上 下
1 / 26
第一章「眠れる魔物と魔法使いの少女」

第00話 紅蓮の世界

しおりを挟む
 全てが紅蓮ぐれんに包まれていた。
 燃え上がった炎は天を焼き、夜に至ってもその勢いは衰えを知らない。

「お父さん……お母さん……どこ?」

 まるで昼間のような明るさの中を一人の少女が彷徨さまよっていた。様子の変わった村で、どこへ向かえばいいかもわからず、炎から逃れて走り、何度も倒れ、体中を傷だらけにしながら、両親を必死に探していた。

「ひっ!?」

 道に倒れているものから思わず目を背ける。それは人――いや、もはや人であった名残すら残っていない、ただの肉塊だった。
 少し前まで彼女に笑顔を向けてくれていた村人の誰かだろう。もう個人を判別することすらできないほどに原型は失われていた。鋭利なもので切断された傷口、力任せに引きちぎられて潰された傷口。焼けた肉の臭いと目の前の惨状に、少女は喉の奥からこみ上げる物を必死に堪えた。

「……私たちが何したっていうのよ」

 身に降りかかったあまりの理不尽に少女が憤る。元々彼女の生まれ育った村はとても平和な場所だった。深い森の中で俗世を離れ、ひっそりと暮らしていた人々は心優しく、たまに町からやって来る商人が唯一の人の出入りと言えるほどだ。争いすらほとんど起こらない、小さなコミュニティではあったがそれ以上を望まず、営みは続いて行くはずだった。
 だが、そんなのどかな日常は突如、暴力と炎の前に失われてしまった。しかし村を襲ったものは天災でも、人災でもない。

 ――ドラゴンだった。

 数多くいる魔物の中でも頂点に君臨する存在。その巨体は天を突き、高い知性を持ち、強靭な鱗と怪力を誇り、その息吹は炎となって全てを焼き尽くす破壊の化身。そんな魔物がなぜこのようなのどかな村を襲ったのか、それは誰にもわからない。
 いつもなら少女は午前中に家の手伝いをして、昼食後に森で友達と遊び、夕方に仕事帰りの大人たちと一緒に村に帰り、家で母の手料理を食べ、父と遊び、そして家族揃って眠りにつく。いつもと変わらないささやかながらも幸せな日になるはずだった。

「誰か、誰か返事をして」

 だが、竜の襲撃によって村は地獄になり果てた。家は焼け、村人は逃げ惑う。竜はそんな村人を片端から襲って喰らった。
 背を向けた者は後ろから爪で貫かれて殺された。
 家に隠れていた者は家ごと焼き殺された。
 命乞いをする者は容赦なく喰らわれた。
 慈悲など微塵もない。竜にとって人間はただの餌、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 隣の家に住んでいる木こりの夫婦も、毎週やって来て各地の珍しい物を売ってくれる行商人も、怒ると怖いけど、時々森から木の実を持ち帰って来てくれる村長も少女を逃がしてその代わりに命を落とした。

「……うっ……うっ」

 泣けるのなら思い切り泣きたかった。だがその声を少女は必死にこらえる。まだ竜は村のどこかにいるはず。居場所を知られる訳にはいかない。

「こほっ、ごほっ!」

 煙に巻かれて思わずせき込む。少女はハッとし、手で口を押さえて周囲を見渡した。幸いにも竜に気付かれた気配はない。村は静まりかえっていた。
 少女は不思議に思った。あれだけ大きな姿の竜が影も形も見えないのだ。一体どこへ行ってしまったというのか。

「あ!」

 恐る恐る竜がいた広場を覗き込む。打ち捨てられた村人たちの亡骸。その中心に誰かがいた。もしかしたら竜から逃げ延びた村人かもしれない。父か母かもしれない。そう思った少女は思わず飛び出し、駆け寄って行った。

「……違う」

 だが、すぐに違和感を覚え、少女が足を止めた。その瞬間炎が燃え上がり、その人物の顔を照らした。

「だ、誰!?」

 小さい村だから基本的に皆顔見知りだ。だが、目の前の男は少女が村の中で一度も見たことがない顔だった。その人物は少女の存在に気付いてゆっくりと顔を向け、その眼が合った。

「子供か、まだ生き残っていたのか」

 寒気を覚えるような冷たい声だった。男は、少女がそこにいるのにまるで人として彼女を見ていない。そんな見下した眼だ。

「――はどこだ」
「……そ、そんな人知らない」

 問われたのは、聞いたことのない名前だった。少女は首を振って後ずさる。

「そうか」

 男が右手を上げた。その甲には鮮やかな光を放つ紋章が刻まれていた。

「――Ignis火よ

 紋章が赤く輝く。魔力は火の属性を与えられ、術者を中心に逆巻いて燃え上がる。そして男の意思に従い炎は走り、二人を囲む壁となって逃げ道をなくした。

「魔法……使い」

 その存在を少女は知っていた。世界を司る火・水・風・地の四元を操る力を持ち、人の世を脅かす魔物を打ち倒すことのできる、人にして人を越えたもの。だが、その得た力の代償に人の世から忌み嫌われたもの。

