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無力な僕と英雄の駒
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朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
一呼吸の後、銀色の甲冑が音を立てて震え始めた。
「やはり! 真実の鏡の予言通り、この世界は我が力を必要としていた!」
プラチナブロンドの短髪を逆立てて騒ぎ散らす甲冑野郎は、テレビを鷲掴みにしてゆさゆさと揺さぶった。豪快というか、能天気というか。僕は冷め切った目で彼を一瞥しつつ、リモコンを操作してテレビの電源を落とした。
「聖騎士五大英雄がひとり、一騎当千の剛腕フェネギアディウス! 祖国で知らぬ者のない大英雄の私が来たからには、この小汚いゴミ置き場のごとき世界など、まばたきの間に救って見せようぞ!」
「はいはいソウデスカ。異世界落ち逆バージョンって思ってたよりうっとうしいな」
「無礼者、二つ返事をするなあ!」
フェネギア……めんどくさいな、フェネでいいや。自称大英雄のフェネはテレビの次に僕の首根っこを掴んでゆさゆさし始める。
「あばばば馬鹿力、脳が崩れるぅぅ」
「間近に迫る世界滅亡の危機ゆえ、貴様はすべてに絶望しているのだな。分かるとも、私が渡り歩いてきた世界には、貴様のような死んだ目をした奴があふれ返っていた。案ずるな、七日を待たず私がすべてを救ってみせる!」
切れ長の赤い目で僕を見据えるフェネ。僕はずれたメガネをかけ直し、フェネの端正な美形顔を前に唇をむっと尖らせた。
「貴様じゃなくて、僕はタカフミね。いい加減覚えて」
「ささいなことを気にするな、大きくなれんぞ」
「24歳の僕のコンプレックスをさらっとディスったねこの野郎」
悪意のひとかけらもないのが逆に腹立たしい。僕はテレビの横に積み上げた雑誌や新聞を手に取り、フェネの前に広げた。
「字、読める?」
「言葉も文字も魔力変換はお手の物だ、問題ない」
「いいねそれ、超便利」
いくつかの記事を指差し、読むように促す。フェネはうなずき、赤い目がふわりと光を帯びた。文字列が煙のように浮きあがり、ゆらゆらと揺れながら見たこともない複雑な文字に形を変える。宙に浮かぶそれらを、フェネは食い入るように読み始めた。剛腕のなんちゃら、なんて二つ名を言うものだから、てっきり魔法とは縁のない脳筋剣士かと思いきや、意外な一面があるものだ。
いきなり部屋のど真ん中に魔方陣が現れて彼が飛び出してきた時は、正直な話「七日後に世界が終わるって時に面倒事が増えるとかリアル地獄やんけ」と思ったんだけどね。でも、世界が終わる前に本物の「異世界落ち」(逆バージョンだけど)を見れて興奮した、というのも正直なところだ。異世界落ちはファンタジー好きのロマンだろ、ロマン。コーヒーを二つ淹れながら、全世界に自慢するつもりで心の中でふんぞり返った。
「ふむ。なるほど」
記事を読み終えたフェネはうなずき、赤い目の光を元に戻す。
「つまり、大地の奥底で異常暴走が起き、世界が粉々になって生き物はすべて死に絶える、ということだな」
「ざっくりだけど、そういうことになるね。つまりだよ、フェネ」
「フェネギアディウス! 貴様、自分の名を覚えろと言いながら、私の名は端折るつもりか?」
「う、それはごもっとも……じゃなくて、僕が言いたいのは!」
コーヒーを置いた手で、僕はそのままフェネを指差し断言する。
「大英雄様のせっかくのご降臨だけど、フェネにできることはこれっぽっちもないってことなんだ」
