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5 ワイスの宿屋
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チャンスたちは、ナプの店から離れてすぐ宿屋探しをはじめた。ブーベルデールのあらゆる宿屋を回り歩き、とうとう街の端に位置する、小さな宿屋を訪れた五人。さっぱり繁盛していない様子のその宿屋は、看板のあちこちが腐り落ち、扉の蝶番いもひとつ、外れかけている。大きな宿屋に泊まればそれだけ人の目につきやすく危険も多いが、こうした小さな宿屋ならその類いの危険はある程度回避できる。
ノーマとエキシィはあまりいい顔はしないが、チャンスの決定に文句をつけることはない。以前、チャンスの忠告を押し切って街中の宿屋に泊まったその晩、闇討ちされてひどい目にあったことがあるからだ。
チャンスたちがその宿屋の中へ入ると、床が酷く軋んだ。薄暗い建物の中をゆっくりと見回し、部屋の隅や廊下、ランタンに眼をやるチャンス。
「大将、宿を頼みたいんだが」
チャンスが声をかける。
埃だらけの小さなホールの奥、白髪の老人が椅子に腰掛けて、白い縁取りがしてある黒い背表紙の本を読んでいた。突然の来客に呼び掛けられた老人は、気怠く顔を上げる。
「うちは見ての通りのあばら屋じゃ。余所に行くなら今のうちじゃぞ」
「いや、ここに決めた。宿を頼みたい」
怒るでもなく、笑うでもなく、チャンスがなおも言う。老人は面倒臭げにして、また本へ目を戻そうとした、その時。
「その本はもしや、学問の神メサトスが記したと言われる『天と地の血脈』では?」
マーティがつぶやくと、老人は鋭い視線をマーティに向けた。
「すいません、違ってましたか?」
マーティが頭を下げようとすると、素晴らしくすっとんきょうな声が返ってきた。
「あんた、大したもんじゃ! あんたみたいな若造がこの本の名前を当てるとは! 確かにこれは、メサトス神の知恵と教えが詰まった『天と地の血脈』じゃ!」
「あれ、それって確か魔術書でもあるんじゃなかったっけ、マーティ?」
エキシィがぽつりと漏らすと、老人は目を見開き、またも大きな声を張り上げた。
「その通りじゃ! そこのあんたも、ただの娘っ子じゃないな? この書には何かの法則があって、それを解けば、偉大なる魔術の謎を説き明かすことができると言われておる!」
老人は本を持って、すたすたとチャンスたちの元へ歩みよって来た。豊かな白髪、彫りの深い皺だらけの顔。老人は顔を歪めてチャンスの腕をぽんぽんと叩いた。
「メサトス神のお導きとあらば、無下にするわけにもいくまいて。好きなだけ泊まっていくがいい。料金は15ツーク、先払いじゃぞ」
このデュファ大陸の通貨はツークと呼ばれ、おおよそ10ツークあれば、一日の食事には困らないと言われている。
「オイオイ、やたら安いなァ。それ本当に五人分の料金かよ、爺さん」
「無論じゃ。ただし食事は自分で作ってくれ。材料は裏の畑から好きに取るがいい。そこにないものが食いたけりゃ、街の市で買ってくるんじゃな」
サージが呆れ顔で肩をすくめた。
「安いはずだよ。素泊まり料金かい」
「それで十分だ」
チャンスがにっと笑うと、サージは鼻をこすってため息をついた。そういう顔をした時のチャンスに、サージは口を挟まない。ザックを開け、15枚のツーク貨幣を取り出して、老人の手に落とすサージ。
「15ツーク、確かに払ったぜ。耄碌して受け取ったのを忘れちまった、なんてのはナシだぞ」
「安心せい。痩せても枯れてもこのワイス・シュルテ、人様から受け取った金は忘れやせんて」
「何だい爺さん、有名人なのかい?」
「ほっほっ、ブーベルデールの腕利き商人、ワイス・シュルテ! 昔は、このブーベルデール中の家に、わしが異国から取り寄せた美しい陶器の花瓶やゴブレットがあったもんじゃ」