「ならばその魂を喰らうのみ。我が糧となるがよい」

 紋章が一際強く輝く。その身から膨大な魔力が溢れ出し、少女を吹き飛ばす。荒れ狂う暴風の如く魔力が渦巻き、その足下に魔法陣が展開する。

棲獣開放せいじゅうかいほう――“竜は目覚めて全てを喰らう”」

 その名を告げると、魔法陣から放出された光の柱に男の姿が溶け込んで行く。
 人の形は消え果てて、その身は魔獣と化していく。
 頭部には角が生え、鋭い牙を備える。
 腕は太さを増し、強靭な鉤爪を得る。
 その背には空に羽ばたく大翼を、その体には刃を通さぬ強靭な鱗を。
 大蛇の如き尻尾を地に叩きつけ、その身は天を突くほど巨大になる。
 光が消えるとともにその全貌が明らかになり、巨体の影が彼女を覆いつくす。

「ひっ!?」

 見覚えのある姿と、その身から発せられる威圧感に少女が腰を抜かした。目の前にいた竜こそ、この村を襲った災厄の元凶だった。
 そして、その姿は初めて見た時よりも一回り大きくなっていた。魔物は人の魂を喰らい、その力を高めることができると知られている。ただでさえ強大な力を持つドラゴンだが、村人たちを捕食してその力をより一層増していたのだ。

「さて、覚悟はいいか娘」

 目の前に散らばる肉塊を踏み荒らしながら竜が一歩一歩少女に迫る。慌てて逃げ出そうとするが、竜のひと睨みで少女はすくみ上がった。家を上回る大きさの魔物は口から涎を滴らせて口を開く。

「あ……あ……」

 目からは涙が溢れ出しているのに恐怖で歯が鳴る。言葉が出せない。助けを求める言葉が誰かに届かない。逃げたいのに足がすくんで一歩も動けない。

「だ、誰か」

 それでも少女は喉の奥から言葉を絞り出す。食べられたくない。死にたくない。どんな奇跡でも良い。圧倒的な恐怖を前に、自分をこの場から救い出してくれる何かを、少女は願った。
 巨体を揺らしながらドラゴンは少女目掛けて一直線に駆ける。

「誰か助けて!!」

 そして顎が開かれ、絶望の闇が広がった。
 鋭い牙が眼前に迫り、少女は恐怖のあまり目を閉じる。

「お父さん! お母さん!」

 そして、全てが赤く染まった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

淫らなお姫様とイケメン騎士達のエロスな夜伽物語

瀬能なつ
恋愛
17才になった皇女サーシャは、国のしきたりに従い、6人の騎士たちを従えて、遥か彼方の霊峰へと旅立ちます。 長い道中、姫を警護する騎士たちの体力を回復する方法は、ズバリ、キスとH! 途中、魔物に襲われたり、姫の寵愛を競い合う騎士たちの様々な恋の駆け引きもあったりと、お姫様の旅はなかなか困難なのです?!

転生騎士団長の歩き方

Akila
ファンタジー
【第2章 完 約13万字】&【第1章 完 約12万字】  たまたま運よく掴んだ功績で第7騎士団の団長になってしまった女性騎士のラモン。そんなラモンの中身は地球から転生した『鈴木ゆり』だった。女神様に転生するに当たってギフトを授かったのだが、これがとっても役立った。ありがとう女神さま! と言う訳で、小娘団長が汗臭い騎士団をどうにか立て直す為、ドーン副団長や団員達とキレイにしたり、旨〜いしたり、キュンキュンしたりするほのぼの物語です。 【第1章 ようこそ第7騎士団へ】 騎士団の中で窓際? 島流し先? と囁かれる第7騎士団を立て直すべく、前世の知識で働き方改革を強行するモラン。 第7は改善されるのか? 副団長のドーンと共にあれこれと毎日大忙しです。   【第2章 王城と私】 第7騎士団での功績が認められて、次は第3騎士団へ行く事になったラモン。勤務地である王城では毎日誰かと何かやらかしてます。第3騎士団には馴染めるかな? って、またまた異動? 果たしてラモンの行き着く先はどこに?  ※誤字脱字マジですみません。懲りずに読んで下さい。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。

克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位 11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位 11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位 11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位

【完結】私の見る目がない?えーっと…神眼持ってるんですけど、彼の良さがわからないんですか?じゃあ、家を出ていきます。

西東友一
ファンタジー
えっ、彼との結婚がダメ? なぜです、お父様? 彼はイケメンで、知性があって、性格もいい?のに。 「じゃあ、家を出ていきます」

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

処理中です...