フェネは目をしばたかせ、僕の指先を見た。次いで、銀のガントレットグローブに包まれた自身の指を、僕の指先にちょんとくっつけた。何やってんのと口を開きかけたその時、軽い電撃がパチンと弾け、指先から頭のてっぺんを一瞬で突き抜ける。驚きと衝撃で尻もちをつきそうになる僕を、フェネは素早く支えて立たせてくれた。
「この世界の者には少々強かったか。貴様が疑う英雄の力を端的に示すには、実際に触れるのが手っ取り早いのでな」
「最短の手段が電撃ってのはどうかと思うよ」
「口の減らん奴だ。とにかく、真実の鏡が私をここへ遣わした理由が分かった。大地の奥底の異常暴走とは、地の精霊力が乱れることで引き起こされる。その原因を突き止めれば、世界の崩壊は食い止められよう」
あまりにも曇りない瞳でファンタジー全開な話をし始めるフェネに、僕はかける言葉を失ってしまう。何も言えない僕の前でフェネは、大きな手のひらを広げて差し出した。瞬く間に様々な色の光がフェネの手の上に寄り集まり、ちかちかと弾けて飛び交い始める。
「この輝きの源は、魔力ではない。精霊力だ」
「……精霊……あと七日で滅ぶような世界なのに、精霊なんているの?」
「無論だ。ありとあらゆる世界に存在する。世の理は理屈と科学だけで成り立つわけではないのだ」
こんなどうしようもない世界に精霊がいるだなんて思わなかった。僕の驚きようを横目に、フェネは言葉を続ける。
「五大英雄の中では、私が最も精霊力が強い。地の底へ赴き、我が力で暴走する精霊力を正常化すればよいのだ。そうと分かれば、さっそく転移魔法陣を」
フェネは精霊力をまとった手を振りかざす。僕は慌ててフェネの腕をつかんだ。
「フェネ、ちょっと待った!」
「だから、我が名はフェネギアディウスだというのに!」
僕はフェネのツッコミに構わず、テーブルに置いたマグカップを指差した。
「慌てなくても時間はあるよ。せめて、コーヒーが熱いうちに飲んでって」
「……ふむ。タカトミ流のはなむけというわけか」
「タカトミじゃない、タカフミ!」
「ささいなことだ、気にするな」
「その後また背のことを言ったら引っぱたくからね」
プラチナブロンドの短髪を撫で上げ、フェネはにこりと笑ってマグカップを掲げた。聖杯でも勲章でもない普通のマグカップなのに、妙に輝いて見える。イケメンってホントズルいなと思った瞬間だった。
「私は、たくさんの世界を渡り歩いた」
フェネは湯気を軽く吹き、小さく波立つコーヒーを見つめる。
「地の果て、海の果て、空の果て――見たこともない文明、聞いたこともない言語、形容しがたい異形の生命体。各々の世界滅亡の原因は実に様々、単純なものから難解なものまで、多種多様だった」
「だろうね。すごく興味深いよ」
僕の相槌に、フェネは白い歯を見せて笑みを浮かべた。
「我が英雄譚を語りつくすには、七日ごときでは到底足りん。これまで私がどのように戦い、どのように世界を救って、そして死んだのか」
どくん。
口に含んだコーヒーが、脈打った気がした。
「……え?」
フェネはコーヒーを飲み終えて立ち上がる。大きく目を見開いたまま固まった僕に、フェネは堂々と言い放った。
「何を驚くことがある。世界が滅亡するほどの災厄を相手にするのだ、五体満足で生還できるなどとは思っておらん」
「そっ……れ、は……」
「案ずることはない。最果ての時空で死すとも、すぐさま祖国で復活する。我が国の魔術師団は優秀ゆえ、最上位の復活魔法を持って我が魂を導いて下さる」
淡々と語るフェネの横顔は美しかった。死を恐れぬ大英雄と言えば聞こえはいいが、これではまるで――僕は、おそるおそる尋ねた。
「す、救って、死んで、蘇って……の、ループを、ずっと……?」
「そうだ。何か不思議か?」
ファンタジーのお約束、蘇生とループ。僕は気付いてしまった。