と、そこまで聞いたところで、チャンスがすっと二人の話を遮った。
「ワイス爺さん、後でその話、じっくり聞かせてもらうよ。取り敢えず部屋を選んできていいかい?」
「ああ、いいともいいとも、好きな部屋を使うがいいよ」
二階の階段を上がるチャンスは皆を促し、二階の隅の部屋へ全員を集めた。
「マーティ、一緒にワイス爺さんの相手をしようぜ。いい話が山ほど聞けそうだからな」
「はい、構いません、が……」
チャンスの目を見て、マーティは一瞬息を飲む。
鋭い目だった。まるで、戦いを目の前にしているような、刃のまなざし。
「ノーマ、エキシィ、おまえたち二人は街の市へ夕飯の買い物に行ってくれ。そうだな、昼飯をがっつり食っちまったから、夜は軽い物でいいや」
「? ……う、うん」
「サージも一緒だ。ノーマたちと市へ行って、おまえは聞き込みをしてきてくれ。いいな」
「おいチャンス……」
チャンスは、口を指で押さえた。
そしてマーティとノーマに目配せをする。マーティは、チャンスの言いたいことを理解したのか、静かに槍を抱えて目を閉じた。そしてノーマも、ふわりと手を振り上げて、左腕に嵌めた腕輪をきらめかせた。
やがてマーティは、チャンスへ向けてうなずいて見せた。そしてもちろん、ノーマも。
チャンスはうなずき、自分のザックから空の水袋を取り出す。水袋の口金部分を外すと、中から羊皮紙が出てきた。そして、爪で引っ掻くようにして、そこに文字を書き始めるチャンス。
『罠だ』
チャンスの指が動く。書くそばから、字が消えて行く。
『爺さんは敵だ』
エキシィがえっという顔でチャンスを見る。
その筆談の間、五人は関係のない話を絶え間なく続けている。
『この罠を利用するぞ』
チャンスは、サージとノーマ、エキシィを見て、にやりと笑ってみせた。
『好きにやれ』
サージたちは顔を見合わせ、にっと笑ってうなずく。マーティに視線を移すと、マーティはもう深々とうなずいていた。チャンスは羊皮紙をくるくると丸め、また水袋へしまって手を振った。
「さて、じゃあ頼むぜ、サージ」
「ああ、聞き込みは任しときな」
「食事は軽めでいいのね、それなら卵料理なんかでいいかな。ね、ノーマ」
「そうね、美味しいラムも欲しいな」
「ノーマはお酒が強いですからね。私とチャンスは、ワイスさんの畑で適当に野菜を採っておきますよ」
そうして話を終えると、ノーマとエキシィは別の部屋へ荷物を置き、サージと共に先に階段を降りる。それを見上げたワイスに、サージが声をかける。
「おう爺さん、俺たち市へ行ってくらあ。畑の野菜ったって、どーせろくなもん植わってねーんだろ」
「そんな言い方、悪いわよサージ。ワイスさん、卵は平気よね」
ノーマの笑みに、ワイスは目を見開いた。
「おやおや、わしの分も作ってくれるのかね? 卵はわしの好物じゃよ、美味い卵を選んできておくれよ、嬢ちゃん!」
「任しといて、ついでにラムもね」
「ますます結構。気をつけていっといで」
三人が扉を出て行くのを見守るワイス。そのうちに、チャンスとマーティも二階から降りてくる。
「ワイス爺さん、畑って裏口から行けるのかい?」
「ちょっと野菜をいただいていいですか。卵料理にあう野菜を見繕いたいのですが」
「いいとも、好きに採りゃあええ。おっと、採り過ぎるなよ! 大事な野菜じゃ」
「はいはい」
ワイスの宿屋からだいぶ離れた所まで歩いてから、サージが胸に仕込んだナイフダートを確かめる。歩きながら、ノーマが心配そうに目を細めた。
「あの爺さん、階下からあたしたちの話を聞いてたわ。結構な魔力を持ってるようね……チャンスたち、大丈夫かしら」
「あちきたちだって、大人数で襲われるかもしれないんだもん、どっちも危険は同じよ。まあ、最初から派手に先手を打てる分、気持ちは楽だけど」
エキシィが指輪をひらひらと踊らせる。サージはそんなエキシィを見て、確かめるように尋ねた。
「チャンスのお許しが出た、俺たちは好きにやっていい。そうだよなエキシィ」
