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第十章 第二節 「再び結んで」
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私の前に座っているシェリーの目は依然鋭い。対して紗矢ちゃんは弱々しい。ん? この二対二のシチュエーション、まるで……。
「私の話を聞いて頂戴」
「駄目」
――結婚相手の親御さんに挨拶するみたいな感じだ……。
「もう駄目なの。紫塔さん、もうあなたとはやっていけない。あなたが疑い続けると、和泉さんが傷つく」
「そう言っても……この状況を――むぐっ!?」
また紫塔さんの鋭い反論が飛びそうになって、私は彼女の口を塞いだ。
(紫塔さん、落ち着いて。この状況で必要なのは正論じゃないよ)
(そ、そうは言っても……)
(まずは、紫塔さんの希望を伝えてみたらいいんじゃない?)
私の小声のアドバイスに紫塔さんは目を白黒させながらも、少し間をおいて、じたばたとした身動きを止めた。
「……シェリーさん、和泉さん。その……」
少しもごもご、何か言いよどみながらも紫塔さんはついに言葉をまとめる。
「私、仲直りしたい」
「……」
紫塔さんの直球の言葉に、シェリーは顔はまだ険しいまま、腕を組んだ。少し琴線に触れる所があったのかもしれない。
「……みおっち」
掠れたような声は、たぶん紗矢ちゃんの物だ。昨日あれだけ悲しんだから、喉を痛めているのかもしれない。
「でも、みおっち、アタシのこと、――信じられないんでしょ?」
「……」
少しの沈黙。きっと紫塔さんは次の言葉は偽らない。
「そうね。今だって、和泉さんの事を疑うのをやめることは出来ない。申し訳ないけれど」
紗矢ちゃんの顔が下を向く。チラッと見えた彼女の表情はまた、悲しみで歪んでいた。
「それでも、よ。私は和泉さんや、シェリーさんと仲直りしたいの」
「……それって、あなたのワガママじゃないの?」
シェリーの弾丸のような反論。私がこれを受ける立場だったらきっと立ち直れない。
「『あなたの事は信じてないけれど、私と仲良くして』……この言葉、何を思って言っているの、紫塔さん? 打算?」
「っ、違う!」
「違う? 何が?」
……私には紫塔さんが何を言いたいのか、分かるような気がする。きっとそこを言語化する術を、紫塔さんはまだ持っていないだけなんだと思う。助け舟を出すタイミングをうかがう。
「私は、その……っ、みんなで、また一つに……」
「一つになって何がしたいの? 『教会を潰す』って危険なことをする。その中で必要なことが紫塔さんに分からないの?」
なかなか鋭い攻撃。ここまで饒舌にシェリーが口喧嘩をこなせると思っていなかった。
「私は納得できない。和泉さんが悲しんで、それでも紫塔さんは自分の考えを変えられない。そのままの関係で和泉さんが紫塔さんと仲良く、信頼し合えると思う?」
「……っ」
シェリー的には紗矢ちゃんを疑うことを完全にやめてほしい、というのが芯となる意見だろう。……でもそれに関しては、私も乗ることはできない話になってくる。
私だって、紗矢ちゃんを微塵も疑っていないかと言われれば頷くことはできない。紫塔さんの言っていた「思考は見えない」という話で、ほんのわずかでも怪しい所はあると思ったから。でも――。
だから、私の出るタイミングはここだ。
「シェリー、私からいいかな。……私も、紗矢ちゃんの事を、百パーセント信じている訳じゃないんだ」
「っ……!? え、晴香ちゃん……? 何を言ってるの?」