フェネは、世界を救う英雄という名の「再利用できる便利な駒」。五大英雄というのはおそらく、過酷なループでも心身に異常をきたさなかった、屈強かつ純粋無垢な剣士たちなのだろう。誉れ高い肩書に何の疑問も抱かず、自己犠牲の精神で自らを捨て石にすることをいとわない、彼らの高潔な精神を巧妙に利用しているのだ。
フェネの祖国の事情は分からない。でも「世界を救う五大英雄が仕える国」となれば、その影響力は計り知れないはずだ。彼らが死のループで世界救済の実績を重ねるほど、その影響力は増す。
僕は思わずフェネの腕をつかんだ。
「い、行かないで、フェネ」
頑丈な銀の甲冑は、僕程度の力では軋ませることもできない。僕は両手でフェネの腕を抱き込んだ。
「行かないで、お願い。死んじゃうかもしれないなんて聞いてない、そんなのダメだよ」
「どうしたタカトミ、何を恐れているのだ?」
フェネは僕の肩に手を置き、なだめるように軽く、優しく撫でた。
「私が行かねば、皆が死ぬのだ」
当たり前のように、フェネは言った。曇りない瞳があまりにも透き通っていて、僕はただただ、息苦しくなる。
「赤の他人でしかない異世界人の我が身を案じてくれるのか。おまえは優しい男だ。だからこそ私は行かねばならん、タカトミ」
「タカフミ!」
「ははは、私は大英雄! おまえのような心優しい者を救えるなら、この命など少しも惜しくはない!」
フェネは僕の手をそっと外して微笑んだ。
「世話になったな。七日後の先の未来をたくましく生きよ、タカフミ」
フェネは片手を差し上げた。一瞬のうちに吸い寄せられた精霊力が部屋中にあふれ、フェネの足元に魔方陣が浮き上がる。
「待って!」
とっさに伸ばした指先が、かすかに彼の鎧に触れる。あの時よりも小さな電撃が走って僕の胸を貫き、魔方陣と共に一瞬でかき消えた。
「あ……」
僕は床に崩れ落ち、ぎゅっと胸を押さえた。苦しい――背後の靴音にすら、気付かないほどに。
「ハイッ、お疲れ様!」
女性の甲高い声で我に返る。
ぎょっとして振り返ると、露出の高い魔女コスの女性が、手をぱんぱんと叩いて微笑んだ。
「きみ、なかなかよかったよ! 異世界の英雄との軽妙なやり取り、死地へ赴かんとする彼を気遣う優しさ!」
状況がまったくつかめない僕の目の前につかつかと歩み寄り、女性はさらに芝居がかった声を上げる。
「英雄サマたちが気持ちよぉく『英雄』として死ねるのは、きみたちのお・か・げ! だヨ♪」
「……え……」
腹の底から、寒気が沸き上がった。息が苦しい。
何を言っているんだ、このひとは――
「ほら、ただ世界を救うって大義名分だけじゃ、命を投げ出してまで戦えないじゃない? だから、友情、愛情、絆、英雄サマが大好きな『えさ』を兼ね備えたきみみたいな存在が、すっごく重要なのよね。ほんの短い間でも、きみたちと心の通うやり取りをすれば、英雄サマたちはどんな過酷な運命にでも喜んで飛び込んでいくんだもの」
おまえのような心優しい者を救えるなら、この命など少しも惜しくはない――耳の奥で、フェネの声が渦を巻いた。
「きみたちも世界を救ってもらえるし、英雄サマは立派な勲章をもらえるし、万々歳! ねっ?」
「でっ……でも、でも、フェネはッ……!」
冷汗を滲ませて口ごもる僕。女性は、ずっと微笑みを浮かべたままだ。
「平気平気、彼も言ってたでしょ。私たち魔術師団は優秀なの。彼がたとえどんな世界でどれほどの塵になったとしても、魂を呼び戻して即座に復活できる。全然問題なし! 私たちの国も英雄サマが活躍すればするほど栄えていく。何て素晴らしい!」
歯が、かちかちと鳴ってしゃべれない。明るい声でとんでもないことを語り続けるこの女性が、とても怖い。
フェネはそうやって何度も死んできたのか。過酷な使命から逃げられないよう、裏から手を回されてるなんて……!
