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断章「日常編」
第3話 踏み出せない一歩
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それは、姉妹の対峙から始まった。
「さて、始めようか」
「そうだね」
せっかく実家に滞在しているので、最近は二人で剣の鍛錬をしていた。前の年は魔王討伐の祝賀会やマリーの体調不良などで忙しかったためできなかったが、今回は時間に余裕もある。
そもそも、王国最強と謳われるオウカの相手を務めることのできる者などそうはいない。彼女にとってもトウカが相手をしてくれるのは非常に助かるのだ。
「もう、震えは出たりしないのか?」
「うん。あれ以来何ともないみたい」
魔王討伐戦以来、彼女を縛り付けていた恐怖心も払拭されたらしく、今では模擬戦も支障なく行えた。
今日は久し振りの本気の立ち合い。あの事件が起きてから実に七年振りだ。
「オウカ様、ファイトー!」
「トウカ様、頑張って下さい!」
「どっちもがんばれー」
そして、そんな王国屈指の実力者二人の戦いを見られるという貴重な機会を、彼女たちに憧れる子供たちが見逃すわけもない。
その為、今日の対決は庭園内の開けた場所で行うことになった。
「……行くぞ、トウカ」
「……行くよ、オウカ」
剣を抜き、二人は向かい合う。
使う剣は刃引きのしてある模造刀だが、気を抜けば事故に繋がりかねない。それを知っているからこそ、二人の間には実戦に匹敵する程の緊張感が漂う。
キッカ、レンカ、マリーの三人にもそれは伝わり、固唾を飲んで見守っていた。
二人が動くのは同時だった。舞うように緩やかに、姿勢を前へと傾ける。
そして次の瞬間、はじかれたように地を蹴り、その距離が詰まる。
「はあっ!」
「やあっ!」
共に繰り出された剣閃が交わり、火花を散らして離れる。
「次っ!」
先に体勢を整えたのはトウカ。
後方へはじかれた剣を持ち替え、逆手で握り直すと同時に地を踏みしめ、胴を薙ぐ。
「甘い!」
対してオウカもその動きに反応して剣を縦に構えて受け止める。
そして刃を滑らせるように前へと出ていく。
「させない!」
体当たりで体勢を崩そうとする動きを察知してトウカは軽く跳び、腕に力を込める。
自身は横へ飛び退きつつ、オウカの突進の向きを逸らす。
「もらったよ、オウカ!」
そして、着地と同時に背を向けているオウカに一撃を見舞う。
だが、オウカはその剣を振り向きざまに叩き落とす。
「くっ……」
「お前の剣は素直すぎる。だから軌道が読みやすいんだ。もっと相手を騙すように動け」
攻守が入れ替わり、オウカが打ち込み始める。
だが、一撃一撃の威力はそれほどではない。あくまでトウカの守りを崩すための速度重視の連撃。
「わっ……わわっ!?」
「殺気に釣られすぎだ。いくら速度のあるお前の剣でも全部に対応はできん」
虚実織り交ぜながらトウカの隙を突いていく。
ある時は軌道を変え、ある時は力を込め、またある時はその剣を止める。
相手の動きに合わせて千変万化するオウカの攻め。トウカは捌くのが精いっぱいで完全に姉のペースだ。
「しまった――」
そして、オウカが遂にトウカの剣を跳ね上げる。
丸腰となった妹に向けて、その剣を振りかぶる。
「もらった!」
「――なんちゃって」
紙一重でその剣閃をかわし、トウカがオウカの右側へ回り込んで腕をとり、体を入れ替える。
「何っ!?」
「オウカはここ一番ってところで単純な攻めになるのが悪い癖だよ?」
力を受け流され、体勢の崩れたオウカの背後でトウカが跳躍する。
落ちてくる剣を掴み、落下の勢いを加えて振り下ろす。
「やああーっ!」
「ちいっ!」
オウカが大きく飛び退く。その後に続いてトウカの剣が地に叩きつけられる。
