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第12章 誕生

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彬智と梢子の結婚式は、新婦の意向を反映して盛大で華やかに行われた。

新郎側の客として招待された茉莉花は、雛壇ではしゃぐ新婦を相手に優しい微笑みを浮かべる彬智をぼんやり眺めた。本当に彼は受け入れているのだろうか、梢子との結婚を……自分のために意に染まない人生を選択した彬智のために、何も出来なかったと茉莉花は一人後悔ばかりしていた。

新婦側の招待客の中には長年彼女の崇拝者だった青年たちが大勢いて、彬智への憎悪や嫉妬を隠しもせずにギラギラ燃やす。

そんなことも気に留めず、肝心の花嫁は美しい伴侶を手に入れ有頂天だった。誰もが美しく幸せな夫婦だと祝福した。



二人の新婚生活は無難に始まった。彬智は終始妻のご機嫌を取り、梢子は彬智から片時も離れず夫に尽くし、仲睦まじさを見せつけた。

ただ、小さな不満は最初から存在した。引っ越ししてから梢子は幾度と無く彬智に愚痴を漏らした。

「彬智さんったら、どうしてこのお屋敷がいいのかしら。古臭いし狭いし、恥ずかしくてお友達も呼べないわ。家政婦たちも居場所が無いって嘆いているの。」

「俺はまだ学生なんだ。収入も無いのに大きなお屋敷には住めないよ。」

「だったらお父さまがおうちを用意してくれるから、そちらに住めばいいのに。」

「あなたのご両親に負担を掛けたくない。新しい家がいいならあなた一人で住めばいい。俺はここに居る。」

「そんな!彬智さんがいないのに、私一人では住めないわ。」

にこやかに笑顔を見せながら頑として譲らない彬智に、梢子は不満ながらも従った。



春になり、彬智は大学院へ進学した。高塔の会社に入社したものの茉莉花は悪阻が重く、彬智が大学院に通いながら彼女の面倒をみた。

甲斐甲斐しく茉莉花の世話を焼く彬智を眺め、梢子の苛立ちは増していった。

「ねえ、なぜ彬智さんが家政婦のような真似をするの?」

「マリは身重だ。仕事もしている。高塔家は使用人を雇う余裕が無いからね。これからも俺が面倒をみるつもりだよ。」

御園生うちから使用人を出してもらうのに。」

「いいんだ。俺は学生で時間を持て余しているんだから。それに、マリのことは俺が一番よく分かっている。」

相変わらず笑顔を絶やさずに自分の意見を主張する彬智に、梢子は手を焼いた。

「私も早く赤ちゃんが欲しいわ。彬智さんに似た男の子がいい。きっと賢くて美しい子になるでしょうね。」

「そうだね、俺も早く子供が欲しい。そうしたら……」

「そうしたら、何?」

彬智は梢子の問いに答えなかった。薄ら笑いを浮かべ妻を見下ろす夫を眺め、梢子は自分に都合の良い考えを浮かべ悦に入った。



茉莉花は大きなお腹を抱えながら社長業務の補佐に就いた。さすがに母のお供をして歩き回ることは出来なかったが、補佐室に収まり母が持ってくる案件をひたすら消化し、休む暇も無かった。