私の言葉を聞いた親友は、いともたやすく弱った。さっきまで紫塔さんに致命傷になる言葉をガンガン吐いていたとは思えないくらいのたじろぎっぷり。
そしてその横に座っている紗矢ちゃんを見ると、私を見るその目が、揺らいでいる。
「待って……晴香ちゃんも、そんな感じで紗矢ちゃんと付き合っていくつもりだったの!?」
「うん。でも、ここで大事なのは『今ここで紗矢ちゃんを百パーセント信じ切る事』じゃないと思うんだ」
そう、紗矢ちゃんを信じ切ることができなくとも、それでも紗矢ちゃんを認めることは出来るはず。――今の紫塔さんだって、ハナから紗矢ちゃんを否定する気はないはず。
「思い出して、シェリー。紫塔さんは紗矢ちゃんのことを『今後の行動で決める』って言ってた。それは、紗矢ちゃんがスパイじゃなかったら、おのずと認められていくって意味じゃないかな」
「う……そう、かも」
ちょっとずつ、シェリーの顔が曇っていく。さっきまでの危険なプレッシャーは薄れていく。
「昨日話をしたんだ。これからどうしたいかを、紫塔さんと」
私が目で合図をすると紫塔さんが発言の準備をする。もしかしたら彼女は自分の気持ちを上手く言葉に出来ないかもしれない。それなら私がいくらでも補助しよう。
「あのね、シェリーさん。改めて言うわ。私、仲直りしたいの。和泉さんを信じ切ることは出来ない。だけれど、この打倒・教会は団結しないときっと成し遂げられない。あと……」
頑張れ紫塔さん。紫塔さんが本当に伝えたいことは、今どうにか言葉にしたがっているその気持ちだよね。
「――みんなで、っ、皆と、友達になりたいの!」
その言葉に、一瞬、場の空気は固まった。シェリーはきっと、紫塔さんから出ることはないだろう単語に驚いたんだ。紗矢ちゃんも。でも紗矢ちゃんの表情は、いつ振りかの晴れが見えた。
「うっ、うぅ……! なんだよ、みおっちぃ~!」
笑顔だったはずの紗矢ちゃんから、涙がこぼれる。でもそれは悲しみがあふれたものじゃない。
「きゃっ!?」
感激のあまり紗矢ちゃんが紫塔さんに抱き着く。裏返った紫塔さんの声に、紗矢ちゃんの笑顔は花火のように弾けた。
「もう、アタシ、みおっちにもう一生突き放されたままかと思っちゃって、ぐすっ、はぁ、……よがっだぁ~!!」
こんなに喜んでいる紗矢ちゃんは見たことがなかった。そんなに追い詰められていたのかな、とちょっとだけ不安になった。
「和泉さん……? どうして……? 私、さっきまであなたを」
「いいのいいの! アタシを認めてくれたのは、変わらないからさ!」
「和泉さん……」
「そ・れ・に……友達だったら、みおっち、アタシを下の名前で呼んでよっ」
ああ、やっぱり紗矢ちゃんは陽気なのが似合っている。彼女のリクエストに、紫塔さんはかなり戸惑っている。彼女がこちらに目線で助けを呼んでいる気がしたけれど、にっこり笑顔で返してあげると、彼女は更に困っていた。
「えっと……サヤ? これでいいのかしら?」
「んん~!!」
より一層、紗矢ちゃんが激しく紫塔さんを抱きしめて頬ずりもしている、ちょっと苦しそうに紫塔さんは紗矢ちゃんの腕を叩いていた。でも、そこで喜びを抑えることをしないのが紗矢ちゃんだった。
「よろしくねぇー! みおっち!」
「多知さん、これは、一体……」
「……私のことも下の名前で呼んでよ!」
「あなたまで……」
とにかく困り続ける紫塔さんを私と紗矢ちゃんは笑顔で迎え、そしてその隅でシェリーが少し寂し気な表情を浮かべていたのを、私は見逃さなかった。