舞い上がる土煙の中から転がり出るようにしてオウカが離脱した。
「痛ったあ……」
手に伝わる痺れる感覚にトウカは表情を歪ませる。
「決まったと思ったのに……」
「そう簡単にやられてはこちらも立つ瀬がない」
立ち上がり、オウカが大きく息を吐く。
戦場でもなかなか味わえない、己の全てをかけて行える互角の戦い。
その緊張感の中だからこそ、彼女たちの技は冴え、さらに磨かれていく。
「ふあぁ……凄い」
「……オウカ様も、トウカ様も一歩も譲りませんね」
子供たちも、思わず息をするのも忘れてしまうほどに二人の対決に見入っていた。
フロスファミリアの一族内でもなかなかお目にかかれない質の高い攻防。しかもトウカの方は独力でそれを身に着けたと聞く。
「決めた。私、本格的に訓練が始まったらお二人に稽古をつけてもらう」
「私もです。お助けするどころか、守られるようでは話になりませんし」
「お姉ちゃんたちも戦うの?」
マリーの問いに二人は自信をもって答える。
「当然。フロスファミリアに生まれた者なら男も女も関係ないわよ」
「私たちは騎士の家系。人々を、君主を守り、戦いで身を立ててきた一族ですから」
「それに私はラペーシュ家を復興させなくちゃいけないんだもの。相手が魔王でも倒してやらなくちゃ……」
「――っ、キッカそれは!?」
「……あ」
キッカは思わず口を押さえる。
己の発した一言が失言だったことに気が付いたからだ。
「魔王……」
魔王とはつまり、マリーの親のことだ。
「ママもお母さんも、魔王を倒した英雄だって学院でもみんなが言ってるけど……どんな人だったのかな?」
だが、マリーは自分の親がその魔王であることを知らない。
今それを伝えるべきではないとトウカたちが判断したからだ。
「魔族にもいい人はいるよ? でも魔王って人は倒されなくちゃいけないほど悪いことをしていたんだよね?」
「あー、うん……」
「そうね……」
冬の誘拐事件でマリーが魔族であり、そして魔王の娘であることはトウカたちから教えられ、彼女たちの知る所となっている。マリーも徐々に世の中の魔族に対する嫌悪感に気付き、自分が魔族だということを普段から隠し、キッカ、レンカ、エリカもそれをサポートしている。
それに、平和がもたらされていることを示すためにも致し方ない状況とはいえ、トウカとオウカがその魔族の長たる魔王を討伐した英雄であると国内で喧伝されている現状も問題だった。
つまりは、マリーは自分の親を殺した相手に育てられているという状況になっているのだ。幼い彼女ではこれを受け止めきれるとは思えない。だから成長し、ちゃんと事実を受け止められる年齢になったその時にきちんと話すつもりだと二人は語っていた。
「マリー、魔王嫌い。だってマリーが魔族だって隠さなくちゃいけないの全部魔王のせいなんだもん」
キッカたちは言葉が出ない。
自分の親を悪し様に言うマリーを咎めることもできない。
「あ、ほら。また始まるみたいよ」
「そ、そうですね。せっかくのお二人の戦い、勉強させていただかないと」
だから二人ができるのは少しでも気を逸らせることくらいだ。
いつかマリーが真実を知るその日まで、トウカたちに協力することが彼女たちの恩返しともいえるのだから。
「さあ、もう一度行くぞ!」
「うん……って、ああーっ!?」
再び剣を構えて走り出そうとした二人だったが、突然トウカが悲鳴を上げた。
「な……何だ、どうしたトウカ?」
虚をつくための手段であればあまりに陳腐。だからトウカにそんな意図がないことはすぐに分かった。
だが、彼女はパニックに陥りそうなほど取り乱している。
「オウカ、足、足下見て!」
「足下……?」
あまりに必死な様子のトウカに言われてはさすがに気にかかる。
オウカは自分の足下を見る。ずいぶん柔らかめの足場だと思っていた。
「なんだ、花壇に入り込んでいたのか……ん?」