「どしたのサージ、にやにやしちゃって」
「チャンスのお許しってのはな、倒した相手の持ち物を、いくらでもくすねていいってことなのさ。へへへ、久しぶりに腕が鳴るぜ」
「好きにやれって……そういうことなのね」
呆れてため息をつくノーマの声など聞こえぬように、サージはうきうきと短剣を弄んでいる。
「さあて、どうするかな。夕飯の前の、ごろつきどもの料理を……!」
一方チャンスたちは、小さな畑の中で、申し訳程度に植わった野菜たちを睨んで思案にくれていた。
「なーんだ、野菜ってこれっぽっちかよ。しょぼいなぁ」
「贅沢はいけませんよチャンス、ご老人の一人暮らしなら、これでも多いほうでしょう」
そう言いながら、マーティは苦笑いしている。他愛ない会話を続けながら、野菜類をもぎ取る二人。
「……へえ」
幼い頃から野良仕事をしてきたチャンスにはすぐに分かった。
一見してちゃんとした畑のようだが、それら野菜の株はどこか別の畑から引き抜いてきて、急ごしらえでここへ植えられたものだ。根元の土が変に綺麗にならされている。
「これくらいですかね、チャンス」
「そうだな」
そうして裏口から小ホールへ戻る二人を、ワイスがにこにこしながら迎えた。
「さあさあ、わしの話を聞きたいのじゃろ、早くここへ座るがいい。話したいことは山ほどあるわい」
チャンスたちはワイスの言う通り、野菜をテーブルに置いて椅子へ腰掛けた。
「その前に……」
ワイスはふっとチャンスを覗き込んだ。
「あんたら、どこから来なすったんじゃ。デュファ大陸の人間ではないようじゃが」
「俺たちは北、森の大陸ヴァーナイから来たんだ」
と言ったところで、チャンスはにやりと笑ってワイスを覗き返した。
「そうそう、あんた商人だったんだよな。なら、あんたが扱った陶器の花瓶やゴブレットは、俺たちの大陸のものかもしれないな」
「いろいろな土地から買い漁ったからのう、ヴァーナイ大陸のものも、もちろん大量に入っておったわな」
自慢げに胸を張るワイスにチャンスはうなずき、マーティを見た。
「ほらな、やっぱり」
「さすがですね、ワイスさん」
にっこりとマーティも笑う。
「あのヴァーナイから、陶器の食器や花器類を取り寄せるとは」
「わしとて一端の商人じゃ、何でもやるわい。苦労して得た物ほど価値がある、そんな時代に生きたんじゃ」
「いやいや、そういう意味じゃないよ、爺さん」
チャンスは首を振って、ワイスを指差した。
「ヴァーナイ大陸はな、陶器に向く土が少ないから、金属や木の器が主流なんだよ」
「!」
ワイスの顔が、一瞬硬直した。
「ヴァーナイにとって、陶器は高価な代物なんです。そのヴァーナイから陶器を取り寄せたら、恐ろしい値段がつきますね。庶民が買えるような値段では、もちろんありません」
マーティは穏やかに、ワイスの持つ本を指差して付け加える。
「それに本物の商人なら、そんな難しくて貴重な本を手にしたら、読むより先に売りさばくことを考えますよ。普通の人が読める内容でもないですし」
「それ、古代語だろ。魔術師か神官くらいだぜ、それを読めるのはさ」
「……」
「俺たちの相手が商人だから、商人仲間になりすまそうとしたとこまでは上出来だ。けど、世俗の常識にゃ精通してなかったようだな」
チャンスがすっと立ち上がった。ワイスは本をテーブルに置き、チャンスとマーティを代わる代わるに見据え、大きくため息をついた。
「……どこで、見抜いたね」
「最初からさ」
皺だらけの顔を歪めるワイスに、チャンスは笑顔のまま答える。
「埃の具合が妙に年期が入ってる。十年来の空き家に、突然人が入り込んだみてぇにさ。老人一人で切り盛りしてるからって言い訳はできないぜ、あんたが最低でも毎日歩かなきゃならねえ台所や寝室への通路だって、埃がたまり放題じゃねえか。第一、儲けが命の元商人が、そんな客嫌いな暮らしに甘んじるはずがない。俺たちが人目を避けて、街外れに宿を取ると読んだのまでは大したもんだが、これはちょっとやりすぎだぜ」
