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第14章 綻ぶ蕾

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晃輔から届いた離婚届は、藍咲の手で無残にも破り捨てられた。

彼は大学時代の友人宅に潜んでいたところを発見され、有無を言わさず高塔の屋敷に連れ戻された。笑顔は消え、ただ起きて食べて仕事に行って帰って眠るだけの無気力な生活を繰り返す。

茉莉花はなんとか晃輔の気持ちが引き立つように励ましたが、晃輔はただ虚ろに笑うだけで茉莉花のそばにいることも出来れば避けたいようだった。



高塔家に引き取られた赤ん坊は、生みの母親により『美桜みおう』と名付けられていた。正式な手続きを経て高塔の養子となったものの、父親は自分の血を引く娘に全く無関心である。仕方なく茉莉花はベビーシッターを増やし、夜は二人の赤ん坊の面倒をみた。

かんの強い美桜は夜泣きが酷く、茉莉花は深夜に何度も起きては抱いてあやした。しかし横に置くとまた火が点いたように泣きわめくので抱っこしてはまた寝かせを繰り返し、気が付けば外は明るくなっている毎日。日中は雇いのベビーシッターや家政婦たちに赤ん坊たちを預け、会社に行くと業務に追われ、家に帰るとまた家事と子守に明け暮れ、フラフラになりながら生活した。

幸い、華音は大人しい性格で、あやせば笑い声を立て、母乳を含ませるとすやすやと眠りに就き、朝まで目を覚ますことが無かった。その寝顔を見て、茉莉花は自らを励ました。

そんな彼女の姿を見ても、晃輔はすまなそうに身を竦めるだけ。決して手出しをしようとせず、自室に引きこもる姿を見つめ、茉莉花はため息を吐く。もう夫に期待することは出来ない……昔のように快活な晃輔に戻って欲しいのに……

そのうち、茉莉花の様子を見かねた彬智が高塔の屋敷に入り浸り、小さな赤ん坊たちや茉莉花の世話を買って出た。初めて接する赤ん坊が面白いのかミルクを与えおむつを替え、やがて離乳食なども自ら作るようになった。

優しく微笑みながら腕の中に華音を抱え寝かしつける姿はまるで本物の父親のようだ。茉莉花は思わず見惚れてしまった。

「アキがそんなに子供好きとは思わなかった。」

「俺は子供好きじゃないよ、他人の子供には興味無いし……でも、結婚して、子供が生まれていたら、きっとこうやって俺も育てていたんだろうな……」

彬智の漠然とした物言いに、茉莉花はふと迷う。それは誰との結婚を指しているのか……まさか、私と、いや、そんな……



だが、そんな日々が続き、小さな不満を溜めていた梢子の怒りを爆発させた。



「ねえ彬智さん、どうして他所の子ばかり可愛がるの!?彬従あきつぐのこともたまには抱いてやって!」

高塔の屋敷で寛いでいた夫のもとに、我が子を抱えた梢子が怒鳴り込んだ。

「彬従にはあなたがいるだろう?」

「だって、だって……彬智さんの子供なのに!」

「彬従には面倒をみてくれる人がいくらでもいるだろう。お義母さんが寄こしたベビーシッターも夜遅くまで居る。何が不満なんだ。」

「私は育児を彬智さんに代わってほしいと言っているんじゃないのっ!」

言い分を聞き入れてもらえない梢子は途端に泣きじゃくった。

「マリさんが悪いのよ!何でも一人で抱え込んで!だってあなたの旦那さまはおうちにいるじゃない!あの人を放置して、彬智さんに縋らないで!」

「ごめんなさい……」

確かに梢子の言う通りだ。アキの好意に甘えているのは悪いことだと茉莉花はうなだれた。

「あなたこそ、勝手なことばかり言うな。俺が好きでしていることだ、マリは悪くない!」

珍しく彬智が苛立った。穏やかな彼が怒ることすら見たことの無かった茉莉花は慌てて彬智を宥め、梢子とともに彬智を屋敷から追い出した。

そうだ、アキは私の夫じゃない……

ふと頭を上げ階段の上を見上げた。晃輔が怯えたように立ち尽くしていた。

「晃輔……」

「ごめん、マリ……ごめん……」

くるりと背を向け晃輔はまた自室に飛び込んだ。ぼんやりと足を動かし、茉莉花は部屋に戻り、急に温もりを失って、抱かれていた彬智の腕を探し小さな手を伸ばす華音を抱きしめ頬ずりした。



