大義なき喝采 赤穂事件の背後に蠢く策謀

庭 京介

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エピローグ

時代を越えた密書

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 倉沢淳平の住居は5年前に亡くなった淳平の父親の実家である。父親は次男坊で結婚と同時に家を出ていた。本家を継いだのが長男、淳平にとっては伯父であったが、その伯父も二年前に亡くなった。伯父には子供がおらず、夫に先立たれた伯母が広い家は却って不便ということでマンションを購入して移転することになった。その際に伯母に強く請われ、当時借家住まいであった一家が住むようになったのである。この家は伯母が伯父から相続したものであり、名義は伯母である。築300年とされ、関東大震災や東京大空襲を奇跡的に免れたようだ。リフォームや耐震補強は何度か繰り返されているものの柱、梁等の主要構造体はそのままらしい。淳平は広大な旧家にタダで住むわけにはいかないので、僅かばかりの家賃を支払っている。伯父からの遺産で生活に困ることはない伯母はこちらが頼むのだからと、家賃の受け取りを拒否したのであるが、半ば押し付ける形で支払いを続けている。自己弁護的な言い方をすれば、淳平は跡取り代行として本家保存に貢献していることになる。伯母にしても、広大な屋敷を相続したのであるから売却してしまえばいいのであるが、欲がないというか大らかな人なのである。築300年以上の由緒ある旧家を何とか保存したいという思いもあるようだ。
 淳平の家族は妻昌美、娘の小学校五年生の佳澄と小学校三年生の息子翔平との四人家族と犬一匹であるが、それでも敷地800坪で八部屋もある家は広すぎた。
 今日は日曜日、翔平はサッカーの練習試合で朝から遠征、昌美は一泊のクラス会で不在である。淳平は佳澄と二人で敷地内にある蔵の中を調査することになった。江戸時代初期からあるらしい土蔵造りの蔵である。佳澄が学校の社会の授業で古い蔵の中から歴史の謎解明に繋がる貴重なる古文書や価値ある美術品や骨董品が発見されることがある、という話を聞いたことがその切っ掛けとなった。
 土蔵造りとは、木製の柱や梁で構成された骨組に竹や縄で下地 を組み立て、その上から土壁を塗重ね 最後に漆喰で仕上げる建築方法である。土で覆われているため耐火性に優れ、漆喰で耐水性を向上させている。貴重品を収納する蔵作りに適した建築工法なのである。
「お父さん、何かドキドキしない?テレビの鑑定団で1000万円なんて値がついたらどうする?」
「取り敢えず、鰻屋で最上級の日本酒飲みながら鰻丼食って、その帰りにお土産に酒の神田屋で高級ワインと・・・」
「何それ、夢がないなあ、せめてフランス料理フルコースぐらいにしようよ。聞く人間違えたようね」
「よし、行くぞ。1000万目指して」
「よし、レッツゴー」
 淳平は扉の南京錠の鍵穴に鍵を差し入れた。
 伯母によれば、元々は閂式だったようだが、叔母の義理の両親、淳平にとっては実の祖父母が南京錠に交換したらしい。解錠後に重量感のある土壁の観音扉を開け、その内側の木製引き戸扉を開ける。
 内部は10坪程の広さがある。
 三ヶ所の窓を全て開け放つと明かりが差し込み、何とか全体を見渡すことができた。
「ガラクタばっかりだね。鑑定団に見てもらえそうなものなさそう」
 ガッカリした様子の佳澄が言うように、臼や杵、鍬、鋤、手動籾摺機等の時代遅れの農機具、行灯や寝具や衣類等の希少価値としても怪しいものばかりで、価値のある巻物や美術品、壷の類いはなさそうである。
淳平は正面のタンスに近付き、引き出しを開けた。中は筆や硯、キセル、竹製水筒の類である。
「佳澄、残念ながら1000万は無理だな」
「そのようね」
 淳平はそういってからタンスに手を掛けて軽く揺らした。
「おっ?」
 何か聞こえた。何かが滑る音とぶつかる音。
 淳平は引き出しを全て引き抜いた。這いつくばるようにして、底板や側板、奥板を拳でつつきながら音を聞く。淳平が目をつけたのは底板である。ズボンに吊り下げた工具入れからドライバーと金槌を引き抜き、ドライバーの先を底板の端部に当て、金槌で軽く叩く、ドライバーの先を移動させてはそれを繰り返す。底板が前方に少しスライドした。右手を差し入れ底板の奥の端面に当てた。気合いを入れ、右腕を思い切り引いた。底板か完全に引き抜かれた。
「うわあ、お父さん凄い。尊敬しちゃう」
「さあてどうかな。尊敬できるがどうかはこれからだ」
 淳平は隠し収納スペースに手を差し入れると手応えがあった。
引き出すと鉄製の容器である。幅20センチ高さ30センチ、暑さ3センチ程はありそうだ。振ってみるとカタカタと音を立てる。
「御菓子の容器みたいだね。江戸時代の高級和菓子かな?」
 確かに佳澄が言うように、高級菓子の容器っぽい。だが、全体にかなり腐食か進行している。
 淳平は蓋の接合面にドライバーの先を当て金槌で頭部を叩きながら少しずつ移動させた。短辺側が終わって長辺側も終わり掛けた頃、ザラっという音を立てて蓋が少し持ち上がった。淳平は蓋の角に右手四本の指の先を当てて、思い切り持ち上げた。二回目の気合いの後、蓋は大きく跳び跳ねた。