「茉莉花さん、お客さま、なんですが……」

秘書を務める神村が、なぜか済まなそうに顔を覗かせた。

「どなたですか?お約束は入っていませんよね?」

「それが、吉良梢子さまとおっしゃって、茉莉花さんとはお知り合いだと……」

慌てて茉莉花は応接室に向かった。梢子が会社に押し掛けるなんて!もし、彬智と何か揉め事があったのなら……騒ぐ胸を押さえて足を早めた。

「マリさん!」

当の梢子はあっけらかんと茉莉花を出迎えた。横には梢子の母もいて呑気に出されたお茶を飲んでる。

「梢子さん、どうしたの?何か急ぎの用事?」

「ううん、お買い物で近くまで来たの。それで、彬智さんが好きなオレンジケーキを焼こうと思って、マリさんに作り方を聞きに来たのよ。」

茉莉花は呆気に取られた。

「ケーキ作りなら、今夜帰ってからでもいいかしら。」

「そんなぁ!だってマリさん、おうちに帰るの遅いじゃない。今すぐ作りたいのよ。」

自分の要望に答えて当然と梢子は笑顔を浮かべる。なぜ仕事中にこんなことを……苛立つ自分を抑え茉莉花は頷いた。

「分かったわ。でも一緒におうちに帰って手とり足とりは教えられない。紙に作り方を書くからそれをみて作ってくれる?」

「私、ケーキなんて焼いたことないのにー!」

「今日なら美智代さんが来ているはず。彼女に聞いてくれるかしら。」

仕事を抜けられないと何度も説明して、やっとのことで梢子を納得させた。紙に書いたレシピを眺め、梢子は満足してお腹を摩った。

「あのね、私も赤ちゃんが出来たのよ。ちょっと気が早いけど、お母さまとベビー用品を見てきたの。だから、お祝いに彬智さんの好きなケーキを焼きたかったの。」

アキの子供……茉莉花はその事実にめまいを覚えた。夫婦なのだもの、彼と梢子の間にそういう行為があって当然だ、なのに受け止められない自分がいた。

「それは……おめでとう。だったら私が帰ってから焼きましょうか?」

「いいのよ!マリさんの方が先輩だから、いろいろ教えてね!だけど、これからは、彬智さんとあんまり仲良くしないでくださる?」

美しい瞳にギラリと嫉妬の炎を燃やし、梢子は茉莉花を見下ろした。

「私とアキなら家族と同じよ。あなたが気に病むことは何もないわ。」

「フフ、そうよね。」

お邪魔しましたと梢子は立ち上がった。エントランスまでついていくと、出先から帰った恭弥と遭遇した。

「おや、梢子さん、いらっしゃい。」

「恭弥さん、お久しぶり!また遊びに連れて行ってくださいね!」

「ええ、是非。」

にこやかに手を振って母親と帰って行く梢子を、茉莉花と恭弥は揃って見送った。

「……何しにきたの、あのお嬢さま。」

「アキの好きなオレンジケーキを焼きたいそうよ。お腹に赤ちゃんが出来て、お祝いだって。だけど、大丈夫かしら……」

「どうせ実家から沢山のベビーシッターを送って寄こすよ。」

「またアキと揉めそうだわ……」

ハアアとため息を吐き肩を落とす茉莉花の背中を、恭弥はポンポンと叩いて慰めた。

「それよりキョウ、さっき梢子さんがまた遊びに行こうって言っていたけど?」

「ああ、前にアキのことで相談があるって電話が掛かって来て、それから逢って愚痴を聞かされたんだよ。まあ、愚痴半分、惚気半分だったけどね。」

それを聞いた途端、茉莉花は不機嫌になった。

「どういうこと?キョウと梢子さん、二人だけで逢っているの?」

「やっ、その……二、三回?くらいだよ。別に逢って酒飲んだだけだし!」

「彩乃ちゃんを泣かせるような真似をしないでよ!」

「大丈夫、アイツは出来た嫁だから。」

「自分の言いなりになるから、出来た嫁って呼んでいないわよね?」

ギロリと茉莉花に睨みつけられ、恭弥は身を竦めた。

「ちゃんと大切にしているよ。もうすぐ子供も生まれるんだ。彩乃はそっちに掛かりきりさ。」

「楽しみね、キョウのところが一番先ね!彩乃ちゃんによろしく伝えて。」

「それより晃輔はどうなの。会社の帰りに良くバーで見かけるぞ。」

最近になって、晃輔は何かと理由をつけて家に帰って来なくなり、帰ってからも茉莉花に笑顔を見せなくなった。夜の営みもそれなりにあるが、眠るときは必ず背を向けて休む。

眉を寄せる茉莉花を見下ろし、恭弥はグッと息を詰まらせた。

「マリも悩みがあるなら俺に言えよ。」

無言でコクリと頷く茉莉花の頭を、恭弥はそっと撫でた。

「そろそろアキの愚痴も聞いてやらないとな。アイツ、自分が大型犬になったみたいだって言うんだぜ。ご主人さまに尻尾を振ってご機嫌をうかがっているみたいだとさ。」

「えっ!大型犬!?」

「尻尾を振ってるアキを想像すると笑っちゃうだろ?」

唖然とする茉莉花の背中を押し、恭弥は笑いながら執務室へ向かわせた。



その日、家に帰って梢子が作ったオレンジケーキを口にして茉莉花は落ち込んだ。正直食べられたものではなかったが、無邪気な笑顔で褒め言葉を待つ梢子に真実を告げる訳にはいかず、必死に腹に流し込んだ。