かつん。
女性が、長い杖で床を突いた。僕が思わず身をすくませると、女性は笑顔を崩さずに杖の先を僕へ向ける。
「あれあれ? もしかしてきみ、英雄の輝かしいループがご不満? 本来なら救いようのない低能野蛮人だらけの見知らぬ土地で、誰も弔ってくれないまま一人淋しく朽ち果ててほしいのかな?」
「……ち、が……!」
必死に首を振るので精一杯だった。無様に震えるだけの僕を、虫を見るような目で見つめながら、女性は口の端を歪めた。
「我が魔術師団が英雄サマと相性のいい生命体を割り出して、その棲み処に転移魔法を仕掛けるんだけど……たまにいるのよね。きみみたいに相性が『よすぎる』子」
女性の杖が紫色の光を放つと、僕がへたり込む床に歪な形の魔方陣が広がった。
「何事も程々じゃないと困るのよ。相性がよすぎて互いを惹きあいすぎると、英雄サマは世界と一人を天秤にかけ始めちゃう。きみたちは英雄サマを英雄たらしめる存在でありながら、英雄サマをただの『人』に戻してしまう危険因子でもある。だから、私みたいな『見届け人』が必要なわけ」
紫の魔方陣が鋭く光った。紫色に染まる僕の全身が強張り、床に膝をついたまま激しくのけ反って痙攣する。
「私ったら長話しちゃってゴメンナサイ☆ このことは綺麗サッパリ記憶から消してあげるから、きみは新しい未来を存分に楽しんじゃってネ♪」
猛烈な圧迫感で息ができない。
目の奥が急激に痛んで意識が遠のき、僕の視界は闇に飲まれた。
「はっ……」
気が付くと、窓から朝陽が差し込んでいた。しんとした部屋を見渡し、頭を押さえる。
「何で床で寝てるんだろ……頭痛い……」
体を起こした僕は、テーブルの上に乗った二つのマグカップに目をやった。
「……誰か来たんだっけ?」
マグカップを手に取って眺めるが、何も思い出せなかった。
もうすぐ世界が滅ぶってのに、来客なんてあるはずがない。きっと何かの間違いだろう。痛みが落ち着いてきた頭を撫でながら、リモコンでテレビをつける。
「え?」
画面には、速報の赤い大きな文字。
興奮気味のキャスターが、声を枯らして何度も叫んでいた。
画面の向こうで誰もが歓喜し、抱き合っていた。
ああ、とすべてを察した僕は、なぜか、涙がこぼれた。
一呼吸の後、銀色の甲冑が音を立てて震え始めた。
「やはり! 真実の鏡の予言通り、この世界は我が力を必要としていた!」
プラチナブロンドの短髪を逆立てて騒ぎ散らす甲冑野郎は、テレビを鷲掴みにしてゆさゆさと揺さぶった。豪快というか、能天気というか。僕は冷め切った目で彼を一瞥しつつ、リモコンを操作してテレビの電源を落とした。
「聖騎士五大英雄がひとり、一騎当千の剛腕フェネギアディウス! 祖国で知らぬ者のない大英雄の私が来たからには、この小汚いゴミ置き場のごとき世界など、まばたきの間に救って見せようぞ!」
「はいはいソウデスカ。異世界落ち逆バージョンって思ってたよりうっとうしいな」
「無礼者、二つ返事をするなあ!」
フェネギア……めんどくさいな、フェネでいいや。自称大英雄のフェネはテレビの次に僕の首根っこを掴んでゆさゆさし始める。
「あばばば馬鹿力、脳が崩れるぅぅ」
「間近に迫る世界滅亡の危機ゆえ、貴様はすべてに絶望しているのだな。分かるとも、私が渡り歩いてきた世界には、貴様のような死んだ目をした奴があふれ返っていた。案ずるな、七日を待たず私がすべてを救ってみせる!」
切れ長の赤い目で僕を見据えるフェネ。僕はずれたメガネをかけ直し、フェネの端正な美形顔を前に唇をむっと尖らせた。
「貴様じゃなくて、僕はタカフミね。いい加減覚えて」
「ささいなことを気にするな、大きくなれんぞ」
「24歳の僕のコンプレックスをさらっとディスったねこの野郎」
悪意のひとかけらもないのが逆に腹立たしい。僕はテレビの横に積み上げた雑誌や新聞を手に取り、フェネの前に広げた。
「字、読める?」
「言葉も文字も魔力変換はお手の物だ、問題ない」
「いいねそれ、超便利」
