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第8話 上官の言伝は紙よりも軽し

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 鷲のエンブレムが前方についている黒塗りのメユの専用車が高速道路を勢いよく飛ばす。途中、インターチェンジからSP車も合流し、赤色灯を回転させながら、メユが乗車した専用車を先導する。

「昨日配属で、今日いきなり本番とは、昨日しっかりマニュアルを読み込んでおいて正解だったわ」

 統括官として身につけておくべき事柄が記載された数十ページにもわたるマニュアルを帰宅時に渡され、それをしっかりと読み込んでいたことが功を奏し、今後の流れ、やるべきこと、出すべき指示等、頭の中で反芻する。

 約20分ほど車に乗っていたであろうか。ほんの数刻前に訪れたばかりの、作戦司令室に到着する。第一高校からの近さ加減に、少しばかり驚き、着任が正式に決まったためか、今回は車内で目隠しをされなかった。

 作戦司令室の重厚なセキュリティーを抜け、駆け足で司令室に入室すると、メリア伝達官とナノ開発官が起立し、敬礼する。即座に、メリア伝達官が状況を説明。

「ただ今、維持者が現場へ急行中、現着まで約3分かかります‥‥‥、現場は、ナトリ市郊外。現在進行中で人が殺害されている模様。しかし、加害者は確認できず。外征人の攻撃だと推察されます」
「現場近くの防犯カメラの映像、および衛星からの映像をモニターに」

 所々人が倒れている姿が見える。しかし、肝心の外征人の姿を捉えることができない。

「公安部長から入電、現時刻より全ての権限をシラユリ統括官に移譲。直ちに公国を維持せよ、とのことです」
「了解しました。全てマニュアル通りの流れですね。維持者のとの通信を開いてください」
「承知しました。維持者との回線開きます」

 ——ピピピピピ

 短い電子音がなり、外耳につけた骨伝導式通信デバイスが少し熱を帯びる。その熱が微かにくすぐったく、未だ慣れない。

「‥‥‥聞こえますか?」

 暗闇の中で、誰かを探すときのように、若干の不安感を抱きながら維持者に声をかける。

「感度良好、しっかり聞こえます」

 ヘリコプターの爆音と同時に、昨日聴いたばかりのボイスチェンジャーで声を低く変えられたM1の声が耳になだれ込む。

「現着まで1分です。到着しだい、即座に戦闘を開始したいと思います。戦闘行為と武器使用の許可をお願いします」
「了解、現時刻をもって維持者による戦闘行為と武器『青龍』の使用を許可します。しかし、今回は、郊外での事件のため、防犯カメラや衛星でのM1の追跡が困難であることが想定されます。こちらの指示に傾注して、しっかり従ってください」

「‥‥‥」

 通信デバイスの向こう側には、無音の世界が広がる。

「維持者M1聴こえていますか? 復唱してください」

 指示の伝達を確認するべく、再度M1に応答を求める。

「‥‥‥承知しました。努力します」

 誰が聴いても分かるほどの不満気な応答であった。しかも復唱もせず……。しかし、今はM1の不服そうな態度を、叱責している余裕はない。

「現着。これより降下します」
 監視カメラにM1がヘリから飛び降りる姿を確認する。
「外征人の捜索を開始。負傷者多数。これは、厄介だな、かなり力を蓄えてるかもしれない」

 外征人がなぜ人を殺しまくるのか、それは未解明の事案だった。
 一説によると、外征人は人を殺したいという抑えられない衝動に駆られるらしい。それも本当かどうか分からない。
 また、一説には、人間の魂を捕食することで力を蓄えているという戯言を言う者もいる。
 しかし、いかなる理由があろうとも、無実の人間を殺していい理由にはなり得ない。直ちに外征人を討伐しなければ、既に死傷者が出てしまってる現状がさらに悪化する。
 維持者M1からの報告を耳にした統括官が、胸中で悔恨の念を抱く。

「外征人発見」

 突然の報告に、戸惑いながらもモニターを見ると、確かに異形の生物が足速に逃げている。

「このまま追跡しますが、よろしいですか?」
「はい、直ちに追跡して討伐してください」

 維持者M1は素早く追い始める。しかし、外征人もかなりの速さで逃げる。一向に縮まらない距離。

 ——違和感を感じる。何かがおかしい。どんどん路地へと入っていく。監視カメラでの追跡がさらに難しくなる。なぜ、外征人は刃向かってこない? まさか、誘い込まれている!?

「維持者M1、追跡を中止してください。誘い込まれている可能性があります」
「そんなこと既にわかっています。今ここで討伐できなければチャンスを逸します。私は追い続けます」

 ——既にわかっている? やっぱり鼻につくようものいい。

 作戦中のため気分のムラを抑えながら、整然と言い返す。

「維持者M1、あなたの上官は私です。私の言うことを聞きなさい」
「お言葉ですが、統括官。現場のことは私が一番分かっています。あなたは、後々私の行動を追認し、責任を取っていただければ結構ですので、統括官は前任者同様に、その場で黙っていてください。これまでもそのようにしてきましたから」
「いや、私は、少しでもあなたが危険な目に遭わないように、指示を出したいのです。あなたを生かし、そして外征人を討伐するために私はいるのです。だから私の指示に従いな——」

 一方的に切られた通信。顔が急激に紅潮し、高温になっていく。

「一体なんなんですか。あの無礼者は!」

 机を強く叩きつける。
 そんな姿を見かねて、ナノがコーヒーを淹れて、静かに差し出す。

「恐らくM1は戸惑っているのです。これまでの統括官は一切指示をせず、勝手にやれと言って、全てを彼に任せていました。維持者が死のうが生きようが統括官には関係ないことですので。だから、関わりを持とうとし、指示を出してくるシラユリ統括官に少しばかり驚いたのだと思いますよ。それで口調が少し強くなったのかと」

 もらったコーヒーを手に持ちながら、ゆっくりと統括官用のレザー張りの椅子に腰を掛ける。

「ですが、あの物言いは無礼すぎます。納得いきません。しかもこちらが上官ですよ。私の伝言は紙よりも軽いんですか? M1にとっては」

 ナノには全く非がないのに、溜まった鬱憤をぶつけてしまう。
「ごめんなさい。ナノ開発官は悪くないのに」
「いいですよ。感情をぶつけられるのには慣れていますので。大丈夫です。維持者M1は賢明で勇敢で、誰よりも優しい、そして何より強いですから。勝ちますよ今回も」

 ナノは維持者M1の勝利を全く疑ってないらしい。これが私より長くM1と付き合ってきたから故に生じる信頼か。

 ——私も、いつかは、信頼関係を結ぶことができるのかしら‥‥‥

 そんな未来全く感じられないと、その思考はただただ、自らをさらに苛立たせるだけになり、また自分の感情を落ち着かせようとした時、

「任務完了」

 そう一言だけ、哀愁漂う声色で、作戦終了がM1から伝えられた。
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