続いて気づく。足の下にある小さな花の芽のことを。そして、その花壇にある拙い文字で書いてある小さな立て札に。
「マリーの……お花?」
先日、トウカからマリーが花を育ててみたいと言っていたと聞いた覚えがオウカにあった。
食材の買い出しついでに種を購入し、庭園のどこかに植えたと――
「……まさか」
オウカが恐る恐るマリーの方を見る。
眼に涙をいっぱいに浮かべた娘がそこにいた。
「マリーの……マリーのお花」
「マ、マリー。わざとじゃないんだ、これは……」
「うわあぁぁぁぁん!」
言い訳する間もなく、マリーが大泣きを始めてしまった。
もはや戦っている場合ではない。二人も慌ててマリーを宥めに行く。
「お母さんが……マリーのお花踏んだあ……」
「いや、これはその、不可抗力というか、こんな場所にあるなんて思っていなくてだな」
「おはなぁ……うわぁぁぁぁん!」
「よしよし、大丈夫だから。泣かないでマリー」
顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくるマリーを撫でたり、声をかけたりして何とか宥めようとするが、こうなってしまえば理屈で解決できる状態ではない。
「……オウカ様、マリーくらいの子に理屈は通じないと思います」
「そうです、早く謝って下さいオウカ様!」
「そ、そうだな。すまないマリー、このとおりだ!」
レンカとキッカに諭され、オウカは平謝りする。
「こんにちはオウカ、トウカ……って、何してるの?」
そんなところにちょうど来訪したドラセナは、王国最強の騎士が泣きじゃくる女の子に頭を下げて許しを乞うている光景を見て戸惑うのだった。
「……子供に許しをもらうのは大変だな」
オウカは疲れ切ってソファでうな垂れていた。
何とか泣き止んだマリーは今、庭園でキッカたちと一緒に花壇で柵を作っている。
「ふふ、とても国民には見せられない姿だったわ」
「ぐっ……」
いたずらっぽく笑うドラセナにオウカも何も言い返せない。
王国最強、凛とした佇まいから人々の憧れの的の女騎士。その実態が泣いた娘一人にあたふたする不器用な母親ではイメージは全くの真逆だ。
「あはは……もうその辺にしてあげて。ところで、今日はどうしたの?」
トウカが差し出したティーカップを受け取る。
砂糖を入れてかき混ぜながらドラセナはポツリと話し始めた。
「実は……フジのことで」
「なになに、恋話?」
興味津々とばかりに身を乗り出すトウカをオウカが小突く。
「茶化すな。事はドラセナだけの問題じゃない」
「うう……わかってはいるんだけど、つい」
作家としての好奇心が出てしまってことを恥じる。
ある程度の深い相談ができる気心の知れた女友達は彼女たちだけだ。だからこそ真剣に応えなければならない。
「気になっていたのは私も同じだ。あれからお前たちはどうなんだ?」
ドラセナはまだスプーンで紅茶をかき混ぜている。
やがて、橙色の中で回る白い粒が消えたところで口を開く。
「ねえ……私とフジってどんな関係に見える?」
「む、難しい質問だな?」
「うーん、恋人とも友達とも言い切れないよね……」
冬の一件以来、皆二人の仲を気にしていた。
前の様に会話はできる仲に戻ることはできたみたいだが、目立って二人の仲が進展したという話を聞かない。
ただ、トウカたちよりはドラセナの方がフジにとって親しい位置にいるのは確かと言えた。
「でも、二人きりになった時に手ぐらいは握ったんじゃない?」
「……」
トウカの何気ない一言に、ドラセナは押し黙る。
「まさかドラセナ……」
「……うん。何もないの、あれから」
二人は何とも言えない微妙な面持ちで頬をかく。
あの事件から四か月は経過している。それで何もなかったとはさすがに二人も予想外だった。
「……あの根性なしめ」