彬智と梢子の対立は深刻になっていった。彬智は子供が生まれてからほとんど自分の屋敷で時間を過ごすことが無かった。茉莉花や赤ん坊たちの世話をするためだと言い訳していたが、そんな勝手を梢子が納得するはずがない。

「マリさん、聞いて!彬智さんったら、全然セックスしてくれないの!」

またもや日中会社に押し掛け、応接室で対応した茉莉花に梢子は怒りをぶつけた。仕事を中断して梢子に付き合わされた茉莉花は思わず額を押さえた。

「そ、そう?でもその話、今ここでお伺いしなきゃダメかしら?」

「だってマリさんは帰りが遅いし、帰ってきたら彬智さんとベッタリでしょう?彬智さんを抜きにしてお話するには会社に来るしかないじゃない!」

「それより、彬従は?」

「あの子なら、マリさんのおうちに預けてきたわ。涼花が面倒を見ているから大丈夫よ。」

当然だとばかりその後滔々と小一時間ほど愚痴を零し、すっきりしたのか梢子は笑顔になって意気揚々と出て行った。

「このままで良いはずがない……」

拳を握りしめ、茉莉花は立ち上がりキッとまなじりを上げた。



その日仕事を終え家に帰ると、彬従はまだ茉莉花の屋敷にいた。

「梢子さんは?」

通いの家政婦の涼花に尋ねると、彼女は困惑したように口を尖らせた。

「お隣の奥様は、お友達と遊びに行くからアキちゃんを頼むとおっしゃって預けていかれました。」

「そんな!ごめんなさいね、居残ってもらって……」

「私なら大丈夫です!子供は夫が迎えに行ってくれましたから。」

涼花には二才になる娘がいる。自分の子供を保育園に預けこの家の面倒を見てくれるのだ。

茉莉花は娘たちが眠っている部屋へ足を運んだ。ベビーベッドの中で華音と彬従が寄り添い眠っていた。

「まあ、また華音と彬従は一緒なのね!」

「アキちゃんは華音ちゃんと寝かせておくとぐずらないで良く寝てくれるんです。美桜ちゃんとおんなじで癇癪持ちだから。」

涼花が笑った。彼女はいつも世話する彬従を「アキちゃん」と呼ぶようになっていた。

涼花に礼を言い見送って部屋に戻り、すやすや眠る彬従を抱き上げた。不思議なことに女の子の華音や美桜の柔らかい感触と違って、男の子の彬従は骨太な触り心地でずっしりとした重みに腕が痺れる。華音より三か月生まれの遅い彼はもうすでに華音よりも体重がある。

目を覚ました彬従は大きな目で茉莉花を見つめた。父親にそっくりの凛とした瞳に茉莉花の姿が映る。

「この子が私の子供だったら……」

彬智との結婚を思い描かなかった訳はない。もし、あの時、母が彬智の妻に自分を選んでくれたら……

「何をしているの!」

苛立った唸り声に驚いて振り向くと、そこには梢子が立っていた。

「お帰りなさい、遅かったのね。」

「あれからお友達とお買い物に行ったの。涼花にはそう言ってあるわ。」

「彬従を置いて?」

「たまにはいいでしょ!私は隣りの狭くて古臭いお屋敷に一日中閉じこもって彬従の面倒を見ているのよ!あなたのようにお昼は赤ん坊を預けて外で自由にしていられるんじゃないの!帰って来ない彬智さんをずっと待ち続けているの!」

涙目になった梢子は赤ん坊をひったくると部屋を飛び出していった。

家事に協力しない夫に苛立つのも分かる。育てにくい赤ん坊に手を焼くのも分かる。でも……

存在を失った腕の痺れが、茉莉花を深く暗い思いに引き落としていった。





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