「……」
口を引き結んで黙り込むワイス。チャンスはテーブルに置いた野菜を軽く撫でる。
「野菜もそう。こちとら畑仕事は達人でね、土を見るのは慣れてんだ。俺たちを二手に分断したかったのは分かるが、もっと上手いカラクリを考えてほしかったよな」
マーティも静かに立ち上がるのを見ると、ワイスはゆっくりと椅子から腰を上げた。分厚い本を見つめ、マーティを睨む。
「この本の理解者に出会えたのは幸運というべきじゃ。しかしその理解者を葬らねばならぬとなると、幸運は悲劇に変わる」
「誰に頼まれたか聞いても、教えていただけないんでしょうね、ワイスさん」
ワイスはすっと後ろに下がり、細身の杖を取り上げて首を振った。
「その命が尽きる間際、冥途の土産に教てやろう」
チャンスがすらりと剣を抜く。その隣で、マーティも槍を持つ手に力を込めた。
「あの嬢ちゃんたちも、今ごろ手厚いもてなしを受けとるじゃろうて。気の毒じゃが、二人揃って娼館行きじゃな」
チャンスは再びにやりと笑った。
「このチャンス様の仲間たちを、見くびってもらっちゃ困るぜ」
ノーマとエキシィはあまりいい顔はしないが、チャンスの決定に文句をつけることはない。以前、チャンスの忠告を押し切って街中の宿屋に泊まったその晩、闇討ちされてひどい目にあったことがあるからだ。
チャンスたちがその宿屋の中へ入ると、床が酷く軋んだ。薄暗い建物の中をゆっくりと見回し、部屋の隅や廊下、ランタンに眼をやるチャンス。
「大将、宿を頼みたいんだが」
チャンスが声をかける。
埃だらけの小さなホールの奥、白髪の老人が椅子に腰掛けて、白い縁取りがしてある黒い背表紙の本を読んでいた。突然の来客に呼び掛けられた老人は、気怠く顔を上げる。
「うちは見ての通りのあばら屋じゃ。余所に行くなら今のうちじゃぞ」
「いや、ここに決めた。宿を頼みたい」
怒るでもなく、笑うでもなく、チャンスがなおも言う。老人は面倒臭げにして、また本へ目を戻そうとした、その時。
「その本はもしや、学問の神メサトスが記したと言われる『天と地の血脈』では?」
マーティがつぶやくと、老人は鋭い視線をマーティに向けた。
「すいません、違ってましたか?」
マーティが頭を下げようとすると、素晴らしくすっとんきょうな声が返ってきた。
「あんた、大したもんじゃ! あんたみたいな若造がこの本の名前を当てるとは! 確かにこれは、メサトス神の知恵と教えが詰まった『天と地の血脈』じゃ!」
「あれ、それって確か魔術書でもあるんじゃなかったっけ、マーティ?」
エキシィがぽつりと漏らすと、老人は目を見開き、またも大きな声を張り上げた。
「その通りじゃ! そこのあんたも、ただの娘っ子じゃないな? この書には何かの法則があって、それを解けば、偉大なる魔術の謎を説き明かすことができると言われておる!」
老人は本を持って、すたすたとチャンスたちの元へ歩みよって来た。豊かな白髪、彫りの深い皺だらけの顔。老人は顔を歪めてチャンスの腕をぽんぽんと叩いた。
「メサトス神のお導きとあらば、無下にするわけにもいくまいて。好きなだけ泊まっていくがいい。料金は15ツーク、先払いじゃぞ」
このデュファ大陸の通貨はツークと呼ばれ、おおよそ10ツークあれば、一日の食事には困らないと言われている。
「オイオイ、やたら安いなァ。それ本当に五人分の料金かよ、爺さん」
「無論じゃ。ただし食事は自分で作ってくれ。材料は裏の畑から好きに取るがいい。そこにないものが食いたけりゃ、街の市で買ってくるんじゃな」
サージが呆れ顔で肩をすくめた。
「安いはずだよ。素泊まり料金かい」
「それで十分だ」
チャンスがにっと笑うと、サージは鼻をこすってため息をついた。そういう顔をした時のチャンスに、サージは口を挟まない。ザックを開け、15枚のツーク貨幣を取り出して、老人の手に落とすサージ。