「ち、違うの……フジは色々と気を使ってくれるのよ。その……私が今一歩踏み出せなくて」
「それってやっぱり、ゴッドセフィア家のことがあるから?」
ドラセナはゴッドセフィア家を継ぐ立場だ。当然交際・結婚相手もそれ相応の家柄の者を求められる。特に主要五家の一角なら親が相手を決めてもおかしくない。本来なら自由恋愛など夢のまた夢だ。
「だが、フジはウィステリア家の出身だ。勘当中とは言え、出自に問題はないと思うが?」
「まあその点もあるんだけど、もう一つ気になってることがあって」
「もう一つ?」
ティーカップを口に運ぶ。口を潤して、ドラセナは苦笑する。
「実は、断られてるのよ。過去に一度」
「ええっ、いつの間に!?」
トウカが驚きのあまり紅茶をこぼしそうな勢いで身を乗り出す。
「昔、結婚して欲しいって言ったことがあるんだけど……『結婚は無理だ』ってその時フジの口からはっきり聞いているの」
「は、初耳だな……」
オウカも初めて聞く話に驚きを見せている。
「だから今の関係から踏み出せばいいのか、踏み出したら駄目なのかがわからなくなっちゃって」
「でも、子供の頃の話でしょ。ドラセナも本気で言ったの?」
「確かに子供だったから私もよくわからないで言っていたところはあるけど……フジの方は冗談に思えない感じだったかな」
「うーん。子供の頃なら気楽に好きって言うこともあるけど、真面目に断るなんて……」
「まあ、そこがフジらしいとも言えるが」
腕組みをして思案するトウカ。
「でも今、フジがドラセナをどう思っているのか。そこが大事だと私は思うな」
「そうだな。断ったのは昔の話だ。だが、今あいつはお前を大切に思っている。そこに何かしらのきっかけはあったはずだからな」
「そうよね……ありがとう二人とも」
紅茶を飲むと、すっかりぬるくなっていた。だが、今の沈んでしまいそうな気持にはちょうど良い。
子供の頃のたった一幕の言葉。だが、それがドラセナに一抹の不安を残す。
言いようのない嫌な気持ちだけは心の底で拭えないままだった。
「さて、始めようか」
「そうだね」
せっかく実家に滞在しているので、最近は二人で剣の鍛錬をしていた。前の年は魔王討伐の祝賀会やマリーの体調不良などで忙しかったためできなかったが、今回は時間に余裕もある。
そもそも、王国最強と謳われるオウカの相手を務めることのできる者などそうはいない。彼女にとってもトウカが相手をしてくれるのは非常に助かるのだ。
「もう、震えは出たりしないのか?」
「うん。あれ以来何ともないみたい」
魔王討伐戦以来、彼女を縛り付けていた恐怖心も払拭されたらしく、今では模擬戦も支障なく行えた。
今日は久し振りの本気の立ち合い。あの事件が起きてから実に七年振りだ。
「オウカ様、ファイトー!」
「トウカ様、頑張って下さい!」
「どっちもがんばれー」
そして、そんな王国屈指の実力者二人の戦いを見られるという貴重な機会を、彼女たちに憧れる子供たちが見逃すわけもない。
その為、今日の対決は庭園内の開けた場所で行うことになった。
「……行くぞ、トウカ」
「……行くよ、オウカ」
剣を抜き、二人は向かい合う。
使う剣は刃引きのしてある模造刀だが、気を抜けば事故に繋がりかねない。それを知っているからこそ、二人の間には実戦に匹敵する程の緊張感が漂う。
キッカ、レンカ、マリーの三人にもそれは伝わり、固唾を飲んで見守っていた。
二人が動くのは同時だった。舞うように緩やかに、姿勢を前へと傾ける。
そして次の瞬間、はじかれたように地を蹴り、その距離が詰まる。
「はあっ!」
「やあっ!」
共に繰り出された剣閃が交わり、火花を散らして離れる。
「次っ!」
先に体勢を整えたのはトウカ。
後方へはじかれた剣を持ち替え、逆手で握り直すと同時に地を踏みしめ、胴を薙ぐ。
「甘い!」
対してオウカもその動きに反応して剣を縦に構えて受け止める。