いくつかの記事を指差し、読むように促す。フェネはうなずき、赤い目がふわりと光を帯びた。文字列が煙のように浮きあがり、ゆらゆらと揺れながら見たこともない複雑な文字に形を変える。宙に浮かぶそれらを、フェネは食い入るように読み始めた。剛腕のなんちゃら、なんて二つ名を言うものだから、てっきり魔法とは縁のない脳筋剣士かと思いきや、意外な一面があるものだ。
いきなり部屋のど真ん中に魔方陣が現れて彼が飛び出してきた時は、正直な話「七日後に世界が終わるって時に面倒事が増えるとかリアル地獄やんけ」と思ったんだけどね。でも、世界が終わる前に本物の「異世界落ち」(逆バージョンだけど)を見れて興奮した、というのも正直なところだ。異世界落ちはファンタジー好きのロマンだろ、ロマン。コーヒーを二つ淹れながら、全世界に自慢するつもりで心の中でふんぞり返った。
「ふむ。なるほど」
記事を読み終えたフェネはうなずき、赤い目の光を元に戻す。
「つまり、大地の奥底で異常暴走が起き、世界が粉々になって生き物はすべて死に絶える、ということだな」
「ざっくりだけど、そういうことになるね。つまりだよ、フェネ」
「フェネギアディウス! 貴様、自分の名を覚えろと言いながら、私の名は端折るつもりか?」
「う、それはごもっとも……じゃなくて、僕が言いたいのは!」
コーヒーを置いた手で、僕はそのままフェネを指差し断言する。
「大英雄様のせっかくのご降臨だけど、フェネにできることはこれっぽっちもないってことなんだ」
フェネは目をしばたかせ、僕の指先を見た。次いで、銀のガントレットグローブに包まれた自身の指を、僕の指先にちょんとくっつけた。何やってんのと口を開きかけたその時、軽い電撃がパチンと弾け、指先から頭のてっぺんを一瞬で突き抜ける。驚きと衝撃で尻もちをつきそうになる僕を、フェネは素早く支えて立たせてくれた。
「この世界の者には少々強かったか。貴様が疑う英雄の力を端的に示すには、実際に触れるのが手っ取り早いのでな」
「最短の手段が電撃ってのはどうかと思うよ」
「口の減らん奴だ。とにかく、真実の鏡が私をここへ遣わした理由が分かった。大地の奥底の異常暴走とは、地の精霊力が乱れることで引き起こされる。その原因を突き止めれば、世界の崩壊は食い止められよう」
あまりにも曇りない瞳でファンタジー全開な話をし始めるフェネに、僕はかける言葉を失ってしまう。何も言えない僕の前でフェネは、大きな手のひらを広げて差し出した。瞬く間に様々な色の光がフェネの手の上に寄り集まり、ちかちかと弾けて飛び交い始める。
「この輝きの源は、魔力ではない。精霊力だ」
「……精霊……あと七日で滅ぶような世界なのに、精霊なんているの?」
「無論だ。ありとあらゆる世界に存在する。世の理は理屈と科学だけで成り立つわけではないのだ」
こんなどうしようもない世界に精霊がいるだなんて思わなかった。僕の驚きようを横目に、フェネは言葉を続ける。
「五大英雄の中では、私が最も精霊力が強い。地の底へ赴き、我が力で暴走する精霊力を正常化すればよいのだ。そうと分かれば、さっそく転移魔法陣を」
フェネは精霊力をまとった手を振りかざす。僕は慌ててフェネの腕をつかんだ。
「フェネ、ちょっと待った!」
「だから、我が名はフェネギアディウスだというのに!」
僕はフェネのツッコミに構わず、テーブルに置いたマグカップを指差した。
「慌てなくても時間はあるよ。せめて、コーヒーが熱いうちに飲んでって」
「……ふむ。タカトミ流のはなむけというわけか」
「タカトミじゃない、タカフミ!」
「ささいなことだ、気にするな」
「その後また背のことを言ったら引っぱたくからね」
プラチナブロンドの短髪を撫で上げ、フェネはにこりと笑ってマグカップを掲げた。聖杯でも勲章でもない普通のマグカップなのに、妙に輝いて見える。イケメンってホントズルいなと思った瞬間だった。
「私は、たくさんの世界を渡り歩いた」
フェネは湯気を軽く吹き、小さく波立つコーヒーを見つめる。