「15ツーク、確かに払ったぜ。耄碌して受け取ったのを忘れちまった、なんてのはナシだぞ」
「安心せい。痩せても枯れてもこのワイス・シュルテ、人様から受け取った金は忘れやせんて」
「何だい爺さん、有名人なのかい?」
「ほっほっ、ブーベルデールの腕利き商人、ワイス・シュルテ! 昔は、このブーベルデール中の家に、わしが異国から取り寄せた美しい陶器の花瓶やゴブレットがあったもんじゃ」
と、そこまで聞いたところで、チャンスがすっと二人の話を遮った。
「ワイス爺さん、後でその話、じっくり聞かせてもらうよ。取り敢えず部屋を選んできていいかい?」
「ああ、いいともいいとも、好きな部屋を使うがいいよ」
二階の階段を上がるチャンスは皆を促し、二階の隅の部屋へ全員を集めた。
「マーティ、一緒にワイス爺さんの相手をしようぜ。いい話が山ほど聞けそうだからな」
「はい、構いません、が……」
チャンスの目を見て、マーティは一瞬息を飲む。
鋭い目だった。まるで、戦いを目の前にしているような、刃のまなざし。
「ノーマ、エキシィ、おまえたち二人は街の市へ夕飯の買い物に行ってくれ。そうだな、昼飯をがっつり食っちまったから、夜は軽い物でいいや」
「? ……う、うん」
「サージも一緒だ。ノーマたちと市へ行って、おまえは聞き込みをしてきてくれ。いいな」
「おいチャンス……」
チャンスは、口を指で押さえた。
そしてマーティとノーマに目配せをする。マーティは、チャンスの言いたいことを理解したのか、静かに槍を抱えて目を閉じた。そしてノーマも、ふわりと手を振り上げて、左腕に嵌めた腕輪をきらめかせた。
やがてマーティは、チャンスへ向けてうなずいて見せた。そしてもちろん、ノーマも。
チャンスはうなずき、自分のザックから空の水袋を取り出す。水袋の口金部分を外すと、中から羊皮紙が出てきた。そして、爪で引っ掻くようにして、そこに文字を書き始めるチャンス。
『罠だ』
チャンスの指が動く。書くそばから、字が消えて行く。
『爺さんは敵だ』
エキシィがえっという顔でチャンスを見る。
その筆談の間、五人は関係のない話を絶え間なく続けている。
『この罠を利用するぞ』
チャンスは、サージとノーマ、エキシィを見て、にやりと笑ってみせた。
『好きにやれ』
サージたちは顔を見合わせ、にっと笑ってうなずく。マーティに視線を移すと、マーティはもう深々とうなずいていた。チャンスは羊皮紙をくるくると丸め、また水袋へしまって手を振った。
「さて、じゃあ頼むぜ、サージ」
「ああ、聞き込みは任しときな」
「食事は軽めでいいのね、それなら卵料理なんかでいいかな。ね、ノーマ」
「そうね、美味しいラムも欲しいな」
「ノーマはお酒が強いですからね。私とチャンスは、ワイスさんの畑で適当に野菜を採っておきますよ」
そうして話を終えると、ノーマとエキシィは別の部屋へ荷物を置き、サージと共に先に階段を降りる。それを見上げたワイスに、サージが声をかける。
「おう爺さん、俺たち市へ行ってくらあ。畑の野菜ったって、どーせろくなもん植わってねーんだろ」
「そんな言い方、悪いわよサージ。ワイスさん、卵は平気よね」
ノーマの笑みに、ワイスは目を見開いた。
「おやおや、わしの分も作ってくれるのかね? 卵はわしの好物じゃよ、美味い卵を選んできておくれよ、嬢ちゃん!」
「任しといて、ついでにラムもね」
「ますます結構。気をつけていっといで」
三人が扉を出て行くのを見守るワイス。そのうちに、チャンスとマーティも二階から降りてくる。
「ワイス爺さん、畑って裏口から行けるのかい?」
「ちょっと野菜をいただいていいですか。卵料理にあう野菜を見繕いたいのですが」
「いいとも、好きに採りゃあええ。おっと、採り過ぎるなよ! 大事な野菜じゃ」
「はいはい」
ワイスの宿屋からだいぶ離れた所まで歩いてから、サージが胸に仕込んだナイフダートを確かめる。歩きながら、ノーマが心配そうに目を細めた。