そして刃を滑らせるように前へと出ていく。
「させない!」
体当たりで体勢を崩そうとする動きを察知してトウカは軽く跳び、腕に力を込める。
自身は横へ飛び退きつつ、オウカの突進の向きを逸らす。
「もらったよ、オウカ!」
そして、着地と同時に背を向けているオウカに一撃を見舞う。
だが、オウカはその剣を振り向きざまに叩き落とす。
「くっ……」
「お前の剣は素直すぎる。だから軌道が読みやすいんだ。もっと相手を騙すように動け」
攻守が入れ替わり、オウカが打ち込み始める。
だが、一撃一撃の威力はそれほどではない。あくまでトウカの守りを崩すための速度重視の連撃。
「わっ……わわっ!?」
「殺気に釣られすぎだ。いくら速度のあるお前の剣でも全部に対応はできん」
虚実織り交ぜながらトウカの隙を突いていく。
ある時は軌道を変え、ある時は力を込め、またある時はその剣を止める。
相手の動きに合わせて千変万化するオウカの攻め。トウカは捌くのが精いっぱいで完全に姉のペースだ。
「しまった――」
そして、オウカが遂にトウカの剣を跳ね上げる。
丸腰となった妹に向けて、その剣を振りかぶる。
「もらった!」
「――なんちゃって」
紙一重でその剣閃をかわし、トウカがオウカの右側へ回り込んで腕をとり、体を入れ替える。
「何っ!?」
「オウカはここ一番ってところで単純な攻めになるのが悪い癖だよ?」
力を受け流され、体勢の崩れたオウカの背後でトウカが跳躍する。
落ちてくる剣を掴み、落下の勢いを加えて振り下ろす。
「やああーっ!」
「ちいっ!」
オウカが大きく飛び退く。その後に続いてトウカの剣が地に叩きつけられる。
舞い上がる土煙の中から転がり出るようにしてオウカが離脱した。
「痛ったあ……」
手に伝わる痺れる感覚にトウカは表情を歪ませる。
「決まったと思ったのに……」
「そう簡単にやられてはこちらも立つ瀬がない」
立ち上がり、オウカが大きく息を吐く。
戦場でもなかなか味わえない、己の全てをかけて行える互角の戦い。
その緊張感の中だからこそ、彼女たちの技は冴え、さらに磨かれていく。
「ふあぁ……凄い」
「……オウカ様も、トウカ様も一歩も譲りませんね」
子供たちも、思わず息をするのも忘れてしまうほどに二人の対決に見入っていた。
フロスファミリアの一族内でもなかなかお目にかかれない質の高い攻防。しかもトウカの方は独力でそれを身に着けたと聞く。
「決めた。私、本格的に訓練が始まったらお二人に稽古をつけてもらう」
「私もです。お助けするどころか、守られるようでは話になりませんし」
「お姉ちゃんたちも戦うの?」
マリーの問いに二人は自信をもって答える。
「当然。フロスファミリアに生まれた者なら男も女も関係ないわよ」
「私たちは騎士の家系。人々を、君主を守り、戦いで身を立ててきた一族ですから」
「それに私はラペーシュ家を復興させなくちゃいけないんだもの。相手が魔王でも倒してやらなくちゃ……」
「――っ、キッカそれは!?」
「……あ」
キッカは思わず口を押さえる。
己の発した一言が失言だったことに気が付いたからだ。
「魔王……」
魔王とはつまり、マリーの親のことだ。
「ママもお母さんも、魔王を倒した英雄だって学院でもみんなが言ってるけど……どんな人だったのかな?」
だが、マリーは自分の親がその魔王であることを知らない。
今それを伝えるべきではないとトウカたちが判断したからだ。
「魔族にもいい人はいるよ? でも魔王って人は倒されなくちゃいけないほど悪いことをしていたんだよね?」
「あー、うん……」
「そうね……」
冬の誘拐事件でマリーが魔族であり、そして魔王の娘であることはトウカたちから教えられ、彼女たちの知る所となっている。マリーも徐々に世の中の魔族に対する嫌悪感に気付き、自分が魔族だということを普段から隠し、キッカ、レンカ、エリカもそれをサポートしている。