「ねえみおっち、一緒にゲームしようよ? はるっちもやる?」
「あ、ごめん、ちょっと待ってて」
「紗矢、遊びに来てるんじゃないのよ!?」って紫塔さんがビックリしているのを尻目に部屋をそっと出て行ったシェリーを私は追うことにした。
シェリーの部屋。扉をノックして無言だったけれど、入ってきた私に彼女は文句を言わない。一人ベッドの上で座り込んだシェリーが見えて、思わず声をかける。カーテンが閉められた部屋は、どこか彼女の心の中を映しているようだった。
「……」
「シェリー。あまり気にしないで」
彼女の隣で同じように膝を抱えて座る。何も言わなくても、彼女が拒否をしているわけではないのは、分かり切っている。
「シェリー。シェリーは何も間違ってないよ。ただ、絡まった関係が、ほどけただけ」
「……」
「私は気にしてないよ。紫塔さんも気にしてないんじゃないかな」
「……」
ただシェリーは目を閉じて、とにかく落ち込んでいるように思えた。――彼女がこう落ち込んだことは何度だってある。その度に、こうしてよくお話をしてあげていたっけ。
「……」
「……」
「……ぐすん」
彼女が立ち直るのを急かすわけでも、無理に慰めるでもない。彼女が彼女らしく辛い気持ちを発散するのを、ただ寄り添ってあげる。これが一番正しい……だなんて思ってはいないけれど、彼女が立ち上がろうっていう時にいつでも手を差し伸べられるところにいたいんだ。
シェリーは何も言わない。私を邪魔とも言わない。ただすすり泣く声が部屋のしじまに溶けていく。この時間が悪いものだなんて思わない。彼女の辛さをほどいていく優しい時間、二人で過ごすその時が、私はすごく好きだ。
やがて、シェリーは泣き疲れてベッドに横になった。私と目が合わないように向こう側を向いて。涙でぐしゃぐしゃの顔を、ブロンドの髪が隠そうとしている。
こっちを気にしないのに私が傷つくこともない。彼女が思うように気持ちを出して、そしてまた元気になったら、それでいい。
「晴香ちゃん」
シェリーは向こうを向いたまま、空いたベッドの隣をそっと叩く。仰せのままに、と私はそこに寝転んだ。
「疲れちゃった」
「そっか。何かジュース持ってこようか?」
「いい。一緒に寝よ」
いつもより淡々としたトーンのその声。そこに辛そうな感情は見えない。もう気分が晴れたのか、と思うかもしれないけれど、彼女の場合はここから燃え上がる。
横に隣り合ったのち、私たちは一緒の毛布を被って、完全に寝る態勢だ。チラッと彼女のほうを見るけれど、シェリーがこっちを見る気配はない。
だけれど、少しずつ、彼女の手が私の手に近づく。そして触れると、彼女の手は私の手を包んだ。
「もっと寄って」
「ん?」
彼女に言われた通り、私は身を寄せていく。とはいえこのベッドはそもそもシングル、そこまで離れてないけれど……。
「もっと」
「ええ?」
これ以上近づいたら密着してしまう、……いや、もしかしてそれを望んでいるのかも。そう思って、私は思い切って彼女にくっついた。エアコンが効いているとはいっても、誰かと密着しあうのは暑い。
「もっと」
「……もっと?」
「圧縮して」
「……何言ってるの?」
「おねがい」
どういう感情かちょっと分からないけれど、私はとにかく彼女をぎゅっと、ぎゅーっと抱き寄せた。なんか、いつもよりシェリーの体温が高い気もする。
「あ~いい感じ、お姉さんマッサージお上手ですね」
「いやー、それほどでも……ってマッサージを所望してたの!?」
なんでこのタイミングで!? さっきまで泣いてたじゃん!?