「あの爺さん、階下からあたしたちの話を聞いてたわ。結構な魔力を持ってるようね……チャンスたち、大丈夫かしら」
「あちきたちだって、大人数で襲われるかもしれないんだもん、どっちも危険は同じよ。まあ、最初から派手に先手を打てる分、気持ちは楽だけど」
エキシィが指輪をひらひらと踊らせる。サージはそんなエキシィを見て、確かめるように尋ねた。
「チャンスのお許しが出た、俺たちは好きにやっていい。そうだよなエキシィ」
「どしたのサージ、にやにやしちゃって」
「チャンスのお許しってのはな、倒した相手の持ち物を、いくらでもくすねていいってことなのさ。へへへ、久しぶりに腕が鳴るぜ」
「好きにやれって……そういうことなのね」
呆れてため息をつくノーマの声など聞こえぬように、サージはうきうきと短剣を弄んでいる。
「さあて、どうするかな。夕飯の前の、ごろつきどもの料理を……!」
一方チャンスたちは、小さな畑の中で、申し訳程度に植わった野菜たちを睨んで思案にくれていた。
「なーんだ、野菜ってこれっぽっちかよ。しょぼいなぁ」
「贅沢はいけませんよチャンス、ご老人の一人暮らしなら、これでも多いほうでしょう」
そう言いながら、マーティは苦笑いしている。他愛ない会話を続けながら、野菜類をもぎ取る二人。
「……へえ」
幼い頃から野良仕事をしてきたチャンスにはすぐに分かった。
一見してちゃんとした畑のようだが、それら野菜の株はどこか別の畑から引き抜いてきて、急ごしらえでここへ植えられたものだ。根元の土が変に綺麗にならされている。
「これくらいですかね、チャンス」
「そうだな」
そうして裏口から小ホールへ戻る二人を、ワイスがにこにこしながら迎えた。
「さあさあ、わしの話を聞きたいのじゃろ、早くここへ座るがいい。話したいことは山ほどあるわい」
チャンスたちはワイスの言う通り、野菜をテーブルに置いて椅子へ腰掛けた。
「その前に……」
ワイスはふっとチャンスを覗き込んだ。
「あんたら、どこから来なすったんじゃ。デュファ大陸の人間ではないようじゃが」
「俺たちは北、森の大陸ヴァーナイから来たんだ」
と言ったところで、チャンスはにやりと笑ってワイスを覗き返した。
「そうそう、あんた商人だったんだよな。なら、あんたが扱った陶器の花瓶やゴブレットは、俺たちの大陸のものかもしれないな」
「いろいろな土地から買い漁ったからのう、ヴァーナイ大陸のものも、もちろん大量に入っておったわな」
自慢げに胸を張るワイスにチャンスはうなずき、マーティを見た。
「ほらな、やっぱり」
「さすがですね、ワイスさん」
にっこりとマーティも笑う。
「あのヴァーナイから、陶器の食器や花器類を取り寄せるとは」
「わしとて一端の商人じゃ、何でもやるわい。苦労して得た物ほど価値がある、そんな時代に生きたんじゃ」
「いやいや、そういう意味じゃないよ、爺さん」
チャンスは首を振って、ワイスを指差した。
「ヴァーナイ大陸はな、陶器に向く土が少ないから、金属や木の器が主流なんだよ」
「!」
ワイスの顔が、一瞬硬直した。
「ヴァーナイにとって、陶器は高価な代物なんです。そのヴァーナイから陶器を取り寄せたら、恐ろしい値段がつきますね。庶民が買えるような値段では、もちろんありません」
マーティは穏やかに、ワイスの持つ本を指差して付け加える。
「それに本物の商人なら、そんな難しくて貴重な本を手にしたら、読むより先に売りさばくことを考えますよ。普通の人が読める内容でもないですし」
「それ、古代語だろ。魔術師か神官くらいだぜ、それを読めるのはさ」
「……」
「俺たちの相手が商人だから、商人仲間になりすまそうとしたとこまでは上出来だ。けど、世俗の常識にゃ精通してなかったようだな」
チャンスがすっと立ち上がった。ワイスは本をテーブルに置き、チャンスとマーティを代わる代わるに見据え、大きくため息をついた。
