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第六章
決起の裏に暗躍する影二体
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吉良邸討ち入りに参加した47名の内足軽の寺坂吉右衛門を除く46名の赤穂浪士は、大名四家の江戸屋敷へお預けとなった。
大石内蔵助を始めとする17名は、熊本藩細川家が割り当てられた。
それ以外の者は伊予松山藩松平家10名、長府藩毛利家10名、岡崎藩水野家へ9名となっていた。
五十畑は細川家を訪ね内蔵助に面会を申し入れた。お預けは武家法における未決勾留であり、一切の面会は禁止となる。たが、五十畑には柳沢という強力な奥の手があった。柳沢より細川家へ話を通してもらっていたのだ。柳沢が五十畑の真の意図を知ってか知らずか、定かではない。
五十畑が細川家江戸屋敷の一室に通されると、大石は既に待機していた。地味な淡い灰色の小袖を着けた大石は神妙に頭を下げた。
五十畑は討ち入り前に一度顔を合わせている。泥酔状態の内蔵助はその記憶は無いようである。内蔵助の印象は、あの時とは随分違って見える。長い間の懸案を片付けた解放感によるものか、落ち着きというより影の薄さや気弱さ控え目さが漂って見えた。
二人が視線を合わせると、大石が先に口を開いた。
「高名な五十畑殿にこうしてお会いできて、内蔵助これ以上の喜びはございません」
その声も弱々しく聞こえた。あれだけの大事をやり遂げた男の重厚さや豪胆さは全く感じられない。これが大石内蔵助という男の真の姿なのかもしれない。堅牢強固な敵の牙城を切り崩す突破力や執着心はない。だが、やるとなれば用意周到なる準備と段取りを経て着実に実現してゆく。平時は存在感の薄い昼行灯ながら、ここぞという場で、無類の統率力と指導力を発揮する。それが、47人の同志の意志を一つの目的に集約させあのような大事を完遂させたのだと思った。
「居心地は如何でございましょう?」
「細川殿には、これ以上なき厚遇を賜りまして、心身が弛緩しかかっております。何とも贅沢な悩みでござる」
細川家の厚遇振りについては、五十畑の耳にも入っていた。二汁五菜にお菓子に夜食、酒も付いた。風呂も暖房も完備である。罪人というよりは客人扱いと言える。
「本日は、大石どのと腹蔵なく本音で話したく厚かましく押し掛け申しました。したがって、この五十畑、目付としてではなく私人五十畑修次郎として参上仕りました。何分世間知らずの身、失礼の段は未熟者とでも無礼者とでも罵倒して頂ければ幸いにございます」
「何をおっしゃる、五十畑殿。拙者は罪人の身にござる。無礼者と罵倒されるのは当方でござる。遠慮せず何なりとお申し付けお願い申し上げる」
「ではお言葉に甘えまして。大石殿には、全てが忘れたきこととは存じますが、先ずは浅野殿の殿中での一件につきましてお尋ね申し上げます。大石殿には、浅野殿が禁断の行為に踏み出さざるを得なかった理由について、お心当たりはございましょうや?」
「そのことでござるが、拙者には皆目見当がつきもうさぬ。何分拙者は国元におりました関係で、事の経緯を見聞することが困難な状況でござりました」
「では言い方を変えまして、浅野家よりの謝礼の少なさに吉良殿が憤慨し、勅使饗応に当たり嫌がらせを繰り返したために、浅野殿の忍耐が限界を超えたという指摘につきましては、如何お考えになりますでしょう?」
「それはあり得ないかと。巷で噂されておりますように、吉良殿が我が殿の勅使饗応役の務めを邪魔したとして、吉良殿にいかなる利がございましょうや。吉良殿の嫌がらせによって勅使饗応に支障がでたとしたとします。そしてそのことが公儀の知るところとなりましたら、その責任を吉良殿が全て背負うことになりまするな。そんな危険をあの吉良殿が冒すとも思えませぬ。拙者は何かしら吉良殿に対する意趣が存在したことは間違いござらぬと考えまする。ただ拙者にとってはそれはどうでも良いことでござる」
「どうでもよい?それはどういう意味でござるか?」
「折角五十畑殿が腹蔵なく本音でと申されたので、腹蔵なく申しあげる。拙者は亡き殿の無念を晴らしたき思いも吉良殿に対する遺恨も全くござりませなんだ。であるからして、殿と吉良殿との間に如何なる意趣かござったか、拙者には興味はござらぬ」
「では、何の為の討ち入りでござった?」
「敵は吉良殿ではござらぬ。恐れながら、ご公儀にござる。狙いは一つ、ただ吉良殿が抜刀しておらず、浅野殿からかような仕打ちを受ける覚えはないとの吉良殿の言を盲信した結果、喧嘩両成敗の原則を外した不平等なる裁決を下したご公儀にたいする抗議でござる」
「その狙いは達せられたとお考えか?」
「それは間違いないかと。殿の殿中での刃傷事件での不平等裁決を正すかの如き、この度のご公儀の掌返しの対応を見れば明らかであります。漏れ聞いた話では、評定所では深夜に予告もなく押し入った赤穂浪士に対し温情ある意見が、一方の吉良家に対しては厳しい糾弾意見が噴出したやに聞いております。ご公儀内には、先の我が殿と吉良殿に対する不平等裁決の反省が芽吹いておることは間違いござらぬと、拙者思量しております。もし、ご公儀に先の裁決に対し、絶対的な自信がおありなら、その裁決に対して異を唱えるがごとき赤穂浪士の暴挙に対し、憤怒をもって断罪なさるはず」
内蔵助の話は、公儀の末席に座る五十畑に対しぶつけるものとしては余りにも過激な内容であるが、内蔵助は興奮した様子も見せず無表情に言い放った。この男の内部にあるのは怒りなのか?それともそれとは異質の戦略を抱いているのか?五十畑には全く見えなかった。
「討ち入り後、吉良殿の首級を上げ泉岳寺までは二里程ありますな。その間に上杉家の復讐の兵追撃については、想定しておったのでござるか?」
用意周到なる内蔵助がそこに対する備えを怠ったとも思えなかった。
「吉良邸からの引き上げ時点で、我々は既に目的は果たしたのでござる。たとえ上杉の大軍に包囲されたところで悔いはござらぬ。堂々と戦いまする。その結果としてあえなく全滅したとしても本望にござる」
「それでは重ねてお尋ねもうす。大石殿の本心はさておき、外向きにはあの討ち入りは亡き殿の仇討ちであるとの示威を含ませたものでござるな?」
「実態が仇討ちであるか否かは別にして、亡き殿の無念に衝き動かされ吉良殿の御首級を頂戴するための決起である、その旗印については間違いござらぬ」
「では、吉良邸討ち入りが仇討ちであるとの論拠を求められたら、どうお答えになりまするか?公儀は既に内匠頭殿の一方的な刃傷劇であって、吉良殿には一片の罪はござらぬとの裁決を下していたのでござる」
「いや、あれは公儀が評定所での討議を尽くした上での裁決ではござらぬ。恐れながら、上様激高の上での独断即日裁決でありもうす。たとえ上様と言えども、公儀の定法の最上位にあるべき裁定の規則を踏みにじっていいという道理はこざらぬ。上様こそ、幕府の規範を身を持って体現すべきお立場におられるわけですからな。
上様はあの時の性急過ぎる裁決に深い悔恨の念をお抱きになっておられるとの旨、拙者聞き及んでおります。その証拠が我々赤穂浪士に対する温情と吉良家に対する厳しき評定になって現れているのではなかろうか?」
たとえ相手が上様であろうと非は非と堂々といい放つ。五十畑は、この男の外見からは想像もつかない意志の強さと信念を見た気がした?