「お姉さん、肩とか揉めますか? 追加サービスですか?」
「あ、メニューに入ってますね、今やります」
とりあえず、なんかよくわからないけれど彼女の雰囲気に合わせておこう……。
彼女の肩とか足とか色々マッサージをし終わると、私の手はもう悲鳴を上げていた。シェリーがそれなりの強さを要求してきたのだ。明日は筋肉痛になってそう。
「お疲れ様でした」
シェリーの顔を見ると、さっきまでのアンニュイさが晴れて、柔らかい微笑で私を見ていた。
「お代は結構です……」
「あら、よくってよ」
よくわからないコントみたいなことをやったのち、寝転がっていたシェリーはスッと起き上がった。
「あースッキリした」
「……別に肩こりとか無かったけどなぁ」
「いいの、マッサージは気持ちいいから」
満足そうだから、良しとするか。
「気分、よくなった?」
「うん。すごく」
辛い気持ちが晴れた事……というよりも単にマッサージの感想のような気もしなくはないけれど、普通にお喋り出来るような状態になっているから、それなりにメンタルも戻ってきたのかもしれない。
「ねえ、晴香ちゃん。寝ちゃおっか」
「?」
「だって……私、こうやって晴香ちゃんとまた二人きりになりたかったの。すごく」
そっか、寂しがりやめ。
「じゃあ、眠くなるまで遊んじゃう?」
「そうしよっ」
そうして、私たちは二人だけの時間を楽しみながら、夜まで遊び倒そうとした。とはいっても、ちょっと遊んだら、なんだか本当に眠くなって、二人とも十分後には夢の世界へ旅立っていたんだ。
「ごめんなさい」
夕方、起きたシェリーは真っ先に紫塔さんに謝りに行った。強固な態度を取ったこと、感情に任せて殴ってしまったこと、いろいろ。紫塔さんはもちろん、
「いいのよ」
とそれだけ言って、彼女を許した。紗矢ちゃんもシェリーを暖かく迎えてくれていた。やっと、スタート地点に戻れた。ここから、私たちの快進撃が始められる。わだかまりがなくなった今、これから起きる大変な事を、乗り越えることが出来るだろうと私は希望を抱く。まだどうなるかは分からない。想像しているよりも悲惨な事が起きるかもしれない。でも、――私たちは絶対に諦めない。
そう誓った私を見る皆の目は、とても頼もしかった。
「私の話を聞いて頂戴」
「駄目」
――結婚相手の親御さんに挨拶するみたいな感じだ……。
「もう駄目なの。紫塔さん、もうあなたとはやっていけない。あなたが疑い続けると、和泉さんが傷つく」
「そう言っても……この状況を――むぐっ!?」
また紫塔さんの鋭い反論が飛びそうになって、私は彼女の口を塞いだ。
(紫塔さん、落ち着いて。この状況で必要なのは正論じゃないよ)
(そ、そうは言っても……)
(まずは、紫塔さんの希望を伝えてみたらいいんじゃない?)
私の小声のアドバイスに紫塔さんは目を白黒させながらも、少し間をおいて、じたばたとした身動きを止めた。
「……シェリーさん、和泉さん。その……」
少しもごもご、何か言いよどみながらも紫塔さんはついに言葉をまとめる。
「私、仲直りしたい」
「……」
紫塔さんの直球の言葉に、シェリーは顔はまだ険しいまま、腕を組んだ。少し琴線に触れる所があったのかもしれない。
「……みおっち」
掠れたような声は、たぶん紗矢ちゃんの物だ。昨日あれだけ悲しんだから、喉を痛めているのかもしれない。
「でも、みおっち、アタシのこと、――信じられないんでしょ?」
「……」
少しの沈黙。きっと紫塔さんは次の言葉は偽らない。
「そうね。今だって、和泉さんの事を疑うのをやめることは出来ない。申し訳ないけれど」
紗矢ちゃんの顔が下を向く。チラッと見えた彼女の表情はまた、悲しみで歪んでいた。