「……どこで、見抜いたね」
「最初からさ」
皺だらけの顔を歪めるワイスに、チャンスは笑顔のまま答える。
「埃の具合が妙に年期が入ってる。十年来の空き家に、突然人が入り込んだみてぇにさ。老人一人で切り盛りしてるからって言い訳はできないぜ、あんたが最低でも毎日歩かなきゃならねえ台所や寝室への通路だって、埃がたまり放題じゃねえか。第一、儲けが命の元商人が、そんな客嫌いな暮らしに甘んじるはずがない。俺たちが人目を避けて、街外れに宿を取ると読んだのまでは大したもんだが、これはちょっとやりすぎだぜ」
「……」
口を引き結んで黙り込むワイス。チャンスはテーブルに置いた野菜を軽く撫でる。
「野菜もそう。こちとら畑仕事は達人でね、土を見るのは慣れてんだ。俺たちを二手に分断したかったのは分かるが、もっと上手いカラクリを考えてほしかったよな」
マーティも静かに立ち上がるのを見ると、ワイスはゆっくりと椅子から腰を上げた。分厚い本を見つめ、マーティを睨む。
「この本の理解者に出会えたのは幸運というべきじゃ。しかしその理解者を葬らねばならぬとなると、幸運は悲劇に変わる」
「誰に頼まれたか聞いても、教えていただけないんでしょうね、ワイスさん」
ワイスはすっと後ろに下がり、細身の杖を取り上げて首を振った。
「その命が尽きる間際、冥途の土産に教てやろう」
チャンスがすらりと剣を抜く。その隣で、マーティも槍を持つ手に力を込めた。
「あの嬢ちゃんたちも、今ごろ手厚いもてなしを受けとるじゃろうて。気の毒じゃが、二人揃って娼館行きじゃな」
チャンスは再びにやりと笑った。
「このチャンス様の仲間たちを、見くびってもらっちゃ困るぜ」
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生まれながらの体制に甘える貴族社会に嫌気が差したリクトは軍人として出世して貴族の専横に対抗する力を得ようと立身出世の道を歩むのだった。
剣と魔法のファンタジー世界で軍人という異色作品をお楽しみください。
攫われた転生王子は下町でスローライフを満喫中!?
伽羅
ファンタジー
転生したのに、どうやら捨てられたらしい。しかも気がついたら籠に入れられ川に流されている。
このままじゃ死んじゃう!っと思ったら運良く拾われて下町でスローライフを満喫中。
自分が王子と知らないまま、色々ともの作りをしながら新しい人生を楽しく生きている…。
そんな主人公や王宮を取り巻く不穏な空気とは…。
このまま下町でスローライフを送れるのか?
覇者となった少年 ~ありがちな異世界のありがちなお話~
中村月彦
ファンタジー
よくある剣と魔法の異世界でのお話……
雷鳴轟く嵐の日、一人の赤子が老人によって救われた。
その老人と古代龍を親代わりに成長した子供は、
やがて人外の能力を持つに至った。
父と慕う老人の死後、世界を初めて感じたその子供は、
運命の人と出会い、生涯の友と出会う。
予言にいう「覇者」となり、
世界に安寧をもたらしたその子の人生は……。
転生要素は後半からです。
あまり詳細にこだわらず軽く書いてみました。
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最初に……。
とりあえず考えてみたのは、ありがちな異世界での王道的なお話でした。
まぁ出尽くしているだろうけど一度書いてみたいなと思い気楽に書き始めました。
作者はタイトルも決めないまま一気に書き続け、気がつけば完結させておりました。
汗顔の至りであります。
ですが、折角書いたので公開してみることに致しました。
全108話、約31万字くらいです。
ほんの少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
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