「では大石殿、大石殿の京での遊興についてでござるが、あの狙いは吉良方の目を欺くためのものでござるか?それとも」
内蔵助の表情が緩んだ。半笑いの顔を僅かに歪めたのだ。
「あれでござるか。五十畑殿に対して詰まらん言い訳は無駄でござろう。拙者恥ずかしながら生まれながらに遊惰な性分でございましてな。昼行灯のみならず夜は破れ行灯でござった。家老の要職にありながら政務にはとんと興味はござりませなんだ。できれば、早う引退して酒と色事に溺れて余生を楽しみたい、それが密かに抱いておりました夢でござった。あの遊興は吉良方の目を欺くための偽挙でも、同志の覚悟の程を見定めるための道化芝居でもございませぬ。拙者を過大評価なさる向きもあるようでござるが、酩酊の快さと遊女の柔肌に触れ、蕩けるような心地好さを心底から受け入れておったのでござる。正直申しまして、拙者は君臣の義とか忠義心とかいったものには興味はござらぬ。出世欲も名誉欲にも至って淡白な性分でござりました故、浅野大学様を擁してのお家再興に関しまして、ご公儀よりのご返答が依然ないことをこれ幸いと決起の先伸ばしを図っておったに過ぎませぬ。当然決起の意志などござりませなんだ。何とか、そのような煩わしきことから逃げたい、ただその一心でござりました故、お家再興については実現せねばなりませなんだ。お家再興願は多方向からご公儀への接触を試みもうした。ある老中へのお願いから、内匠頭奥方の阿久利様の実家浅野三次藩の縁を頼ったり徳川家との縁の深い寺院を頼ったりと、すがれるものは制限無しにすがりもうしたが、いずれも可能性は低いことは分かっておりもうした。それを承知で、同志に対しては期待を抱かせる為の二枚舌で欺いていたのでござる。
五十畑殿には考えも及ばんことと存ずるが、拙者はそんな卑俗な人間でござる。お笑いくだされ、軽蔑してくだされ」
大石のこの発言は真意なのか?謙虚さゆえか?それとも裏の真実を隠すためか?五十畑には測りかねた。
「では、その大石殿が討ち入りに転じたのは何故でござるか?」
「そんな拙者でござる。拙者が叶えたかったのは仇討ちではなくお家再興でござりました。もし、お家再興が叶っておりましたら、あの討ち入りはなかったでござろう。同志達は雪崩を打って再仕官に突き進むことになりもうそう。
ところが、同志の中にはそれを望んでおらん者もおります。仇討ちにこそ意味を求める江戸急進派でごさる。彼らにとってはお家再興などは迷惑でごさった。主君の仇討ちにこそ意味を求めていたわけじゃから。お家再興後に討ち入りとなれば、恐れ多くもご公儀のご配慮を袖にしたことになりもうす。顔を潰されたご公儀が許すわけがござらぬ。再度の取り潰しは避けられませぬ。よって彼らには公儀からお家再興の返答が来る前に討ち入りに打って出たいという事情がありもうした。しかも、高齢の吉良殿がいつ身まかるかもしれず、米沢へ逃走する恐れもありもうそう。彼らが討ち入りを強硬に主張したのには、そんな事情がありもうした。
お家再興の望みが絶たれたことは彼らにとっては朗報であったが、我らにとっては逆に凶報でござった。拙者はそれを口実に決起の先伸ばしを図っておったわけじゃが、その手も使えず追い込まれ逃げ場を失ったのでござる。その結果、周囲からの圧力に負けたのでござる。力を得た江戸急進派の更なる激しさを増す突き上げと、江戸から京にも流入してきた市民の仇討ち待望論と一向に仇討ちに向かい前進する気配のない浅野遺臣に向かっての腰抜け論。勝手極まりない市民の野次馬根性とも言えるが、身を隠すことなく遊蕩にふける拙者に対する暴言雑言には厳しいものがありもうした。厚顔無恥たる拙者もそのような仕打ちに抗うことができませなんだ。ただ、討ち入りとなればその大義が必要となりもうす。同志達には、ご公儀の不平等裁決に対する抗議であると後付けの大義で意志の統一を図りもうした」
「それだけでござるか?では、あの討ち入りは世論の誘導によるものであると言われるおつもりか?」
世論への迎合のために命を賭けたと?尚且、公儀の裁定に公然と異を唱えたと?」
「その通りでござる。それがあの討ち入りの全てでござる」
内蔵助の話は、最小限の筋は通っているようには聞こえる。遊蕩に明け暮れて主君の仇討ちなど眼中になかった内蔵助を討ち入りに向かわせたのは、赤穂の残党よ、武士の魂がまだ体内に宿っているのなら討ち入りを決行すべし、という大衆の圧力。お家再興叶わずという事態となった上に、この民意とも言うべき大衆の圧力が江戸急進派の度重なる催促と相俟って、内蔵助は引くに引けない状況に追い込まれた、ということか?
五十畑には見えていた。これが全てではない。内蔵助は全体像の二割程度しか話していない。真の理由は全く別であると。
「内蔵助、偽りを申すでない」
五十畑の怒声が内蔵助の鼻先にとんだ。穏やかな口調で質問を続けていた五十畑の突然の豹変に、内蔵助の上体が反り返った。
「そなたは公儀と通じておったのであろう。京都所司代の高官と密会しておることは分かっておる。京都所司代の背後に控える大物の影もそなたは感じていたのであろう。その密会を通して、そなたと公儀との間に密約が成立したのではないか?浅野家再興の望みが消滅したそなた達にとって、その密約は願ってもない甘い誘いであったはずじゃ。
更に申せば、君主浅野内匠頭と家臣との間には君臣の義などはない。あの討ち入りは忠義の為などではない。あるのは打算のみ。そなた達の狙いはあの討ち入りによって忠義の士であることを世間に訴え、仕官を勝ち取ること。そうではないか?公儀より、吉良の首を刈る見返りに提示されたのが、仕官の口だったのであろう。あの討ち入りは、忠義心に燃える家臣達による主君の仇討ちを隠れ蓑にした他家への売名及び売り込みであった。違うか?内蔵助。違うのなら、堂々と反論してみよ」
次々と突き付けられる追及に対し抗う意志を奪われた内蔵助は、遂に両掌を畳に押し付け、上体を折った。
「五十畑様、恐れ入りましてございます」
「認めるのか?」
「流石に天下に知れた目付五十畑修次郎様。恐るべきその眼力、全て五十畑様の仰せの通りにございます」
「何があったか聞こうではないか。正直に申せ」
「拙者、浅野家のお家再興などは端から期待しておりませなんだ。それを吉良邸討ち入りから逃れるための口実としていたのでござります。時間が経てば大衆の無責任なる仇討ち待望や不忠臣との罵倒や失望も、一部の同志の熱き迷惑極まりない家臣としての忠義心や責任のお仕着せも、いずれは沈静化するものと思うておりましたが、一向にその気配がござりませぬ。拙者の酒色狂いにも当初の新鮮さや刺激が薄れ始め、そろそろ潮時かと思い始めた頃の、公儀よりの甘き誘惑にございました。更に、その頃合いを見計らったようなお家再興却下の連絡。迷いはござりませなんだ。
京で酒色に溺れる拙者のところへ、幕府からの使者が参ったのは、討ち入りの半年程前にございました。当時は吉良邸討ち入りの意志などは露ほどもなく、遊蕩にふける堕落者でしかございませんでした。連日の遊蕩で遊び金も底を突く寸前でございました。
幕府の使者は半月に一度の頻度で訪れ、その都度遊興費を黙って置いて帰って行ったのでごさいます。拙者は、愚かにもその意図など考えることもせず、頂戴した金子を懐に遊蕩を重ねもうした。
3ヶ月程して、使者は交換条件を持ち掛けてきました。それは、五十畑様のご指摘通り、吉良邸討ち入りの見返りに仕官を世話するというものでございました。浅野家再興の見込みは既に消滅しておりましたし、遊興にも当初の刺激が薄れ出しておりましたので、拙者はその話に飛び付いたのでございます。こうして、江戸急進派と解体寸前の浅野家再興派とが合体し、討ち入りに向かって疾走することになりもうした。討ち入りに必要な情報、吉良上野介の在宅の有無や吉良邸の警護体制や間取り図等は公儀からいつでも入手可能でしたし、武器や装備品も同様でした。上杉家からの復讐の兵派遣の手当ても確約頂きもうした。五十畑様の仰せの通り、拙者どもには主君に対する忠義心も吉良殿に対する遺恨もござりません。ただ、仕官という餌に引き寄されるが如く、吉良邸討ち入りに向けて一丸となりもうした」
あくまでも京都所司代の背後に暗躍していたのが柳沢だとすればであるが、柳沢は考えたであろう。
江戸急進派は問題ない。目配せが必要とすれば、暴走を制御するための手綱さばきの方であろう。問題なのは大勢を占める大石派、即ちお家再興に期待を寄せていた者達の方である。彼らには新たなエサが必要となる。柳沢が撒いたエサに、彼らは小躍りして食らい付くに違いない。こうして、同志達は吉良邸討ち入りに向けて一致団結することになる。その柳沢の読みはわかる。だが、何故柳沢は上野介を抹殺しなけれはならない?
「吉良殿を守るべき公儀が、何故その吉良殿をそなたらに討たせんとするかについては何か申しておったか?」
「拙者も気になって何度か尋ねてみたものの返答は得られずじまいでございました」
「そなたはどう考える?」
「短慮なる拙者には見当もつきませぬ。我が殿に対する切腹裁決の不手際に対する世論の批判にご公儀はご公儀なりに頭を悩ませており、後れ馳せながらその修正を図ろうとした、そんなところかと勝手な解釈をしておりました」
確かに、その可能性は高いと五十畑も考えるが、その為だけにあのような大掛かりな工作をするとも思えなかった。
「五十畑様に一言申し上げます」
内蔵助が改まって頭を低くした。
「拙者がご公儀と通じていたことは、浪士達は全く預かり知らぬことにございます。同志達の真の狙いはあくまでもご公儀に対する片手落ちの裁決に対する抗議であること、そして世論の後押しによって仕官を実現すること、この二点のみを胸に秘め、吉良邸討ち入りに挑んだものにございます。どうかこのことは同志達には内密にお願い申し上げます」
「先程申したように、拙者本日は公人としてではなく私人五十畑修次郎として参った。そなたが公儀と通じていたことを公言するつもりはござらぬ。安心しなされ」
「ご配慮感謝申し上げます。拙者は死ぬることは怖うござりませぬ。ただ裏切り者の烙印を押されることは、かような蒙昧愚劣な人間であっても怖うございます。同志達は、拙者があの討ち入りをご公儀に対する反乱などと称しながら裏でそのご公儀と手を結んでいたなどと知ったなら、彼らは決して拙者を許さぬでしょう」
「それは公儀とて同じことじゃ。吉良殿を守る立場におる公儀が、そなたらをして吉良殿を討たせるがごとき工作をしたと分かれば、世論の攻撃は凄まじいものになるであろう。ただそなた達に対する裁決が、そなた達が意図した通りに進むかどうかは保証の限りではない。公儀が世論に迎合するにしても、公儀には公儀としての大義が必要となろう」
「それは十分承知しております。あの討ち入りに参集した同志の動機は様々であります。貧困に窮し将来が見えぬ浪人の自暴自棄であったり、仇討ち美に吸い寄せられ主君の遺恨を晴らすという響きにある種の憧憬を感じたりという者がいるやもしれませぬし、忠義に生きた家臣として英雄視されたいとする者や美しき最期を模索してきた者、事情は異なれど現状打破の為やむにやまれず討ち入りに打って出た者どももおることでしょう。今更生に執着するような者は一人としておりますまい。たとえ一時とはいえ、世間の称賛を頂戴したのであります。思い残すことはないはずであります。逆に、思惑通りに仕官かなったとしても、義士なる称号を背に務めを果たさねばなりませぬ。かような窮屈な生き方を望む者は一人としておりますまい」
「そなたに一つ確認したきことがある」
「何なりと。最早隠しだてするつもりはござりませぬ」
「そなた柳沢様に会うたことはおありか?」
「拙者のごとき下賤の身が側用人にお目通りなど恐れ多きことでございます、と申し上げたきところなれど、一度のみお目通りが叶いもうした」
「ほう、用件は?」
「ある人物をご紹介賜りました」
「して、その人物とは?」
「上杉家ご家老色部又四郎殿にございます」
「何じゃと!」
柳沢と色部は上杉家取り潰しを画策していると考えた五十畑にとってはあり得ない組み合わせであった。
「色部殿がそなたに会う目的は?」
「討ち入りのための資金援助の申し出でごさります」
更なる驚きであった。藩主上杉綱憲の父の首を狙いとした討ち入りに、何故上杉家の家老が資金援助を申し出る?