それに、平和がもたらされていることを示すためにも致し方ない状況とはいえ、トウカとオウカがその魔族の長たる魔王を討伐した英雄であると国内で喧伝されている現状も問題だった。
つまりは、マリーは自分の親を殺した相手に育てられているという状況になっているのだ。幼い彼女ではこれを受け止めきれるとは思えない。だから成長し、ちゃんと事実を受け止められる年齢になったその時にきちんと話すつもりだと二人は語っていた。
「マリー、魔王嫌い。だってマリーが魔族だって隠さなくちゃいけないの全部魔王のせいなんだもん」
キッカたちは言葉が出ない。
自分の親を悪し様に言うマリーを咎めることもできない。
「あ、ほら。また始まるみたいよ」
「そ、そうですね。せっかくのお二人の戦い、勉強させていただかないと」
だから二人ができるのは少しでも気を逸らせることくらいだ。
いつかマリーが真実を知るその日まで、トウカたちに協力することが彼女たちの恩返しともいえるのだから。
「さあ、もう一度行くぞ!」
「うん……って、ああーっ!?」
再び剣を構えて走り出そうとした二人だったが、突然トウカが悲鳴を上げた。
「な……何だ、どうしたトウカ?」
虚をつくための手段であればあまりに陳腐。だからトウカにそんな意図がないことはすぐに分かった。
だが、彼女はパニックに陥りそうなほど取り乱している。
「オウカ、足、足下見て!」
「足下……?」
あまりに必死な様子のトウカに言われてはさすがに気にかかる。
オウカは自分の足下を見る。ずいぶん柔らかめの足場だと思っていた。
「なんだ、花壇に入り込んでいたのか……ん?」
続いて気づく。足の下にある小さな花の芽のことを。そして、その花壇にある拙い文字で書いてある小さな立て札に。
「マリーの……お花?」
先日、トウカからマリーが花を育ててみたいと言っていたと聞いた覚えがオウカにあった。
食材の買い出しついでに種を購入し、庭園のどこかに植えたと――
「……まさか」
オウカが恐る恐るマリーの方を見る。
眼に涙をいっぱいに浮かべた娘がそこにいた。
「マリーの……マリーのお花」
「マ、マリー。わざとじゃないんだ、これは……」
「うわあぁぁぁぁん!」
言い訳する間もなく、マリーが大泣きを始めてしまった。
もはや戦っている場合ではない。二人も慌ててマリーを宥めに行く。
「お母さんが……マリーのお花踏んだあ……」
「いや、これはその、不可抗力というか、こんな場所にあるなんて思っていなくてだな」
「おはなぁ……うわぁぁぁぁん!」
「よしよし、大丈夫だから。泣かないでマリー」
顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくるマリーを撫でたり、声をかけたりして何とか宥めようとするが、こうなってしまえば理屈で解決できる状態ではない。
「……オウカ様、マリーくらいの子に理屈は通じないと思います」
「そうです、早く謝って下さいオウカ様!」
「そ、そうだな。すまないマリー、このとおりだ!」
レンカとキッカに諭され、オウカは平謝りする。
「こんにちはオウカ、トウカ……って、何してるの?」
そんなところにちょうど来訪したドラセナは、王国最強の騎士が泣きじゃくる女の子に頭を下げて許しを乞うている光景を見て戸惑うのだった。
「……子供に許しをもらうのは大変だな」
オウカは疲れ切ってソファでうな垂れていた。
何とか泣き止んだマリーは今、庭園でキッカたちと一緒に花壇で柵を作っている。
「ふふ、とても国民には見せられない姿だったわ」
「ぐっ……」
いたずらっぽく笑うドラセナにオウカも何も言い返せない。
王国最強、凛とした佇まいから人々の憧れの的の女騎士。その実態が泣いた娘一人にあたふたする不器用な母親ではイメージは全くの真逆だ。