夜になり、眠りに就こうとした頃に、彬智が訪ねてきた。

「アキ、子供が出来たってね、おめでとう。」

「ありがとう……それよりごめん、あの人が会社に押し掛けたって?」

「ええ、アキのためにオレンジケーキが焼きたいって。まだ発展途上だけれど、気持ちは嬉しいわよね?」

「オレンジケーキはマリが焼いたものがいいんだ。他の人が作ったって嬉しくは無いよ。」

ムッと口を尖らせる彬智に、茉莉花はふと蕩けた。

「それより体調はどう?無理していない?」

ドスンとソファーに腰かけ、横に座る茉莉花の身体を抱き寄せる。いきなりのことに茉莉花は慌てた。

「大丈夫よ!一日中書類ばかり見ているから飽きてしまうわ。」

「そう……マリは頑張り屋だから、心配になる。」

「ありがとう……アキがお世話してくれるから、私は安心よ。」

ふふと笑い合ったが、ドアの開く音がして茉莉花は慌てた。

「アキ先輩、マリに何をしているんですか。」

晃輔が二人を睨みつけていた。

「いや、別に……お休み。」

すまなそうに顔をしかめ、彬智は部屋を出て行った。

「お帰りなさい。」

茉莉花は立ち上がり、晃輔のスーツを受け取った。酒の匂いと共に、女性ものの甘い香水の匂いがする……

「晃輔、飲んで来たの?」

「ああ、職場の仲間とだよ。」

その言葉を信じようと、茉莉花は黙って頷いた。

「それより、俺がいない間に、アキ先輩と何をしていたの。」

「梢子さんに赤ちゃんが出来たの。それでお祝いにケーキを焼いて……」

「へえ、アキ先輩は奥さんとも仲がいいんだな。」

クッと歪んだ表情で睨む晃輔を見つめ、茉莉花は唇を噛んだ。

「晃輔こそ、毎晩、誰と逢っているの?」

「マリには関係ないだろ?仕事だよ、仕事。」

「でも……」

「マリこそ、お腹の子供は本当に俺の子なのかよ?」

スッと背を向け晃輔は部屋を出て行った。



夏になり、恭弥のところに第一子となる男の子が生まれた。名前は『祐都ひろと』と名付けられた。

続いて茉莉花が女の子を産んだ。花のような姉を思い『華音かおん』と名付けた。

病院に揃って駆け付けた彬智と恭弥は自分の娘が生まれたかのように喜んだ。だが、晃輔はすぐに茉莉花の元に来ることは無かった。

年末になり、梢子も元気な男の子を出産した。父親と祖父から一字ずつもらい、『彬従あきつぐ』と名付けられた。



年が明け、春を迎え、それぞれの家庭で子供たちはすくすく大きくなっていった。

茉莉花は半年だけ育児休暇を取り、生まれたばかりの華音を片時も離さず育てた。その後はベビーシッターを雇い昼間は母の補佐に復帰し精力的に働いた。

ある日、いつものように茉莉花が書類を処理していると母の藍咲から内線電話が掛かって来た。

「茉莉花、すぐに社長室にいらっしゃい。」

いつもより焦ってそして怒りに満ちた声だった。茉莉花は急いで社長室に向かいドアを開けた。

スーツ姿の男が背を向けて座っていた。それが晃輔だとすぐに分かった。だがそのよこに、若い女が座っていた。

「久しぶりね、マリ。」

笑い声と共に女は挨拶をした。その腕には生まれたばかりの赤ん坊を抱いていた。

女は、かつての友人、美織だった。



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