「そなたは、それを喜んで受け入れたというのか?上野介の首刈りのための軍資金を上杉家が提供することに違和感はなかったと申すか?」
「当然ながら違和感はございました。これには裏がある。よう思案した上で返答せねばと。そもそも、柳沢様の紹介という時点で違和感だらけでござりました。ただ資金のみならず、吉良邸の警護体制や上野介殿の行動予定、吉良邸の間取り等討ち入りに際して最重要なる情報も合わせて提供頂けるということで、それを受けぬという選択肢は拙者にはござりませんでした」
「では、そなたは柳沢様の真意も色部殿の狙いも知らぬままに討ち入りに向かったということか?」
「仰せの通りにござります。浅慮なる内蔵助をどうぞお叱りくだされ。ただ、あれほど見事に討ち入りを遣り果せたのは、色部殿から提供された軍資金と情報のお陰と申してよいものと思われまする」
「柳沢様と色部殿からの申し出については同志達にはどの程度話してある?」
「お二人の名前を出すわけにはまいりませぬ。無罪裁決とその後の仕官の話についても、拙者自身が疑いを捨てきれませんでした故、話すことはできもうさんでした。色部殿よりあった軍資金、武防具、吉良邸情報の提供の話のみ伝えもうした。仕官の話が漏れれば、殿切腹後城明け渡しの時点で藩を去った者までが討ち入り参加を申し出てくるに違いありませぬ。同志は多ければよいというものでもありもうさぬ。拙者にかようなことをもうす資格はございませぬが、他家への仕官に釣られて参集し討ち入りが成就したものの、仕官が空約束であったことを知った上に切腹を言い渡されたとしたら、その者達は如何様な反応を示すでありましょうや。切腹を言い渡された衝撃の中で密約内容を暴露するやもしれませぬ。無罪放免と仕官が決起の主目的であってはなりませぬ。死罪を前提の決起でなければならぬのです」
眼力に秀でた柳沢は、この内蔵助の冷静で周到なる性格を見抜いた上で、この誘いを持ちかけたのであろう。あの暴挙、見方を変えれば偉業とも言えるが、狡猾さと周到さが融合した結果成し遂げられたといっていいのかもしれない。
「改めて尋ねる。浅野殿の刃傷の原因について、如何ように推察するか?」
「五十畑様には如何なる隠し事も無用であることは、痛感いたしました。真実を申し上げます。我が殿内匠頭は、性格上の欠陥がござりました。短気で傲慢、それに残忍性が加わった極めて危険な性格でござりました。10代の頃は我々家老の諫言に耳を貸すだけの謙虚さがありもうしたが、拙者も含めた側近の教育が至らなかったということになるのでございましょう。強く諫言した家老のクビと胴体が一瞬のもとに切り離されました。それ以来、誰もが見て見ぬ振り、殿の悪しき性格は増長し手がつけられぬようになりもうした。
殿の狂気と凶刀の犠牲になった家臣や侍女は数知れず、殿の暴走は誰も止めようのない段階に達したのでござる。殿の凶行は奥方の阿久利様にも及び阿久利様の身体には生傷が絶えることはありませなんだ。ただ、その暴力性、残虐性が常に殿の心身に宿っておるかと申せば寧ろその時間は稀で、平時の殿は至って律儀で温和で心優しき性格にござりました。阿久利様も常時の優しさにぼだされてか、殿の暴虐にじっと耐えていたようにございます。そのご様子が見るに忍びませなんだ」
その同情心がただならぬ関係の呼び水になったということか?五十畑にはその類いの話には関心はないが、内蔵助に主君に対する忠義心が全く感じられない原因の一つがそこから発していることは、間違いなさそうであった。
「その暴力の元は、酒であるな?」
「左様でござります。大量に飲酒した後は、性格が豹変致します。酒乱にござります」
「何故公儀に訴え出んかったのじゃ?」
「滅相もごさいませぬ。徳川三代にて猛威を振るいました大名改易政策も沈静化したとはいえ、まだまだ気を抜けませぬ。これがご公儀に知れればここぞとばかりに、取り潰しに打って出られることは必定にござる。城内の者には強く口外禁止を命じもうした」
内蔵助の思いも分からぬでもない。藩主の暴君が理由で改易や配流となった例は多い。
家康の孫福井藩主松平忠直は正室の秀忠の娘勝姫に斬りつけ、勝姫を庇って身代わりとなった侍女二人を斬殺するという事件を起し、豊後に配流となった。家康の孫であっても暴君藩主は許されないのである。
豊臣政権の五奉行の一人であった前田玄以の三男前田茂勝は丹波八上藩主時代に、藩政を省みずに放蕩に耽った挙げ句、諫言した多くの家臣を切腹させたため改易を申し渡され、出雲国松江に身柄を預けられた。
藩主の酒乱が原因で改易となった例としては、綱吉政権において見られる。越後沢海藩主溝口政親が家臣の訴えで改易となっている。二代将軍秀忠時代には美濃国清水藩主稲葉通重が京での飲酒後の乱暴狼藉で改易となっている。
ただ。主君押込という方法で改易を免れた例もある。鎌倉時代から見られた慣行で、問題ある行跡の藩主を重臣による合議によって、強制的に監禁することをいう。改易を避ける為のやむを得ぬ処置である。藩主が監禁期間中に、重臣が藩主と面談し、藩主より改悛の情が感じられ再発の危険性なしと判断されれば、藩主はその旨を記した誓約書を交わせば藩主の地位に復帰できる。その情が認められないとなれば、強制的に隠居となり、改めて血縁の中から藩主が選抜される。
内匠頭の暴君振りが真実であれば弟浅野大学を後継に据えて出直しを図るという方法がないではなかった。
「押込は考えなかったのか?」
「押込は残念ながら考えられませぬ。平時の殿と酒乱の殿とは別人格であり、平時の状態の言動で酒乱状態の殿を推し量ることは困難でござる」
「刃傷も酒が原因であったか?」
「江戸家老の藤井又左衛門や安井彦右衛門に勅使饗応役にある間は殿に飲酒させぬよう命じておったのでこざるが、あの日の朝遂に我慢仕切れず内緒で酒に手を出してしまったようでござる。三日間の饗応役で精神的に追い込まれておったのでござろうが、元々殿は精神的重圧に対する耐性が弱うござる。国元や上屋敷であれば、側近や侍女に当たり散らすことにより重圧の解放もなったのでござろうが、あのような晴がましき儀式の中ではそれもままならず、つい酒に縋ったのでござろりましょう。精神的重圧によって蓄積されたイライラや癇癪、怒り、そういった感情が胸に渦巻き、そこに酒が注がれ抑制の箍が一気に。殿の様子から考えて暴力性が顔を出す程の飲酒ではなかろうとは存じまするが、酒によって自制心が緩んだ結果、日頃であれば聞き流せる程の軽口に過剰反応してしまったものと思われまする。殿の体内に潜む魔物が、寄りによって最悪の状況で顔を出してしまったということであろうかと。敢えて殿の刃傷の原因を取り上げるなら、酒の危険性を誰よりも知る殿の辛坊の無さと酒を殿から遠ざけることを怠った取り巻きの油断、といったところでござりましょう」
「浅野殿の切腹を知って、家臣達の反応はどうであった?」
「はっきり申せば、巷間伝えられておるような悲嘆や憐憫はござりませなんだ。逆に日頃から殿の暴力に脅えさせられておった側近達には、寧ろ朗報ともうしてもよろしかったでありましょう。一方で、お家断絶を知って、その原因を作った殿に対する怒りが沸き上がった者や、こうなる前にいかなる手段を講じてでも藩主差し替えを図っておくべきであったと考えた者もおったでありましょう。拙者も含めそれが正直な思いなのではないかと」
「そのような主君への忠義を欠いた家臣が集まってよくぞ討ち入りの気運を高められたな。お家再興や仕官という餌以外に、何が47名もの家臣達を一年以上もの間繋ぎ止めたのじゃ?」
「それは拙者も同感にござりまする。ただ、現実に目を向ければ300名にならんとする家臣の中で、最後まで残ったのは僅か47名にござります。拙者には徳川の天下を決定付けた大坂の陣にて大坂城に吸い寄せられた浪人どもの心理と共通する部分があるように思えます。彼らは町人、商人、農民に転じる選択肢はなく、武士道に生きるしかない生き物であった、ということになろうかと。言い方を変えれば武士としての矜持なのかもしれませぬ。同志達も同様にございましょう。如何に生活に困窮しようと、武士として生きるしかなかったのでござる。その生き方については各々でござります。拙者の如くお家再興に期待する者、江戸急進派の如く主君の仇討ちに賭ける者、彼らの場合、大半の者は仇討ちの意志が主君に対する忠義心から生まれたものではござりませぬ。江戸の世論に押されたか、あるいは仇討ちを通して武士としての新展開を期待したか。本音は脱盟したき思いは山々なれど、同志の討ち入りに賭ける熱き思いを憚り口に出せずずるずるとといった者もおるやもしれませぬ。それともある種の憧憬のような思いで仇討ちを夢想しておった可能性もあるかと。死場所を求めて吉良邸に攻め入った者もおったやもしれませぬ。仇討ち断念の臭いが漂い始めた頃、彼らの元へ仇討ち決行の知らせが届きます。彼らには迷いはありませぬ。いや、お家再興の道が閉ざされ、迷うなどという贅沢は許されないのでござる。自分の目の前にはそこに賭ける道しか用意されてないのでござる。その先にあるのが地獄か極楽かも分からぬままに」
幕府の大名改易政策により、世の中には浪人が溢れている。彼らの体内には、赤穂浪士の如くやり場のない怒りが充満しているのではないか?その怒りの暴発手段さえ得られれば、巨大な渦となって幕府に向けられるのではないか?