「それでも、よ。私は和泉さんや、シェリーさんと仲直りしたいの」
「……それって、あなたのワガママじゃないの?」
シェリーの弾丸のような反論。私がこれを受ける立場だったらきっと立ち直れない。
「『あなたの事は信じてないけれど、私と仲良くして』……この言葉、何を思って言っているの、紫塔さん? 打算?」
「っ、違う!」
「違う? 何が?」
……私には紫塔さんが何を言いたいのか、分かるような気がする。きっとそこを言語化する術を、紫塔さんはまだ持っていないだけなんだと思う。助け舟を出すタイミングをうかがう。
「私は、その……っ、みんなで、また一つに……」
「一つになって何がしたいの? 『教会を潰す』って危険なことをする。その中で必要なことが紫塔さんに分からないの?」
なかなか鋭い攻撃。ここまで饒舌にシェリーが口喧嘩をこなせると思っていなかった。
「私は納得できない。和泉さんが悲しんで、それでも紫塔さんは自分の考えを変えられない。そのままの関係で和泉さんが紫塔さんと仲良く、信頼し合えると思う?」
「……っ」
シェリー的には紗矢ちゃんを疑うことを完全にやめてほしい、というのが芯となる意見だろう。……でもそれに関しては、私も乗ることはできない話になってくる。
私だって、紗矢ちゃんを微塵も疑っていないかと言われれば頷くことはできない。紫塔さんの言っていた「思考は見えない」という話で、ほんのわずかでも怪しい所はあると思ったから。でも――。
だから、私の出るタイミングはここだ。
「シェリー、私からいいかな。……私も、紗矢ちゃんの事を、百パーセント信じている訳じゃないんだ」
「っ……!? え、晴香ちゃん……? 何を言ってるの?」
私の言葉を聞いた親友は、いともたやすく弱った。さっきまで紫塔さんに致命傷になる言葉をガンガン吐いていたとは思えないくらいのたじろぎっぷり。
そしてその横に座っている紗矢ちゃんを見ると、私を見るその目が、揺らいでいる。
「待って……晴香ちゃんも、そんな感じで紗矢ちゃんと付き合っていくつもりだったの!?」
「うん。でも、ここで大事なのは『今ここで紗矢ちゃんを百パーセント信じ切る事』じゃないと思うんだ」
そう、紗矢ちゃんを信じ切ることができなくとも、それでも紗矢ちゃんを認めることは出来るはず。――今の紫塔さんだって、ハナから紗矢ちゃんを否定する気はないはず。
「思い出して、シェリー。紫塔さんは紗矢ちゃんのことを『今後の行動で決める』って言ってた。それは、紗矢ちゃんがスパイじゃなかったら、おのずと認められていくって意味じゃないかな」
「う……そう、かも」
ちょっとずつ、シェリーの顔が曇っていく。さっきまでの危険なプレッシャーは薄れていく。
「昨日話をしたんだ。これからどうしたいかを、紫塔さんと」
私が目で合図をすると紫塔さんが発言の準備をする。もしかしたら彼女は自分の気持ちを上手く言葉に出来ないかもしれない。それなら私がいくらでも補助しよう。
「あのね、シェリーさん。改めて言うわ。私、仲直りしたいの。和泉さんを信じ切ることは出来ない。だけれど、この打倒・教会は団結しないときっと成し遂げられない。あと……」
頑張れ紫塔さん。紫塔さんが本当に伝えたいことは、今どうにか言葉にしたがっているその気持ちだよね。
「――みんなで、っ、皆と、友達になりたいの!」
その言葉に、一瞬、場の空気は固まった。シェリーはきっと、紫塔さんから出ることはないだろう単語に驚いたんだ。紗矢ちゃんも。でも紗矢ちゃんの表情は、いつ振りかの晴れが見えた。
「うっ、うぅ……! なんだよ、みおっちぃ~!」
笑顔だったはずの紗矢ちゃんから、涙がこぼれる。でもそれは悲しみがあふれたものじゃない。
「きゃっ!?」
