魔王の娘に花束を~落ちこぼれ剣士と世界を変える小さな約束~

結葉 天樹

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断章「日常編」

第2話 オウカの手料理

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 それは、姉の唐突な一言から始まった。

「今日は私が夕食を振る舞おう」

 皆で朝食を食べ終わり、食後のお茶を楽しんでいた所で、突如発せられたオウカの一言に部屋は水を打ったような静けさに包まれた。

「本当ですか!?」

 最初に歓喜の声を上げたのはキッカだった。
 フロスファミリアの屋敷で過ごすようになってから、食事は基本的に使用人が作っている。時折母のローザやトウカが厨房に立って作ることもあったが、オウカが作ったことはこれまでになかった。

「ああ、いつも作ってもらうばかりでは申し訳がない。たまには私が腕を振るうとしよう」
「わーい。お母さんのお料理だー」

 マリーも喜びを見せる。
 だがそんな中で一人、レンカは感じ取っていた。

「……あの、何故そのように複雑な表情を?」

 盛り上がるオウカたちに気づかれない様に、そっと浮かない顔をしていたトウカに伺う。
 トウカだけではない、父グロリオーサ、母ローザ、そして使用人たちもどこか動揺した面持ちだった。

「……ねえ、父さん、母さん。あれから治ってたりは……?」

 二人に視線で問うが、二人は渋い顔で眼を逸らす。
 トウカは溜息をつきながらレンカに答える。

「うん……オウカの料理、久し振りだから」
「あの、こう言うと失礼かと思いますが……まさか、味が」

 こういう時は大概本人だけが気づいていない料理下手だというパターンだ。
 だが、ローザはその問いに首を振る。

「そういう訳じゃないのよ。実際、オウカの料理は美味しい方よ。ねえ、あなた」
「……うむ」

 歯切れの悪さにレンカは首をひねる。

「では、何が問題なのでしょうか?」
「それはね……」

 トウカがその理由を言おうとした時、オウカが話を遮るようにトウカに声をかけた。

「トウカ。そうと決まれば買出しに行くぞ」
「え、私も?」
「当然だ。マリーの好き嫌いを一番把握しているのはお前だからな」
「ちょ、ちょっとオウカ!?」

 そう答えると、オウカは妹の腕を取って上機嫌で歩き出す。
 引きずられるようにしてトウカは連れて行かれるのだった。

「みんな、聞いていましたね」

 二人の去った後、ローザが使用人たちの前に引き締まった顔で立つ。

「まずは屋敷全体のチェックを。もしものことがあってはいけません」
「はい!」

 いつも穏やかな笑顔を見せているローザの、あまりに真面目な顔にレンカは驚く。

「いざという時の避難先の確保。屋敷周辺の通行状況の確認等、必要事項は以前伝えたとおりです。皆の働きに期待しています」
「はいっ!」

 フロスファミリア本家の者はあまり自分の立場を笠に着た態度をとることが少ない。
 使用人と言えど家を支える大事な人材として丁重な扱いを心がけているからだ。
 そんな主人たちを慕い、使用人たちも己の職責を果たそうとするため、主要五家の中でも主人たちと使用人の関係が特に良好と言えた。

 そんな関係を作り上げている主人たちが使用人に命令を下している。
 いつもの姿からは想像もできない光景に、やはり何か異常な事態であることをレンカは感じ取っていた。

「……私は公務がある。日没頃には帰る」

 グロリオーサは立ち上がる。使用人たちも、いつと違って忙しく動き始めている。ローザは使用人たちに指示を出しているため、レンカはいまだにその理由を問いただすことができなかった。



 昼食をとった後、子供たちはキッカの部屋に集まっていた。

「結局、何が問題なのでしょう……」
「みんな話できる雰囲気じゃないのよねー。無理やり聞こうにも『オウカ様が調理を始めるまでが勝負なので』って……一体何があるってのよ」