長い大石内蔵助よりの聴取であったが、そんな薄ら寒さを感じて終えることとなった。
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日が変わろうとしていたが、睡魔は一向に訪れる気配はない。布団から出て、冷や酒を喉に流し込むが、身体は酒を喜んではくれない。
内蔵助の話が頭に張り付いて離れない。柳沢が内蔵助に接触する意図ならどうにか自分を納得させられる理由は用意できる。だが、何故上杉家の家老である色部又四郎が、主君上杉綱憲の実父吉良上野介抹殺に加担しなければならぬのだ?それは、上杉家の総意なのか?それとも色部の独断なのか?色部が主君を差し置いて独断で動いたとすると、その狙いは?謀反か?上杉家は関ヶ原の戦い後に会津120万石から米沢藩30万石に減封され、その後藩主綱勝が子の無いまま急死したためお家断絶の危機に陥った。吉良上野介の子綱憲を養子として迎え入れることで、お家存続が可能となったのであるが、知行は15万石へ半減となった。上杉家には名門としての意地があるはずである。度重なる減封を通し藩を窮地に追い込んだ徳川幕府に対し、腹に一物持ってしかるべきである。それが何故幕府の実力者と手を結ぶ。高家肝煎という高貴なる家柄を一族に有することで、如何なる不利益がある?何故、上野介を排除しなければならぬ?
色部と上野介の個人的遺恨か?色部が上野介に対して個人的な遺恨を有するとしたら?主君との親子関係を傘に着て上杉家の内情に迷惑千万なる干渉をしたか?それが色部の領分にまで踏み入ってきた?色部の領分?藩の財政?もしや・・・そうか、そういうことか。上杉家は度重なる減封にあたっても、5000名にならんとする家臣をそのまま抱え藩政を継続しており、財政は瀕死の状態にある。そこに、上杉家の事情など顧みる気のない吉良上野介という名の財政負担が上乗せとなる。いかに名門上杉家といえども藩主綱憲の実父上野介の、たとえ常識はずれの金銭要求であっても拒否できる者は、家内には存在しないであろう。上野介が高家肝煎が故に藩の財政を更に圧迫したのではないか?色部は内匠頭刃傷事件の二年前の元禄12年、江戸家老に就任した。度重なる減封によって困窮する米沢藩財政の健全化に腐心する。米沢藩財政逼迫の主原因は藩主上杉綱憲の父吉良上野介であったのだ。上野介は高家肝煎や将軍名代という格式の高さから来る自尊と矜持、妻富子は上杉藩主綱勝の妹という家柄の良さから贅沢な生活が身に染み付いていた。富子の気位の高さは、呉服橋から辺鄙な本庄への移転を拒否し上杉家下屋敷へ移ったことにも現れている。上野介は吉良家の普請や買掛金の支払いをすべて上杉家に肩代わりさせていたとされる。その上、毎年6000両もの援助を申し入れていたとされる。また、元禄11年の呉服橋邸の建築費として2万5500両を上杉家に負担させている。知行4200石の旗本としては破格である。その上に高家としての儀式での装束等の出費が被さってくる。上野介には、上杉家のお家断絶の窮地を我が子を差し出すことによって救ってやったのだという強みがあるし、上杉家は逆にそれが引け目となり上野介の無理難題を拒否し難いという事情か重なる。それどころか、それを強みに傲岸不遜さが際立ってくる。上野介は家督を義周に譲り隠居したとはいえ、高家としての出費は続く、召し抱えている家臣の数を減らすわけにはいかず、討ち入りに備えた警護の費用もばかにはならない。上杉家からの警護関連の費用は当然ながら上杉家負担である。何よりも一度身に付いた贅沢な生活が急に改まるとも思えない。上野介には困った時には上杉家の財布という思いが染み付いている。色部は考えたに違いない。米沢藩の財政健全化の一番の近道は吉良上野介抹殺であると。その為に、赤穂浪士を利用せんと。柳沢と色部は、その理由は異なるものの、上野介抹殺という共通の目的を果たす為に接近したのだ。上杉家と吉良家とは上野介と富子の婚姻に際しても軋轢があったらしいと聞く。上杉家は当時30万石、吉良家は僅か4200石である。当主綱勝の妹であった三姫が美男であった上野介に一目惚れしたとされている。三姫は婚期を逸した19才で上野介も19才の俊英である。ただ上杉家では家の格の違いから反対の声が多かった。多額の化粧料も必要となる。家としては何一つ得のない不利益ばかりが目立つ縁組みであった。たが、それらの反対の声を押し切ったのは、三姫の上野介に対する熱き恋心であった。上杉家内には、両家の婚姻話の時点から既に蟠りの火種は燻っていたのである。たが現当主は上野介の実子である。色部達重臣の長きに渡って醸成された吉良家に対する本音を表立って口にはできない。それが、今ここに噴出したのではないか?世論の反発を浴びた上に幕府の庇護を失い裸同然となった上野介に牙をむいた?吉良憎しの思いが、同床異夢の柳沢のそれと合体した?
その二人の間に取引が成立したのではないか?色部は内蔵助を通して赤穂浪士に財政上の支援と同時に吉良邸情報提供を行い、吉良邸討ち入りを後押しする。柳沢は、邸宅移転に伴い妻富子との別離と浅野遺臣による討ち入りの不安という二つの憂慮を抱える上野介に対し、上杉家国元である米沢行きを認めず江戸吉良屋敷に釘付けにする。討ち入り後の吉良家に難癖を付けてのお家断絶を確約する。上杉家に対しては罪に問わないことも合わせて。
策士柳沢には、更なるねらいがあった。徳川幕府成立から続く大名改易政策から、倹約令、生類憐れみの令ときて浅野内匠頭に対する裁決、それらの幕府政策に対する批判や不満を、赤穂浪士に対する期待や喝采に振り向けることによって幕府を救い上げんとしたのだ。柳沢の上野介抹殺に向けた策略は全てに絶妙であった。吉良家を江戸城下から辺鄙な本所へ移転、上野介に対する悪評の流布、浅野家のお家再興の却下、内蔵助に対する甘言、全てが絶好の時期と間合いにて放たれたのだ。柳沢ならではの政治判断であった。内蔵助は柳沢から与えられたエサを同志へ流す。同志達から消えかけていた内蔵助に対する敬意と信頼は、見事に復活する。柳沢の計算しつくされた奸計は、内蔵助という道化師によって命が吹き込まれ、完璧な形で成就する。しかし・・・
五十畑は内蔵助から漂う生温い空気を感じる。
あの男は、強かな柳沢の心中をどこまで感じ取っていたのか?もしかして、操られる振りをして、あの策士を逆に操っていたのでは?
柳沢の真意を読み取り、討ち入りによって上野介抹殺を成功させる見返りに、その後の無罪放免と他藩への高条件での仕官を確約させた?だが、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの背後で柳沢ばかりでなく色部又四郎まで蠢いていたということになると、討ち入り事件の裁決の行方に怪しげな靄がかかり、視界がぼやけ出してきた。柳沢と色部の事件関係者との間の利害が一致しないからである。上野介に関して言えば、両者とも消えて欲しいと願っているはずである。ただ吉良家については微妙なズレか生じてくる。色部は上野介の跡継ぎ憲周が高家として上野介の役割を引き継ぐとなれば、上杉家の出費は避けられない。家ごと消滅して欲しいはずである。柳沢はどうか?柳沢は上野介さえ消えてくれれば、満足するのではないか?いずれにしても、大きな利害のズレにはなり得ない。ただ、上杉家については決定的な対立構造となる。柳沢の狙いは上杉家の取り潰しである。これは譲れないであろう。お家取り潰しの理由は、藩主の父親を当主とする吉良家を襲った徒党を組んでの狼藉者に対し救援部隊を送らなかった。もしくは深夜の狼藉者に対し、当主を体を張って護ることも抗戦することも無しに無抵抗、雲隠れ、逃亡といった武士にあるまじき家臣の姿勢は、侍としての矜持に背くものである。これは世論の後押しもあり、おおきな障害はないはずである。
色部は逆にそれだけは阻止したいはずだ。家老という要職も高禄も同時に失うことになるのだ。二人は手を組むに当たって、この点をどういう収拾策でまとめたのであろうか?
赤穂浪士の罪状についてはどうか?柳沢は大石に対し、赤穂浪士の無罪を確約したはずである。無罪というからには、赤穂浪士の上野介討ちは仇討ちであることを認定することになる。すると、浅野切腹、上野介無罪という浅野刃傷事件の裁決の間違いを認めることになる。柳沢はここにどういった理屈付けをするつもりなのか?赤穂浪士有罪となれば、世論の猛反発を浴びて、先の裁決の二の舞となりかねない。綱吉が許すとも思えない。しかも、大石との密約を反故にすることにもなる。柳沢にとっては、どちらがよりましか、の判断となる。
色部についてはどうか?赤穂浪士有罪とするのは、上野介討ちが仇討ちではなく徒党を組んでの狼藉であると決した場合である。すると、狼藉者が藩主の父親を殺害するのを傍観したことになり、上杉家への罪の波及は避けられまい。では、赤穂浪士無罪ならいいのか?赤穂浪士の上野介討ちを仇討ちであると幕府が認めたわけである。正当な仇討ちを傍観したわけであるから、世論の批判はあっても上杉家への罪の波及は免れる。
柳沢はどう出る?このまま大衆迎合を持続して無罪とするか?それとも、赤穂義士の実態を流布し、喝采を嫌悪に変えて切腹にまで押しきるか?