 中から現れたのは、細いわら縄で縛った厚さ二センチ程の紙の束である。大きさはやや大きめの封筒長形サイズに近い。わら縄を解くと全体を包んでいた和紙が二枚簡単に外れた。それは一枚の用紙を横に半分に折って閉じられてあった。枚数はかなりある。表面は茶色く変色しており、紙の端やページの繋ぎ目に割れかある。だが、書かれてある墨文字は劣化しておらず、鮮明である。ところが、古文書特有のくずし文字で 淳平 には読みこなすだけの素養がない。
 ただ・・・・・
 淳平は読めないまでも、文字の形を追った。幾つかの文字が、淳平の文字解読能の範疇に入り込んできた。
 浅と野、吉と良、そして大と石。
淳平の指が最終ページに伸びた。
五と十と・・・畑、そして?と次と郎。五十畑?次郎。その左上の日付はスンナリと読めた。正徳十二年六月十二日とある。
 佳澄も気が付いたようだ。
「あっ、これ五十畑だね。ご先祖様かな?」
 淳平は、胸ポケットからスマホを引き抜き、パネルをタッチした。
「五十畑でごさいます」
 上品な声が返ってきた。伯母の五十畑絹枝である。
「あっ、伯母さん。淳平です。ご無沙汰しております。体の方は如何ですか?」
「ええ、お陰様で元気一杯ですよ」
「一人が好きなのは分かりますが、どうですか?ここは部屋が多すぎます。一部屋、なんだったら二部屋でも、使って貰えません?」
「ありがとう。考えておくね。そちらも変わりない?」
「相変わらずですが、今ちょっと精神状態が亢進状態にあります」
「あらっ。何か刺激物でも召し上がった?」
「いえ、蔵の中から別な蔵を発見しました」
「何かしら?淳平さんを興奮させる蔵?是非私も触れてみたいわね」
「伯母さんは勉強家で博識ですから五十畑家の歴史についてもご存知かと思いまして」
 絹枝は大学院で日本歴史の研究をした経歴を持つ。日本歴史のみならず、学問全般に造詣が深い。その教養の深さが最大の魅力で、淳平にとっては憧憬と尊敬の対象であった。
「博識なんてとんでもない。でも公平さんから家系については一通り聞いているわよ」
 公平は淳平の父親の兄、絹枝の亡夫である。
「正徳12年頃の人物で五十畑何とか次郎って聞いたことはありませんか?」
「ちょっと待って頂戴。家系図持ってくるわね」
 暫くすると紙が擦れる音が聞こえてきた。
「あったあった、五十畑修次郎。生まれが寛文12年生まれ。西暦で1672年ね。延享2年だから1745年まで生きたみたいね。正徳12年は西暦1712年は6代将軍徳川家宣の時代ね。修次郎が40歳の時ね」
「その修次郎はどんな人物だったのでしょうか?」
「幕臣の中核を担った人物みたいね。目付から最終的に町奉行まで出世しています」
「目付というのはどんな仕事でしょうか?」
「現代でいえば、警察の監察官ね。幕臣である旗本やお役人を監視するのが主な役目ね。町奉行は警視庁、東京高検、東京消防庁、東京高裁、都の行政官、それらのトップを兼務しているって感じかな?」
「へえ、とてつもなく偉い人だったんですね?」
「そうそう思い出した。公平さんの話では、修次郎は当時の綱吉政権での側用人として権勢を振るった柳沢吉保に能力を買われて柳沢特命班の班長のような立場だったそうよ」
「柳沢吉保?あの賄賂政治で有名な?」
「そんな話ばかりで有名になっちゃったけど、今で言えば総理首席補佐官って感じで征夷大将軍の徳川綱吉に変わって辣腕を振るったみたいよ」
「へえ、満更悪い人でもないんですね。綱吉っていえば、生類憐れみの令で庶民を苦しめた犬公方ですね?」
「天下の悪法なんて言われているわね。綱吉は功罪相半ばって感じで、徳川の将軍の中では評価の振れ幅が特に大きい人みたいね。
 ねえ、淳平さん。面白いもの見付けたようね。正徳年間の前が宝永、その前が元禄。その蔵ってもしかしたら元禄時代の有名な蔵?」
「伯母さんは、やっぱり鋭いですね。古文書らしいものの中から、浅野や吉良や大石の名前を見付けました」
「それ、日本歴史を覆すような大発見かもしれないわね。古文書は読みこなすのが大変だけど、淳平さんなら大丈夫。大変そうだったら、私も協力するわよ。次なる報告を楽しみに待ってるわね」
「伯母さんが、力を貸してくれるなら百人力だ。また連絡します」
淳平は電話を切ると、佳澄に向かってピースサインを送った。
「佳澄、やったぞ」
「ヤッホー、1000万だあ」
 淳平は跳び跳ねる佳澄と両掌を合わせた。心地よい高音か土蔵内に響いた。
「はい1000万、それ1000万、ちょいと1000万」

        *
 西暦2030年、猛暑の夏。一人の民間歴史研究者から、一編の歴史研究論文が発表された。
 そのタイトルは"300年の眠りから目覚めた赤穂事件の真実"。
 無名のアマチュア歴史研究者によって歴史雑誌へ投稿されたものであったことから発表当初は学会内で注目されることはなかったが、著名な某歴史学者による紹介を切っ掛けに学会やマスコミに取り上げられ、徐々に広がりを見せ始めている。
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