてる?」
「お母さんの叙勲の式典でしょ。大丈夫、覚えてるわよ」

 出会ってから五年の歳月が流れた。
 その間もオウカは武勲を立て続け、その名声は国内外に広く轟くようになっていた。
 今日は、昨年著しい功績のあった騎士たちに対する叙勲の式典が行われることになっていた。オウカの他にシオンやカルーナも式典には出席する予定だ。

「ママだって、勲章もらっていい立場だと思うんだけどなぁ……」
「私は良いの。協力させてもらって、報酬をいただけるだけでもありがたい話なんだから」
「そういうものかな?」
「そういうものよ」

 それに、勲章をもらっても民家に飾る場所などないし、これ以上名声が高まってもトウカ自身が困る。
 オウカが目立った活躍を見せているのも、二人の生活に支障が出ないようにするためでもあった。

「私も王都に行くから。授業が終わったらお屋敷に先に行って待ってて」
「うん。その後にフジ先生の所へ行くのね」

 幸いドラセナが式典のよく見える場所を確保してくれたらしい。
 せっかくの友人二人の晴れの姿だ。是非家族で見たいのだと彼女も言っていた。

 そんなやり取りをしている内に、マリーはパンを食べ終わってしまっていた。



「……ねえ、エリカは将来何をしたいか考えてる?」

 帰り道を歩く中で、マリーはエリカに問いを投げかけた。
 話題は今日の授業で取り上げられた「将来の夢」のことだ。

「私は、いくつかの選択肢で迷っていると言った所でしょうか」

 横を歩くエリカは一足先に成長期が来たらしく、マリーより頭一つ程背が高かった。
 胸も膨らみはじめ、淑女としての身のこなしも様になって大人びた雰囲気を纏い始めていた。今すぐに社交界に出ても問題ないのではないかと、カルーナたちも太鼓判を押していた。
 対してマリーは背こそ伸びつつあったがまだ緩やかなものだった。魔族と人間の肉体の成長期は違いがあるのかもしれないと、フジは推測していた。

「カルミアさんは、無理にお爺様の後を継ごうとしなくても良いと言われましたけど……私もグラキリスの者ですから、騎士も一つの選択肢です」

 エリカの祖父、サンスベリアは二年前亡くなった。最後まで牢獄から出ることは許されず、その葬儀も公に行うことはできなかった。
 王国を揺るがす大事件の首謀者ではあったが、エリカにとっては敬愛する祖父であり、唯一の肉親だ。そんな祖父が願っていたグラキリス家の再興は、彼女にも果たしたいという思いはあった。

「……でも、トウカさんみたいな作家にも興味があるの。“自由に生きていい”ってカルーナおじさまも仰っていましたし……まだ、迷ってしまいますね」
「そっか……」

 自由な立場だからこそ、選ぶ自由もある。
 他にもどんな仕事があるのか、そんなことを帰り道が分かれる場所まで二人は話し続けた。

「騎士……作家かぁ……」

 一人で歩きながらマリーは考えを巡らせる。
 エリカの挙げたものは、自分にも当てはまるものがある。
 トウカの様に民間で仕事に就く。作家ならトウカを手伝いながら勉強して、あの家で一緒に働くこともできる。
 また、オウカの様に騎士になるという選択肢もある。マリーは魔王討伐を果たした英雄の養女だ。知人にも騎士団関係者は多い。騎士になるための人脈は十分すぎるほどだ。
 ただ、魔族の彼女が王国騎士団になることはできるのだろうかと言う懸念はある。それに戦いに出れば魔力の使い方に気を付けなければ自分の素性が明るみに出てしまう可能性もある。
 第一、そんな命のやり取りが行われる危険な立場になることをトウカやオウカは許してくれるのだろうか。

「難しいなぁ……」

 溜め息が漏れた。まだ先のこととは言え、同世代の子はある程度方針を決めていた。エリカも漠然とだが行きたい道を見つけ始めていた。
 マリーだけが、まだそのきっかけも見つけ出せずにいた。

 街中を歩き続けると、フジの病院の前に辿り着いた。
 今日は式典を見に行くため、早々と閉めることが告知されている。
 その為、時間を詰めてやってきた多くの診察待ちの人々でごった返していた。