五十畑の思考は堂々巡りを続けた。
吉良邸討ち入りに参加した47名の内足軽の寺坂吉右衛門を除く46名の赤穂浪士は、大名四家の江戸屋敷へお預けとなった。
大石内蔵助を始めとする17名は、熊本藩細川家が割り当てられた。
それ以外の者は伊予松山藩松平家10名、長府藩毛利家10名、岡崎藩水野家へ9名となっていた。
五十畑は細川家を訪ね内蔵助に面会を申し入れた。お預けは武家法における未決勾留であり、一切の面会は禁止となる。たが、五十畑には柳沢という強力な奥の手があった。柳沢より細川家へ話を通してもらっていたのだ。柳沢が五十畑の真の意図を知ってか知らずか、定かではない。
五十畑が細川家江戸屋敷の一室に通されると、大石は既に待機していた。地味な淡い灰色の小袖を着けた大石は神妙に頭を下げた。
五十畑は討ち入り前に一度顔を合わせている。泥酔状態の内蔵助はその記憶は無いようである。内蔵助の印象は、あの時とは随分違って見える。長い間の懸案を片付けた解放感によるものか、落ち着きというより影の薄さや気弱さ控え目さが漂って見えた。
二人が視線を合わせると、大石が先に口を開いた。
「高名な五十畑殿にこうしてお会いできて、内蔵助これ以上の喜びはございません」
その声も弱々しく聞こえた。あれだけの大事をやり遂げた男の重厚さや豪胆さは全く感じられない。これが大石内蔵助という男の真の姿なのかもしれない。堅牢強固な敵の牙城を切り崩す突破力や執着心はない。だが、やるとなれば用意周到なる準備と段取りを経て着実に実現してゆく。平時は存在感の薄い昼行灯ながら、ここぞという場で、無類の統率力と指導力を発揮する。それが、47人の同志の意志を一つの目的に集約させあのような大事を完遂させたのだと思った。
「居心地は如何でございましょう?」
「細川殿には、これ以上なき厚遇を賜りまして、心身が弛緩しかかっております。何とも贅沢な悩みでござる」
細川家の厚遇振りについては、五十畑の耳にも入っていた。二汁五菜にお菓子に夜食、酒も付いた。風呂も暖房も完備である。罪人というよりは客人扱いと言える。
「本日は、大石どのと腹蔵なく本音で話したく厚かましく押し掛け申しました。したがって、この五十畑、目付としてではなく私人五十畑修次郎として参上仕りました。何分世間知らずの身、失礼の段は未熟者とでも無礼者とでも罵倒して頂ければ幸いにございます」
「何をおっしゃる、五十畑殿。拙者は罪人の身にござる。無礼者と罵倒されるのは当方でござる。遠慮せず何なりとお申し付けお願い申し上げる」
「ではお言葉に甘えまして。大石殿には、全てが忘れたきこととは存じますが、先ずは浅野殿の殿中での一件につきましてお尋ね申し上げます。大石殿には、浅野殿が禁断の行為に踏み出さざるを得なかった理由について、お心当たりはございましょうや?」
「そのことでござるが、拙者には皆目見当がつきもうさぬ。何分拙者は国元におりました関係で、事の経緯を見聞することが困難な状況でござりました」
「では言い方を変えまして、浅野家よりの謝礼の少なさに吉良殿が憤慨し、勅使饗応に当たり嫌がらせを繰り返したために、浅野殿の忍耐が限界を超えたという指摘につきましては、如何お考えになりますでしょう?」
「それはあり得ないかと。巷で噂されておりますように、吉良殿が我が殿の勅使饗応役の務めを邪魔したとして、吉良殿にいかなる利がございましょうや。吉良殿の嫌がらせによって勅使饗応に支障がでたとしたとします。そしてそのことが公儀の知るところとなりましたら、その責任を吉良殿が全て背負うことになりまするな。そんな危険をあの吉良殿が冒すとも思えませぬ。拙者は何かしら吉良殿に対する意趣が存在したことは間違いござらぬと考えまする。ただ拙者にとってはそれはどうでも良いことでござる」
「どうでもよい?それはどういう意味でござるか?」
「折角五十畑殿が腹蔵なく本音でと申されたので、腹蔵なく申しあげる。拙者は亡き殿の無念を晴らしたき思いも吉良殿に対する遺恨も全くござりませなんだ。であるからして、殿と吉良殿との間に如何なる意趣かござったか、拙者には興味はござらぬ」
「では、何の為の討ち入りでござった?」
「敵は吉良殿ではござらぬ。恐れながら、ご公儀にござる。狙いは一つ、ただ吉良殿が抜刀しておらず、浅野殿からかような仕打ちを受ける覚えはないとの吉良殿の言を盲信した結果、喧嘩両成敗の原則を外した不平等なる裁決を下したご公儀にたいする抗議でござる」
「その狙いは達せられたとお考えか?」
「それは間違いないかと。殿の殿中での刃傷事件での不平等裁決を正すかの如き、この度のご公儀の掌返しの対応を見れば明らかであります。漏れ聞いた話では、評定所では深夜に予告もなく押し入った赤穂浪士に対し温情ある意見が、一方の吉良家に対しては厳しい糾弾意見が噴出したやに聞いております。ご公儀内には、先の我が殿と吉良殿に対する不平等裁決の反省が芽吹いておることは間違いござらぬと、拙者思量しております。もし、ご公儀に先の裁決に対し、絶対的な自信がおありなら、その裁決に対して異を唱えるがごとき赤穂浪士の暴挙に対し、憤怒をもって断罪なさるはず」
内蔵助の話は、公儀の末席に座る五十畑に対しぶつけるものとしては余りにも過激な内容であるが、内蔵助は興奮した様子も見せず無表情に言い放った。この男の内部にあるのは怒りなのか?それともそれとは異質の戦略を抱いているのか?五十畑には全く見えなかった。
「討ち入り後、吉良殿の首級を上げ泉岳寺までは二里程ありますな。その間に上杉家の復讐の兵追撃については、想定しておったのでござるか?」
用意周到なる内蔵助がそこに対する備えを怠ったとも思えなかった。
「吉良邸からの引き上げ時点で、我々は既に目的は果たしたのでござる。たとえ上杉の大軍に包囲されたところで悔いはござらぬ。堂々と戦いまする。その結果としてあえなく全滅したとしても本望にござる」
「それでは重ねてお尋ねもうす。大石殿の本心はさておき、外向きにはあの討ち入りは亡き殿の仇討ちであるとの示威を含ませたものでござるな?」
「実態が仇討ちであるか否かは別にして、亡き殿の無念に衝き動かされ吉良殿の御首級を頂戴するための決起である、その旗印については間違いござらぬ」
「では、吉良邸討ち入りが仇討ちであるとの論拠を求められたら、どうお答えになりまするか?公儀は既に内匠頭殿の一方的な刃傷劇であって、吉良殿には一片の罪はござらぬとの裁決を下していたのでござる」
「いや、あれは公儀が評定所での討議を尽くした上での裁決ではござらぬ。恐れながら、上様激高の上での独断即日裁決でありもうす。たとえ上様と言えども、公儀の定法の最上位にあるべき裁定の規則を踏みにじっていいという道理はこざらぬ。上様こそ、幕府の規範を身を持って体現すべきお立場におられるわけですからな。
上様はあの時の性急過ぎる裁決に深い悔恨の念をお抱きになっておられるとの旨、拙者聞き及んでおります。その証拠が我々赤穂浪士に対する温情と吉良家に対する厳しき評定になって現れているのではなかろうか?」
たとえ相手が上様であろうと非は非と堂々といい放つ。五十畑は、この男の外見からは想像もつかない意志の強さと信念を見た気がした?