感激のあまり紗矢ちゃんが紫塔さんに抱き着く。裏返った紫塔さんの声に、紗矢ちゃんの笑顔は花火のように弾けた。
「もう、アタシ、みおっちにもう一生突き放されたままかと思っちゃって、ぐすっ、はぁ、……よがっだぁ~!!」
こんなに喜んでいる紗矢ちゃんは見たことがなかった。そんなに追い詰められていたのかな、とちょっとだけ不安になった。
「和泉さん……? どうして……? 私、さっきまであなたを」
「いいのいいの! アタシを認めてくれたのは、変わらないからさ!」
「和泉さん……」
「そ・れ・に……友達だったら、みおっち、アタシを下の名前で呼んでよっ」
ああ、やっぱり紗矢ちゃんは陽気なのが似合っている。彼女のリクエストに、紫塔さんはかなり戸惑っている。彼女がこちらに目線で助けを呼んでいる気がしたけれど、にっこり笑顔で返してあげると、彼女は更に困っていた。
「えっと……サヤ? これでいいのかしら?」
「んん~!!」
より一層、紗矢ちゃんが激しく紫塔さんを抱きしめて頬ずりもしている、ちょっと苦しそうに紫塔さんは紗矢ちゃんの腕を叩いていた。でも、そこで喜びを抑えることをしないのが紗矢ちゃんだった。
「よろしくねぇー! みおっち!」
「多知さん、これは、一体……」
「……私のことも下の名前で呼んでよ!」
「あなたまで……」
とにかく困り続ける紫塔さんを私と紗矢ちゃんは笑顔で迎え、そしてその隅でシェリーが少し寂し気な表情を浮かべていたのを、私は見逃さなかった。
「ねえみおっち、一緒にゲームしようよ? はるっちもやる?」
「あ、ごめん、ちょっと待ってて」
「紗矢、遊びに来てるんじゃないのよ!?」って紫塔さんがビックリしているのを尻目に部屋をそっと出て行ったシェリーを私は追うことにした。
シェリーの部屋。扉をノックして無言だったけれど、入ってきた私に彼女は文句を言わない。一人ベッドの上で座り込んだシェリーが見えて、思わず声をかける。カーテンが閉められた部屋は、どこか彼女の心の中を映しているようだった。
「……」
「シェリー。あまり気にしないで」
彼女の隣で同じように膝を抱えて座る。何も言わなくても、彼女が拒否をしているわけではないのは、分かり切っている。
「シェリー。シェリーは何も間違ってないよ。ただ、絡まった関係が、ほどけただけ」
「……」
「私は気にしてないよ。紫塔さんも気にしてないんじゃないかな」
「……」
ただシェリーは目を閉じて、とにかく落ち込んでいるように思えた。――彼女がこう落ち込んだことは何度だってある。その度に、こうしてよくお話をしてあげていたっけ。
「……」
「……」
「……ぐすん」
彼女が立ち直るのを急かすわけでも、無理に慰めるでもない。彼女が彼女らしく辛い気持ちを発散するのを、ただ寄り添ってあげる。これが一番正しい……だなんて思ってはいないけれど、彼女が立ち上がろうっていう時にいつでも手を差し伸べられるところにいたいんだ。
シェリーは何も言わない。私を邪魔とも言わない。ただすすり泣く声が部屋のしじまに溶けていく。この時間が悪いものだなんて思わない。彼女の辛さをほどいていく優しい時間、二人で過ごすその時が、私はすごく好きだ。
やがて、シェリーは泣き疲れてベッドに横になった。私と目が合わないように向こう側を向いて。涙でぐしゃぐしゃの顔を、ブロンドの髪が隠そうとしている。
こっちを気にしないのに私が傷つくこともない。彼女が思うように気持ちを出して、そしてまた元気になったら、それでいい。
「晴香ちゃん」
シェリーは向こうを向いたまま、空いたベッドの隣をそっと叩く。仰せのままに、と私はそこに寝転んだ。
「疲れちゃった」
「そっか。何かジュース持ってこようか?」
「いい。一緒に寝よ」