 オウカはトウカとの買出し、グロリオーサは公務で外出。
 ローザは使用人を指揮して忙しそうにしていたためこの日の昼食は一緒に取れていない。

「マリー、あんた何か知らない?」
「んー。お母さんが作ってくれるの初めてだからわかんない」

 首を傾げるマリー。

「あ、そうだ。この前ママが風邪ひいたときにお母さんが作ろうかって言ってたことあった」
「その時はどうだったの、マリー?」
「ママが起きてきて止めてた。必死で」
「ひ、必死でって……」
「……先ほどのトウカ様の動揺ぶりからも、“付き合いたくない”という感じがひしひしと伝わってきましたね」
「あの姉妹仲でトウカ様にそこまで思わせるって何なのよ……」

 オウカが作ってくれるからと言ってついはしゃいでしまった自分をキッカは後悔する。

「あら、そう言えばそろそろオウカ様が調理を始められた頃かしら?」

 つい話し込んでしまったようだ。レンカは立ち上がる。

「私、ハープのお稽古がありますのでこれで」
「うん。また後でね」
「あとでねー」

 キッカとマリーに手を振り、レンカは部屋を――出ようとして開けかけたドアを閉めた。

「レンカ?」
「……いえ、気のせいかもしれま――うっ!?」

 もう一度ドアを開け、廊下へ出ようとしたレンカが口元を抑えてドアを閉じる。
 その異様な様子に、キッカも駆け寄る。

「キッカ……開けない方がいいです」
「は? 廊下に何があるって……うぐっ!?」

 キッカも同様に開けかけたドアを閉じる。

「……何、今の」
「もしかして……これが、トウカ様たちが心配されていた?」
「お姉ちゃんたち、どうしたの?」

 二人の反応が気になったマリーも近寄ってきた。

「なになに、何かあるの?」
「……どうしても気になる?」
「うん!」

 ここで、マリーにだけは隠しておくこともできるが、それはそれで彼女が仲間外れにされたと言って不貞腐れるのが予想できた。
 駄々をこねられるより、危険を敢えて教えてあげるのも年長者の務めでもある。

「一つだけ言っておきます……思い切り息を吸い込むのだけは駄目ですからね」
「……?」
「……いくわよ」

 キッカがドアをわずかに開く。マリーはその間を覗き込むようにして顔を近づける。

「――っ!?」

 反射的にかと思うほど素早く、目を見開いてマリーは顔を引く。
 キッカもレンカもその様子に苦笑いを浮かべる。
 そしてマリーも鼻を抑えて涙目で言った。

「くしゃい……」

 甘酸っぱいような、喉の奥にまで突き刺さるような刺激臭。
 一体食材や香草などをどう用いればこんな臭いが出せるのか。

「廊下でこれってことは……」
「屋敷中……外にも漏れているのかもしれませんね」

 ようやく三人は察した。
 よく考えればオウカが調理を始めたと思われる辺りから使用人の歩く音が聞こえていなかった。
 当然だ。こんな臭いの中で平然と日常の業務ができるものか。

「こんな中でオウカ様は調理しているって言うの……?」
「異臭騒ぎの張本人は気にならないって言いますし……」

 そんなことを言っていると、廊下の先が何やら騒がしくなってきた。
 三人は様子をうかがうためにドアに耳をつける。

「もうやだー、自分の部屋に帰る!」
「ええい、何を言っているトウカ。この程度で音を上げるとは情けない!」
「この程度って、何でオウカは平然としていられるのよ!?」
「フッ、戦場の血生臭さ以上に辛い臭いなど無いからな」
「トウカ。耐えるのよ!」
「母さんは何で無事なの!?」
「そこは、魔術でちょっと」
「裏切者ーっ!?」
「さあ、続きだ。行くぞトウカ」
「たーすーけーてぇぇぇ……」