「では大石殿、大石殿の京での遊興についてでござるが、あの狙いは吉良方の目を欺くためのものでござるか?それとも」
内蔵助の表情が緩んだ。半笑いの顔を僅かに歪めたのだ。
「あれでござるか。五十畑殿に対して詰まらん言い訳は無駄でござろう。拙者恥ずかしながら生まれながらに遊惰な性分でございましてな。昼行灯のみならず夜は破れ行灯でござった。家老の要職にありながら政務にはとんと興味はござりませなんだ。できれば、早う引退して酒と色事に溺れて余生を楽しみたい、それが密かに抱いておりました夢でござった。あの遊興は吉良方の目を欺くための偽挙でも、同志の覚悟の程を見定めるための道化芝居でもございませぬ。拙者を過大評価なさる向きもあるようでござるが、酩酊の快さと遊女の柔肌に触れ、蕩けるような心地好さを心底から受け入れておったのでござる。正直申しまして、拙者は君臣の義とか忠義心とかいったものには興味はござらぬ。出世欲も名誉欲にも至って淡白な性分でござりました故、浅野大学様を擁してのお家再興に関しまして、ご公儀よりのご返答が依然ないことをこれ幸いと決起の先伸ばしを図っておったに過ぎませぬ。当然決起の意志などござりませなんだ。何とか、そのような煩わしきことから逃げたい、ただその一心でござりました故、お家再興については実現せねばなりませなんだ。お家再興願は多方向からご公儀への接触を試みもうした。ある老中へのお願いから、内匠頭奥方の阿久利様の実家浅野三次藩の縁を頼ったり徳川家との縁の深い寺院を頼ったりと、すがれるものは制限無しにすがりもうしたが、いずれも可能性は低いことは分かっておりもうした。それを承知で、同志に対しては期待を抱かせる為の二枚舌で欺いていたのでござる。
五十畑殿には考えも及ばんことと存ずるが、拙者はそんな卑俗な人間でござる。お笑いくだされ、軽蔑してくだされ」
大石のこの発言は真意なのか?謙虚さゆえか?それとも裏の真実を隠すためか?五十畑には測りかねた。
「では、その大石殿が討ち入りに転じたのは何故でござるか?」
「そんな拙者でござる。拙者が叶えたかったのは仇討ちではなくお家再興でござりました。もし、お家再興が叶っておりましたら、あの討ち入りはなかったでござろう。同志達は雪崩を打って再仕官に突き進むことになりもうそう。
ところが、同志の中にはそれを望んでおらん者もおります。仇討ちにこそ意味を求める江戸急進派でごさる。彼らにとってはお家再興などは迷惑でごさった。主君の仇討ちにこそ意味を求めていたわけじゃから。お家再興後に討ち入りとなれば、恐れ多くもご公儀のご配慮を袖にしたことになりもうす。顔を潰されたご公儀が許すわけがござらぬ。再度の取り潰しは避けられませぬ。よって彼らには公儀からお家再興の返答が来る前に討ち入りに打って出たいという事情がありもうした。しかも、高齢の吉良殿がいつ身まかるかもしれず、米沢へ逃走する恐れもありもうそう。彼らが討ち入りを強硬に主張したのには、そんな事情がありもうした。
お家再興の望みが絶たれたことは彼らにとっては朗報であったが、我らにとっては逆に凶報でござった。拙者はそれを口実に決起の先伸ばしを図っておったわけじゃが、その手も使えず追い込まれ逃げ場を失ったのでござる。その結果、周囲からの圧力に負けたのでござる。力を得た江戸急進派の更なる激しさを増す突き上げと、江戸から京にも流入してきた市民の仇討ち待望論と一向に仇討ちに向かい前進する気配のない浅野遺臣に向かっての腰抜け論。勝手極まりない市民の野次馬根性とも言えるが、身を隠すことなく遊蕩にふける拙者に対する暴言雑言には厳しいものがありもうした。厚顔無恥たる拙者もそのような仕打ちに抗うことができませなんだ。ただ、討ち入りとなればその大義が必要となりもうす。同志達には、ご公儀の不平等裁決に対する抗議であると後付けの大義で意志の統一を図りもうした」
「それだけでござるか?では、あの討ち入りは世論の誘導によるものであると言われるおつもりか?」
世論への迎合のために命を賭けたと?尚且、公儀の裁定に公然と異を唱えたと?」
「その通りでござる。それがあの討ち入りの全てでござる」
内蔵助の話は、最小限の筋は通っているようには聞こえる。遊蕩に明け暮れて主君の仇討ちなど眼中になかった内蔵助を討ち入りに向かわせたのは、赤穂の残党よ、武士の魂がまだ体内に宿っているのなら討ち入りを決行すべし、という大衆の圧力。お家再興叶わずという事態となった上に、この民意とも言うべき大衆の圧力が江戸急進派の度重なる催促と相俟って、内蔵助は引くに引けない状況に追い込まれた、ということか?
五十畑には見えていた。これが全てではない。内蔵助は全体像の二割程度しか話していない。真の理由は全く別であると。
「内蔵助、偽りを申すでない」
五十畑の怒声が内蔵助の鼻先にとんだ。穏やかな口調で質問を続けていた五十畑の突然の豹変に、内蔵助の上体が反り返った。
「そなたは公儀と通じておったのであろう。京都所司代の高官と密会しておることは分かっておる。京都所司代の背後に控える大物の影もそなたは感じていたのであろう。その密会を通して、そなたと公儀との間に密約が成立したのではないか?浅野家再興の望みが消滅したそなた達にとって、その密約は願ってもない甘い誘いであったはずじゃ。
更に申せば、君主浅野内匠頭と家臣との間には君臣の義などはない。あの討ち入りは忠義の為などではない。あるのは打算のみ。そなた達の狙いはあの討ち入りによって忠義の士であることを世間に訴え、仕官を勝ち取ること。そうではないか?公儀より、吉良の首を刈る見返りに提示されたのが、仕官の口だったのであろう。あの討ち入りは、忠義心に燃える家臣達による主君の仇討ちを隠れ蓑にした他家への売名及び売り込みであった。違うか?内蔵助。違うのなら、堂々と反論してみよ」
次々と突き付けられる追及に対し抗う意志を奪われた内蔵助は、遂に両掌を畳に押し付け、上体を折った。
「五十畑様、恐れ入りましてございます」
「認めるのか?」
「流石に天下に知れた目付五十畑修次郎様。恐るべきその眼力、全て五十畑様の仰せの通りにございます」
「何があったか聞こうではないか。正直に申せ」
「拙者、浅野家のお家再興などは端から期待しておりませなんだ。それを吉良邸討ち入りから逃れるための口実としていたのでござります。時間が経てば大衆の無責任なる仇討ち待望や不忠臣との罵倒や失望も、一部の同志の熱き迷惑極まりない家臣としての忠義心や責任のお仕着せも、いずれは沈静化するものと思うておりましたが、一向にその気配がござりませぬ。拙者の酒色狂いにも当初の新鮮さや刺激が薄れ始め、そろそろ潮時かと思い始めた頃の、公儀よりの甘き誘惑にございました。更に、その頃合いを見計らったようなお家再興却下の連絡。迷いはござりませなんだ。
京で酒色に溺れる拙者のところへ、幕府からの使者が参ったのは、討ち入りの半年程前にございました。当時は吉良邸討ち入りの意志などは露ほどもなく、遊蕩にふける堕落者でしかございませんでした。連日の遊蕩で遊び金も底を突く寸前でございました。
幕府の使者は半月に一度の頻度で訪れ、その都度遊興費を黙って置いて帰って行ったのでごさいます。拙者は、愚かにもその意図など考えることもせず、頂戴した金子を懐に遊蕩を重ねもうした。
3ヶ月程して、使者は交換条件を持ち掛けてきました。それは、五十畑様のご指摘通り、吉良邸討ち入りの見返りに仕官を世話するというものでございました。浅野家再興の見込みは既に消滅しておりましたし、遊興にも当初の刺激が薄れ出しておりましたので、拙者はその話に飛び付いたのでございます。こうして、江戸急進派と解体寸前の浅野家再興派とが合体し、討ち入りに向かって疾走することになりもうした。討ち入りに必要な情報、吉良上野介の在宅の有無や吉良邸の警護体制や間取り図等は公儀からいつでも入手可能でしたし、武器や装備品も同様でした。上杉家からの復讐の兵派遣の手当ても確約頂きもうした。五十畑様の仰せの通り、拙者どもには主君に対する忠義心も吉良殿に対する遺恨もござりません。ただ、仕官という餌に引き寄されるが如く、吉良邸討ち入りに向けて一丸となりもうした」
あくまでも京都所司代の背後に暗躍していたのが柳沢だとすればであるが、柳沢は考えたであろう。
江戸急進派は問題ない。目配せが必要とすれば、暴走を制御するための手綱さばきの方であろう。問題なのは大勢を占める大石派、即ちお家再興に期待を寄せていた者達の方である。彼らには新たなエサが必要となる。柳沢が撒いたエサに、彼らは小躍りして食らい付くに違いない。こうして、同志達は吉良邸討ち入りに向けて一致団結することになる。その柳沢の読みはわかる。だが、何故柳沢は上野介を抹殺しなけれはならない?
「吉良殿を守るべき公儀が、何故その吉良殿をそなたらに討たせんとするかについては何か申しておったか?」
「拙者も気になって何度か尋ねてみたものの返答は得られずじまいでございました」
「そなたはどう考える?」
「短慮なる拙者には見当もつきませぬ。我が殿に対する切腹裁決の不手際に対する世論の批判にご公儀はご公儀なりに頭を悩ませており、後れ馳せながらその修正を図ろうとした、そんなところかと勝手な解釈をしておりました」
確かに、その可能性は高いと五十畑も考えるが、その為だけにあのような大掛かりな工作をするとも思えなかった。
「五十畑様に一言申し上げます」
内蔵助が改まって頭を低くした。
「拙者がご公儀と通じていたことは、浪士達は全く預かり知らぬことにございます。同志達の真の狙いはあくまでもご公儀に対する片手落ちの裁決に対する抗議であること、そして世論の後押しによって仕官を実現すること、この二点のみを胸に秘め、吉良邸討ち入りに挑んだものにございます。どうかこのことは同志達には内密にお願い申し上げます」
「先程申したように、拙者本日は公人としてではなく私人五十畑修次郎として参った。そなたが公儀と通じていたことを公言するつもりはござらぬ。安心しなされ」
「ご配慮感謝申し上げます。拙者は死ぬることは怖うござりませぬ。ただ裏切り者の烙印を押されることは、かような蒙昧愚劣な人間であっても怖うございます。同志達は、拙者があの討ち入りをご公儀に対する反乱などと称しながら裏でそのご公儀と手を結んでいたなどと知ったなら、彼らは決して拙者を許さぬでしょう」
「それは公儀とて同じことじゃ。吉良殿を守る立場におる公儀が、そなたらをして吉良殿を討たせるがごとき工作をしたと分かれば、世論の攻撃は凄まじいものになるであろう。ただそなた達に対する裁決が、そなた達が意図した通りに進むかどうかは保証の限りではない。公儀が世論に迎合するにしても、公儀には公儀としての大義が必要となろう」
「それは十分承知しております。あの討ち入りに参集した同志の動機は様々であります。貧困に窮し将来が見えぬ浪人の自暴自棄であったり、仇討ち美に吸い寄せられ主君の遺恨を晴らすという響きにある種の憧憬を感じたりという者がいるやもしれませぬし、忠義に生きた家臣として英雄視されたいとする者や美しき最期を模索してきた者、事情は異なれど現状打破の為やむにやまれず討ち入りに打って出た者どももおることでしょう。今更生に執着するような者は一人としておりますまい。たとえ一時とはいえ、世間の称賛を頂戴したのであります。思い残すことはないはずであります。逆に、思惑通りに仕官かなったとしても、義士なる称号を背に務めを果たさねばなりませぬ。かような窮屈な生き方を望む者は一人としておりますまい」
「そなたに一つ確認したきことがある」
「何なりと。最早隠しだてするつもりはござりませぬ」
「そなた柳沢様に会うたことはおありか?」
「拙者のごとき下賤の身が側用人にお目通りなど恐れ多きことでございます、と申し上げたきところなれど、一度のみお目通りが叶いもうした」
「ほう、用件は?」
「ある人物をご紹介賜りました」
「して、その人物とは?」
「上杉家ご家老色部又四郎殿にございます」
「何じゃと!」
柳沢と色部は上杉家取り潰しを画策していると考えた五十畑にとってはあり得ない組み合わせであった。
「色部殿がそなたに会う目的は?」
「討ち入りのための資金援助の申し出でごさります」
更なる驚きであった。藩主上杉綱憲の父の首を狙いとした討ち入りに、何故上杉家の家老が資金援助を申し出る?