いつもより淡々としたトーンのその声。そこに辛そうな感情は見えない。もう気分が晴れたのか、と思うかもしれないけれど、彼女の場合はここから燃え上がる。
横に隣り合ったのち、私たちは一緒の毛布を被って、完全に寝る態勢だ。チラッと彼女のほうを見るけれど、シェリーがこっちを見る気配はない。
だけれど、少しずつ、彼女の手が私の手に近づく。そして触れると、彼女の手は私の手を包んだ。
「もっと寄って」
「ん?」
彼女に言われた通り、私は身を寄せていく。とはいえこのベッドはそもそもシングル、そこまで離れてないけれど……。
「もっと」
「ええ?」
これ以上近づいたら密着してしまう、……いや、もしかしてそれを望んでいるのかも。そう思って、私は思い切って彼女にくっついた。エアコンが効いているとはいっても、誰かと密着しあうのは暑い。
「もっと」
「……もっと?」
「圧縮して」
「……何言ってるの?」
「おねがい」
どういう感情かちょっと分からないけれど、私はとにかく彼女をぎゅっと、ぎゅーっと抱き寄せた。なんか、いつもよりシェリーの体温が高い気もする。
「あ~いい感じ、お姉さんマッサージお上手ですね」
「いやー、それほどでも……ってマッサージを所望してたの!?」
なんでこのタイミングで!? さっきまで泣いてたじゃん!?
「お姉さん、肩とか揉めますか? 追加サービスですか?」
「あ、メニューに入ってますね、今やります」
とりあえず、なんかよくわからないけれど彼女の雰囲気に合わせておこう……。
彼女の肩とか足とか色々マッサージをし終わると、私の手はもう悲鳴を上げていた。シェリーがそれなりの強さを要求してきたのだ。明日は筋肉痛になってそう。
「お疲れ様でした」
シェリーの顔を見ると、さっきまでのアンニュイさが晴れて、柔らかい微笑で私を見ていた。
「お代は結構です……」
「あら、よくってよ」
よくわからないコントみたいなことをやったのち、寝転がっていたシェリーはスッと起き上がった。
「あースッキリした」
「……別に肩こりとか無かったけどなぁ」
「いいの、マッサージは気持ちいいから」
満足そうだから、良しとするか。
「気分、よくなった?」
「うん。すごく」
辛い気持ちが晴れた事……というよりも単にマッサージの感想のような気もしなくはないけれど、普通にお喋り出来るような状態になっているから、それなりにメンタルも戻ってきたのかもしれない。
「ねえ、晴香ちゃん。寝ちゃおっか」
「?」
「だって……私、こうやって晴香ちゃんとまた二人きりになりたかったの。すごく」
そっか、寂しがりやめ。
「じゃあ、眠くなるまで遊んじゃう?」
「そうしよっ」
そうして、私たちは二人だけの時間を楽しみながら、夜まで遊び倒そうとした。とはいっても、ちょっと遊んだら、なんだか本当に眠くなって、二人とも十分後には夢の世界へ旅立っていたんだ。
「ごめんなさい」
夕方、起きたシェリーは真っ先に紫塔さんに謝りに行った。強固な態度を取ったこと、感情に任せて殴ってしまったこと、いろいろ。紫塔さんはもちろん、
「いいのよ」
とそれだけ言って、彼女を許した。紗矢ちゃんもシェリーを暖かく迎えてくれていた。やっと、スタート地点に戻れた。ここから、私たちの快進撃が始められる。わだかまりがなくなった今、これから起きる大変な事を、乗り越えることが出来るだろうと私は希望を抱く。まだどうなるかは分からない。想像しているよりも悲惨な事が起きるかもしれない。でも、――私たちは絶対に諦めない。
そう誓った私を見る皆の目は、とても頼もしかった。
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