「地の果て、海の果て、空の果て――見たこともない文明、聞いたこともない言語、形容しがたい異形の生命体。各々の世界滅亡の原因は実に様々、単純なものから難解なものまで、多種多様だった」
「だろうね。すごく興味深いよ」
僕の相槌に、フェネは白い歯を見せて笑みを浮かべた。
「我が英雄譚を語りつくすには、七日ごときでは到底足りん。これまで私がどのように戦い、どのように世界を救って、そして死んだのか」
どくん。
口に含んだコーヒーが、脈打った気がした。
「……え?」
フェネはコーヒーを飲み終えて立ち上がる。大きく目を見開いたまま固まった僕に、フェネは堂々と言い放った。
「何を驚くことがある。世界が滅亡するほどの災厄を相手にするのだ、五体満足で生還できるなどとは思っておらん」
「そっ……れ、は……」
「案ずることはない。最果ての時空で死すとも、すぐさま祖国で復活する。我が国の魔術師団は優秀ゆえ、最上位の復活魔法を持って我が魂を導いて下さる」
淡々と語るフェネの横顔は美しかった。死を恐れぬ大英雄と言えば聞こえはいいが、これではまるで――僕は、おそるおそる尋ねた。
「す、救って、死んで、蘇って……の、ループを、ずっと……?」
「そうだ。何か不思議か?」
ファンタジーのお約束、蘇生とループ。僕は気付いてしまった。
フェネは、世界を救う英雄という名の「再利用できる便利な駒」。五大英雄というのはおそらく、過酷なループでも心身に異常をきたさなかった、屈強かつ純粋無垢な剣士たちなのだろう。誉れ高い肩書に何の疑問も抱かず、自己犠牲の精神で自らを捨て石にすることをいとわない、彼らの高潔な精神を巧妙に利用しているのだ。
フェネの祖国の事情は分からない。でも「世界を救う五大英雄が仕える国」となれば、その影響力は計り知れないはずだ。彼らが死のループで世界救済の実績を重ねるほど、その影響力は増す。
僕は思わずフェネの腕をつかんだ。
「い、行かないで、フェネ」
頑丈な銀の甲冑は、僕程度の力では軋ませることもできない。僕は両手でフェネの腕を抱き込んだ。
「行かないで、お願い。死んじゃうかもしれないなんて聞いてない、そんなのダメだよ」
「どうしたタカトミ、何を恐れているのだ?」
フェネは僕の肩に手を置き、なだめるように軽く、優しく撫でた。
「私が行かねば、皆が死ぬのだ」
当たり前のように、フェネは言った。曇りない瞳があまりにも透き通っていて、僕はただただ、息苦しくなる。
「赤の他人でしかない異世界人の我が身を案じてくれるのか。おまえは優しい男だ。だからこそ私は行かねばならん、タカトミ」
「タカフミ!」
「ははは、私は大英雄! おまえのような心優しい者を救えるなら、この命など少しも惜しくはない!」
フェネは僕の手をそっと外して微笑んだ。
「世話になったな。七日後の先の未来をたくましく生きよ、タカフミ」
フェネは片手を差し上げた。一瞬のうちに吸い寄せられた精霊力が部屋中にあふれ、フェネの足元に魔方陣が浮き上がる。
「待って!」
とっさに伸ばした指先が、かすかに彼の鎧に触れる。あの時よりも小さな電撃が走って僕の胸を貫き、魔方陣と共に一瞬でかき消えた。
「あ……」
僕は床に崩れ落ち、ぎゅっと胸を押さえた。苦しい――背後の靴音にすら、気付かないほどに。
「ハイッ、お疲れ様!」
女性の甲高い声で我に返る。
ぎょっとして振り返ると、露出の高い魔女コスの女性が、手をぱんぱんと叩いて微笑んだ。
「きみ、なかなかよかったよ! 異世界の英雄との軽妙なやり取り、死地へ赴かんとする彼を気遣う優しさ!」
状況がまったくつかめない僕の目の前につかつかと歩み寄り、女性はさらに芝居がかった声を上げる。
「英雄サマたちが気持ちよぉく『英雄』として死ねるのは、きみたちのお・か・げ! だヨ♪」
「……え……」
腹の底から、寒気が沸き上がった。息が苦しい。
何を言っているんだ、このひとは――