「そなたは、それを喜んで受け入れたというのか?上野介の首刈りのための軍資金を上杉家が提供することに違和感はなかったと申すか?」
「当然ながら違和感はございました。これには裏がある。よう思案した上で返答せねばと。そもそも、柳沢様の紹介という時点で違和感だらけでござりました。ただ資金のみならず、吉良邸の警護体制や上野介殿の行動予定、吉良邸の間取り等討ち入りに際して最重要なる情報も合わせて提供頂けるということで、それを受けぬという選択肢は拙者にはござりませんでした」
「では、そなたは柳沢様の真意も色部殿の狙いも知らぬままに討ち入りに向かったということか?」
「仰せの通りにござります。浅慮なる内蔵助をどうぞお叱りくだされ。ただ、あれほど見事に討ち入りを遣り果せたのは、色部殿から提供された軍資金と情報のお陰と申してよいものと思われまする」
「柳沢様と色部殿からの申し出については同志達にはどの程度話してある?」
「お二人の名前を出すわけにはまいりませぬ。無罪裁決とその後の仕官の話についても、拙者自身が疑いを捨てきれませんでした故、話すことはできもうさんでした。色部殿よりあった軍資金、武防具、吉良邸情報の提供の話のみ伝えもうした。仕官の話が漏れれば、殿切腹後城明け渡しの時点で藩を去った者までが討ち入り参加を申し出てくるに違いありませぬ。同志は多ければよいというものでもありもうさぬ。拙者にかようなことをもうす資格はございませぬが、他家への仕官に釣られて参集し討ち入りが成就したものの、仕官が空約束であったことを知った上に切腹を言い渡されたとしたら、その者達は如何様な反応を示すでありましょうや。切腹を言い渡された衝撃の中で密約内容を暴露するやもしれませぬ。無罪放免と仕官が決起の主目的であってはなりませぬ。死罪を前提の決起でなければならぬのです」
眼力に秀でた柳沢は、この内蔵助の冷静で周到なる性格を見抜いた上で、この誘いを持ちかけたのであろう。あの暴挙、見方を変えれば偉業とも言えるが、狡猾さと周到さが融合した結果成し遂げられたといっていいのかもしれない。
「改めて尋ねる。浅野殿の刃傷の原因について、如何ように推察するか?」
「五十畑様には如何なる隠し事も無用であることは、痛感いたしました。真実を申し上げます。我が殿内匠頭は、性格上の欠陥がござりました。短気で傲慢、それに残忍性が加わった極めて危険な性格でござりました。10代の頃は我々家老の諫言に耳を貸すだけの謙虚さがありもうしたが、拙者も含めた側近の教育が至らなかったということになるのでございましょう。強く諫言した家老のクビと胴体が一瞬のもとに切り離されました。それ以来、誰もが見て見ぬ振り、殿の悪しき性格は増長し手がつけられぬようになりもうした。
殿の狂気と凶刀の犠牲になった家臣や侍女は数知れず、殿の暴走は誰も止めようのない段階に達したのでござる。殿の凶行は奥方の阿久利様にも及び阿久利様の身体には生傷が絶えることはありませなんだ。ただ、その暴力性、残虐性が常に殿の心身に宿っておるかと申せば寧ろその時間は稀で、平時の殿は至って律儀で温和で心優しき性格にござりました。阿久利様も常時の優しさにぼだされてか、殿の暴虐にじっと耐えていたようにございます。そのご様子が見るに忍びませなんだ」
その同情心がただならぬ関係の呼び水になったということか?五十畑にはその類いの話には関心はないが、内蔵助に主君に対する忠義心が全く感じられない原因の一つがそこから発していることは、間違いなさそうであった。
「その暴力の元は、酒であるな?」
「左様でござります。大量に飲酒した後は、性格が豹変致します。酒乱にござります」
「何故公儀に訴え出んかったのじゃ?」
「滅相もごさいませぬ。徳川三代にて猛威を振るいました大名改易政策も沈静化したとはいえ、まだまだ気を抜けませぬ。これがご公儀に知れればここぞとばかりに、取り潰しに打って出られることは必定にござる。城内の者には強く口外禁止を命じもうした」
内蔵助の思いも分からぬでもない。藩主の暴君が理由で改易や配流となった例は多い。
家康の孫福井藩主松平忠直は正室の秀忠の娘勝姫に斬りつけ、勝姫を庇って身代わりとなった侍女二人を斬殺するという事件を起し、豊後に配流となった。家康の孫であっても暴君藩主は許されないのである。
豊臣政権の五奉行の一人であった前田玄以の三男前田茂勝は丹波八上藩主時代に、藩政を省みずに放蕩に耽った挙げ句、諫言した多くの家臣を切腹させたため改易を申し渡され、出雲国松江に身柄を預けられた。
藩主の酒乱が原因で改易となった例としては、綱吉政権において見られる。越後沢海藩主溝口政親が家臣の訴えで改易となっている。二代将軍秀忠時代には美濃国清水藩主稲葉通重が京での飲酒後の乱暴狼藉で改易となっている。
ただ。主君押込という方法で改易を免れた例もある。鎌倉時代から見られた慣行で、問題ある行跡の藩主を重臣による合議によって、強制的に監禁することをいう。改易を避ける為のやむを得ぬ処置である。藩主が監禁期間中に、重臣が藩主と面談し、藩主より改悛の情が感じられ再発の危険性なしと判断されれば、藩主はその旨を記した誓約書を交わせば藩主の地位に復帰できる。その情が認められないとなれば、強制的に隠居となり、改めて血縁の中から藩主が選抜される。
内匠頭の暴君振りが真実であれば弟浅野大学を後継に据えて出直しを図るという方法がないではなかった。
「押込は考えなかったのか?」
「押込は残念ながら考えられませぬ。平時の殿と酒乱の殿とは別人格であり、平時の状態の言動で酒乱状態の殿を推し量ることは困難でござる」
「刃傷も酒が原因であったか?」
「江戸家老の藤井又左衛門や安井彦右衛門に勅使饗応役にある間は殿に飲酒させぬよう命じておったのでこざるが、あの日の朝遂に我慢仕切れず内緒で酒に手を出してしまったようでござる。三日間の饗応役で精神的に追い込まれておったのでござろうが、元々殿は精神的重圧に対する耐性が弱うござる。国元や上屋敷であれば、側近や侍女に当たり散らすことにより重圧の解放もなったのでござろうが、あのような晴がましき儀式の中ではそれもままならず、つい酒に縋ったのでござろりましょう。精神的重圧によって蓄積されたイライラや癇癪、怒り、そういった感情が胸に渦巻き、そこに酒が注がれ抑制の箍が一気に。殿の様子から考えて暴力性が顔を出す程の飲酒ではなかろうとは存じまするが、酒によって自制心が緩んだ結果、日頃であれば聞き流せる程の軽口に過剰反応してしまったものと思われまする。殿の体内に潜む魔物が、寄りによって最悪の状況で顔を出してしまったということであろうかと。敢えて殿の刃傷の原因を取り上げるなら、酒の危険性を誰よりも知る殿の辛坊の無さと酒を殿から遠ざけることを怠った取り巻きの油断、といったところでござりましょう」
「浅野殿の切腹を知って、家臣達の反応はどうであった?」
「はっきり申せば、巷間伝えられておるような悲嘆や憐憫はござりませなんだ。逆に日頃から殿の暴力に脅えさせられておった側近達には、寧ろ朗報ともうしてもよろしかったでありましょう。一方で、お家断絶を知って、その原因を作った殿に対する怒りが沸き上がった者や、こうなる前にいかなる手段を講じてでも藩主差し替えを図っておくべきであったと考えた者もおったでありましょう。拙者も含めそれが正直な思いなのではないかと」
「そのような主君への忠義を欠いた家臣が集まってよくぞ討ち入りの気運を高められたな。お家再興や仕官という餌以外に、何が47名もの家臣達を一年以上もの間繋ぎ止めたのじゃ?」
「それは拙者も同感にござりまする。ただ、現実に目を向ければ300名にならんとする家臣の中で、最後まで残ったのは僅か47名にござります。拙者には徳川の天下を決定付けた大坂の陣にて大坂城に吸い寄せられた浪人どもの心理と共通する部分があるように思えます。彼らは町人、商人、農民に転じる選択肢はなく、武士道に生きるしかない生き物であった、ということになろうかと。言い方を変えれば武士としての矜持なのかもしれませぬ。同志達も同様にございましょう。如何に生活に困窮しようと、武士として生きるしかなかったのでござる。その生き方については各々でござります。拙者の如くお家再興に期待する者、江戸急進派の如く主君の仇討ちに賭ける者、彼らの場合、大半の者は仇討ちの意志が主君に対する忠義心から生まれたものではござりませぬ。江戸の世論に押されたか、あるいは仇討ちを通して武士としての新展開を期待したか。本音は脱盟したき思いは山々なれど、同志の討ち入りに賭ける熱き思いを憚り口に出せずずるずるとといった者もおるやもしれませぬ。それともある種の憧憬のような思いで仇討ちを夢想しておった可能性もあるかと。死場所を求めて吉良邸に攻め入った者もおったやもしれませぬ。仇討ち断念の臭いが漂い始めた頃、彼らの元へ仇討ち決行の知らせが届きます。彼らには迷いはありませぬ。いや、お家再興の道が閉ざされ、迷うなどという贅沢は許されないのでござる。自分の目の前にはそこに賭ける道しか用意されてないのでござる。その先にあるのが地獄か極楽かも分からぬままに」
幕府の大名改易政策により、世の中には浪人が溢れている。彼らの体内には、赤穂浪士の如くやり場のない怒りが充満しているのではないか?その怒りの暴発手段さえ得られれば、巨大な渦となって幕府に向けられるのではないか?