「あはは……もうその辺にしてあげて。ところで、今日はどうしたの?」
トウカが差し出したティーカップを受け取る。
砂糖を入れてかき混ぜながらドラセナはポツリと話し始めた。
「実は……フジのことで」
「なになに、恋話?」
興味津々とばかりに身を乗り出すトウカをオウカが小突く。
「茶化すな。事はドラセナだけの問題じゃない」
「うう……わかってはいるんだけど、つい」
作家としての好奇心が出てしまってことを恥じる。
ある程度の深い相談ができる気心の知れた女友達は彼女たちだけだ。だからこそ真剣に応えなければならない。
「気になっていたのは私も同じだ。あれからお前たちはどうなんだ?」
ドラセナはまだスプーンで紅茶をかき混ぜている。
やがて、橙色の中で回る白い粒が消えたところで口を開く。
「ねえ……私とフジってどんな関係に見える?」
「む、難しい質問だな?」
「うーん、恋人とも友達とも言い切れないよね……」
冬の一件以来、皆二人の仲を気にしていた。
前の様に会話はできる仲に戻ることはできたみたいだが、目立って二人の仲が進展したという話を聞かない。
ただ、トウカたちよりはドラセナの方がフジにとって親しい位置にいるのは確かと言えた。
「でも、二人きりになった時に手ぐらいは握ったんじゃない?」
「……」
トウカの何気ない一言に、ドラセナは押し黙る。
「まさかドラセナ……」
「……うん。何もないの、あれから」
二人は何とも言えない微妙な面持ちで頬をかく。
あの事件から四か月は経過している。それで何もなかったとはさすがに二人も予想外だった。
「……あの根性なしめ」
「ち、違うの……フジは色々と気を使ってくれるのよ。その……私が今一歩踏み出せなくて」
「それってやっぱり、ゴッドセフィア家のことがあるから?」
ドラセナはゴッドセフィア家を継ぐ立場だ。当然交際・結婚相手もそれ相応の家柄の者を求められる。特に主要五家の一角なら親が相手を決めてもおかしくない。本来なら自由恋愛など夢のまた夢だ。
「だが、フジはウィステリア家の出身だ。勘当中とは言え、出自に問題はないと思うが?」
「まあその点もあるんだけど、もう一つ気になってることがあって」
「もう一つ?」
ティーカップを口に運ぶ。口を潤して、ドラセナは苦笑する。
「実は、断られてるのよ。過去に一度」
「ええっ、いつの間に!?」
トウカが驚きのあまり紅茶をこぼしそうな勢いで身を乗り出す。
「昔、結婚して欲しいって言ったことがあるんだけど……『結婚は無理だ』ってその時フジの口からはっきり聞いているの」
「は、初耳だな……」
オウカも初めて聞く話に驚きを見せている。
「だから今の関係から踏み出せばいいのか、踏み出したら駄目なのかがわからなくなっちゃって」
「でも、子供の頃の話でしょ。ドラセナも本気で言ったの?」
「確かに子供だったから私もよくわからないで言っていたところはあるけど……フジの方は冗談に思えない感じだったかな」
「うーん。子供の頃なら気楽に好きって言うこともあるけど、真面目に断るなんて……」
「まあ、そこがフジらしいとも言えるが」
腕組みをして思案するトウカ。
「でも今、フジがドラセナをどう思っているのか。そこが大事だと私は思うな」
「そうだな。断ったのは昔の話だ。だが、今あいつはお前を大切に思っている。そこに何かしらのきっかけはあったはずだからな」
「そうよね……ありがとう二人とも」
紅茶を飲むと、すっかりぬるくなっていた。だが、今の沈んでしまいそうな気持にはちょうど良い。
子供の頃のたった一幕の言葉。だが、それがドラセナに一抹の不安を残す。
言いようのない嫌な気持ちだけは心の底で拭えないままだった。
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