「あ、マリーおねえちゃんだー」
「おねえちゃーん」

 病院の前の通りで遊んでいた二人の子供がマリーの顔を見て笑顔を向けた。
 たどたどしい足取りで駆け寄ってきたのは三歳になったばかりの姉弟だった。

「プリムラ、ジュリアン。こんにちは」
「こんちはー」
「ちはー」

 灰褐色の髪の色を持った双子。フジとドラセナの子供たちだ。

「おとうさん、今はいそがしいからお話しできないよー」
「きょうはたいへーん」
「……そうみたいね。また後にするわ」

 家業を継ぐということについて、少し話を聞きたかったのだが、今は患者が長蛇の列を作っている。式典の時にでも話を伺った方がいいとマリーは思った。

「おねえちゃん、元気ない?」
「びょうきー?」
「ううん。そういうことじゃないの」

 残念そうにしていた表情を元気がないと思われてしまったらしい。

「ぼく、なおしてあげるよー」
「ジュリアンが?」
「うんー。いたいのとんでけー」

 マリーの膝に手を当てて、それを放り投げるように放す。
 親から教えてもらったのだろうか。マリーもトウカにしてもらったことがあるのを思い出した。

「げんきになったー?」
「……うん。ジュリアンはお医者さんになりたいの?」
「うん。お父さんみたいなお医者さんになりたーい」
「プリムラは?」
「お母さんみたいにつよいひと!」

 思わず苦笑してしまう。
 しっかりと血は受け継がれているみたいだ。

「血の繋がり……か」
「おねえちゃん?」
「どうかしたー?」
「何でもない。あ、お母さん来たわよ」

 病院から足早にドラセナが出てきた。
 娘たちと一緒にいるマリーを見て、手を振ってくれた。

「この子達見ててくれたの。ありがとうマリーちゃん」
「いえ……ちょっとお話してただけですから」
「そっか。この子達、まだ友達少ないから、たまにでいいから遊んであげてね」

 マリーは頷き返す。
 ドラセナのことはトウカに引き取られたころから知っている。元々快活な人だったが、プリムラとジュリアンを産んでからはさらに強くなったように感じる。

「また、騎士団の任務でいなくなる時は連絡するから。よろしくね」
「はい。任せてください」

 幼い頃には何度か遊んでもらったこともある。
 そのお返しと言うわけではないけど、双子とも遊んであげたいと思った。

「じゃ、先に場所に行ってるから、後でまた会いましょうね。プリムラ、ジュリアン。行きましょ」
「はーい」
「いきまーす」

 二人の手を引き、ドラセナは去っていく。
 もうすぐ病院も閉まる。自分も早く屋敷へ向かわなくてはと思い、マリーも足早にその場を立ち去った。



「こんにちはー」

 フロスファミリアの屋敷に到着する。
 今日、訪問することは既に連絡済みのはずだ。

「あ、マリーじゃない」
「久し振りね、マリー」

 ちょうど階段を下りてきていたキッカとレンカと鉢合わせる。

「元気でしたか?」
「お姉ちゃんたちも元気そうだね」
「もちろん。あ、でもこれから式典だからあまり長く話してられないけどね」

 二人は学院卒業後、オウカ付きの従騎士として一人前の騎士になるために日々経験を積んでいた。すでに魔物討伐で実戦も何度か経験して、まだ未熟ではあるが次代を担うホープとして注目もされている。
 それに伴い戦闘訓練も激しさを増しており、その腕や足には痣も見えている。
 マリーも魔術訓練の傍らで見学したことがあったが、その激しさに驚かされた覚えがある。

「お母さん、まだいる?」
「ええ。自分のお部屋で式典の準備をされていたわ」
「少しなら話もできるんじゃない?」
「ありがと」

 礼を言って二人と別れる。
 彼女らは出会った頃から明確に自分の道を定めていた。
 もちろん、フロスファミリア家に生まれた者としての定めもあるが、その道を選ぶことを誇りと思っている。

 ――では、自分マリーはどうなのだろうか?

 フロスファミリアを名乗りながらフロスファミリア家の一族ではない。
 プリムラやジュリアンのように親と同じ仕事を志すのも一つの道だ。だが、トウカとオウカの二人と血が繋がっているわけではない。

 学校で問われたのはただ単純に「夢」としての進路だ。だが、その問いがマリーに影を落としていた。
 自分が何者なのか。どうあるべきなのか。人の世で成長した魔族と言う特異な出自である彼女にはまだ難しい命題だった。



「そうか……将来のことか」

 式典用の正装に身を包んだオウカは、とても凛々しさが際立つ。同性から人気が高いのも頷ける気がした。

「うん。みんなやりたいことが見えてて凄いなって思って」
「学院の生徒は皆、貴族や騎士の子女だからな。家の名を背負って生きていこうと思うのは不思議なことではないさ」
「そうだけど……」
「マリーはマリーの人生がある。ゆっくりと決めていけばいい」
「……騎士になりたいって言ったらお母さんはどう思う?」

 それは、意外な言葉だったのだろう。
 クローゼットに服をしまおうとしていた手を止めた。

「た、例えばの話よ!? ほら、エリカも選択肢の一つにしてるくらいだから参考に聞いておこうと思って」
「そ、そうか。いや、怖がりのマリーがこんな物騒な世界に興味を持ったのかと驚いてな」
「物騒?」