長い大石内蔵助よりの聴取であったが、そんな薄ら寒さを感じて終えることとなった。
2
日が変わろうとしていたが、睡魔は一向に訪れる気配はない。布団から出て、冷や酒を喉に流し込むが、身体は酒を喜んではくれない。
内蔵助の話が頭に張り付いて離れない。柳沢が内蔵助に接触する意図ならどうにか自分を納得させられる理由は用意できる。だが、何故上杉家の家老である色部又四郎が、主君上杉綱憲の実父吉良上野介抹殺に加担しなければならぬのだ?それは、上杉家の総意なのか?それとも色部の独断なのか?色部が主君を差し置いて独断で動いたとすると、その狙いは?謀反か?上杉家は関ヶ原の戦い後に会津120万石から米沢藩30万石に減封され、その後藩主綱勝が子の無いまま急死したためお家断絶の危機に陥った。吉良上野介の子綱憲を養子として迎え入れることで、お家存続が可能となったのであるが、知行は15万石へ半減となった。上杉家には名門としての意地があるはずである。度重なる減封を通し藩を窮地に追い込んだ徳川幕府に対し、腹に一物持ってしかるべきである。それが何故幕府の実力者と手を結ぶ。高家肝煎という高貴なる家柄を一族に有することで、如何なる不利益がある?何故、上野介を排除しなければならぬ?
色部と上野介の個人的遺恨か?色部が上野介に対して個人的な遺恨を有するとしたら?主君との親子関係を傘に着て上杉家の内情に迷惑千万なる干渉をしたか?それが色部の領分にまで踏み入ってきた?色部の領分?藩の財政?もしや・・・そうか、そういうことか。上杉家は度重なる減封にあたっても、5000名にならんとする家臣をそのまま抱え藩政を継続しており、財政は瀕死の状態にある。そこに、上杉家の事情など顧みる気のない吉良上野介という名の財政負担が上乗せとなる。いかに名門上杉家といえども藩主綱憲の実父上野介の、たとえ常識はずれの金銭要求であっても拒否できる者は、家内には存在しないであろう。上野介が高家肝煎が故に藩の財政を更に圧迫したのではないか?色部は内匠頭刃傷事件の二年前の元禄12年、江戸家老に就任した。度重なる減封によって困窮する米沢藩財政の健全化に腐心する。米沢藩財政逼迫の主原因は藩主上杉綱憲の父吉良上野介であったのだ。上野介は高家肝煎や将軍名代という格式の高さから来る自尊と矜持、妻富子は上杉藩主綱勝の妹という家柄の良さから贅沢な生活が身に染み付いていた。富子の気位の高さは、呉服橋から辺鄙な本庄への移転を拒否し上杉家下屋敷へ移ったことにも現れている。上野介は吉良家の普請や買掛金の支払いをすべて上杉家に肩代わりさせていたとされる。その上、毎年6000両もの援助を申し入れていたとされる。また、元禄11年の呉服橋邸の建築費として2万5500両を上杉家に負担させている。知行4200石の旗本としては破格である。その上に高家としての儀式での装束等の出費が被さってくる。上野介には、上杉家のお家断絶の窮地を我が子を差し出すことによって救ってやったのだという強みがあるし、上杉家は逆にそれが引け目となり上野介の無理難題を拒否し難いという事情か重なる。それどころか、それを強みに傲岸不遜さが際立ってくる。上野介は家督を義周に譲り隠居したとはいえ、高家としての出費は続く、召し抱えている家臣の数を減らすわけにはいかず、討ち入りに備えた警護の費用もばかにはならない。上杉家からの警護関連の費用は当然ながら上杉家負担である。何よりも一度身に付いた贅沢な生活が急に改まるとも思えない。上野介には困った時には上杉家の財布という思いが染み付いている。色部は考えたに違いない。米沢藩の財政健全化の一番の近道は吉良上野介抹殺であると。その為に、赤穂浪士を利用せんと。柳沢と色部は、その理由は異なるものの、上野介抹殺という共通の目的を果たす為に接近したのだ。上杉家と吉良家とは上野介と富子の婚姻に際しても軋轢があったらしいと聞く。上杉家は当時30万石、吉良家は僅か4200石である。当主綱勝の妹であった三姫が美男であった上野介に一目惚れしたとされている。三姫は婚期を逸した19才で上野介も19才の俊英である。ただ上杉家では家の格の違いから反対の声が多かった。多額の化粧料も必要となる。家としては何一つ得のない不利益ばかりが目立つ縁組みであった。たが、それらの反対の声を押し切ったのは、三姫の上野介に対する熱き恋心であった。上杉家内には、両家の婚姻話の時点から既に蟠りの火種は燻っていたのである。たが現当主は上野介の実子である。色部達重臣の長きに渡って醸成された吉良家に対する本音を表立って口にはできない。それが、今ここに噴出したのではないか?世論の反発を浴びた上に幕府の庇護を失い裸同然となった上野介に牙をむいた?吉良憎しの思いが、同床異夢の柳沢のそれと合体した?
その二人の間に取引が成立したのではないか?色部は内蔵助を通して赤穂浪士に財政上の支援と同時に吉良邸情報提供を行い、吉良邸討ち入りを後押しする。柳沢は、邸宅移転に伴い妻富子との別離と浅野遺臣による討ち入りの不安という二つの憂慮を抱える上野介に対し、上杉家国元である米沢行きを認めず江戸吉良屋敷に釘付けにする。討ち入り後の吉良家に難癖を付けてのお家断絶を確約する。上杉家に対しては罪に問わないことも合わせて。
策士柳沢には、更なるねらいがあった。徳川幕府成立から続く大名改易政策から、倹約令、生類憐れみの令ときて浅野内匠頭に対する裁決、それらの幕府政策に対する批判や不満を、赤穂浪士に対する期待や喝采に振り向けることによって幕府を救い上げんとしたのだ。柳沢の上野介抹殺に向けた策略は全てに絶妙であった。吉良家を江戸城下から辺鄙な本所へ移転、上野介に対する悪評の流布、浅野家のお家再興の却下、内蔵助に対する甘言、全てが絶好の時期と間合いにて放たれたのだ。柳沢ならではの政治判断であった。内蔵助は柳沢から与えられたエサを同志へ流す。同志達から消えかけていた内蔵助に対する敬意と信頼は、見事に復活する。柳沢の計算しつくされた奸計は、内蔵助という道化師によって命が吹き込まれ、完璧な形で成就する。しかし・・・
五十畑は内蔵助から漂う生温い空気を感じる。
あの男は、強かな柳沢の心中をどこまで感じ取っていたのか?もしかして、操られる振りをして、あの策士を逆に操っていたのでは?
柳沢の真意を読み取り、討ち入りによって上野介抹殺を成功させる見返りに、その後の無罪放免と他藩への高条件での仕官を確約させた?だが、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの背後で柳沢ばかりでなく色部又四郎まで蠢いていたということになると、討ち入り事件の裁決の行方に怪しげな靄がかかり、視界がぼやけ出してきた。柳沢と色部の事件関係者との間の利害が一致しないからである。上野介に関して言えば、両者とも消えて欲しいと願っているはずである。ただ吉良家については微妙なズレか生じてくる。色部は上野介の跡継ぎ憲周が高家として上野介の役割を引き継ぐとなれば、上杉家の出費は避けられない。家ごと消滅して欲しいはずである。柳沢はどうか?柳沢は上野介さえ消えてくれれば、満足するのではないか?いずれにしても、大きな利害のズレにはなり得ない。ただ、上杉家については決定的な対立構造となる。柳沢の狙いは上杉家の取り潰しである。これは譲れないであろう。お家取り潰しの理由は、藩主の父親を当主とする吉良家を襲った徒党を組んでの狼藉者に対し救援部隊を送らなかった。もしくは深夜の狼藉者に対し、当主を体を張って護ることも抗戦することも無しに無抵抗、雲隠れ、逃亡といった武士にあるまじき家臣の姿勢は、侍としての矜持に背くものである。これは世論の後押しもあり、おおきな障害はないはずである。
色部は逆にそれだけは阻止したいはずだ。家老という要職も高禄も同時に失うことになるのだ。二人は手を組むに当たって、この点をどういう収拾策でまとめたのであろうか?
赤穂浪士の罪状についてはどうか?柳沢は大石に対し、赤穂浪士の無罪を確約したはずである。無罪というからには、赤穂浪士の上野介討ちは仇討ちであることを認定することになる。すると、浅野切腹、上野介無罪という浅野刃傷事件の裁決の間違いを認めることになる。柳沢はここにどういった理屈付けをするつもりなのか?赤穂浪士有罪となれば、世論の猛反発を浴びて、先の裁決の二の舞となりかねない。綱吉が許すとも思えない。しかも、大石との密約を反故にすることにもなる。柳沢にとっては、どちらがよりましか、の判断となる。
色部についてはどうか?赤穂浪士有罪とするのは、上野介討ちが仇討ちではなく徒党を組んでの狼藉であると決した場合である。すると、狼藉者が藩主の父親を殺害するのを傍観したことになり、上杉家への罪の波及は避けられまい。では、赤穂浪士無罪ならいいのか?赤穂浪士の上野介討ちを仇討ちであると幕府が認めたわけである。正当な仇討ちを傍観したわけであるから、世論の批判はあっても上杉家への罪の波及は免れる。
柳沢はどう出る?このまま大衆迎合を持続して無罪とするか?それとも、赤穂義士の実態を流布し、喝采を嫌悪に変えて切腹にまで押しきるか?
五十畑の思考は堂々巡りを続けた。
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