 引きずられる音の後に、無情にもドアが閉ざされる音が聞こえた。

「……主人を助けに行かなくていいの、ロータス」
「……共倒れになるとわかっていて駆け付けるのもいかがなものかと」
「あんた、いい性格してるわね」
「……ごめんなさい、ママ」

 さすがに全員、救いが存在するとは思えない死地に飛び込む度胸はない。
 心の中でそっとトウカの無事を祈るのだった。

「……しかし、本当に大丈夫なのかしら」
「奥様曰く、味は保障できるそうなので心配はないかと」
「まあ、トウカ様もついているんだし、とんでもない味になることはないでしょうけど……」

 とはいえ、不安は拭えない。
 一体どんなものが出てくるのか想像もつかないのだ。

「はぁ……我慢して部屋にこもっているしかなさそうね」
「私も、今日ばかりはお稽古は後回しにします」

 ため息をつき、二人は肩をすくめる。
 このままオウカの料理ができるまで待っているしかなさそうだった。

「マリー、どうしたの?」
「そんな所に立ってないで、こっちへ来なさいよ」

 ドアのそばでマリーはドアとキッカたちの間で目線を往復させていた。
 どこかその様子も、余裕がない感じだ。

「……おトイレ行きたい」

 思わずキッカは顔を覆った。
 この屋敷のトイレは廊下の先だ。どうあってもこの部屋を出る必要がある。
 幸いなのは厨房とは逆方向だということだけだろうか。

「……一人で行かせるのも気が引けるわね」
「あの臭いの中ですものね」

 諦めて巻き添えを食うことを決める。
 できるだけ息を止めたり、布を口元に充てたりして空気を吸わないよう心掛けるしかなさそうだ。

「いい、ドア開けたらまっすぐ行くのよ」
「うん」
「一、 二の……三!」

 キッカが合図したと同時にドアを開け、マリーが臭いの充満する廊下へ飛び出す。
 続いてレンカも口元に布を当てながら後を追う。
 そして意を決してキッカも続くのだった。



「うう……凄い臭い」

 身を低くしてマリーが出てくるのを待つが、正直拷問だ。

「一体、いつまで続くのでしょう……あら?」

 レンカが気付く。どうも臭いに変化が訪れていた。

「何でしょう……あまり、刺激の強い臭いじゃなくなったような」
「そうね……むしろ、やっと料理らしい匂いになったというか」
「いい匂いー……」

 トイレからマリーが出てきた。
 二人と同じく、漂う匂いに表情が綻ぶ。

「これは、野菜とキノコと……香草でしょうか」
「スープかな。炒め物かな?」
「わー、おいしそう」

 食欲をかき立てるようないい匂いが廊下に充満する。

「さっきまでのは何だったのよ……」
「下ごしらえや灰汁抜きでしょうか……」
「それもそれで、どうやったらあんな臭いになるのよ……」

 だがこの時、三人は気づいていなかった。
 もう一つの地獄が待っていることに……。



「うう……つらい」
「まさか、こんなことになるなんて……」
「おなかへったー……」

 部屋に戻ったキッカたちは力なくソファに横たわっていた。

 あれからしばらくの時間が経つ。
 スープ、ソテー、メインディッシュ、デザートと屋敷に漂う匂いは次々とその姿を変え、豪勢なメニューになることに子供たちは胸を躍らせた。

 だが、あまりにオウカの調理時間が長い。
 いまだ調理は終わる気配を見せず、五品目の調理に差し掛かっていた。

「……匂いが強いだけに、空腹感もやたら刺激されるわね」
「……ある種、これも拷問ですね」

 目の前でお預けを食らった犬はこんな気持ちなのだろうか。

「……あ、これマリーの好きなの」
「……さっきは私の好きなやつだったわね」
「まさか、一人ひとり個別に作っているんじゃ……」

 レンカの言葉に気が滅入る。
 まだ食べられるようになるまでは時間がかかりそうだった。



 日が沈み、グロリオーサが屋敷に戻ってきた頃、ようやくオウカたちが厨房から出てきた。
 使用人たちはそれを合図に次々と屋敷の窓を開け放ち、換気を始める。
 日中では通りに往来もあるため、フロスファミリアの屋敷から異臭がすると騒がれてはいけない。だから締め切っていたのだ。