 母のイメージと違うその言葉に、マリーは首を傾げる。

「ああ。騎士になれば政界との関わりも持たなくてはならない。利用し、される関係の中でどれだけ上手く立ち回るかの駆け引きが求められる。華々しいイメージもあるが、領地の管理など地味な仕事もある。そしてそれは確実に遂行しなくてはならない」
「それは家を守るため?」
「そうだな……私たちを信じて付いて来てくれる人たちがいる。思惑は様々だが彼らも己の名誉と富をかけて支援をしてくれている。そして国王陛下が治めるこの国を守りたいからでもある」
「王様が……間違ったことをしていたら?」
「人によってはそれでも王についていくことが騎士道と思う者もいるようだが、私に言わせればそれは間違いだ。真の騎士なら命を懸けてでもお諫めするものだ」
「命を……懸けて」
「ああ。だから特別な事情でもなければ騎士になどならない方がいい」

 六歳の時に誘拐された時も、その政界の争いが元であることを最近ようやく理解した。
 本来なら関係のないマリーも、ただ“フロスファミリアだから”と言うだけで巻き込まれた。
 だが、それを救い出してくれたのもまた騎士たるオウカたちだった。

「……む、何だか夢を壊すようなことばかり言ってしまったか。いけないな。トウカならその仕事の良い所を教えてくれるのだろうが」

 オウカは苦笑する。家に訪れる機会は昔ほど多くはなくなっていたが、それでも姉妹二人は互いの最大の理解者として信頼し合っていた。
 それは、こういうさりげない所でものぞかせていた。

「だが、わが子に幸せになってもらいたいという気持ちは誰もが抱くものだ。その為にもいろいろと知ってもらいたい」
「うん……そんなつもりじゃないのは分かっているから」
「それに、騎士になれば戦争に出る。魔族と戦うことだってあり得る。母親として言わせてもらうなら、そんな過酷な所へ送りたくないというのが正直な気持ちだよ」
「……でもお母さんたちは、魔王と戦ったんだよね?」
「……唐突にどうした?」
「怖くなかったの? 死ぬかもしれなかったんだよ」

 まだ、マリーにはあの日何が起こっていたのかを告げていない。
 トウカとオウカは魔王を倒し、神殿に取り残されていたマリーを引き取ったという点のみしか伝えていない。
 別に、同族を斬ったと言うことを恨んでいるわけではない。ノアからも、そのことはしっかりと教えられている。彼らはマリーを生かすために命を懸けたのだと。その結果として今のマリーがあるのだと。

「……魔王は強かったさ。トウカがいなければ私も終わっていたかもしれない」

 確かに魔王はいた。
 人の心の中に潜む負の感情。それを“魔王”と呼ぶのであればオウカはそれに負けかけた。
 そして、あの日、あの場所で確実に“魔王”は討ち果たされた。

「魔族は滅びてない……だから、他の魔族がまた「魔王」と名乗ることだってあるはずだよね。その時、お母さんはまた戦うの?」
「ああ、それが私の騎士としての使命だ」

 マリーの魔法も感情に揺さぶられるものだ。その運用を誤ればかつてのように暴走を引き起こす。その時の記憶は彼女にはないが、魔力の暴走にだけは気を付けるように、成長して魔力の暴走の危険が減った今でも魔封じの腕輪は今でも肌身離さず持っている。

「お前と、この国を守りたいからな。一緒に、平和に暮らして行きたいからだ」

 だからこそ、強くあってもらいたい。そして、平穏に生きてもらいたい。
 魔王の娘として生まれたマリーだが、そんな未来を選ぶ権利はあるはずだ。

「マリー。私たちはお前がどんな道を選ぼうとも、ちゃんと考えた末の結論ならそれを尊重するつもりだ。おそらくトウカも同じ気持ちのはずだ」
「……うん。相談に乗ってくれてありがとう」
「その言葉、トウカにも言ってやれ。まだ話してないんだろ?」

 マリーは頷く。
 そろそろ時間だ。オウカは式典に参加するために出なければならない。
 キッカとレンカが「迎えが来た」と部屋の外から呼びかける。

「もし作家になりたいなんて言ったら、たぶん小躍りして報告してきそうだな」
「ママならあり得るかもね」

 去り際にオウカが言った冗談に、少しだけマリーは気分が和んだ。

「……そろそろ、潮時か」

 馬車に向かう中で、オウカはそう呟いていた。
 この五年、マリーは様々なことを学んで来た。周りの人に支えられて嬉しさも、辛さも。そして人と魔、人間社会の確執も。
 そんなマリーがこの世界で生きていくために、自分の将来について考えている。

「そう言えば、式典が終われば七の月ですね、オウカ様」
「もうすぐマリーの誕生日ですけど、今年のプレゼントは何をお考えに?」
「そうだな……」

 マリーが魔王の娘であること。それを救うためにトウカとオウカに起きた出来事。全てを教える日が来たのかもしれない。

「また、いい案を出してもらえるか?」
「はい!」
「マリーのためなら喜んで」

 ちょうどいい機会だった。
 今年は、マリーの誕生日は必ず休暇を取ろう。
 そうオウカは決めるのだった。
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