「ほら、ただ世界を救うって大義名分だけじゃ、命を投げ出してまで戦えないじゃない? だから、友情、愛情、絆、英雄サマが大好きな『えさ』を兼ね備えたきみみたいな存在が、すっごく重要なのよね。ほんの短い間でも、きみたちと心の通うやり取りをすれば、英雄サマたちはどんな過酷な運命にでも喜んで飛び込んでいくんだもの」
おまえのような心優しい者を救えるなら、この命など少しも惜しくはない――耳の奥で、フェネの声が渦を巻いた。
「きみたちも世界を救ってもらえるし、英雄サマは立派な勲章をもらえるし、万々歳! ねっ?」
「でっ……でも、でも、フェネはッ……!」
冷汗を滲ませて口ごもる僕。女性は、ずっと微笑みを浮かべたままだ。
「平気平気、彼も言ってたでしょ。私たち魔術師団は優秀なの。彼がたとえどんな世界でどれほどの塵になったとしても、魂を呼び戻して即座に復活できる。全然問題なし! 私たちの国も英雄サマが活躍すればするほど栄えていく。何て素晴らしい!」
歯が、かちかちと鳴ってしゃべれない。明るい声でとんでもないことを語り続けるこの女性が、とても怖い。
フェネはそうやって何度も死んできたのか。過酷な使命から逃げられないよう、裏から手を回されてるなんて……!
かつん。
女性が、長い杖で床を突いた。僕が思わず身をすくませると、女性は笑顔を崩さずに杖の先を僕へ向ける。
「あれあれ? もしかしてきみ、英雄の輝かしいループがご不満? 本来なら救いようのない低能野蛮人だらけの見知らぬ土地で、誰も弔ってくれないまま一人淋しく朽ち果ててほしいのかな?」
「……ち、が……!」
必死に首を振るので精一杯だった。無様に震えるだけの僕を、虫を見るような目で見つめながら、女性は口の端を歪めた。
「我が魔術師団が英雄サマと相性のいい生命体を割り出して、その棲み処に転移魔法を仕掛けるんだけど……たまにいるのよね。きみみたいに相性が『よすぎる』子」
女性の杖が紫色の光を放つと、僕がへたり込む床に歪な形の魔方陣が広がった。
「何事も程々じゃないと困るのよ。相性がよすぎて互いを惹きあいすぎると、英雄サマは世界と一人を天秤にかけ始めちゃう。きみたちは英雄サマを英雄たらしめる存在でありながら、英雄サマをただの『人』に戻してしまう危険因子でもある。だから、私みたいな『見届け人』が必要なわけ」
紫の魔方陣が鋭く光った。紫色に染まる僕の全身が強張り、床に膝をついたまま激しくのけ反って痙攣する。
「私ったら長話しちゃってゴメンナサイ☆ このことは綺麗サッパリ記憶から消してあげるから、きみは新しい未来を存分に楽しんじゃってネ♪」
猛烈な圧迫感で息ができない。
目の奥が急激に痛んで意識が遠のき、僕の視界は闇に飲まれた。
「はっ……」
気が付くと、窓から朝陽が差し込んでいた。しんとした部屋を見渡し、頭を押さえる。
「何で床で寝てるんだろ……頭痛い……」
体を起こした僕は、テーブルの上に乗った二つのマグカップに目をやった。
「……誰か来たんだっけ?」
マグカップを手に取って眺めるが、何も思い出せなかった。
もうすぐ世界が滅ぶってのに、来客なんてあるはずがない。きっと何かの間違いだろう。痛みが落ち着いてきた頭を撫でながら、リモコンでテレビをつける。
「え?」
画面には、速報の赤い大きな文字。
興奮気味のキャスターが、声を枯らして何度も叫んでいた。
画面の向こうで誰もが歓喜し、抱き合っていた。
ああ、とすべてを察した僕は、なぜか、涙がこぼれた。
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※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。
※1回の投稿文字数は少な目です。
※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。
表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
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