「さあ、夕食にしよう!」

 満面の笑みで子供たちを呼びに来たオウカの後ろに、憔悴しきったトウカが立っていた。

「うう……酷い目に遭った」
「……お疲れ様です、トウカ様」

 部屋から出てきたキッカたちも、空腹が限界に達していてはしゃぐ気力もない。

「目の前で美味しそうな料理がどんどん並べられていくのに味見もさせてもらえないのよ……」
「な、生殺しですね……」

 誰よりも近くで匂いにさらされていたトウカの苦労は子供たちの比ではないだろう。

「母さんみたいにずっと魔術を使っているなんてできないし、本当に辛かった……」
「……ごめんなさいね、トウカ。もっと早くに気付いてあげあられたら」
「え?」
「私があなたに魔術を施していれば良かったわ」
「早く気付いてよ!?」



「さあみんな。味わってくれ」

 食卓に並ぶ料理の数々。トウカに負けず劣らずのレパートリーだ。

「久しぶりに作ったものだからな。試してみたいものも一緒にこんなに作ってしまったよ」

 明るく笑い飛ばすオウカ。
 だが、そのお陰で待たされた面々がどんな地獄を味わっていたのかを知る由もない。

「美味しい!」
「うわ……このお肉柔らかい」

 素材の持ち味を存分に生かした前菜。
 材料の味が見事に調和したスープ。
 絶妙な火加減と味付けのメインディッシュ。
 物によっては普段から作り慣れているトウカ以上の腕と言っても過言ではなかった。

「ちょっとマリー、それ私にももらえる?」
「うん。キッカお姉ちゃんのそれもいい?」

 空腹だったこともあり、次々と料理を口へ運ぶ。
 その度に広がる味に、マリーもキッカもどんどん食が進む。

「まだたくさんあるからな。たっぷり食べればいい」
「うん!」
「はい!」

 夢中になって食べる二人の横で、レンカも微笑む。
 体が弱い彼女だが、今日ばかりは空腹と、オウカの料理の美味しさに多食気味だ。

「……私も、正直驚きました。とても美味しいです」
「あはは……そう言ってもらえると頑張った甲斐があるかな」
「ふふ……オウカの家庭的な一面なんて、なかなか見られないものね」

 ローザの言葉にトウカも、レンカも苦笑する。

「ですが、どなたも時間がかかりすぎることについて苦言を呈されたりはしないのですか?」
「うーん、何度も言おうとは思ったんだけどね」

 トウカは視線を向ける。その先には笑顔で食べるマリーとキッカがいた。
 そんな光景を見てオウカも笑みをこぼしている。

「喜んでもらおうと真剣に頑張ってるオウカを見てると……ね」
「なるほど」
「あの子は凝り性だからな。一度始めると納得がいくまで妥協をしない」
「それが長所でもあり、短所でもあるのですけどね」

 グロリオーサも、ローザもそんなオウカの努力が報われている姿に喜びを見せる。

「ほらマリー。口元が汚れているぞ」

 オウカがナプキンでマリーの口元を拭う。

「落ち着いてゆっくり食べればいい」
「えへへー、お母さんの料理美味しいんだもん」
「ははは、そうかそうか!」

 普段あまり見ることのない母としての表情に、トウカも嬉しくなる。
 指摘すれば「後見人だ」と言い張るが、何だかんだ言って不器用ながら彼女も母親としての自覚が出てきているのだ。

「よし、それじゃあ明日の朝も私が作ってあげよう」
「「「それはやめて!」」」

 さすがに朝から異臭騒ぎを起こされてはかなわない。
 思わずその場にいたほぼ全員が反射的に同じ言葉を口にするのだった。
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